わが逃走[154]さらばてっこん の巻/齋藤 浩

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超ハイクオリティ居酒屋『てっこん』が、閉店してしまった。

よい酒が安く飲めて料理もとても旨い、知る人ぞ知る名店だった。開店から10年間通い続けた。そこで酒の飲み方も、ひととの付き合い方も、アートのことも、文学についてもいろいろ学んだのだ。

私の育った家庭では酒と外食は罪悪だという文化があった。父も母も酒を飲まない。それが原因だとは言わないが、そういうものにあまり触れる機会がないまま大人になってしまい、若造のオレは飲食店に入ることすらコワかったのだ。

しかも飲み方を知らないせいで、日本酒やワインを"のどごし"で飲んでしまった結果悪酔いしたり、ごはんとみそ汁とおかずが同時にないとどうにも不安で仕方がないといった日々を送っていた。

また、私はもともと食べるスピードが人一倍遅かったのだが、給食をのろのろ食べているとクラスにおける地位が不利になってくるので、小学生の頃からとにかく早く食べる訓練をしてきた。

その結果、異常な早食い野郎に育ってしまった。こういうヤツはモテない。




さて、そんなモテない野郎が結婚した相手が大酒飲みだったのだ。おかげで30過ぎてからは外食もコワくなくなり、また徐々に酒の飲み方というやつもわかってきた。

そんなときに、突如、世田谷は松陰神社前の商店街に開店したのが、『てっこん』だったのだ。

「なるほど、酒に合う料理とはこういうことか!」

目からウロコを落としつつ日々驚きと衝撃に打たれる30すぎのオレ。多いときは週5日通った。

旨いものを知ったのはいいが、比較対象のための基準ができてしまったので、良くも悪くもインチキな料理を出す店に入ってしまうと、今まで以上に怒りと悲しみに襲われるようにもなってしまった。

そもそも『てっこん』よりも旨い店はあるだろうが、『てっこん』よりも安くて旨くて居心地のいい店など存在しないのだから困る。

世話になった人はここぞとばかりにお連れしたし、ぜひここで一緒に飲みたかった人は、まだまだたくさんいたのだ。

酒と料理のクオリティが高いと客のクオリティも高くなる。『てっこん』は素晴らしい出会いの場だった。

ライカが私のもとにやってきたのもこの店のおかげだったし、

※「人生の節目を体験するの巻」 
< http://bn.dgcr.com/archives/20110210140300.html >

小河孝浩氏と道程青年団を結成したのもここだった。

※「道程青年団の巻」 
< http://bn.dgcr.com/archives/20140612140300.html >

そしてなによりも、普段はめぐり合う機会がないであろう異業種のプロフェッショナル...介護士や弁護士、編集者、ミュージシャンらと語ることで、これからすべきことが見えてきたり、新しいアイデアが生まれたりといったことが日々続いていたのだ。

行けば誰かいるので面白い話が聞ける。ひとりで飲みたいときはひとりにしてくれる。食材や酒で季節を感じ、常連客の華道のセンセイによる生け花が文字通り華を添える。こんな素晴らしい空間は探してもなかなか見つかるもんじゃない。

新幹線開業の陰で地元の足が廃止されてしまったり、歴史的建築が壊され写真集に「現存せず」の文字が入ってしまったり、そういうことは過去にもたくさんあったし、これからもあるだろう。

松陰神社前の商店街も、世代交代の波が本格的に訪れているように思う。昭和なケーキ屋さんや乾物屋さん、和菓子屋さんが次々と店を閉め、おしゃれなビストロや焼き菓子の店が開店する。

いずれも元気があるし質も高い。しかし、フォーマット化された「おしゃれ」に違和感を覚えるのもまた事実。

統計から推察された最大公約数的な風情を提示されてもいまいち釈然としない。

「ほら、みんなこんな雰囲気好きでしょ?」という歩み寄りじゃなくて、「どうだ! これがオレの美意識だ!!」に共感したいのだ。

若手店主諸君、どうかてっこんのような独自の美学を見せてくれ。頼む。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/ >

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。