ユーレカの日々[40]デザインと貼り紙/まつむらまきお

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この正月に老父が倒れ、入院した。幸い順調に回復しているのだが、今も続く一か月以上の入院生活となった。

僕自身、仕事の合間をぬっての病院通いにもすっかり慣れた。最初のうちは緊張感があるが、容態の回復につれ、当人もこちらも徐々にマンネリ化してくる。そうすると、周りを観察する余裕が生まれる。

入院病室は7階にある。地下の駐車場からエレベーターに乗り込むと、小さな箱の中で様々な人と出会う。ドクターや看護士、病人、けが人はもちろん、見舞い客、納品の業者、先日はシステム入れ替えなのだろうか、山のようなコンピュータ機材とネクタイのエンジニア達とも遭遇した。

たくさんの人がそれぞれの階で乗り降りをする。病院だから通常のビルよりも、乗り降りに時間がかかる人たちも多い。自分が操作盤の近くにいるときは、ドアの開閉ボタンを操作する。

病院のエレベーターだけあって、操作盤はハンディキャップに配慮されたものだ。それぞれのボタンのそばには点字の金属プレートがきれいに埋め込まれている。車椅子用に低い位置のものもついている。

操作盤のボタンは「エレベーターのボタン問題」は、インターフェイスデザインの命題としてよく事例に上がる。記号「<>」「><」も、漢字表記「開」「閉」も、紛らわしく区別が付きにくいからだ。

この病院のエレベーターも例外ではない。このエレベータの開くボタンは緑、閉じるのボタンは白、と色分けもなされている。残念ながらボタンの大きさは皆同じだが、それ以外はきちんとデザインされた気持ちのいいものだ。

それでも操作に迷う人はいるのだろう。それぞれのボタンの横にはあとから貼り付けた「開」「閉」の貼り紙がされている。

その貼り紙を見て、ふと、病院に来る前に立ち寄った、セブンイレブンのコーヒーマシンのことを思い出す。


●貼り紙はデザイナーの敗北

セブンのコーヒーマシンは、レギュラーサイズ、ラージサイズ、ホット、アイスの四種類を供給でき、本体には四つのボタンが配置されている。

ところがその表記が英語「Hot Coffee」「Ice Coffee」「R」「L」と表記されているので、わかりにくい。そこで各店では「あつい」だの「普通サイズ」だのといったラベルをベタベタと貼りまくり、美しくデザインされたマシンのパネルが台無しになっている。

「貼り紙をされた時点でデザイナーの負け」とよく言われるが、セブンのコーヒーマシンは佐藤可士和のディレクションであり、商品としても大ヒットしたことから、最近の「負けデザイン」代表としてTwitterでもよく見かけた。

最近みかけたセブンのマシンでは、ボタンの近くに気にならない程度で、日本語表記がとてもキレイに貼られていた。フォントもサイズも色も的確でわかりやすく、とても素人仕事とは思えない。ひょっとしたらセブン本社が作って供給しているのかもしれない。

蛇足だが、このマシン、「Ice Coffee」と表記されている。英語で書くならちゃんと「Iced Coffee」とするべきなんじゃないか? 大企業と日本を代表するデザイナーの仕事だ。まさかだれも指摘しなかったなんてことはあるまい。もし「Iced Coffeeじゃ日本人にはピンとこないからあえてIce Coffeeにした」のなら、大バカものだが。

セブンのコーヒーだけではない。駅や街のトイレ、階段、案内板。街中、デザイナーの敗北だらけだ。そしてこの病院のエレベーター。やれやれ、ここのエレベーターも敗北だったか。

●貼り紙は有効なのか?

アイコンに色、点字に漢字。ここまで入念に表記されていれば、ボタン操作を迷うはずはない。ところ先日、閉じかけたドアを開くためにボタンに手を伸ばして、迷ってしまったのだ。

最初、なぜ自分が戸惑うのかがわからなかった。自分の住んでいるマンションでも、同様の「<>」「><」のアイコンボタンだ。色分けまでなされているのになぜ、一瞬迷ったのだろう?

よくよく、操作盤を見てみると、ようやくその理由がわかった。あとから貼った「開」「閉」のラベルのフォントがよくない。太すぎて、門構えの中が判断しにくいのだ。

プロがデザインした案内板なら、離れていても判別できるようなバランスがとれたフォントを選ぶだろう。しかしこのラベルはユーザー、病院のだれかがワープロで作ってあとから貼ったものだ。おそらく目立つだろうと考えて「極太」のフォントが選ばれている。

さらに「閉」の貼り紙はなにかが当たったのだろうか、表面がかすれて読みにくい状態だ。

そうなのだ。読まなくてもいいのに、文字が描いてあるためについ読んでしまい、それが読みにくいために判断が遅れたのだ。なるほど、表記すればいい、というものではないわけだ。説明過多でわかりにくくなることもあるのだ。

●アイコンはなぜ、受け入れられないのか

では病院という環境で、開閉の表記がない方がいいのか? 貼った人が間違っているのかと言えば、そうとも言い切れない。入院している患者の多くは老人だ。デジタル世代であれば、アイコン、ピクトグラムに慣れているが、年寄りはそうはいかない。

ピクトグラムが日本で導入されたのは1964年の東京オリンピック。ピクトグラムそのものは交通標識などそれ以前からあったが、生活のあらゆる場面を体系づけてデザインされたのは東京オリンピックからだという。そして70年大阪万博を経て、日本ではすっかり定着した。

オリンピックから50年。50年あれば一般化しそうなものだが、現在80歳の人はオリンピック当時30歳だ。大人になってから普及したピクトグラムより、子ども時代に刷り込まれた文字の方が安心という心理があるだろう。この年代はピクトグラムやアイコンより、文章での表記を好む。

たとえば、高齢者向けの携帯電話では、ボタン表記はアイコンではなく「通話」「切る」と明記されている。アイコンがわかりやすいかどうか以前に、アイコンにどうも馴染めない、という層がまだまだたくさん居るのだ。

●ボタンは一つでいいんじゃないか

開閉動作のピクトグラムは、たしかにピクトグラムの中でも難易度が高いものだ。病院、ガソリンスタンドといった具象物のピクトグラムは明快だが、開く、閉じるといった動作は誤解を生みやすい。現在主流の「<>」「><」も、だれでも直感的に判断できるのかといえば、ちょっと疑問が残る。未だ決定打は出ていない。

なにか決定的にわかりやすいピクトグラムはないのか。貼り紙されない手はないか。そんなことを考えていて、おかしなことに気がついた。

そもそもなぜ、エレベーターには「開」「閉」ボタンがあるのだ? これ、要らないんじゃないのか?

閉まりかかったドアを開けるために「開」、急いでいる人のために「閉」ボタンがある。開くボタンはドアが閉じようとしている時にしか機能しないし、閉じるボタンはドアが完全に開いている時以外に機能しない。

だったら、ボタンを二つつけるのではなく、ひとつの「開閉」ボタンですむじゃないか。たったひとつのボタンを、ドアが開いている時に押せば、閉じる。閉じようとしている時に押せば開く。これなら絶対にミスはない。

ボタンの名称は「開閉」でも「ドア操作」でいい。アイコンはドアが半開きのアイコンでいい。どう解釈されても、ちゃんと作動するはずだ。

問題があるとすれば、ぼくが貼り紙に惑わされたように、それが開くのか閉じるのかを迷ってしまい、操作が遅れることだ。人は従来の考え方に縛られて、判断しようとする。業界で啓蒙活動を行えばあっさりみんな、慣れそうだが、高齢者にはやはり戸惑いが出るかもしれない。

ならば、こうすればどうだろう。ボタンは従来通り、開く、閉じるの二つつける。しかし、その機能はどちらも同じ。開いていれば閉じる動作、閉じかけていれば開く動作。間違えて押してもユーザーの意志が伝わる。

色んな条件で考えて見たが、デメリットがあるとすれば「時間が来て自動で閉じはじめた瞬間に、閉じるつもりでボタンを押す。その結果、閉じずに開いた状態が維持されてしまう」時くらいの気がする。これだってもう一回押せばすぐに閉じ始めるので、たいして問題はない。

とてもいい考えのような気がするのだがどうだろう? 週明けに特許事務所に相談に行った方がいいような気がしてきた。

もっとも世界中のエレベーターメーカーはじめ、多くのデザイナー、エンジニアがエレベーターのボタンについて考えてきたのだから、おそらくこのアイデアはすでに出ているのだろう。それが実現しないのにはなにかしら、理由があるのだろうか。

●誰がなぜ、貼り紙をしたのか

病院でエレベーターに乗る度に、そんなことをぼんやりと考えていたのだが、そのうち、さらにおかしいことに思い当たった。当初はセブンのコーヒー同様、単純にデザイナーの敗北、と思っていたのだが、ひょっとしたら、エレベーターの貼り紙は、セブンとは違う理由で貼り出された可能性がある。

セブンのコーヒーの場合は、ぼくが見ても迷う。じっくりと見ればわかるのだが、慌て者であれば大きさを間違えてあふれさせたり、ホットのつもりでアイスを注いでしまい、目の前にいる店員に「わかりにくい」と苦情を言うだろう。

店員はそのたびに仕事の手が取られるから、二〜三回続いた時点で貼り紙をすることになる。だれが指示するのでもなく、自然とそうなる状況が揃っている。

しかし、病院のエレベーターは無人だ。目の前に店員はいない。

エレベーターの開閉を間違えたからといって、わざわざ守衛室を探して苦情を申し立てに行く人がいるのだろうか?

一般の商業ビルならともかく、ここは病院だ。ドクターや看護師たちが、貼り紙なしで間違えるとは考えにくい。それを間違えるような人が医療に従事していたら怖い。薬や点滴をしょっちゅう間違えるだろう。

老人が間違えて、病院の人に苦情を言うことは、たしかにあるかもしれないが、それもほとんどないと思う。老人であれば、わざわざ開閉ボタンを操作しないだろう。閉まるのは待っていればいいし、だれかが駆け込んだ時でも、ボタンを押すまでもなくドアのセンサーが自動的に閉じる動作を中止してくれる。

閉じるドアにぶつかって打撲や骨折することがあるだろうか? 無人エレベーターがこれだけ一般化していることを考えると、小さな子どもやお年寄りであっても、ドアのセンサーで大けがをすることは、まずあり得ないのだろう。

そしてなにより、現在日本の都市部で生活をしていて、エレベーターに慣れていない人はほとんどいない。地方であれば建物を高層化する必要もなく、エレベーターがほとんどない地域もあるだろう。しかし、この病院は都市部にあるのだ。

そう考えると、開閉がわかりにくいという苦情は、あったとしても、年に一〜二件だろう。

おかしい。何かがおかしい。被害者がいないのだ。だれかが困っているように思えないのだ。

●被害者不在

ならばなぜ、だれがわざわざ開閉の表記を貼ったのか。本当に被害者などいないのなら、貼り紙をした理由はひとつだけ思い当たる。

きっと病院のだれかが「エレベーターのボタンがわかりにくいのではないか」という指摘をしたのだ。そこでまただれかが同意して、ラベルを作り、貼ったのだ。だれも苦情を言っていないのに、アイコンだけではわかりにくい、という先入観と親切心から行動したのだ。

それを指摘し、貼った人たちは、おそらく心優しく、人に配慮ができ、行動できる人なのだろう。そして残念なことに、自分の配慮がだれかを惑わせ、困らせることになるとは、思ってもいない。貼り紙をすることが、時としてかえってわかりにくくする場合があるとは、思ってもいないのだ。

世の中でこういうことはよく見受けられる。たとえば、「日本の未来のために○○しましょう」なんてスローガンがあるが、はたしてそれが、未来の人にとって良いことだとなぜ断言できるのだろう? 自分の立場で考えてみれば、先祖がやったことに感謝することもあれば、迷惑だと思うこともある。

未来のために何かをするのを否定するわけではないが、それが未来によいことだ、というのは思い上がりだ。それが迷惑になるかもしれない、自分の考えは浅はかなのかもしれない、ということまで考えに含めて行動することが、本当の未来のためだろう(もっと具体的な例はたくさんあるが、書くと角が立つのでどんな例なのかは読者のご想像にまかせる)。

●世界をデザインしよう

デザインと貼り紙。どちらが正しいのか、おそらく永遠に答えは出ない。いや、これを対立と考えることがおかしいのかもしれない。なぜなら「使いにくいから貼り紙を貼るユーザーの行為」もまた、デザインなのだ。

美的な技術は未熟であっても、それはデザイン行為だ。何度も何度も、デザインされ、何度も何度も貼り紙がなされる。それを繰り返していくことで、その時々でよいデザインが淘汰されていく。いわば、「見えざる手」によるデザインだ。

永遠に続く、デザインと貼り紙の闘い。わたしたちはそうやって世界をデザインしているのだろう。そう思うと、紛らわしいエレベーターのボタンも、それに携わった様々な人々のことが思い描かれ、なんだか愛おしく思えてくるのだ。

【まつむら まきお/まんが家、イラストレーター・成安造形大学准教授】
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今日から大津市歴史博物館で、教えている大学の進級展があります。博物館は三井寺に隣接し、琵琶湖と比叡山の絶景が望めます。お近くの方はぜひ。

【大津会場】大津市歴史博物館 進級制作展2015
2015年2月18日(水)〜2月22日(日)
9:00〜17:00 (最終日は16:00 まで)
大津市歴史博物館 企画展示・講演会>貸室スケジュールを参照
< http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/index.html >