私症説[71]われわれは死ななかった
── 永吉克之 ──

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日本語には、死ぬことを意味する言葉がたくさんある。

死亡、死去、逝去、絶命、失命、落命、物故、他界、永眠、往生、昇天、入滅、入寂、入定、御陀仏、薨去、崩御、亡くなる、世を去る、鬼籍に入る、神に召される、故人になる、歿する、身罷る、斃れる、くたばる、……etc.

ひょっとしたら、英語にも死を意味する言葉がこのくらいあるのかもしれないが、わしゃ知らん。海外にはまったく興味がのうなってしもうたから、英語なんぞわからんでええ。

そんなことはどうでもいい。

《生死の境をさまよう》などと言うが、その境とは何なのか。何をもって生物の《死》とするかの判断は、学問の分野によってさまざまで、個々人の考え方や立場によっても違うだろう。

臓器移植を稼業にしている人たちは、鮮度を失わない臓器を手に入れたいはずだ。そこで、さあ死んだ、じゃ腎臓もらってっからね、と手っ取り早くコトを進めるためにはいちばん手軽な脳死を人の死と考えたいだろう。

それに対して、脳死者の家族は、脳死と判断されても、まだ心臓は動いてるんだから、父ちゃんは生きてるんだ! 父ちゃんから手を離せ、この臓器泥棒! と反発するだろう。




生と死の境とは、便宜上措定されたものである。ひょっとしたら蘇生するかもしれないから、もう少し待ってと言う遺族の要望をいれて、異臭を放つ遺体をいつまでも保管しておくわけにはいかないので、手頃なところで一刀両断にしたのが脳死だの心停止だのといった基準なのであるからして、そんな境目は自然界にはない。

生と死の境界がないということは、永遠に生きているか、さもなければ生まれる前から死んでいるかのどちらかである。となると、《生》も《死》も意味をなさなくなる。

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《生きる》という表現が当を得ていないのなら《生命活動をする》としよう。

脳死と判定され、自発呼吸をしなくなり、心拍が停止し、瞳孔が開いて、筋肉が電気刺激に反応しなくなっても、生物は活動を止めない。

上のような状態になると、待ってましたとばかりに腐乱が始まるではないか。これは紛れもなく生命活動を続けている証拠である。

もし、真の《死》というものがあるとすれば、それは、あらゆる意味で生命体が活動を停止したときではないのか。死後硬直や腐敗といった現象(“死体現象”というらしい)すらも起きない状態、つまり個体の時間が停止した状態を《死》と呼ぶのであれば腑に落ちる。ちなみにその状態を《停死》(いま思いついた造語)という。

だから、火葬場で舎利になっても、それで死が完成するわけではない。もしそれが死の完成だというのなら、崩壊した遺骨の破片たちは永劫にその形を保ち続けなければならない。

ところが、焼けた骨もそれを構成している物質が、非常に緩慢ながら変化し続けるのだから、じめじめした墓の下に収められた骨壺のなかでもまだ生命活動をしていることになる。

かつて、どなた様かが地中海のシチリア島でお亡くなりになって、その遺体が土に還って養分となる。それを吸収して育った植物を食べた動物が、まるで獣のように所かまわず糞尿をまきちらす。それを養分にして育ったレモンに含まれている栄養の分子が、私がいま飲んでいる《KIRIN 氷結 STRONG シチリア産レモン ALC.9%》のなかに含まれているのだ。

私は自分が、どこの馬の骨ともわからないシチリア人の生命活動によって生かされているのかと思うと、宇宙の本質は愛だという確信がいっそう強くなった。

このように、生物は土に還っても生命活動を続け、みずからを自然のなかで循環させて、世界を支えているのである。

かのチンギス・ハーンの遺体が腐敗・分解して放出された分子が、めぐりめぐ
って、あなたがいま食べている大福餅に含まれているとしたら、冥加に尽きる
というものではないか!

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このように、それを本人が意識しているかどうかにかかわらず、生物それ自体は永遠に活動を続けるわけだが、鉱物のような無生物も何らかの変化(風化とか浸食とか原子崩壊とかそういった類いの変化)を続けるという事実を考えてみれば、生物と無生物の境界も曖昧になってくる。

♪ ミミズだって 死体だって 玄武岩だって
♪ みんなみんな 生きているんだ 友だちなんだ

死なんてないんだから「彼は死ぬ直前まで生きていました」なんてジョークはもう無効だよ。

                 *

死は幻想である。人類史上、死んだ人間はいない。その好例が私だ。私はいまだかつて死んだことがない。私の息子(独身だから息子はいない)も死んだことがない。桐山さん(誰か知らない)も死んだことがない。

《KIRIN 氷結 STRONG シチリア産レモン ALC.9%》は、正直なところあまり好きじゃないんだけど、缶チューハイのわりにアルコール度が高いし安いから、お得感があるのでよく飲む。

ああ、しかし弱くなったものだ。三本飲んだらもう目がすわっているのが自覚できる。ちゃんと原稿書けてるんだろうか。明日、原稿を編集部に送るまえに、かなり手を入れにゃいかんだろうな。

それはともかく、私の言っていることがウソだと思うなら、死んだことのある人を私の家に連れてきなさい。大阪府内に限り交通費支給。


【ながよしかつゆき/戯文作家】thereisaship@yahoo.co.jp
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