[3867] 「使いやすい」を生み出すための工夫

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《黒い作務衣に雪駄姿のものすごい顔の中年が走っていた》

■アナログステージ[131]
 煩悩は焼きつくせなかったが
 べちおサマンサ

■Take IT Easy![45]
 「使いやすい」を生み出すための工夫
 若林健一 / kwaka1208



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■アナログステージ[131]
煩悩は焼きつくせなかったが

べちおサマンサ
< https://bn.dgcr.com/archives/20150310140200.html
>
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コンニチハ。脂ののったブリのカマ焼きが美味しい3月です。粗塩を振って焼いたカマ焼きの美味さったら、鼻からもヨダレがでますね。そのまま素焼きにして、ポン酢ともみじおろしでいただくのも好きです。

いまは養殖技術が素晴らしいので、いつでも美味しい魚を、手軽に食べることができますが、やっぱり旬なときに旬なものを食べるのは、その時々の季節を味わえて、カラダも次の季節への準備をしていくような感覚もあります。

本編へスライドさせてしまった『懺悔道中膝栗毛』ですが、今回で関東三十六不動編は最後になります。次回より通常のデジクリネタに戻します。と言いつつ、実はこの懺悔道中膝栗毛、楽しみにしていただいているかたが多いようで、嬉しいです。

いま、世間ではご朱印ブーム(?)と謂われており、ご朱印ガールとか、なんかいろいろ呼ばれているようですが、たんにご朱印だけをいただくのではなく、お寺さんの全部を、より身近に楽しみながら、お寺巡りをしてみてくださいね。いままで気にしなったことが、急に身近になったりで、面白いです。

道中の様子と、簡単な注意書きは下記をご参照ください。

・アナログステージ[129]巡礼から得る新しい空気と心
< https://bn.dgcr.com/archives/20150210140200.html
>

・アナログステージ[130]懺悔道中膝栗毛ラストスパート
< https://bn.dgcr.com/archives/20150224140200.html
>

お寺を紹介するときは、山号と寺号(院号)、仏像マニアなゆえ、いつもはご本尊さまだけ記載しておりますが、今回は、不動明王さまオンリーなので、あえて記載しておりません。宗派や諸々の札所番なども省略しております。

・関東三十六不動霊場会・公式ホームページ:
< http://tobifudo.jp/36fudo/index.html
>

●懺悔道中膝栗毛 ─ 廿二編(関東三十六不動尊 千葉編)

関東三十六不動尊巡礼、最後です。

・阿舎羅山 不動院 大聖寺(波切不動尊)

高塚不動からどのくらい車を走らせたのかはハッキリと憶えていないが、千葉県の地形を、そのまま沿うように移動してきたのだけは憶えている。というのは、車の右側から見える景色は、つねに海だからだ。

ナビの画面では、目的のお寺さんに近くなってきているが、お寺さんの匂いはまったくしない。完全に地元民しか通らない道だ。ここにきて、アホナビが再稼動したのかと、おへその辺りがキューっとしてきたが、なんとか到着。

天気も崩れはじめ、車を降りたときにはザーザー降り。駐車場のすぐ上が不動堂だったので、堂まで駆け足。勤行を済ませ、不動堂の周りをキョロキョロしても、本堂や庫裏が見当たらない。場所が離れているのかと、いったん駐車場まで戻り、周辺を歩いてみると、本堂を発見。

時計を見ると、13時手前だったので、まだお昼休憩して申し訳ないかな......と思いながらも、庫裏の呼鈴を躊躇なく押す。「どうぞー」と、なんとも形容できないキレイな声にドキっとしながらと扉を開けると、めちゃめちゃ綺麗な女性が立っておりました。

(奥さんなのかな......、いや、息子さんの奥さんなのかな......、いやいや、ムスメさんなのかな......、そんなことはどうでも良いとして、綺麗だわぁ)という具合に、巡礼中なのに不謹慎者そのもの。煩悩で覆われているような。

『激しい大いなる怒りの相を示される不動明王よ。迷いを打ち砕きたまえ。障りを除きたまえ。所願を成就せしめたまえ(日本語訳)』

不動明王のご真言、ここにあり。

・幸野山 宝勝院(夷隅苅谷不動尊)

札所の順番は、先ほどの波切不動さんのほうが後なのですが、つぎの成田山へのルートを考慮し、順番を入れ替えて夷隅苅谷不動さんへ。波切不動さんからは、車で10分もかからない距離にあり、千葉で唯一、隣接している札所だ。

この日初めて、ほかに参拝している人を見かけ、ちょっとだけ嬉しかったり。そういえば、そうだ。千葉の札所で、オイラ以外に参拝している人がいなかったのも不思議でしたが、関東三十六不動以外の札所になっているお寺さんが、千葉はないんですね。

不動堂の中に入ると、なんとも珍しい配置の堂内。今回の巡礼で、天台のお寺さん特有の、シックな護摩壇が目にとびこむ。庫裏にて、住職さまから直接ご朱印を頂戴し、最後の札所、成田山へ。

・成田山 明王院 新勝寺(成田不動尊)

お寺さんの閉門時間は、夏場だと17時くらいだが、秋から冬は、16時30分には閉門してしまう。時計を見ると、時刻は15時40分くらい。ナビの到着予定時刻は、16時15分。ヤバい。ヒジョーにヤバい。

札所から札所までの距離が遠いこともあるが、高塚不動で2時間ちかく時間を使ってしまったのが痛い(前話参照)。新勝寺は、関東屈指のお寺さんだから、駐車場はコインパーキング含めて、さほど心配しておりませんでした。

が、甘かった。新勝寺近くまできて、まさかの大渋滞。道路に溢れる人で、車も思うように前に進めない。警備員が拡声器で「道路に出ないでください!」と叫ぶも虚しく、そのときの時刻、16時10分。時計をみる回数が増えていく。焦る、焦る。

道路際に、半纏を着た人たちをチラホラと見かけたが、お祭りかなにかあるのだろうか? くらいに思っていたら、まさかの成田山の参道付近で、『日本の祭り in 成田 2014』という催しが開催されていることを知ったのが、民間駐車場に着いてから。

車をとめて、とにかく猛ダッシュ。身口意(手水舎の水で手と口を、香閣の煙をいただいて心を清めたり)もそこそこに、本堂へ一直線。その本堂前で、全国のゆるキャラが集まって、なにか催しものをやっており、人だかりが凄くて本堂の階段をのぼれない。

人ごみを掻き分け、なんとかご朱印場に辿りついたものの、不動明王さまのご朱印は、平和大塔だと云われ、時間をみると14時25分。ここ(本堂)から10分くらいかかるので、間に合わないかもしれないと告げられるも、お礼を述べて平和大塔へ、行儀は悪いが全力ダッシュ。

痛い足を引きずりながら走る、黒い作務衣に雪駄姿のすごい顔の中年が走っていたはずだ。しかし広い境内だ。場所を間違えたら完全にアウト。おそらく、平和大塔はここだろうという場所に到着するも、本当に目の前で閉扉されてしまった。

「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁ、マジで? マジでマジで? えー、うっそー」

扉の前でうなだれていたら、小僧さんを発見。ダメもとで「不動明王さまのご朱印をいただきたいんですが」と尋ねると、なんと、ご朱印場はこの下の会場らしい。もしかすると、まだ開いているかもしれないというので、またもや下の入口まで走る。

ガラスの扉はガッチリと施錠されており、目の前にして目の前が真っ暗。

それでも諦めきれなく、扉にしがみついていると、後片付けしているお坊さんを発見。ドアをドンドンと叩いて「ボクはここにいる!」アピールを開始。それに気がついてくれ、扉を開けていただき、事情を説明すると......

「ごくろうさまでした。どうぞお入りになってください」と、にこやかに迎えてくださいました!

さきほど上で会った小僧さんが寄ってきて、「間に合ってよかったですね」と声をかけていただき、関東三十六不動尊、最後のご朱印と無事に結願を果たした『結願証』をいただきました。

満願達成を、その場にいたお坊さんたちから温かい拍手と言葉でいただき、黒い作務衣に雪駄姿の中年は、マジで泣きそう。何度もお礼を述べ、平和大塔を後にしました。

閉扉された本堂の前にて、関東三十六不動尊巡礼を無事に終えたことにお礼し、一回目の巡礼を終わりました。

──以下余談──

いまさらな話になるのですが、関東三十六不動のご朱印は、専用のご朱印帳(納経帳)があり、予め浄書してあるものを差し込みするタイプですが、千葉のお寺さんは、ひとつひとつ墨書きしてくださいました。と、いうより、浄書されたものをいただいたのは、数えるほどもなく、殆どが新しく墨書きしてくださいました。

通常ならば、一年から一年半かかると謂われている、関東三十六不動尊の巡礼ですが、わずか一か月で結願させたのには、個人的な理由がありました。ここではその理由は書きませんが、どうしても年内中に巡りたかったのです。

巡礼期間中も、不純な煩悩に悩まされ、私生活を正していこうと気にかけるも、そうそう簡単に改善できたり、煩悩を祓うことはできない。できないが、意識するきっかけにはなった。

今までは、きっかけすら掴めていなかったが、視野が少しずつ広がってきていたのでしょう。これだけでも大成果です。二巡目は何年後になるか分かりませんが、その時がくるまでには、また違った自分が存在していることを愉しみにしております。

文中、せっかくお寺さんをピックアップして書いているのに、お寺さんのことを殆ど触れなかったのは失敗。反省点として、次回からの懺悔道中膝栗毛は、内容を見直していきます。

結願後の脱力感はものはすごく、しばらく巡礼はおろか、お寺に足を運んで参拝することもしませんでした。新年を迎え、やっと次の巡礼を決め、先日、江戸三十三観音を、浅草寺にて発願いたしました。

江戸三十三観音では、もともと嗜んでいた、東京下町の歴史を辿りながら、ゆっくりと巡礼していこうと決めております。

【べちおサマンサ】pipelinehot@yokohama.email.ne.jp

NDA拘束員であり、本当の横浜を探しているヒト。ぶら撮り散歩師。愛機はD90とGRD4。全国寺社巡りで、過去の懺悔道中をしております。

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※Twitterに出没しておりません(2015年3月現在)

○次回、次々回は、ちょいと野暮用のためお休みさせていただきます。


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■Take IT Easy![45]
「使いやすい」を生み出すための工夫

若林健一 / kwaka1208
< https://bn.dgcr.com/archives/20150310140100.html
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モノづくりに関わる人なら、誰しも使いやすいものを世に送り出したいと考えるでしょう、「これは、使いやすいね」と言われたいものです。

では、「使いやすい」と感じるモノとはどういうモノなのでしょうか?

人の感じ方というのは千差万別ですから、「これが正解」と言えるものを生み出すのは難しい。ましてや世の中には、様々な機能や目的の機械がありますから、すべての機械で「使いやすい」を実現できる万能なアイデアというものは存在しません。

では、まったくヒントが無いものか? というとそんなこともありません。

人が機械を使った時に「使いやすい」と感じさせる要素として、「期待通りに動作する」ということがあります。

「この機械はこうやって使うものなのだろう」

「このボタンを押したら、次はこんな画面が出るのだろう」

「自分が使いたい機能を動かすためには、ここを操作すればいいのだろう」

このように、操作に対する結果が予測でき、その結果が自分の予測通りだった時に、人は安心感と達成感を得ることができます。

そして、「自分は、この機械をコントロールできている」と感じられた時に「使いやすい」と思うものなのです。

逆に、操作した結果が予測できないものに対しては不安を覚え、使いやすいと感じられることはありません。

たとえば、オンラインショップで買い物をした時、どの操作で注文や支払いが完了するのかがわからなくて、不安に感じた経験はないでしょうか?

オンラインショップの場合、物品の購入を伴うため特に影響が大きいものと思われますが、機器の操作の場合も同様で「このボタンを押したら何が起こるんだろうか?」では、安心して操作することができないのです。

操作に対する結果が予測できるようにするためには、以下のような方法があります。

(1)従来採用されているものと同じ操作性を継承する
(2)他の機器で採用されている、操作方法を導入する
(3)操作方法とその結果を文字で案内する

(1)と(2)については、既に経験済み(学習済み)なので、容易に理解することができるというわけです。

例えば、パソコンのボリュームを変えるための、つまみを上下もしくは左右にスライドさせる操作方法は、オーディオ機器から踏襲したもので、過去に経験があるため容易に理解できます。

(3)については、ユーザーインターフェースによる解決とは言い難いので、ここでは触れないものとします。

一方で、過去の経験だけに頼っていては、まったく新しい機能性や操作性を実現することができません。

過去の経験も時代によって変わっていきます。「プッシュ式ダイアル」しか知らない今の子どもたちに「回転式ダイアル」の操作方法を採用した機器を与えたところで、すぐには理解できないでしょう。

やはり、過去に経験のない新しい操作方法を作り出していくことも必要で、その場合にも「操作方法とその結果を予測できる」ように配慮することが重要になります。

新しい操作方法でありながら、「操作方法とその結果を予測させる」ことに成功した例として、iPhoneの「スライドでロック解除」操作があります。

iPhoneが初めて発表された時、それまでにもタッチパネルで操作する機械は存在しました。

しかし、それまでのタッチ操作が「押す」操作が中心であったのに対して、iPhoneは「スワイプ」や「フリック」のように画面を押しながら動かす操作が採用され、これらの操作方法は一般の利用者に広く知られたものではありませんでした。

つまり、「どんな操作方法で、どんな結果が得られるのか」が予想しにくいものだったのですが、iPhoneの起動画面に「スライドでロック解除」を採用することで、これを解消することに成功しました。

これは、2007年にiPhoneが発表された時のようすからも、うかがい知ることができます。

当時、iPhone発表のデモをSteve Jobsが行った際、最初の「スライドでロック解除」の操作だけで歓声が上がり、同じ操作をもう一度繰り返すほどの反響がありました。

つまり、会場にいた人たちはこの瞬間に、iPhoneがどのように操作できるものなのかをイメージすることができ、その後のデモにおけるひとつひとつの操作を、まるで以前から知っていたかのように受け入れることができたのです。

一言でいえば、使い手に学習させているということです。

その学習コストが低ければ低いほど、利用者は学習させられていることに気づかず「私はこの機械をコントロールできている」「この機械は使いやすい」と感じるように誘導しているだけなのですね。

新しい機械、新しい操作方法を利用者に「使いやすい」と感じさせることは不可能ではありません。ただし、作り手にとって、それは決して「簡単」ではありませんが。

【若林健一 / kwaka1208】 kwaka1208@pote2.net
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編集後記(03/10)

●清水義範「朦朧戦記」を読んだ(新潮社、2015)。比較的軽い認知症者が集まっているグループホームの老人たちの中で、おおむね正常な田所聡一(80)が体験する超高齢化社会の出来事。近隣のホームと合同で開催したクイズ大会のピンぼけぶりから始まって、けしからぬ同窓会が行われ、そして合コンという企画には男も女も意欲的になって......。というあたりはまだまだ想定の範囲であったが(そんな老人にはなりたくないけれど)、それからのエスカレートぶりがとんでもない。最近本を出していなかったパスティーシュ作家・清水義範68歳が、「加齢なる復活」を遂げたのが本書である。

90歳の怪老人が考えたのが高齢者だけの「このうえなく楽しい遊び」である。90代となると足腰のしっかりした者が少なくてちょっと無理かもしれないが、80代、ちょっと下の70代あたりを対象にした秘密倶楽部をつくり、極秘の特別ツアーを組む。金はいくらでも出す。みんなが本当は大好きな、何より面白いことをするんだよ。それは戦争だよ。先の大戦中はまだ子供だったけど、あの頃は変な高揚感があって楽しかったのは事実で、あの気分を味わえるのは魅力的だ、というわけで田所も参加する。集まったのは80代が10人、若手組の70代が12人。行った先はグアム島から大型船で二日かかった無人島だ。

軍隊生活の体験ツアーだと思っていた参加者たちだったが、軍隊ごっこではなく本当の戦争だと知らされる。かつての軍服、装備に身を固め、密林内の前進訓練、三八式歩兵銃の射撃訓練などでへとへとになるが、その疲れの中に確かな充実感があって、はしゃぎまわりたいような楽しさがある。島に来て11日目、手榴弾と銃弾が支給され、島の反対側にいる米軍との実戦が開始された......。生きて帰った田所は、新たな戦いに参加する。それはお膳立てされた模擬戦争ではなく、日本国内で起きた本物の戦争だった。「日本防衛義勇軍」に所属する彼は、さしずめ私の役回りは土方歳三というところかと妄想する。

年金制度の絶対の堅持、介護システムの完備が最大のスローガンである弱小政党「団塊アゲイン党」が注目を集めている。体制の権力に対しては実力闘争しかないという「団塊全共闘」は、火焔瓶や爆弾で「団塊アゲイン党」に内ゲバ。さらに団塊世代より年上の「日本防衛義勇軍」が一般国民をテロから守るためにと、歩兵銃や手榴弾で「団塊全共闘」を攻撃する。それらはほとんど命をかけたごっこ遊びに近い。高齢者の暴走が日本をテロの国へ導く。元気な老人にとってこんな楽しい時代はないだろう。といった、若い人には面白さの理由がわからないお笑い小説だ。全共闘世代はどう読むかな〜。(柴田)

●hammer.mule の編集後記はしばらくお休みします