[3821] 異常にパワフルな中年たちが本気でふざけた『浅草紅白歌合戦』

投稿:  著者:  読了時間:23分(本文:約11,200文字)


《酔っ払いにしてはまともなことを言う》

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 異常にパワフルな中年たちが本気でふざけた『浅草紅白歌合戦』
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異常にパワフルな中年たちが本気でふざけた『浅草紅白歌合戦』

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宴会の余興として、むくつけきおっさんが女装して現れ、その醜悪さを強引に見せつけて苦笑を勝ち取るのは、おそらく太古の昔から定番としてあった。どちらかというと悪趣味に属する芸だ。

数年前だが、YouTubeでそんな動画を見たことがある。どこかの会社の忘年会とみられる座敷で、それなりの地位にあろうかとみえる中年後期のおっさんが5〜6人、お揃いのセーラー服を着て舞台に立ち、おニャン子クラブの『セーラー服を脱がさないで』に合わせて振りを演じている。

ページビューを確か3万ぐらい稼いでいて、非常にうらやましく思った覚えがある。今、探してみたが、さすがに消えているようだ。

歴史ある定番芸であるからして、それなりのウケをとることはできるものの、さほど新鮮味はない。私はセーラー服を着るおっさんには違いないのだが、そういうのとは路線が違う。多くの人々が「かわいい」と言ってくれたり、ゆるキャラと同種の親しみをもって近づいてきてくれたりする。醜悪さを超越しているところに新鮮味があるのではないかと。

そう思ってきたので、逆に盲点に入っていたのだが、宴会の定番芸であるところの『セーラー服を脱がさないで』のお鉢が今年はこっちへも回ってきた。いやこれ、陳腐化した芸なのに、私がやると一回りして新鮮味あるぞ。

12月6日(土)の夜、浅草に近い竜泉町国際通りにあるカラオケバー「松竹」にて、『松が谷大人塾 presents【第一回 浅草紅白歌合戦】』と称する仲間内のイベントが開かれ、紅白それぞれ15組ずつが歌を披露した。約50人の中年男女が会場を満杯にして、異常なまでの盛り上がりであった。

私は、11月に知り合ったばかりのU子さんからお誘いを受けて、赤組から4番手として出場した。写真はこちら。
< http://picasaweb.google.com/107971446412217280378/Event141206 >

●出会いの経緯はラーメンまでさかのぼる

U子さんと出会ったのは11月1日(土)のことである。縁は異なものというが、ここに至るまでに、偶然の出会いの長い連鎖がある。

ひとつの出会いが、また別の出会いを呼び、それがまた別の出会いを呼び...。その確率は、掛け算で累算されていき、限りなくゼロに近づいていく。

けど、宇宙は必然の法則にしたがって進行していくものだと思えば、何が起きたってその確率は1である。珍しいことなのか、珍しくないことなのか、さっぱり分からない。

なので、そうめったにあるもんじゃないと感じられるようなことがあっても、いちいち驚かないことにしている。

話はラーメンまでさかのぼる。私がセーラー服を着て、初めて表を歩いたきっかけは、ラーメンであった。神奈川県の鶴見にある通称「ラーメンショップ高梨」というお店のおっちゃんが、企画を立てた。「30歳以上でセーラー服を着て来店すると、ラーメン1杯タダ」と。

その前に、デザフェスで三回、その姿をさらしている。一日の来場者数が3万人に上るとは言え、いちおう閉鎖空間である。会場で私の姿を見ていた人形作家の美少女さんが、この企画のことを教えてくれた。「行ったら?」と。

企画が立ってから一か月ぐらい、チャレンジする者はなかった。2011年6月11日(土)、私が決行して、一番乗りになった。そのときに撮った写真を置きに、翌週、6月18日(土)にも再訪した。そしたら二番手さんにばったり遭遇。千葉から車で来たという。私は隣りに座って、並んでラーメンをいただく。

その日の午後、三番手さんが来たという。女性である。こういうのは女性のほうが、実はハードルが高い。男性だと、よくある悪ふざけで片付けてしまえるが、女性だと意図が不明なので、いっそう気味悪がられるに違いない。

そのあたりの葛藤を綴ったブログが非常に面白くて、私は本人に連絡をとって、メッセージをやりとりした。勅使河原由美さん。放送作家さんであった。

勅使河原さんが手がけた番組に私が出演できるようかけあってくれたが、どうしてもOKが出ず、結局、ゲリラ出演した。2012年12月16(日)、TOKYO MXテビ『おしあげ NOW』。

東京スカイツリーのふもとの「TOKYO SKYTREE TOWN STUDIO」から生放送で、テレビカメラは屋外に面した大きなガラス窓に向けて据えられるので、誰でも勝手に映りに行けるようになっているのである。私は、丸々一時間、声優の日高のり子さんの後ろに立ち続けた。

最近になって、勅使河原さんは、またまた面白い企画を持ってきてくれた。対談を組みたいとのことで、本格的に女装するあしやまひろこさんという方と会わせてくれた。

あしやまさんは、つくば大学を卒業しているが、在学中、学園祭のミスコンに出場している。あしやまさん以外の参加者は全員女性という「黒一点」の立場で、なんと、優勝を獲得している。

勅使河原さんは、あしやまさんと私が浅草を散歩する企画を立ててくれた。肩を並べて人力車に乗るとか。それって絵になりそう。で、写真は誰が撮るの? 勅使河原さんがみずから撮るつもりという。たいへん心もとないので、いつも撮っていただいているプロの写真家である岩切等氏にお願いして、来ていただける話になった。

岩切氏は、CDジャケット用にX JAPANのYOSHIKIを撮ったこともある写真家で、私なんぞが被写体ではたいへん畏れ多いのだが、氏は私の姿にアートを見出しているとのことで、いつも快く撮ってくださっている。

2014年11月1日(土)、天気がぐずつく中で、浅草散歩。浅草は地域全体が純和風すぎて、私にとってはかえってエキゾチックに感じられる。よその土地に来たというアウェイ感。

岩切氏が、行きつけのお店、「鈴楼」に案内してくれた。食事したり飲んだりできるお店だが、壁がダークな赤で塗られているところがなんとも独特だ。畳敷きのステージがあって、ちょっとしたイベントが開けるようになっている。なんだこの漂うサブカル臭は? それまで距離を置いて眺めていた浅草に、この瞬間、ずぶっともぐった音がした。

お店で、あしやま氏と対談。雨が上がったので、人力車で雷門から浅草寺へ。到着地点へ岩切氏が先回りしていてくれて、撮ってくれた。そこでいちおう解散ということで、あしやま氏はつくばの学園祭に向かった。

勅使河原氏と岩切氏と私は、一杯飲みましょうという話になって、六区のほうの、道にはみ出して丸椅子とテーブルが並べられているオープンな飲み屋街へと向かった。

ちと寒かったけど。そうとう飲んだ。散会となり、岩切氏と私は銀座線の浅草駅に向かい、勅使河原氏は別の路線とのことで、別れていった。岩切氏は、もう一回鈴楼に行って、もう少し飲み足して帰りましょう、と言った。私はすでに限界近くまで飲んでる感覚があったが、まあいいか、と。

そこにU子さんは、いた。いや、いたらしい。私はさっぱり覚えていない。岩切氏と知り合いだが、岩切氏を差し置いて、まず私のほうへ駆け寄ってきて、あいさつしたらしい。

例の「浅草紅白歌合戦」に出ると返事していたものの、さて何をやるかと悩んでいたところへ、私が入ってきたとのことで。天啓のようにひらめいた。一緒に『セーラー服を脱がさないで』ができれば面白かろう、と。

私は、即、OKしたらしい。けど、へべれけの自覚はあって、「明日になったらきっと何も覚えてないからね」と言ったらしい。酔っ払いにしてはまともなことを言うが、そこも私はぜんぜん覚えていない。ぜんぶ、後から聞いた話。

岩切さんと一緒に銀座線に乗り、私は神田で降りて、中央線に乗り換えた。すごい深夜という感覚だったが、ウチに着いたのが11:00pm前で、実は割と早い時間だった。

その日のうちに、U子さんからツイッターのダイレクトメッセージが来ていた。そうでなければ一生思い出さなかったかもしれない。

●浅草に吸い寄せられたU子さん

U子さんは福島県本宮市で生まれ育ち、高校を卒業して、東京に出てきた。東京工芸大学で写真を学ぶためにである。卒業してからも東京に残り、雑貨屋での仕事を経て、スタイリストになっている。

「鈴楼」は、サブカル方面のアーティスト仲間のたまり場のようになっていて、月に一回程度行くという。ふらりと立ち寄ると、たいてい知り合いに会えるという。

去年、浅草で開かれたイベントで、出展者どうしとして、岩切氏と知り合っている。「第一回アサクサ・コレクション」は、2013年9月21日(土)〜 9月26日(木)、「隅田公園リバーサイドギャラリー」で開催されている。

そのイベントの主催者は塩澤政明氏という方で、ファッションデザイナーである。特にメイド方面に明るく、「日本メイド協会」の理事を務めたりもしている。アイドルグループ「アイドリング!!!」の衣装を手がけたりもしたそうだ。

「アイドリング!!!」と言えば、この夏、菊池亜美さんと握手するという栄にあずかることができた。お台場で開催された「Tokyo Idol Festival 2014」で8月2日(土)に。イベントは8か所のステージで同時進行していたが、湾岸スタジオ屋上に特設されたSKY STAGEで、出演前と後の二回、脇の通路を通るときに、向こうから手を差し伸べられたのであった。取り残された周囲のファンたちは唖然。「俺もセーラー服着てくりゃよかった」とか、とか。

塩澤氏は、Ladybeard氏の衣装も作ったという。Ladybeard氏の写真集を出した写真家・立花奈央子氏に聞いてみたところ、二着作ってもらったという。ピンクと水色のロリ服と、黒と白のエナメルのメイド服っぽい衣装。どちらも最近の新作衣装なので公式サイトにはまだ掲載されてないけど、Ladybeard氏がツイッターに写真を上げている。

プロレスラーとしてのゴツさと、女装家としてのかわいらしさの共存するLadybeard氏にうまく合わせ、やはり両面備えた衣装になっているのが面白い。

おっ。お知り合い連鎖がループした。私 - 岩切氏 - U子さん - 塩澤氏 -立花氏 & Ladybeard 氏 - 私。

浅草の塩澤氏のイベントには、写真家・都築響一氏も出展している。私は、2012年5月に四谷三丁目の「gallery SHUHARI」で都築氏の写真作品を見ている。

2012年3月18日(日)、下北沢から小田急線に乗ると、電車の中で写真を撮らせてください、と言ってきた人がいた。写真家・中山学氏である。

一か月後、4月17日(火)〜 4月29日(日)に「gallery SHUHARI」にて中山氏の個展『電車の中のニッポン』開かれ、電車内で見つけた、ちょっと風変わりな見知らぬ人に声をかけて撮った写真のシリーズが展示されてた。私が被写体のも展示されていた。私はそのときに初めてこの画廊を訪れている。

「gallery SHUHARI」は、写真家・吉永マサユキ氏と森山大道氏による写真塾「resist」の卒業生有志が新しい展示発表の場を求めてオープンした画廊。名前は創作芸術の格言「守破離(シュハリ)」から。残念ながら、2014年10月19日(日)をもって閉廊している。
< http://www.gallery-shuhari.com/ >

中山氏の個展に引き続いて、5月1日(火)〜 5月27日(日)、都築響一+片山恵悟写真展『老人神秘 〜老人よ大志をいだけ〜』が開催されている。私はそれも見に行った。

都築氏の写真、ものすごかった。「今の世の中、老人がいちばん元気だ」をテーマに、奇矯で元気な、どこか狂っているようでありながら、のびのびと生を謳歌している老人たちの姿を捉えた写真が、どどどどっと数10枚、展示されていた。

都築響一氏の著書『東京右半分』(筑摩書房、2012年)には塩澤氏が紹介されている。型にとらわれない自由な生き方をする魅力的な人々や、そういう人たちが形成する特異なサブカルチャーは、下町と呼ばれる、東京の右半分で見つかる、というコンセプトの本。

小さいころからレディース・ファッションが大好きで、高校卒業後には文化服装学院で服飾デザインを学び、メイド服の草分けメーカー「キャンディ・フルーツ」を設立し、さらには松が谷でロリータ系コスチューム専門店「WASABI」を営む塩澤氏が紹介されている。

9月ごろ、U子さんは、塩澤氏たちとお茶してて、浅草紅白の話を持ちかけられた。「出るよね?」。浅草紅白のほうも、主催者は塩澤氏なのである。

出ることにはしていたものの、さて何をやろうかと考えていたところへ、酔っ払った私が「鈴楼」に入ってきたというわけである。

U子さんは、その後、ネットでセーラー服を入手した。厚い生地でしっかり作られている、ちゃんとしたやつ。これ、一回だけ着て終わりじゃ、もったいなくないかな?

●安請け合いを後悔

U子さんと会ったのが、11月1日(土)で、浅草紅白は12月6日(土)。一か月以上あるから何とかなるだろうと楽観していた。11月の予定が割と立て込んでいるのを分かりつつ、軽くみていた。甘かった。

11月9日(日)には神戸の「上屋劇場」でLadybeard氏の来日一周年記念イベント『Kawaii Angelic Celebration』があり、私も出演してしゃべった。

11月15日(土)には上尾の「アウトドアカフェ山小屋」で武盾一郎氏とのトークイベント『理系が語るHAPPY論』があった。11月23日(日)には、「高円寺パンディット」にて、アヒル武士氏とトウモロコシおじさんとのトークイベント『カオスおじさんズ』があった。

U子さんは、高円寺のイベントに来てくれた。複数のことを同時進行させる才能に恵まれていない私は、目先のことに手一杯で、この時点で、浅草紅白の練習にまったく手がついていなかった。

いくらばたばたしてたって、5分10分ぐらいの空き時間がないわけじゃなく、そういうときにちょこちょこおニャン子の動画をみて、多少なりともなじんでおけば、後々覚えるのが楽なのに、そういうことを考えつけない私である。

結局、イベントの三日前くらいになって、やっと仕事帰りにヒトカラで練習を始めた。歌を覚えるだけで精一杯で、振りまではとても手が回らない。安請け合いするんじゃなかったと大後悔。そこそこ忙しいのに、知らない人たちの集まる内輪イベントにまで出るとか、引き受けなくてもよかったなぁ。

振りは当日の朝、動画を見て覚えた。抜けだらけのボロボロ状態。U子さんは、中野の制服店「コード」へスカーフを買いにくるとのことで、それの済んだ4:30pm に待ち合わせて、中野のビッグエコーで、一時間弱、合わせ練習。一緒に浅草に向かい、6:30pmごろ会場に到着した。イベントは7:00pm開始予定。

●中年たちの異常な盛り上がり

行くと、すでに会場の空気は熱かった。出演する人たちは、練習してきたことが蒸発しないようにと無口になりそうなもんだが、そんなことはぜんぜんなく、すでにわいわいがやがやとにぎやかだ。

しかも、みんな衣装がド派手。そこは本物の紅白に負けてないぞ。だいたいみんな40代とか50代とかもっと上とか、いい年齢なんである。紅白それぞれ15組ずつが歌うのだが、選曲からして世代が知れる。たとえば、こんな。

黒沢年男『時には娼婦のように』
小柳ルミ子『お久しぶりね』
北島三郎『薩摩の女』
山本リンダ『狙いうち』
『ズンドコ節』
ザ・ヴィーナス『キッスは目にして!』

その中年の面々が、ものすごいパワフルなんである。照れとか気おくれとか、そういった中途半端な気持ちを一切合財振り切ってる。本気。ノリノリ。よくあるカラオケパーティのように普通に歌って引っ込む人は一人もなく、おふざけ路線で行く人は、超越的なはっちゃけぶりを見せてくれるし、ちゃんと聞かせる路線で行く人は、プロ並みの 上手さである。バカ盛り上がり。いやはや、ものすごい会があったもんだ。一時は後悔したけど、やっぱ来てよかったわー。

歌合戦が、引き分けをもってお開きとなり、20人ほどが、「鈴楼」へ場所を移して飲み足した。バカ盛り上がりが夜更けまで続いた。

●建って100年目になる本宮映画劇場

U子さんの出身地である福島県本宮市には、古い木造の映画館がある。「本宮映画劇場」。建てられたのが1914年(大正3年)だから、今年で100年になる。震災にもびくともしなかった。

もともとは、町の有志34人が出資しあって、公民館代わりに建てられた。近所に住んでいた田村寅吉氏が欲しくなって買い取って、映画館兼劇場として個人運営した。

歌手の故・三波春夫氏が抑留されていたシベリアから戻ってきた直後、浪曲師・南篠文若氏として活動していた。月に一度、本宮映画劇場でも公演したという。

1955年(昭和30年)に田村氏が急死し、当時20歳だった息子の修司氏が引き継いだ。映写機の回し方は、小学生のころから父親に教わってきていた。

しかし、経営がしだいに悪化していき、1963年(昭和38年)に閉館を余儀なくされた。私が1歳のときだ。それから50年が経つ。田村修司氏は、78歳になる。

閉館してから田村氏は会社勤めをしつつ、定年退職したら、映画館を再びオープンさせようと考えていた。なので、電気代を払い続け、カーボン映写機に油を差し、時々は回し、館内を掃除し、映画館を生きた状態に保ち続けた。

しかし、再開のめどは立たず、現在に至っている。年に数回、近所の爺さん婆さんを集めて無料で上映会を開いたりはしている。

田村修司氏は、都築響一氏の著書『独居老人スタイル』(筑摩書房、2013年)で紹介されている。型破りな生き方を堂々と貫く独居老人16人を取材して書かれた本である。田村氏はその16人のうちの一人として描かれている。

田村氏には三人の娘さんたちがいるが、みんな東京に出てきて暮らしている。なので、本のタイトルどおり独居老人なのである。その末娘が、田村U子さん。

上映会があるときは故郷に帰って手伝いをする。「第一回アサクサ・コレクション」でU子さんが展示したのは、父親が集めた映画ポスターであった。

「ふくしまの声」というウェブメディアに、田村修司氏とU子さんの写真が掲載されている。
< http://fukushimanokoe.jp/archives/9181 >

私も本宮映画劇場を見学したいと言ったらU子さんは、さっそく父親にお伺いを立ててくれて、OKの返事をもらっている。年明けぐらいにおじゃまさせていただこうかと。人のつながりの連鎖は、まだまだ続いていきそうである。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
< http://www.growhair-jk.com/ >

私が写ってる写真を掲載した同人誌が二誌、コミケ87で販売されます。どっちもあんまり薄くないかも。がっつり内容濃いものになるんじゃないかと。

【その1】声優・水間友美さん×セーラー服おじさん

マウスプロモーションに所属する声優の水間友美さんと、11月3日(月・祝)に対談し、写真を撮りっこしました。私からは、水間さんを撮影した写真、および、感想文を提供しています。水間さんからは私を撮った写真。これがすごくいいです。

12月28日(日)(初日)東地区 テ - 30b
サークル名:おとめし
サークル主:ねこさん(とり)(@0tasaka)

【その2】女装家・あしやまひろこさん×セーラー服おじさん

女装家・あしやまひろこさんとの浅草の対談は、勅使河原さんが企画してくれたものですが、そのやりとりを文章にして、あしやまさんが同人誌にまとめています。岩切氏撮影の写真も掲載されます。

12月30日(火)(3日目) S-01a
サークル名:テクノコスプレ研究会
サークル主:あしやまひろこ(@hiroko_TB)
誌名:『女装と思想』

LINE のスタンプに引き続き、セーラー服おじさんのデコメが出ました。イラストはスタンプと同じく、石ノ森里美氏。
< http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000403.000005167.html >

タカラトミーが 11月20日(木)に発売したボードゲーム『人生ゲームオブザイヤーII』にセーラー服を着たおっさんが登場しています。エンジニアとして。今年話題になった人が満載。
< http://game.watch.impress.co.jp/docs/news/20141112_675554.html >

Ladybeard氏主演の映像作品『Ladybeard Justice Fight』は2015年2月1日(日)にDVD発売予定です。私は捨てられていた5歳のLadybeardちゃんを拾って孤児院の仲間たちに入れてあげる優しい保母さん役で登場します。死んでからも台詞があります。トレーラーがYouTubeに上がっています。大ヒットの予感しかしない。
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学園の放課後における Ladybeard ちゃんとの日常。
【女子高生】放課後女子トーク #1 「痴漢、ダメ。ゼッタイ。」
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【女子高生】放課後女子トーク #2 「友情?それとも勉強?」
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【女子高生】放課後女子トーク #3 「じゃれあう女子高生」
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【女子高生】放課後女子トーク #4 「セーラー服おじさん、イメチェン!」
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編集後記(12/12)

●明智憲三郎「本能寺の変、431年目の真実」を読んだ(文芸社文庫、2013)。「私は信憑性のある当時の史料から徹底して証拠を洗い直し、根底から『本能寺の変』研究をやり直しました。洗い出された証拠の全ての辻褄の合う事実を復元したところ、ことごとく『定説」とは異なる答が出ました」「このやり方を「歴史捜査』と名付けました。一般的な歴史研究とは明らかに次元が異なるからです」「大きな歴史の構図を見失った『軍記物依存の三面記事史観』からは何も学ぶことはできない」と、自信満々で世に問うのがこの本だ。文庫本で350ページに迫るボリュームだが、とても面白く読めた。

われわれの知る「本能寺の変」とは、明智光秀が信長に対する怨みと天下取りの野望から起こした彼の単独犯だった、であろう。光秀の末裔という筆者によれば、それらは江戸時代に書かれた軍記物による創作に過ぎないと断定する。そのルーツは秀吉が御伽衆の大村由己に書かせた「惟任退治記」で、秀吉によるプロパガンダである。現代のような自由なマスメディアのない時代、秀吉に都合のいい内容で「真実はこうだ」と流布すれば、それが「事実」となった。この怨恨・野望説は軍記物「明智軍記」で補強され、ほぼ定説と化している。しかし、軍記物への依存、出自・前半生の見誤り、動機の次元の見誤り、謀反プロセス研究の手抜き、政治的意図への無頓着など、これまでの研究には問題があった、と筆者は指摘する。

確実に動き出してしまった信長の天下統一の歯車をどこかで止めないと、いずれ一族が滅亡すると恐れていた光秀はすでに67歳、自分の代で解決するには時間不足、そこに現れた千載一遇のチャンスが本能寺だった。ちょっとピンと来ないが、怨恨・野望説よりは説得力がある。ここからがトンデモ面白い。本能寺の茶会は信長が家康を討つための仕掛けで、光秀はその実行部隊を任されていた。光秀は盟友・細川藤孝を味方に引き入れ、家康と談合して謀反同盟を締結する。光秀の信長殺しは成功するが、細川はすでに光秀を裏切り秀吉と通じていて情報を流していた。秀吉の中国大返しが驚異的な早さだったのはこのせいだ、とか。

光秀の謀反に加担した家康、謀反計画に加わりながら光秀を裏切った藤孝、光秀の謀反を知りながら信長に通報せずにそれを乗っ取った秀吉、それぞれの秘密を抱えた者同士が秘密を厳守する密約を結んだのではないだろうか、秘密を防衛できるキーワードが「謀反の動機は光秀の個人的な怨みと野望」「光秀の単独犯行」だった、というのは筆者の見立てだが、これが小説だったらじつに面白い。なるほどと思うところが多いが、それは違うのではないかと思うところもぞろぞろ。歴史マニアを説き伏せられたか。これでは無理だろう。小説で
世に問うほうが絶対にいい。まあ、文章力をもっと磨いてからね。(柴田)

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明智憲三郎「本能寺の変、431年目の真実」


●足をくじいた。お客さんの事務所でのアウェー作業。誰だこんなシステムを作ったのは! 素人なら便利だけど、私らみたいな職人にはめんどくさいだけだ〜! なCMSにHTMLで作ったものを分割入力していた。

2時間もあれば終わるだろうと思っていたのに、マニュアル通りに作業してたら6時間経っても終わらない。マシンが古いのか向こうのサーバが遅いのかわからないけれど、保存するのに時間がかかり、画面を移動するのにも待たされる状態で心が折れそう。

悪条件が重なり、慣れない作業とプレッシャーとで頭痛と疲労。トイレの場所を教えてもらい、きれいなトイレだな〜、ちゃんとした会社だな〜、あともう一踏ん張りがんばろうと思いつつ席に戻ろうとしたら、ズドーン。 (hammer.mule)