[3841] 義か理か人情か

投稿:  著者:


《今まで一生懸命やなかったんかい》

■武&山根の展覧会レビュー [特別編]
 義か理か人情か
 武 盾一郎&山根康弘

-PR------------------------------------------------------------------
   ↓↓↓ デジクリ電子文庫第二弾! マイナビより発刊 ↓↓↓

    〜ヤマシタクニコのショートショート「午後の茶碗蒸し」〜
  < https://bn.dgcr.com/archives/20140130140100.html
>
  < http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00I38VYFQ/dgcrcom-22
/ >

◎デジクリ名物、関西風味のショートショート、ヤマシタクニコさんの『午後
の茶碗蒸し』が電子書籍になりました。不思議におかしいヤマシタWORLD を20
篇。トホホなへたうま漫画も収録。目茶苦茶・不合理・背理・悖理・不道理・
荒唐無稽・頓珍漢な世界観をお楽しみ下さい。デジクリ文庫はお笑いばかりか?
-----------------------------------------------------------------PR---




━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■武&山根の展覧会レビュー [特別編]
義か理か人情か

武 盾一郎&山根康弘
< https://bn.dgcr.com/archives/20150130140100.html
>
───────────────────────────────────

山:こんばんはー。

武:こんばんは! Googleドキュメント動きますか?

山:大丈夫です。動きます。なぜかたまに英語になるが。

武:遅ればせながら、明けましておめでとうございます。今年もよろしくです!

山:そうか、2015年最初のチャットですか。おめでとうございます!

武:うん。しかも今年はのっけから展示を観てない、というw

山:僕は休みなくて行けなかった。またこの季節がやってきた、という毎年のサイクル。。武さんだけでも行ったら良かったのに。

武:今、コラボレーションユニットの制作中なんですよ。

「ガブリエルガブリエラ」

< http://gabrielgabriela-jp.blogspot.jp/
>
< https://twitter.com/G_G_jp
>

山:そうなんですか。まあ、あまり観に行きたいと思う展示がなかったということもあるんやけど。

武:岡崎京子、面白そうなんだけどね。。
< http://www.setabun.or.jp/exhibition/exhibition.html
>

山:観に行く気しない、って言ってたやないか!

武:世田谷文学館にひとりで行くのが切ないんです。

山:なんかいいわけくさいな。

武:場所が遠いもんで、、

山:行けなかったもんはしょうがないんでいいけど、さて、どないしましょか。

武:まずですね。本の装画をやりましたので、それについて告知させて下さい! プレミアムバージョン一冊謹呈します。

『鵺の鳴く夜を正しく恐れるために──野宿の人びととともに歩んだ20年』稲葉剛
< http://edimantokyo.com/books/9784880084534/
>

山:マジすか、それはありがとうございます! この本読んでチャットしてもよかったかな、、

武:それ、やろう!

山:まだ読んでないがな!

武:そうですね、了解。送ります。

山:じゃあ、今回の話題を作らねば。どうしましょうか。

武:最近の事件と言えば、パリのテロとかISISの人質事件とか、、、

山:うーん、テロも人質問題もさすがに気にはなるけど、、言えることが思いつかない。

武:俺もそう。難しいよなあ。そこでね、なんかいつも思い出すのは、ちょっと昔だけど靖国神社のデジクリチャットなんだよね。特攻隊って自爆テロやんなあ、ってくだりなんすよ。

武:特攻隊って凄いよなあ。改めて考えると。今で言う自爆テロだよな。

山:自爆テロやんなあ。あんまりその関係って言われへんよな。なんで?

『うわさの靖国神社・遊就館に行く』
< https://bn.dgcr.com/archives/20060913140100.html
>

●義について

山:おー、懐かしい。

武:近代戦争における日本国軍の戦い方で最も際立つのが「特攻」だと言えるよね。時を経て、現代の戦争、「テロとの戦い」とか言われてるけどさ、そのテロと呼ばれてる側の戦い方のメインになってるっていう、ね。自爆テロのルーツは日本国軍。

山:総合的な軍事力で劣ってるから、テロになるってことなんかな。

武:確かに総合的に不利なら「奇襲」しかないってことはあるだろう。ただ、自爆テロって特攻隊と似たセンスがあるというか、そこってなんだろう、と。いや、センスの問題として扱っていいのか分からんが。「命」ってなにか? の考え方なのだろうか?

山:宗教的な問題。

武:信仰心の問題なのかな。「義」が「命」に勝る場合においてのみだよね、自分の命を絶つことも辞さないってのは。けど、それってなんだ?

山:「義」ってのはなんやろね。テロでも「無差別テロ」って言うと「義」は感じないか。「無差別」やし。そうか、「義」はつまり、差別でもあるのかも知らん。区別かも知らんが。

武:三島由紀夫の自殺とか「義」だと思う。あと、チベットのお坊さんが中国の圧力への抗議で焼身自殺したとかニュースで見たけどそれも何か「義」を感じる。では日本国軍の特攻隊は「義」だったのだろうか、、

山:やはり天皇でしょう。

武:でね、「義」が「命」より勝ってしまう状態の人ってどういうことなんだろう? ある意味、もう死人でしょ。

山:え? んなこたないでしょ。

武:えっと、なんだろ、うまく説明できないな。つまり、「義が命を上回る」ってもはや現世的ではないよね。浮世とは違う場所に棲んでいるというか。

山:そんなこと言い出したら、芸術家は少なくとも体の半分は死んでるんちゃうかw

武:そうそう! そういうことが言えるわけですよ。

山:どういうことが言えるんや!

武:なんかうまく言葉にできないんだけどさ。確かにね、もちろん生きてこそ、ですよ。なんつかな。このね、現代の難解な戦争、「テロとの戦い」とか言ってるけど、そういうことじゃなくて、ひょっとしたら「この世(現世的な者たち)とあの世(死者的な者たち)の闘い」だったとしたらどうする? みたいなことをふと感じるんですよ。

山:ひとまず「義」とは。
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9
>

武:ふむ。キリスト教の場合「真に義であるのは神のみである」だって、、無慈悲だなあ、おい。

山:そっか、日本の場合は天皇というより儒教か。

武:なるほど、儒教の影響って実はすごいんだろうね、日本。

山:昔は授業で論語は必須やったんやろしな。

武:日本人の道徳の変化は「儒教の廃れ具合」と合致してるってことかもね。。

山:でも残ってるよな。

武:ああ。案外と「ヤンキー文化」とかでね。

山:うーん、それを「ヤンキー文化」としてしまわないまでも、あると思うけど。ほとんど無意識的に。全くない人もいるやろうけどね。

武:なんだろな。死生観が全く違う人たちで争ってるとするならば、もうちょっと話は簡単になるんだよね。「AとBの死生観を持つ人間が存在します。これらは持って生まれたもので変更不可能の相容れない遺伝的要素です。ゆえに殺し合いになり、和解は不可能です」って。

けどさ、どんな人にも自分の命を超えて想像してしまう何か「義」のような、あるいは「聖域」と言ったらいいのか、そういう「場所」はあるわけで。AがどうとかBがどうとかじゃなくてさ。

そこ(義とか聖域)に立脚しちゃったら、なんかさ、誰でもそう(命を捨てるような行為に)なるかもなあ。みたいなことを思うんさよ。

そしてね、「聖域に立脚せざるを得ない」ってのはさ、この現世で追い詰められてるから、ってのがあるんじゃないかなって思うんさよ。この俗世界で生きることを第一にしていけば強くなれるんだよ。そんなことしなくても。

山:どうやろなあ、「強くなる」ってことはそもそも他との立脚点の違いを了承出来る人のような気もするが。

武:ああなるほど。それは「本当の強さ」みたいなものですよね。というより俺が言ってるのは、この先進国と呼ばれる価値体系の中で「一応強くなった風になる」という意味での「強さ」、かな。

要するに、「とあるゲーム」において強い人になれる。この、「とあるゲーム」てのが厄介だな。

山:やっかいなんかな? ゲーム上手い人でもいいような気もするが。自分も上手くなりたいと本気で思うならやればいいし。頑張ってもできなければ、また別の方法を考えるしかないが。他人に押付けられたって、結局やらんしな。でも、上手い人がこっちの分まで取っていったら腹立つか。

●命について

山:一つ思ったのはね、あの湯川さんが首を切られていた写真を後藤さんが持ってる画像あるでしょ。それを見て、眉間に皺がよる感じはあるんやけど、驚きはなかった。むしろ、日本国内で起きる殺人事件の方がおぞましいな、と感じる訳です。なんやろ、意味するものがそもそも違うと感じたんかな。

日本国内やと、意味するものが同じか想像の範疇、と勝手に解釈してしまうから、自分の中にないものを出されるとびっくりする、という。

武:なるほど。分かる気もする。危ないところに行ったんだからある程度死ぬ可能性は高まるわけで。

山:殺人を肯定する気はないが、「ああ、場所が場所やしそんなこともあるよな」って思ったのが正直な感想。

武:「そういう交渉の仕方」みたいな、ね。ところで、「知り合いがテロで殺された日本人」は今のところまだ少ないよね。では、「知り合いが自殺してしまった日本人」はどうなんだろう?

今のところ自分はテロで知り合いが殺された体験はしていない。ところが、「知り合いが自殺してしまった」体験はある。過労で死に損なった人も友達に居る。案外と死は身近にある。

山:そうですね。

武:テロで人が死んだことに心を痛め、人質が殺されたことによって憤慨するのはある意味普通だよね。大事件だ。けど、なぜショッキングな大事件なのだろうか。それは「知り合いではない」からかも知れない。

今の日本に暮らしてても、案外普通に知り合いが自殺してたりしてる。普通に人身事故で人が死んで、そこに遭遇してみんな普通に通勤通学してる。意味がにわかに理解できない殺人もちょくちょく起こる。

わりと悲しく不条理に死んでく人の間近で暮らしてたりする。そう考えると、確かに、「異邦で人質になって殺される」方が道理が分かる、感じがする。反応する命とスルーする命がある。命に対する反応の問題?

●社会問題として

山:道理もなにも、知り合いの方が反応するやろ、普通。っていうかさ、今回の人質事件は国際的な話やから政治問題に当然なるけど、社会問題として捉えられないのだろうか。

例えば、オウムの事件は政治問題にもなったやろうけど、もちろん社会問題として考えられるよね。それは国内だから社会問題として捉えることが出来る、ってことよな。

武:そうですね。

山:そう言う意味で、社会の規模が変わってしまった今、もう国際問題云々の話じゃないんとちゃうか、とは思う。

武:なるほど。それはあるかも。オウム真理教の方がなんとなく分かった気になるから、いろいろ言えたりするけどね。

山:あれ相当なテロですよ。

武:うん。オウム事件はテレビの時代だったからテレビを見るしかなかったんだけど、俺はなんか猛烈に何かを突き動かされたな。

山:テロというのは一定の賛同者はいるってことよね。実際本人がやるやらないは別として。そこをどう考えるか。

武:賛同っていうかね、理屈じゃないところある。モラルを考えると絶対に賛同しちゃいけないことなのに心が突き動かされるって、あるよ。

山:テロが起こったら「ありえないこと」として拒絶する人は大多数だろう。それはしごく正しいと思う。だけど、そうじゃない人もいるという現実を、いったいどう解釈すればいいんだろう??

武:テロ事件を見た時、生まれ育ちの複雑な人間ほど理屈じゃない次元で共鳴してしまうってあると思う。感情出力としては、賛同となる場合と嫌悪となる場合があるだろうけど。

オウム真理教の事件の時に思ったのは、「オウム真理教はまるで日本の本当の姿だ。まるで日本という国家の写し鏡のようだ」と共感したと同時に、「こんなにまでリアルにうまく表現する連中がアーティストではないのかよ! なんで犯罪なんだよ!」という憤りみたいな気持ちも湧いた。で、「俺がその"アートの"仕事をしないと!」って思ったんです。いや、マジで。

山:ふむ。

武:最近のテロや人質事件で思ったのは、やっぱり、「命と精神の解釈」だなあってことです。命と精神の解釈として、直接的な実践、テロをやる人たちもいるだろうなあ、と。

自分にとっての命と精神の解釈の実践は人殺しでも自殺でもない。だから、それをやらないとなあって思ったんです。まあ、だから割と一生懸命制作してるんですわ、最近。

山:今まで一生懸命やなかったんかい。

●言葉にならない理由

武:今回の一連の事件、パリのテロからISISの人質事件に対して、なんか言葉がうまく出てこなかったんですよ。

そこに宗教があるとして見るならば、イスラム教というのがどうしても出てくる。で、イスラム教のこと知らないし。宗教をちょっと置いて政治問題として考える、ってのもよく分からない。

山:わからないですね。

武:するとさ、「命ってなんだ? ということの問題なのかな?」と思っちゃうんです。「命に対する精神の問題」って言ったらいいのかな。俺が考えたいのはそこなんだろうな。

というか、こういう事件が起きて「ああ、何かを考えないとならない」「気の利いた言葉を発言しないとならない」とか思った人っていると思うんですよ。

けどさ、「宗教」とか「政治」とかの枠組みで考えてもどうにもならないんじゃないのかなって気がしちゃったんですよ。

それから、ネットに出てくる様々な意見や見解とそれに賛同する(反対する)人たちの反応が、「いわゆる左翼な言説」と「いわゆる右翼な言説」で別れてて、考えようとするとその対立に引っ張られてしまう。それでなんか面倒くさくなったんだよね。

山:自分の意見や立場を表明することはおかしなことではないけれど、それが「新しい立場」とかではなく、旧態依然としてる、と。

武:そう、そう感じたんよ。現代の戦争の在り方というか、現実は変化しちゃってるけど、何か大事件が起こると20世紀的な尺度に思考が戻って、イデオロギー的対立が浮上してくる感じ。

過去を包括しつつ、そのどちらでもない次のステージへの思想って産まれないんかねえ、と思ってしまったんですよ。まあ、俺ができてないってことなんだろうけど。

山:なるほど。

武:原発が爆発して感じたこともそれだったんだな。原発反対のいわゆる「左翼思考」と原発必要のいわゆる「右翼思考」に別れ戻っていく感じ。

本当の分断は「原発反対の食うに困らない人たち+原発必要な食うに困らない人たち」と「原発反対の食うに困ってる人たち+原発必要な食うに困ってる人たち」の溝の存在なんだよな。

原発賛成であろうと反対であろうと、「いつでも逃げられる人たち」と「もう逃げられない人たち」がいるってことが本当はヘヴィなんだよ。

山:二項対立ってわかりやすいんやろね。そのどっちかにも付きやすい。


●ネットは未来形か

武:ところで今回の人質画像をいじった「クソコラグランプリ」は知ってる?

山:見てはいない。ニュースかなんかで存在は知ってるけど。

武:不謹慎だけど、笑ってしまった自分がいたよw

山:なんとなく見る気がしなかったんよね。

武:そう、俺もそう感じた。不道徳すぎるって。けど、見てしまった。。なんだろな、こんなこと言っちゃあなんだけど、「クソコラグランプリ」の方がある意味で未来形だと感じた。

山:「クソ」と付けて(不)道徳をメタ化してるのか。

武:そうだね。最初にクソって言っちゃってるところがミソなのかな。けど、その表現「クソコラ」の言語センスがあまりにも下品なので、自分の嗜好に引っかからなかったけど、フェイスブックだと画像が見えるじゃないですか。それでつい見てしまったんです。

山:うちのフェイスブックには流れてこなかったな。出てたら見てたかもしらんが。

武:そっか。それとね、ツイッタで興味深い動きがあるね。

日本語でTweetしていたイスラム国自爆要員ハーデスさんが切なすぎる
:Naverまとめ
< http://matome.naver.jp/odai/2142222254072200701
>

山:長すぎてすぐには全部読めない!

武:なんか自動翻訳で日本語が拙いのが功を奏してるのか、なぜか、ジーンと来る場面もある。同世代の子が気持ちを通わせ合う瞬間みたいな。

政府レベルにはすぐには影響ないかもしれないけど、「ツイッター+まとめ」はマスメディアの解説や有名人の見解とは違う次元だよね。

山:親は「あの子と遊ぶな!」って言ってるから表向き遊ばないけど、実はその友達としょっちゅう会って話してる、って感じか。違うか。

武:ツイッタでのやりとりを見てると、普通の人なんだなあって思ったよ。けど、やっぱりいざとなったら人を殺すことを辞さない覚悟はあるわけで、そこらへんが分からなくなるよね。

山:そら環境がそうであればそうするんちゃうか。

武:そうかも知れないなあ。

山:いやあ、人を理解するって大変なことやねえ。

武:うん。理解はまず不可能だ。ということを前提にした方がいいんだと思うよ。そうすれば、他者を知っていく喜びを重ねていくことになるじゃんw

山:その前に自分を知りたいわ。


【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/2015年は飛躍の年!】
facebookページ< http://www.facebook.com/junichiro.take
>
Twitter< http://twitter.com/Take_J
>
take.junichiro@gmail.com

アートラッシュ『猫展』に参加します!
2015年2月4日(水)〜2月23日(月)11:30〜20:00 (月曜日17:00まで)
定休日火曜日(入場無料)
< http://d.hatena.ne.jp/Take_J/20150129/1422520789
>

【山根康弘(やまね やすひろ)/久しぶりに大阪へ】
yamane.yasuhiro@gmail.com


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後記(01/30)

●居間の引き出しを整理していたら、「介護保険被保険者証」が出てきた。介護保険? 誰のだよ? 他ならぬわたしのものだ。65歳になると自動的に第1号被保険者になり、保険料は年金から天引きされているのだ。介護を必要とする状態になったとき、要介護認定の申請を行うことで介護サービスを利用できるという仕組みだが、この制度を利用しないでサラバ! したいものだ。さて、厚労省は外国人技能実習制度に介護を追加する方針だ。同制度は1993年に創設され、農漁業や製造業など約70職種で受け入れているが、不正やトラブルが絶えず、「外国の安い労働力」を受け入れる仕組みとして悪評ふんぷんである。

問題の多い制度に、よりによって対人サービスである介護を加えるとは狂気の沙汰ではないか。しかも、日本語能力4級でもいいという。「日常的な日本語をある程度理解できる」というのが3級である。それ以下のレベルの外国人に介護の仕事が満足にできるはずがない。指導する施設の負担は増え、利用者とのトラブル必至である。介護福祉士資格を取得した留学生が働き続けられるようにするのはいいが、言葉も分からぬど素人に「人間の尊厳」にかかわる仕事を任せるなんて、まともな人の考えることではない。

介護分野に人が集まらない理由は、おそろしく低賃金だからだ。介護職の平均月収は22万円程度、全産業平均より10万円も低い。人手不足解消のため待遇改善が急務である。ところが、厚労省は事業者側に実習生の待遇を日本人と同等以上にせよと義務付ける。事業者は「安い労働力」が欲しいのだから、待遇改善などやるわけがなく、日本人職員の賃金が低く据え置かれる。離職する日本人が激増し、代わって中国人が激増する(実習生は2013年末現在で約16万人、その7割が中国人だ)。そのうち、中国人はじめ外国人抜きには介護現場が回らなくなる危険性もある。恐怖の「介護崩壊」→「日本崩壊」である。

こんなバカな制度を議論するのが有識者検討会である。どう考えても非常識な結論だろう。日本の審議会とか有識者会議とかは、結論を霞が関の思い通りにする「いつもの手」だと藤原正彦さんが書いていた。省庁が国民の賛否が分かれそうな問題に対し自らの考えを通したいとき「有識者の声によく耳を傾けた上での結論」と体裁を整える。責任回避のためである。人選は賛成派ばかりを集めるようなヘマはしない。3〜4割が御用学者、5〜6割が(中立性をアピールするため)さほど色のない学者、文化人、実業家、女性など、残る1割がガス抜き用の変人だという(藤原さんはココ)。主導権を握るのが御用学者だ。厚労省の亡国的な制度もどうせこんな儀式で決めたのだろう。嗚呼......(柴田)


●おいしいもの食べたい......。              (hammer.mule)