まにまにころころ[67]NHK大河ドラマ『花燃ゆ』関連を調べてみた
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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こんにちわん、コロこと川合です。明けましておめでとうございます。って、もう19日ですか。そうですか。ともあれ、本年もどうぞ宜しくお願いします。

昨年はNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』の話で始まったこのまにころでしたが、今年の大河『花燃ゆ』はスルーしちゃってます。軍師官兵衛で燃え尽きました。毎週決まった時間にテレビの前に居ることを、一年ずっと続ける大変さを実感。録画機器欲しいなあ。

見てはいないのですが今年の大河の主役は「吉田松陰の妹」だそうで。なんて変化球を投げてくるんでしょう。本当か嘘かは分かりませんが「主役は女性」ということと「安倍首相の故郷である山口県を舞台に」ということを決めて、ネタ探しをしたという噂が。久坂玄瑞の奥さんなので、名もなき一般人というわけでもありませんが、マイナーなところをついてきましたよねえ。

吉田松陰やその門下の志士の側で幕末の動乱、維新を見届ける役というわけで、面白い話になりそうとは思うんですが、なぜか食指が動きませんでした。

それにしてもその松陰の妹、杉文は二十代前半で久坂玄瑞と死別、二十代半ばには幕末も終わるし、西南戦争で三十代半ば、伊藤博文が初代内閣総理大臣になる時で四十代前半くらい。

絵的に面白いのは幕末だと思うんですが、その先どの辺まで描くんでしょうね。六十代半ばくらいで伊藤博文が暗殺されるので、そのあたりまでいくのかな。

ま、年末にWikipediaでも眺めよっと。(笑)




◎──吉田松陰(よしだ・しょういん)

妹の話は大河に任せるとして、周辺の人物のことを。まずはやっぱりこの人、吉田松陰。1830年に長州藩士の次男として生まれた、幕末の思想家です。9歳で藩校で教壇に立ち、11歳で藩主に講義をしていたという天才。

吉田松陰と言えば、数々の人材を輩出した松下村塾を開いたとして有名ですが、元々は叔父さんが開いた私塾で、松陰もそこで学んでいました。叔父さんの後、これまた親戚が松下村塾の名前を継いで、松陰はその後。

教育カリキュラムのようなものがあるわけでなし、名称だけのことなので、三代目のような、初代のような。よくわかりません。

しかも、松陰は松下村塾を始めた翌年に投獄、その翌年には斬首になっています。つまり松陰の松下村塾はたった一年ほどだけ。それなのにその門下には久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿といった名前がずらっと並ぶんですからすごいですよね。

松陰のことをあれこれ書いていくとそれだけで終わってしまいますが、この人、はっきりいって滅茶苦茶です。そもそも長州藩自体がちょっとぶっとんだ逸話の多い藩なのですが、それでも松陰の行動はかなり突き抜けてます。

・22歳の松陰(1852年)
友達と旅行を計画、藩に申請していた通行手形の発行が出発日に間に合わず、旅行のためにそのまま脱藩。

・23歳の松陰(1853年)
長崎でロシア軍艦にこっそり乗り込もうと計画するも失敗。

・24歳の松陰(1854年)
条約結びに再来日したペリーの旗艦に小舟でつけて乗り込む。追い返されるも小舟は流され既になく、こっそり帰れず幕府に自首。師匠だった佐久間象山も連座で投獄されるとばっちり。ペリーもビックリ。ちなみにペリーは、松陰を賞賛しています。「日本人の好奇心、すげーな!」って。

本人もやっちゃダメなことだとは分かっていたようで、投獄されて、『かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂』と詠んでいます。要するに、好奇心に負けたんですね......

・27歳の松陰(1857年)
松下村塾を開塾。

・28歳の松陰(1858年)
勝手に日米修好通商条約を結んだ幕府に怒り、老中の間部詮勝の暗殺を計画。門下生になだめられるも、激高。老中暗殺だけでなく倒幕まで計画。いずれも実行前に頓挫、後にバレて投獄。バレて、というか、自らバラしたそうな。

・29歳の松陰(1859年)
安政の大獄で斬首。享年30歳(満29歳)。

ちなみになんだかんだ合計して、五回投獄されています。で、執行猶予的に釈放されてはまたやらかしての繰り返し。そんな生涯でした。

老中暗殺だ倒幕だって話の時、門下生はなだめにかかってキレられているのに、松陰の死語にきっちり遺志継いで倒幕しちゃってるとこがまたすごい。

以下、とても簡単に門下の紹介。

◎──久坂玄瑞(くさかげんずい)

今年の大河の主役、文の旦那。長州藩の藩医の家系で玄瑞も藩医。複数の知人から「松陰に師事するといいよ」と薦められ、その気になる。以下、入門しようとした玄瑞と松陰の手紙でのやり取り。

玄瑞「外国の使者なんてぶっとばしましょうや!(賛成してくれたら嬉しいな)」
松陰「バカかお前は。おとといきやがれ!(反論してくる気概が欲しいな)」
玄瑞「バカとはなんだ、腰抜けが!(思ってたような人とは違うのかな)」
松陰「じゃあ今すぐ斬ってこい! 今すぐだ!発言には責任を持てや!」
玄瑞「せ、先生! 弟子にしてください!」

こうして弟子になり、高杉晋作と並んで「村塾の双璧」と呼ばれましたとさ。めでたしめでたし。しかし蛤御門の変で自刃。享年25歳。

◎──高杉晋作(たかすぎしんさく)

長州藩士。奇兵隊創設者。攘夷志士。長州藩をたきつけて倒幕に向かわせた人。玄瑞とは子供の頃からの付き合いで、玄瑞の誘いで松下村塾へ。背が低いのを気にしていたらしく、立った写真はない。エピソードは多すぎて書き切れないので、かいつまんで。

・ある日の松陰先生

うーん、晋作は学問の才能あるはずなのに、剣術の稽古ばかりしてるなあ......よし、勉強している玄瑞のことを、晋作の前で褒めたおしてみよう。あいつ、負けず嫌いだからな。

松陰「玄瑞は勉強頑張ってるなー! 偉いな! 玄瑞は偉いな! 偉いぞ玄瑞!」
晋作「......(くっ)」

以降、晋作は勉強も頑張りまくって玄瑞としのぎを削りあったそうな。

・ある日の晋作

晋作「うわー、その軍艦いいね! 欲しい! 売ってくれ!」
商人「まいど! お代はどないしましょ?」
晋作「お金のことは藩に言って! 俺は知らない、軍艦欲しいだけ!」
商人「えっと、話はついてるんで?」
晋作「いや、大丈夫じゃない? 知らないけど!」
商人「......じゃ、じゃあ長州藩に請求書送りますね」
長州藩「なんじゃこりゃあ!!!!!!!!!」
こんなことが二回もあったそうです。

・ある日の坂本龍馬と晋作

晋作「龍馬! 龍馬! こないだ上海で買ってきた土産やるわ!」
龍馬「ありがとうー......って、なに、これ、かっこいい!!」
晋作「そうやろ、そうやろ、リボルバーっちゅう拳銃じゃ!」

・下関戦争の講和交渉での晋作
列強「賠償金ハライナサイ」
晋作「幕府に言え」
列強「彦島をヨコシナサイ」
晋作「そもそも日本国なるは高天原から始まり......」
(以下、延々と国の成り立ちを語り続ける)
列強「(ナ、ナニイッテルカワカラナイケド、コイツヤバイヨ)」
※大河ドラマ『花神』より
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租借地にされ列強の食い物にされた上海の惨状を知っていたので、うやむやにすることではねつけたらしい。晋作がいなければ大変なことになってたと伊藤博文が後年に回想しています。

その他にも破天荒なエピソードだらけの晋作も病には勝てず、結核のため28歳の若さでなくなりました。

辞世の句は「おもしろきこともなき世をおもしろく」とされています。

◎──伊藤博文(いとうひろぶみ)

初代内閣総理大臣。初代韓国統監。千円札の肖像として、夏目漱石の前任者。あれ、今は野口英世? まあいいや、伊藤博文についてもまた書き切れないので、簡単に。他の人に比べて比較的まともで、おもしろエピソードは少ない。

・女好きの伊藤博文

伊藤「地方に来たら芸者遊びや! よし、芸者呼んでくれ!」
相手「お任せください、一流のきれいどころを呼びますわ!」
伊藤「いや、一流はあかん。二流、三流にしといてくれ」
相手「え? なんでですの?」
伊藤「一流の芸者はバックに土地の偉いさんが付いてる。揉めるからあかん」
相手「わ、わかりました、ほな呼んできますわ」
伊藤「ちょっと40度ほど熱あってフラフラするけど、二人ほど付けてくれ!」
相手「えーーー!」

ハルビンで朝鮮人の安重根に射殺される。享年69歳。来日していたドイツ人医師のベルツ博士は、朝鮮のために尽力していた伊藤を朝鮮人が暗殺したことを嘆く言葉を記している。

関係ないけど、アジア人のお尻のアザに「蒙古斑」って名前付けたのは、このベルツ博士です。また草津温泉を大絶賛し世界に紹介。もしかして草津温泉で蒙古斑が気になったとか......

◎──山縣有朋(やまがたありとも)

初代内務大臣。第三代、九代内閣総理大臣。奇兵隊の出身。日本陸軍の基礎を築き「国軍の父」と称される。

久坂玄瑞の紹介で松下村塾入り。松陰門下であることを生涯誇りにしていた。高杉晋作の後を継いで奇兵隊を指揮、四国連合艦隊との交戦を経て攘夷派から開国派に転身。兵器や兵制の近代化を図る。写真では分りにくいけど、出っ歯。

◎──吉田稔麿(よしだとしまろ)

幕末の活動家。久坂玄瑞、高杉晋作とともに「松陰門下の三秀」と称される。宝蔵院流の槍、柳生新陰流の剣の使い手。松下村塾では兵学も修める。上述の歴々に比べてエピソードは少ない。というのも、24歳で亡くなっているから。

でも「どこかで名前は聞いたことがあるような......」という方も多いのでは?吉田稔麿は、池田屋事件で新撰組に斬られた一人です。諸説あって、いったん池田屋を出てまた戻ってきた際に、池田屋を囲っていた新撰組に向かっていって奮闘するも討ち死にしたという説。

戻る途中で会津兵に遭遇して討ち死にしたという説。長州藩邸へ危機を知らせに走ったものの、受け入れられず自害したという説など。

何にしても、池田屋事件絡みで命を落としています。経歴からも腕には自信があったでしょうし、仲間を助けようと向かっていって討ち死に、という流れじゃないかなという印象。

それにしても、松陰先生の門下、最も優秀とされた玄瑞が25歳、双璧とされた晋作が28歳、それに続く三秀の稔麿が24歳と、みんな早世。松陰先生も30歳。しかもこの中で病死は高杉晋作だけという......生き急ぎすぎ。

◎──NHK大河ドラマ『花燃ゆ』

冒頭でスルーしてると書いた『花燃ゆ』ですが、今回原稿を書くにあたって、吉田松陰先生とその門下のことをあれこれ調べているうちに、ちょっと興味が湧いてきました。やっぱり見てみようかな......(笑)

最後に、吉田松陰先生の名言で締めたいと思います。

「一日一字を記さば一年にして三百六十字を得、 一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う」

さ、今年も頑張って行きましょう。

◎──【告知協力】「アクセシビリティの祭典」
< https://www.facebook.com/events/531964253585449/
>

自治体・企業・制作会社・障害者支援施設などに属する方々、障害を持つ当事者など様々な立場の人が、新しいアクセシビリティ(情報バリアフリー)技術に触れて体感していただける祭典です。

日時:2015年2月3日(火)10:30〜17:30(終了後、懇親会あり)
会場:神戸市産業振興センター
※会場はバリアフリーとなっております。

メイン対談:「未来のアクセシビリティを考える」
神戸大学大学院工学研究科 教授 塚本昌彦氏
株式会社インフォアクシア 代表取締役 植木真氏
※ファシリテーター:バスタイムフィッシュ代表 村岡正和氏

セミナー:「Web制作者が知っておきたいアクセシビリティ最新動向」
株式会社ミツエーリンクス取締役CTO 木達一仁氏
※セミナーは複数を予定しています。順次、公開予定です。

【展示】
アクセシビリティに関する「音声で操作するマシンやソフト」「視線で操作するマシンやソフト」「ジェスチャーで操作するマシンやソフト」「脳波で操作するマシンやソフト」(予定)

詳しくはFacebookページにて。
< https://www.facebook.com/events/531964253585449/
>

【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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>
今年はおみくじ、二回引いて二回とも大吉でした!