ショート・ストーリーのKUNI[172]黒ごきぶりの会[3]
── ヤマシタクニコ ──

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紳士たちの集まり「黒ごきぶりの会」は閉店後の某うどん店を会場に、月一回開かれている。今宵も春の新メニューだという「五色うどん」をまず賞味した後、デザートの草団子を食べながら会話がはずんでいるところだ。

ちなみに五色うどんは黒ごきぶり会の五人にあわせて黒ごまだれ、おろし大根だれ、甘辛しょうゆだれ、南蛮だれ、カレーだれという五種類のたれで冷たいうどんを賞味するというものである。

「うまい。まったくうまい。なんだこの団子のうまさは! いやあ、うどんもうまかったが、この団子もすばらしい」

自称一流企業のサラリーマンの中島洋介がほめちぎるのはいつものことだが、決してそれはおせじではなかった。地方公務員の安田一郎も相づちを打ち

「五色うどんは明日からメニューに正式に登場するということだが、ヒットまちがいなしですな。おや、もうこんな時間ですか」

「あー、申し訳ない。今夜は私のせいで20分遅く始まりましたから」

タクシー運転手の本山淳二が言う。たちまち高校教師の塩尻康夫がひきとって

「いつもの道が通れなくて迂回してきたとのことでしたね。たいしたことではありません。われわれみんな、遅く帰ったからといってパパに叱られるわけでもない」と言ったので一同爆笑だ。

笑いがおさまったところで塩尻が言う。




「ところで、それで思い出したのですが、最近は待ち合わせの時刻というものが実にアバウトになっておりますな。あ、いや、本山さんのことはまったく問題ではなく、別の話なのですが。私は仕事柄、若い世代のことはよく知っているつもりでおりますが、そもそも何時何分に待ち合わせということをしない。だいたい何時ごろ、どこどこで、と決めているようです」

「その通りです。携帯がありますから、それで十分なのです」

仕立ての良さそうなスーツを着た中島が、お茶をごくりと飲んでから言う。

「各自、乗り物の都合もあるでしょうから、何時何分と決めないことのほうが実際的だし柔軟なやりかたなのかもしれません。もっとも、そのやり方が通用するのはごく親しい友人たち数人規模の場合でしょうが」

「そもそも昔と違って時計を持ってない人が多いんです」デザイナーの小田達也が言った。

「ほう、そうなんですか」安田がしみじみと言う。

「時計と万年筆は大人になるための必需品と思ってましたが......」

「古い、古い! 今はそれも携帯で十分。だいたいどこに行っても時計があるじゃないですか。腕時計なんてうっとうしいだけです。ぼくも持ってません。おっほん」

「なるほどいつもばかばかしい、じゃない若々しい小田さんらしい」

「確かに、最近はどこに行っても時計がある。家の中でもです」

「御意! ペン立てからスタンド、パソコンにも電子レンジにも炊飯器にも時計がついている。もちろんテレビの画面にも」

「もう、ほっとけい! と言いたくなりますよね!」

小田のおやじギャグを無視して、安田が

「困るのはそのたくさんある時計がそれぞれがびみょうにずれていたりするときですね。一体どれを信用すればいいのか、どれを基準にすべきか」

「その場合はやっぱりテレビでしょうかね」

「やはりそうなりますか」

すると、急に本山の表情が曇り始め、団子の串を持つ手が一瞬空中で止まった。

「どうしたんです、本山さん」

「だんごがのどに詰まったんですか!」

「こういうときは......掃除機だ!」

「あ、いや、団子は詰まってません。掃除機は必要ありません。そうではなく、実は......

ちょうど二週間前、先々週の木曜の朝のことなのですが。私はダイニングキッチンから続く居間で、いわゆる朝ドラを見ておりました。妻はなぜかその日は上機嫌で台所で片付けやら何やらをしておりました。自分の部屋に行って何かしてたと思うとバッグを持って戻って来て、それから、私が朝ドラを見ている横にやってきて、しばらく一緒に見ていました。そして、『ねえ』と私に話しかけたところではっと気づいて小さく『あ』と声を上げ、そして言いました。

『これ、録画なんだ...』

『ん ? ああそうだよ。それが何か?』

『...じゃあもう間に合わない......』

『え?』

『あ、なんでもないわ』

それまで上機嫌だった妻は急に、いまにも泣きそうな顔になりました。

ご存知でしょうが、録画画面でも、そのときのリアルタイムは右下に表示されています。でも、朝ドラだと左上には放映時の時刻が表示されています。妻は私が朝ドラを見ているのでまだ8時〜8時15分だと思い、実際に画面にも表示されているのでつい勘違いしていたのです。本当は放映から一時間も経っていました......。

私は朝ドラは毎朝見ていますが、勤務の関係で見られないときもあるので毎朝録画されるよう設定しています。そうしていると気楽なもので、最近は見たいときに見るという感じになっておりまして......妻はそのあと、自分の部屋に引き揚げてしまいました。出かける支度をしていたはずなのですが、とりやめたようです」

「その部屋にはほかに時計がなかったのですか?」

安田がメガネの位置をなおしながら聞いた。

「その部屋どころか、それこそうちには時計はあまりないのです。玄関にはインテリアを兼ねた置き時計がありますが、滅多に見ません。ふだんはほとんどテレビで間に合ってしまうんです。何の番組をやってるかでだいたいわかるし。もちろん、携帯ももっていますし」

「なるほど。テレビに頼るのも危険、ということだなあ」

塩尻が言うと、本山は団子の串を皿に置き、深刻な表情で言った。

「気になるのは、妻がその日、何の予定があったかということなんです。妻の落胆ぶりはかなりのもので、私が『どうしたんだい』と言っても『もういいの』と言うばかりでした。涙ぐんでいるようにも見えました」

本山自身がいまにも泣き出しそうなくらいだったので、みんな一瞬黙り込んだ。小田が思い切って

「うーん、まず考えられるのは、たとえばどこかのスーパーの新規オープンで先着100人に卵1パック進呈! とか。これ、間に合わなければ相当くやしいでしょう」

「くやしいかも知れませんが、泣くほどのことでも」

「では2パック」

「あの、たぶん......なんというか、この機会を逃すともうないという、一度きりのチャンスだったのじゃないかと思うんです。何のチャンスか知りませんが」

「桜を見に行った......のではないな」

「いくらなんでもそんなあわただしい桜はないでしょう」

「ひょっとして......どなたかと待ち合わせていたとか?」

中島が言うと、安田もうなずき

「私もそう思います。しかも、とても大事な人でしょう」

「奥様はその日は上機嫌だった。つまり、大事な人とはいっても、仕事の関係とかではない」

「妻は、現在仕事はしていません」

「了解です。ですから、別の意味での『大事な人』だ」

「しかも、その人は......時間にとても厳しい人だ」

「その通り。『だいたい何時頃』という待ち合わせ方はしない人でしょう」

「つまり、そこそこの年配の人?」

「年齢は必ずしも関係ないかもしれませんが、携帯に頼る人ではない。そして、少なくともその方と奥様は今のところ、そう親密ではない。むしろ、その日が親密になれる機会だった。なのにそれがだめになってしまった」

「親密といいますと」本山がすかさず尋ねた。

「あ、いや、何もそういう意味とは限りませんよ」

「何も言ってませんが」

「いや、その、何もそういう意味と言ってると言ってるとか言ってないわけなので、なにやらわからなくなりました。えへん、おほん」

「えー、その。朝ドラの実際の放映時間から一時間も経っていたということですが、それでもまだ9時台ですよね。そんなに早い時間にデー......あ、いや、待ち合わせとなると、相手はある程度高齢である可能性が高くないですか。彼らはおそろしく早起きです。そして、遅くまで寝ている輩に対して手厳しいのです」

「わかります! 私のように夜型の人間はまるで人間でないような扱いなんです! 朝の11時に寝ている人間なんて信用できないというんだから、ひどいもんだ! そう思いませんか」

小田が声を張り上げたが、だれも同意しなかった。

「とにかく、これはもう」

「間違いないでしょう」

一同、うん、うん、うん、とうなずきあった。いまや彼らのの脳裏にはすでに本山夫人がロマンスグレイの紳士と早朝デートしている図ができかかっている。本山はたまらず

「だれなんですか、その人は。妻が待ち合わせに行けなくて、そしてそれがために親密になる機会をなくしてしまったという、その人は!」

「本山さん、落ち着いて落ち着いて」

「私と妻は愛し合っているんです。私が......小さな会社をおこしたときも、それがうまくいかず借金をかかえて倒産、そしてこつこつと返済してきたときも......ずっと私を支えてきてくれました。秘密があるなんて......いつもジュンちゃん、ジュンちゃんと私のことを呼んでいるあの妻が、そんな」

本山はやけっぱちとばかりに団子を食べまくり、隣の席の塩尻の皿にも手を伸ばして食べ始めた。茶を飲む。団子を食べる。また茶を飲む。むせた。

「本山さん、気が気でないのはわかりますが、こういうことはまあ、その、放置しておくしかないかもしれません」

「そうです、奥様がふられるまで」と言いかけた小田を塩尻がおさえこみ、あわてて言った。

「私はやっぱり、スーパーで先着100名に卵1パック説を支持します。卵1パック、いや2パックで涙ぐんでもおかしくないじゃありませんか! そうです、卵だと思います! 卵に決まってます!」

本山は泣きじゃくりながら団子をほおばっていた。そのとき、この店の従業員である辺利が言った。

「本山さま、今日遅れてお越しになったのは、いつもの道が通れなくて迂回したからだとおっしゃってましたね」

「ええ......ぐすっ......わが家から700メートルほどのところに**線のMが丘駅があるんですが...その駅舎が大規模な改築工事に入っていまして、特に南出口付近が通行止めになっていて......ぐすっ......その影響が出てるんです。......ぐすっ」

すると中島が口元をハンカチでぬぐいながら言った。

「ああ、そういえばそんなニュースをテレビのローカル番組で見た記憶があります。『さよならMが丘駅』というテロップが出ていました。築60年とかで風情のある駅のようでしたが、取り壊されるのですね。新しい駅舎には今風のカフェも入るということだが、どこもかしこも同じだ。画一的でおもしろくないですな」

「それなら私も見たような気がする。私が見たときは確か、ひげをはやした駅長さんがあいさつしてました」安田も言う。

「ひげの駅長?」

「ええ。今の駅長ではなく、むかし駅長を務めていた人ということでした。代々の駅長さんが出席しておられたようですが、特にその駅長さんが印象的でした」

それを聞くと本山は、はっとして言った。

「その駅長さん、知ってます。私も妻も、当時......20年以上前、まだ若かったときお世話になった人です。駅長なのに腰の低い人で、広場の清掃をしたり水を撒いたり、妻がコンタクトレンズを落としたときもみんなといっしょに真剣に探してくれて......妻はそれ以来バレンタインデーにはチョコレートを渡していました」

辺利が穏やかな笑みをたたえて言った。

「私もそのニュースは拝見しておりました。私の記憶によれば、それが先々週の木曜日のことでございます。工事はその日の朝9時半から始まりました。それに先立ってちょっとしたイベントがあったのです。たぶん9時ごろから」

「え、ということは!」

「奥様が会うつもりでいた人は、ひょっとしたらその駅長さんだったのではありませんか。事前にどこかでイベントのことを知っておられたのでしょう」

「そ、そういえば妻はカメラも準備していたようだった。手にしていたバッグから見えていた。ふだんあまり写真に興味はないようだったのに、へえっと思った記憶が」

「奥様はあなたとふたりで思い出のMが丘駅に行って記念写真を撮り、駅長さんにも再会したかったのでしょう」

「なんてことだ。私はそんなことはまったく気づかなかった。工事のことは仕事柄知っていたが、迂回しないといけないので面倒だなとしか思っていなかった......ああ、妻はさぞかし私のことを鈍感なやつと思ったことだろう」

中島が満足げな笑顔を一同に、そして辺利に向けた。

「さすが辺利だね! しかし、そのニュースが放映されたのが先々週の木曜日だなんて、よく覚えているもんだ。新聞にも載らなかったし、地元ならともかく、この店とMが丘駅は少し離れている。それとも、辺利もMが丘駅に何か関係が?」

「私はMが丘駅には何の関係も思い出もありません。ただ、その日はこの店のすぐ近くでスーパーがオープンしたのです」

「え、スーパーが? まじで?!」

「はい。私は午後の休憩時間にこの店でスーパーのチラシを見ていました。開店記念で先着100人に記念品、と書いてありましたが、ああもう間に合わない、惜しいことをしたなと思っていました。そのときテレビでそのニュースが流れたので、オープンする店もあればなくなる駅舎もあるのだなと、しみじみとした気分で見ておりました」

「でも、それが先々週の木曜日って......」

「今日、またチラシが入ったのです。『オープン2週間記念セール!』と書いたチラシがね」

辺利はにっこり笑った。

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そうだ、あれを買わなくちゃ、とメモに書いてそこらに貼っておいたりする。最初は「○○○」と品名だけだが、ついつい後回しになり「○○○買うこと」となり、それでもずるずる後回しになって最近は「○○○買え!」と書いたメモを貼っている。そんなふうに書く自分も自分だが、そう書かれてもまだ後回しにしている自分も自分だ。○○○が何かは内緒です。