ショート・ストーリーのKUNI[167]細川くんは出かけられない/ヤマシタクニコ

投稿:  著者:  読了時間:9分(本文:約4,200文字)


細川くんはたいへん困っていた。東京に二泊三日で出張に行くよう言われたか
らだ。

なぜ困るかというと細川くんはものすごく小心者で心配性でおくびょうで優柔
不断で決断力がなく、外出するにもものすごく時間がかかってしまうのだ。

毎日の出勤にあたっても、いざカギをかけ、一歩踏み出した直後から「ほんと
にカギをかけたか」「ガスの元栓はしめたか」「こんろの火は消したか」と疑
念があぶくのごとく次から次へと浮かんではどすどすと溜まり始めてあふれか
えりそうになり、いてもたってもいられず引き返すはめになることがしばしば
だ。おちおち旅行にもいけない。行っても気になって楽しめそうにない。

だから、出張はあの手この手の理由をでっちあげては避けてきたが、今回はそ
うもいかなくなった。これ以上断るとやばい。しかし。




新幹線で東京。自宅から直行&直帰。

ああ、考えただけでおそろしい。ふだん通勤で昼間家をあけるだけでも心配な
のに、その3倍心配しなければならない計算だ。何かあったときの困難も会社
にいるときの数倍と思われる。だが、非情にもその日は近づくばかり。

ついに、その日がきた。

荷造りは前日からしっかりしておいた。キャリーケースを玄関に出す。出した
とたん、「ほんとに荷造りは十分か」という疑念がわいてきた。パンツは入れ
たか、靴下は、iPhoneの充電ケーブルは。胃薬は、バファリンは...

入れたよ! 入れたじゃないか! もうひとりの自分が言うが、自分ほど信用
できないものはない。しっかり荷造りしたケースをまた開けて確認する。

よし、あった...あるに決まってるじゃないか! 落ち着け自分。細川くんは深
呼吸する。あ、肝心の仕事の資料は! またケースを開けて確認。あった。

だからね、もー、あるに決まってるじゃないか。だいじょうぶ、だいじょうぶ
だってば! また荷造りしなおす。これで15分はロスした。

その後、いつもの確認作業を始める。ガスの元栓。よし。風呂場のガスもOK。
各部屋の窓の施錠。ベランダ側のドアの施錠。自分は本当にズボンをはいてい
るか。OK。みんなOK。

パソコンは電源を落とした。待てよ。SNSはログアウトしたっけ。もし、おれが
旅先で突然死したら、変死ということで警察のやっかいになるかも知れぬ。
警官は何か手がかりはないかとパソコンを調べる。警官も人の子だ。ログイン
したままのSNSをのぞく。絶対のぞく。

へー、こいつこんなやつなんだ。職場ではふつうにふるまっていたようだがけ
っこう変態だなとか...やばい、死んでしまえばどうでもいいと言われるかもし
れないが、やっぱりいやだ。防げるものなら防ぎたい。ログアウトしてるかど
うかチェックしなければ!

電源を入れて立ち上げてみたら、SNSはちゃんとログアウトしていた。

だから言ってるじゃないか。慎重なおれがそんなドジを踏むもんか。はは。は
はは...待てよ。Amazonはどうだっけ。サインインしたままだったりして。ひま
にあかせて検索したあれとかこれとかがばればれになる。

「姪っ子にもらったんだよー」と言ってたキティちゃんのポーチを、自分で買
ったこともばれてしまう! 

...だいじょうぶだった。だから、もー...これでまた15分はロスした。

いや、こういうこともあろうかと細川くんは、ジョルダンの乗り換え案内より
1時間早めに出発することにしていた。だからまだだいじょうぶだ。とはいっ
てもあと30分しか余裕がない。

それより、30分も経過するとまたキャリーケースの中が心配になってきた。パ
ンツは入れたっけ? iPhoneのケーブルは? また大急ぎでチェックする。あ
った。ガスの元栓もやりなおしだ。時間が経ったからといってガスの元栓が勝
手に開くわけはないと思うが、念のため。よし、確かに閉めた。

いや、待てよ。「元栓が閉まってる」とは本当にこういう状態をさすのだった
か? 細川くんはまじまじとガスの元栓を見る。つまみが横を向いてる状態が
たぶん、閉まってるということだ。たぶん...たぶん、これでいいのだろう。

ああ、なんだかすべてにおいて自信が持てなくなっている。東京から戻って来
たら火事で丸焼けでご近所にも迷惑をかけ、莫大な費用を請求されそうな気が
する。

「あんたのせいで人生狂わされたんやで、どないしてくれるねん!」「ほんま
や!」「一生かかっても弁償せえよ!」...わああああ! いや、きりがないき
りがない! 人生、なるようになるんだ! いい加減に出発しないと間に合わ
ない。

いや、まだ間に合うと思う。思うが...油断はできない。

何年か前にも新幹線で名古屋に行こうとしたことがあった。しかし、地下鉄御
堂筋線で新大阪に着くまでに、天王寺で風呂場の窓の施錠が気になり始め、大
国町で冷蔵庫のドアが開いたままのような気がし始めて思わず腰を浮かせたが
なんとか踏みとどまり、難波でタバコの火を消したかどうかが心配で心配でし
かたなくなり、よく考えたら自分はタバコをすわないのであるが、もうとにか
く心配でほとんど中腰のまま辛抱していたが、とうとう心斎橋でドアが開くな
り降りて帰って来てしまったことがあった。もちろん、すべてだいじょうぶだ
ったが、ああいうこともあるのだから...と思っているとチャイムが鳴った。

ぴんぽーん。

ドアを開けるとスーツ姿の男が立っている。

「ななな、何のご用です、ぼくはものすごく忙しいんですけどっ!」

「すいません、お手間はとらせません。ロボットを買っていただけませんか」

「はあ?」

「手短に説明させていただきます。失礼とは思いつつ、先ほどからのひとりご
 とを全部聞かせていただきました」

「え、き、聞こえてたの?!」

「はい。それで...当社のロボットは大したことはできません。戸締まり火の元
 その他確認専用ロボットでして」

「はあ?!そんなぴったりのロボットが、あるわけないだろ!」

「それがあるのです。他には何もできませんが、それだけは確実にできるので
 す。戸締まりや火の元の確認が心配で仕方ないとおっしゃる方は一定の確率
 でおられます。それで開発したのですが、思うように売れず...いまなら格安
 でご提供させていただきます。これなんですが」

男が、もうひとりの男を招き入れた。ように見えたが、それがロボットだった。
見かけはふつうのサラリーマン。地味なスーツを着て髪をふつうに整えている。

「これが?」

「はい、今なら2980円でご提供いたします」

「安っ!」

「買っていただけるのですね!」

男はめちゃくちゃうれしそうな顔になった。よっぽど売れないのだろう。

「でも...これ、どうやって使うの?」

「このロボットがお部屋の中をすべてチェックしてまわります。お出かけの時
 はいっしょに連れていってください。道中『ガスの元栓閉めたっけ...』と心
 配になったときにはいつでもこのロボットに聞いてください。『大丈夫です。
 わたしが保証します』という力強い言葉であなたの心配は雲散霧消」

「なるほど! 自分ひとりだからいつまでも心配だが、だれか証明してくれる
 人がいるとその心配はなくなるってわけだ! しかし、もっと小型化できな
 かったんですか」

「そこですが...もっと小型化しても、それを外出時に持って歩くのは荷物が増
 えることになります。ただでさえ旅の荷物は軽くしたい。デジカメしかりノ
 ートパソコンしかり、メーカーは軽量化で必死です。でも、このロボットで
 すと自分で歩くのでその心配がありません」

「なるほど!...と手放しで喜べないような気もするが、気のせいかな」

「気のせいです。絶対お得です。こんなに大きなロボットが2980円、消費税こ
 みですよ!」

「そうだなあ...しかし...」

「大丈夫です。何かあればいつでも私にご連絡いただければ」

結局、細川くんはそのロボットを買ってしまった。2980円で安心が買えるなら
安いものだと思ったのだ。だいたい、もう時間がない。

細川くんはロボットに急いで火の元・戸締まりその他もろもろを確認させ「だ
いじょうぶです。何の問題もありません。私が保証します」と断言するロボッ
トとともに駅に向かった。

駅に着くなり細川くんは後悔した。ロボットの分も交通費がいるじゃないか!

それでも一応切符を買い、地下鉄に乗った。あびこあたりでふと「コンロの火
は消したっけ...」と思い出したが、たちまちロボットが「だいじょうぶです。
私が保証します」と言いきった。

動物園前駅では壁の象やトラの絵を見ているうちに「ひょっとして炊飯器やポ
ットの電源がそのままかも...」と気になったがロボットは「大丈夫、プラグは
抜いてありました」と断言した。なんてたのもしい! それなりに役にたつじ
ゃないか。

しかし、新幹線の切符をロボットの分まで買う段になってさすがに腹が立って
きた。2980円のロボットに13620円の切符? だれだよ、こんなやつ買ったの
は! 自分だ。

細川くんはロボットと並んで座りながら後悔の塊となった。そもそも細川くん
のように出かける時も心配で仕方ないような人間は、大きな買い物ができない
ようになっている。とっさに決められるのは3000円までだ。

「そこを読まれていたか...」

列車はどんどん進み、京都を過ぎた。

「次の停車駅は、名古屋です」とアナウンスされる。

すると細川くんは「ツタヤで借りた『アメイジングスパイダーマン』のDVD、
返したっけ...ひょっとしてプレーヤーに入れたままだっけ...」と心配になって
きた。

「名古屋」から名古屋名物ういろうを思い出し、そこから映画「ウィロー」を
思い出し、ついでに思い出したのだ。DVDを返却してようがしてまいが、プレ
ーヤーに入ったままであろうとなかろうと全然どうでもいいのだが、気になり
始めると止まらない。細川くんは「DVD、どうだっけ...」と思わず口にした。

返事はなかった。隣の席に目をやると、ロボットは白目をむいてぐにゃぐにゃ
になっていた。えーっ、もうバッテリー切れ?! 
どうするんだよ、こんな大荷物! 

DVDはしっかりキャリーケースに入っていた。


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毎日、結露処理に追われている。集合住宅の端の家は結露がひどいと聞いたこ
とがあるが、うちはまさにそれ。ほっとくとびしょびしょになる窓とサッシを
ふいてはしばらく換気。タオルをしぼって乾かす。窓を閉める。これを日に何
度もくりかえす。早く春になってほしい(そして夏にならないでほしい。頼む)