LIFE is 日々一歩(9)[コラム]一生かけて嫌いな人
── 森 和恵 ──

投稿:  著者:



こんにちは。森和恵です。天気に恵まれず、桜はあっというまに終わりましたね。残念。今年は桜の盆栽を買って、お家で桜をめでておりました。美しかったなぁ。

【2015年の桜まとめ】
< https://note.mu/r360studio/n/nf103318089b0
>

今回こそアニメの......と思っておりましたが、現時点でまだ始まっていないことに気がつきまして......。あと一週間ぐらいしないと、新番組を一通り見終わることはできなさそう。

そこで、視聴したら速報の形でブログに掲載することにしました。
気になる方は、ぜひこちらのスレッドをどうぞ。

【 趣味なの。 】
< https://note.mu/r360studio/m/mad676ec57d8f
>
※noteマガジンなので、購読すれば更新のお知らせが届きますよ。

......というわけで、今回は、最近人気のあった記事から、抜粋でコラムをお届けします。公開二日で400人以上の人が読んでくれました。みなさん、悩みは同じようですね。

「嫌いな人には、正直に嫌いと思っていいんだよ」ということを書いてみました。聖人君子じゃないんだから、きれいに忘れるなんてまっぴらごめんだ。さて。お立合いお立合い。(^^)




●一生かけて嫌いな人

「嫌な思い出だって時間薬が解決してくれる」とはよく言いますが、本当にそうでしょうか?

立場がフィフティでなくてこちらが身を引いた場合。一方的にやられて終わりだったことは、きっとこれからも一生ゆるさないし、なにかのきっかけでその思いがあふれてくるという経験を繰り返しませんか?

少なくとも私は、そうやって暮らしてきてしまいました。やり返すことができなかったことは、いまでも悔しさは鮮明に思い出せます。意識がその方向へ向きさえすればいつでも思い出せます。

それを忘れるには、もっと大きなできごとで上書きするしかありません。やりがいのあること、ワクワクすること、楽しいことで満ち足りていれば、方向を捻じ曲げることができました。もちろん。つらいことや苦しいことに立ち向かう、そんな気持でも上書きはできました。

どうしても忘れることができない負の荷物。「一生かけて嫌いな人」のことを話します。

●中学校での嫌いな奴ら

ひとりめは......というか相手は多数になりますが、中学の時の同級生たち。クラスのボス的な男子とケンカになったことがきっかけで、クラスの男子全員から、最終的には同じ学年の全男子から無視されて、からかわれて過ごしました。

中学二年のできごとだったので、それから卒業までの間ずっとです。男子に無視される女子に、女子の友達ができるわけもなく、中学時代に同じ学校の友達はほとんどいませんでした。

いまでも忘れられないのが、メガネをふいてると言われたひとことです。「わ。あいつ、なまいきにメガネふいてるわ。キモイ。」......なんでしょうね。ほんとに。これを言ったヤツはどこに食いついてるんでしょうね。馬鹿みたい。

とまあ、学校ではまわりのみんながそんな感じでしたから、なんにも楽しくはありませんでした。親がめちゃめちゃ厳しかったので、いちおう学校へは行っていましたが、勉強もほとんどせずに学校外の友達と遊びほうけていました。

学校の外に友達がいなければ、もしかしたら死んでたかもしれないなと思います。人はぜったいにどこかに救いが必要なんですよね。「あなたは、ここにいてもいい」と許容してくれる仲間がひとには必要なんだとこの時に学びました。

そんなでしたから、先生からの扱われ方もひどかったです。思い返してみると判で押したような「劣等生」というやつでしたね。立場が強い人が、弱い人に対してどんなふうに接するか。どうしたら、気持ち的に切り抜けられるのかを知りました。

その後、どうにかこうにか、ある高校に拾ってもらって入学し、いい先生と仲間に巡り合い、勉強の楽しさやら集団行動のありがたさも経験することになります。

成績もずいぶん良くなったので、先生から「優等生」として扱われるようにもなりました。風紀委員やったり、部活の部長もやったりしました。自分の方が立場が強くなったことで、コミュニケーションする上での目線が変わったりもしました。

この学生時代の浮き沈みを経験したからこそ、いまの私の人格が形成されたんだなと、大人になったいまでは思います。

しかしながら。中学時代にひどい扱いを受けたことは、忘れません。おかげで、どっか冷めてる歪んだ性格になったと思うし。なにより、受けた心の傷はなおらないものです。上書きして忘れたふりをすることはできても。

結果オーライだと思うけど、嫌いだという気持ちは残りました。

●忘れられないあの社長

二人めは、つとめ先の社長です。これがもう本当にひどい会社で、6年間フルタイムで勤めたんですが、結婚式の前後3日しか有給をくれなかったというぐらいのひどい扱いでした(健康診断もなくて、会社として社員の保障をまったくしてくれてなかったんですよ)。

この会社から出向という形で某会社で働いていたのですが、どうしても正社員になりたくて、6年経った日に転職しました。

出向先の会社では、みなさん本当によくしてくれてうれしかった。出向社員ではさせてもらえないような、責任があってやりがいのある仕事に心から楽しんで打ち込んでいました。

けれど、ふと振り返ると、出向先で同じように働く仲間と自分とのおおきな壁に突き当たったのです。同じように働いているのに、なんで私にはこんなに保障もなく、社会的な立場も弱いのか、と。

そう思って、新天地に進むことにしたのです。まったく違う職種でしたが、自分の可能性を信じて。

社長に「辞めます」と言いにいきました。強面で鬼のように怖い社長と、事務所にしているマンションの一室でふたりきりの状態で、対決にいくような覚悟で行ったのを覚えています。

社長は本当に辞めるのか? となんども問いただしてきました。どうしても説得ができないとわかった時に言われた言葉を、いまでも覚えています。

「おまえみたいなもんが、外へ出てもなんにも仕事なんかできへん。」それを言われてカチン! ときた私は、社長に対して怒鳴り、その場を去りました。言われたときは、本当に憎くて殺してやろうかと思ったぐらいです。

本当のところはわかりませんが、いろいろと聞いた話によると、私一人が辞めたことで、会社には思いがけず急な損失がでたのだと思います。当時、私が働いていた時間数からみて、同僚の中で一番稼いでいたはずでしたし(法令に則って、一か月以上前に辞めたいという話をしていますし、仕事の引き継ぎもやりましたので、私のほうに問題はありませんでしたが)。

あんまりにもむかついたので、あとから労働基準局にいったりして、会社を訴えてやろうかと画策したりしましたが、「証拠がないと動けない」ということで、そのまま泣き寝入りとなりました。くやしかったなぁ。

この経験があったからこそ、その後にさまざまな仕事をする上で雇用契約上の大きなトラブルもなく、慎重にやってこれたと思うので、いい勉強になったとは思います。なにより、出向先の会社で経験させて頂いたさまざまなことがらが、私に残された財産でしたし。

しかしながら。辞める時に社長に言われたことは、忘れることはできません。「あんな奴は、ろくな死に方せーへんわ。ダボが。」と普通に悪態をつける自信があるぐらい、いまでも怒りはさめていません。

●嫌な人は、忘れなくても、ゆるさなくてもいい

つらつらと書き連ねてきましたが、ゆるせないことは、ゆるせないままに、自分の気持ちをなだめながら、折り合いをつけて生きていくしかないんだなと、思います。

忘れなくてもいいんです。でも。できればちょっとでも、上書きできるようなワクワクを、楽しさを見つけていこうと思います。だって、嫌いな人のせいで、自分の人生すり減らしてばっかりとか、もったいないじゃないですか。けっこう短いよ。人生ってやつは。

外に出れば、桜がきれいだし、美味しいものもあるし、もしかしたら、とびきり楽しいことにであえるかもしれません。それでも、もし思い出しちゃったら、そのときワーッとムカつきなおして、ムカつき飽きたらまた、パカンと蓋を閉じればいい。臭い物にはとりあえず蓋ですよ。

ありきたりですが、そういう風に生きていこうと思います。少なくても私は、それでいいと思ってます。自分の人生だもの。自分で決めていいよね。

......さて、今回はここまで。

個人的なコラムを公開するのは、なんとも気恥ずかしくおもいますが、おもったより好評をいただいたので、ぼちぼちと書き残して行こうと思います。

次回は、もしかするとおなじ月曜日の川合さんとの対談をするかも?恒例のアニメか漫画のお話をしますね。乞うご期待。ではまた!

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4月8日(水)に、5月の予定が追加されます。
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