[3951] パーソナルカラーを知って素敵になりたい

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《最初からいきなり難しい》

■まにまにころころ[80]
 ざっくり日本の歴史(後編その2)
 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito

■LIFE is 日々一歩(15)[コラム]
 パーソナルカラーを知って素敵になりたい
 森 和恵

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■まにまにころころ[80]
ざっくり日本の歴史(後編その2)

川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito
< https://bn.dgcr.com/archives/20150720140200.html
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こんにちわん、コロこと川合です。海の日ですね。西日本は雨模様のところが多いようですが、全国的には梅雨明けした地域も出始めているとのこと。夏がやってきましたね、ついに。

私はものすごく汗かきなので、夏は色々と大変で、どちらかと言えば冬のほうが過ごしやすいたちで。好き嫌いは特になく、夏も冬も春も秋も、それぞれ好きなんですけど。

季節と言えば、吉田松陰先生は処刑直前に牢の中で書かれた『留魂録』の中で、人の一生は、その長短に関わらず、その一生のうちに四季があるということを語られています。志半ばで散ることは、花を咲かせず収穫の時を迎えなかったように思えるかもしれないが、それでもやはりなんらかの実りを迎えていると。

自分が実らせた実がスカスカの殻なのか、中身の詰まったものかは分からないが、志を継ごうという人がいてくれるなら、それは次の種まきに繋がる立派な収穫だったといえるでしょう、と。

結果からみれば、松陰先生の種はものすごい発芽力のある種でした。(笑)

◎──江戸時代の思想

さて、前回から江戸時代の話に入りましたが、幕末のドラマをより楽しむために、江戸時代における思想の流れを知っておいた方がいいんじゃないかと思い立ち、ここしばらく、色々と調べていました。

発端は『花燃ゆ』きっかけで松陰先生に興味を持ち、その著書や伝記を読んで、そこからあれこれ辿っていったことにあります。私もまったく思想方面の知識がなかったのですが、どうやらこれは少し知っておいた方がいいかなって。

辿った経過は、おおざっぱに言えば、松陰先生は山鹿流兵学師範だったので、その源流の山鹿素行について調べ、その山鹿素行がもともとは林羅山の門下ということで、林羅山を調べ、と。また松陰先生と付き合いがあって、黒船への密航事件に巻き込まれる形になった佐久間象山についても調べたり。

で、どうやら江戸時代の思想の軸として「朱子学」は外せないみたいだということで、朱子学についてあれこれ本を買い、読んでみました。デジクリで江戸時代の話を書くにあたって、最初は朱子学の話から入ろうと思ったんです。

……が、難しすぎて無理でした。(爆)

今見れば、高校の日本史の教科書にも江戸時代の学問の流れは書いてあって、そこに出てくる人名くらいは記憶の片隅にあったんですが、その学問自体は、わりとさらっと書かれていて。今回、改めて勉強してみようとして、教科書に「さらっと」しか書かれていなかった理由が分かったような気持ちです。

難しい……。難しいから、なんとか片鱗でも理解しようとして、あれこれ調べるのですが、調べれば調べるほどに難しく……沼に足を取られる感じで。いや沼にはまった経験なんてないんですけど、イメージとして。

なんていうか、最初からいきなり難しいんです。朱子学について知ろうとして、朱子学入門ってな本をまず開いたわけです。そしたら、宇宙のことわりをどう捉えるかっていうような話から始まるんです。ああどうやらこれは難しい本にあたってしまったんだなと他の入門書を開くと、どれもそんな感じで。

心折れそうになりつつも、我慢して読んでいくと面白くもあるんですが、これはさすがに「ざっくり日本の歴史」にそのまま組み込むには無理があるなということで、上っ面だけで済ませます、すいません。以上、長々と言い訳でした。

◎──朱子学

さてその朱子学とは、南宋の朱子(朱熹)が儒学を再構築して体系化したものです。儒学というのは、孔子の教えに端を発する思想の流れで、孔子と孟子が二大巨頭といえるでしょう。孔子の教えは『論語』に、孟子の教えは『孟子』に、それぞれ弟子によってまとめられていて、儒学の経書となっています。

儒学には特に重要とされる経書がいくつかあり、どれを重要視するかは時代によって入れ替わりがありましたが、朱子は『論語』『孟子』『大学』『中庸』の「四書」を重視して、それぞれの注釈書を著しました。

朱子学、というか儒学は、ものすごく簡単に言うと、聖人の教えを学び、聖人に至るための学問で、理想とされる聖人とは古代の伝説の皇帝である堯・舜、そして周王朝の文王、武王、周公旦、加えて孔子、孟子です。学ぶことの基本は、これまたものすごく簡単に言うと、いわゆる道徳や礼儀が中心です。

孔子は紀元前6〜5世紀の人で、『論語』も日本には4〜5世紀くらいに伝わったとされていて、古代から官僚の教養として重視されていました。

朱子は12世紀の人で、朱子の教えも、それに続く儒学の流れも、鎌倉時代から少しずつ日本に入ってきていました。中国や朝鮮半島経由で、仏教と合わせて留学僧が持ち帰ったりで。

持ち込んだのが僧という経緯もあって、扱われ方は仏教といっしょくた状態。僧にとっての教養として学ばれていた儒学でしたが、それをきちんと切り分け、独立した学問として成立させたのが、禅僧だった藤原惺窩でした。

◎──藤原惺窩(1561年〜1619年)

近世儒学の祖と言われる藤原惺窩は、朱子学を基軸に儒学を体系的に捉え直し、京学派を興しました。豊臣秀吉、徳川家康にも儒学を講じた惺窩は、後に家康から幕府に仕官を求められましたが辞退、門弟の林羅山を推挙しました。

それが1605年のこと。つまり家康は、幕府成立早々から幕府で学ぶ学問の柱として、儒学の導入を考えていたということですね。

なお惺窩は朱子学を軸にしつつ、それと対立する儒学の学派も取り入れつつと、懐広く儒学を受け入れましたが、羅山は朱子学ひと筋でした。

◎──林羅山(1583年〜1657年)

寺で学ぶうちに儒学に出会い、独学で朱子学を研究していた林羅山は、21歳で惺窩に師事し、いきなり頭角を現しました。惺窩が羅山を家康に推挙したのは、門弟となった翌年のこと。羅山はとんでもない天才だったようです。本を読む時は五行を一気に読み、それで全てを覚えていたとか。

家康に推挙された翌年の1606年、イエズス会の修道士ハビアン(日本人です)と「地球論争」とか「地球問答」と呼ばれるディベートを行います。羅山は、地動説と地球球体説を受け入れず、地球方形説と天動説を主張し、なんと論破してしまいます。

もっとも、地球の話はあくまできっかけで、本質は宗教観についてのものだった(たぶん羅山も、地球が丸かろうがどうでもよかった)のですが、その宗教観の話で羅山に言い負かされたショックからなのか、その後ハビアンは信仰が揺らいで、キリスト教を棄教。

そして後にキリスト教を弾圧する側に回ることになります。羅山、恐るべし。まあどこまでが羅山のせいか分かりませんけども。「信仰が揺らいで棄教」は、具体的にいえば、修道女と駆け落ちしたんです、ハビアン。

さらに翌年の1607年、正式に幕府に仕官します。ただし家康は羅山を「僧」として仕官させました。独立した学問としてはまだまだ新興の儒学でしたので、旧来の仏教勢力との折り合いを考えてのことです。

以後、四代にわたって将軍のお抱え学者となります。四代って長いなと思いますが、だってこの時、羅山はまだ23歳ですからね。

羅山はその才能をいかんなく発揮して、幕政に深く関わっていきます。方広寺鐘銘事件において、粗探しして難癖付けた功労者も羅山です。その羅山の活躍に伴って、儒学の地位もぐんぐん上がっていきます。

羅山、一応は僧のていで仕えているのに、仏教を批判したりもしています。形だけは僧ですが、中身は生粋の儒学者です。

家光の時代には土地を与えられて私塾を開設、また孔子廟を設けて祭祀の場とします。その孔子廟は綱吉の時代に湯島に移され、私塾も一緒に移設します。この孔子廟が現在もある湯島聖堂です。私塾は、後に幕府直轄の昌平坂学問所となります。

羅山の孫、林家三代目の林鳳岡から後は、林家当代の主は大学頭と称し、幕府の学問責任者としての役割を代々担っていきます。

74歳で羅山は最愛の妻を亡くし、その翌年には明暦の大火で邸宅と書庫を焼失。失意からか、その四日後に亡くなりました。

羅山が亡くなる前後くらいの話は、冲方丁の小説『天地明察』にも出てきます。本筋ではないですが、時代の雰囲気が感じられますし、純粋に面白い小説なのでお勧めです。同時代を描いた同作者の『光圀伝』も是非。

『天地明察』繋がりで、作中に出てくる同時代の学者をあと二人紹介したいと思います。まずは、作中でも重要人物だった山崎闇斎。

◎──山崎闇斎(1619年〜1682年)

江戸初期の儒学において惺窩の系譜は京学派と呼ばれましたが、土佐には南村梅軒(実在不明)を祖とする、土佐南学派(海南学派)という朱子学の一派がありました。

比叡山を経て、土佐の寺で修行する僧であった山崎闇斎は、土佐で土佐南学派の谷時中から朱子学を学び、儒学者との交流から傾倒を深めて、25歳で僧を辞めて還俗し、儒学者の道を選びました。

儒学者の道を選んだ、というものの、闇斎は様々な学問に興味を持ち、伊勢神道の中興の祖、度会延佳から伊勢神道も学びました。度会延佳は伊勢神道から仏教色を排し儒教を導入した人なので、儒教繋がりですね。

46歳の時、会津藩主・保科正之に召し抱えられた闇斎は、同世代の神道学者で吉川神道の創始者である吉川惟足に学び、さらに神道を研究。吉川神道の奥義を伝授され、神道と儒教を統合した「垂加神道」を開きました。「垂加」とは惟足が闇斎に送った号です。

垂加神道では、儒学に沿って解釈し『日本書紀』を重視、神道の核心を皇統に求めるもので、神道の枠を超えて尊王思想の発展に大きく影響しました。

儒学者としての闇斎の系譜は崎門学派と呼ばれ、門人には佐藤直方、浅見絅斎らがいます。佐藤直方も浅見絅斎も、垂加神道には批判的で、佐藤直方は決別しています。浅見絅斎は闇斎の死後に、神道にも興味を示しました。

◎──山鹿素行(1622年〜1685年)

儒学者としては聖学(古学)の祖、軍学者としては山鹿流兵学の祖、後に儒学から離れて独自の学問を推し進めた山鹿素行先生。松陰先生は素行を「先師」と仰がれていました(ちなみに佐久間象山のことは「師」と仰いでいました)。

9歳で羅山に入門して朱子学を学び、15歳からは小幡景憲、北条氏長に入門して甲州流軍学を学び、他にも神道や歌学など、多岐に渡って学びを進めた素行は、40歳になる頃から朱子学に疑問を抱きはじめこれを批判。朱子の解釈ではなく、周公旦や孔子の教えを直接学ぶべきだとし、1665年、門人への講義をまとめた『聖教要録』を著します。

これが保科正之の耳に入り、朱子学を奉じる幕府に対する罪とされて、1666年、播州赤穂に配流、浅野長直に預けられることに。素行は赤穂の浅野家とは以前から付き合いがあって、というか、高禄で招かれて兵学師範を務めていました。1653年、32歳の時のことで、赤穂城の縄張りを改訂したりもしています。赤穂にずっといたわけではありませんが、1660年まで仕えていました。

浅野長直は、浅野氏として初代の赤穂藩主で、「赤穂の塩」を天下に轟かせたのもこの人。千種川から赤穂城に引き入れた上水道は、日本三大上水道の一つに数えられています。

江戸城、松の廊下でやらかしちゃうのは長直の孫、浅野内匠頭こと長矩です。赤穂事件には素行の影響も強くあったと言われています。赤穂事件についてはまた別途。

1669年、素行は『中朝事実』を著します。これはどんな書かというと、
(※話の都合上、大陸のいわゆる中国のことをここでは支那とします)

「儒学もそうだけど、日本ってやたらと支那を持ち上げて中華かぶれするよね。中華思想っていうかさ。でもあの国、王朝も何度も変わってるし、臣下が君主に取って代わったりもするし、挙げ句、向こうで言うところの蛮族に国を奪われたりさ。儒学的にそれってどうなのよ。

それに比べて日本は万世一系の天皇が治め続けてるわけじゃない。あっちはコロコロ変わるのに、日本は天地創造から天孫降臨を経て神武天皇まで二百万年、そこから二千三百年続いてるぜ? 外国からの侵攻もぜんぶ退けてさ。儒学のいう理想の国家、中国、中華って、支那のことじゃなくて日本のことじゃね?」

という書です。尊皇、攘夷、国粋、皇国史観、ここに極まれりって書です。明治天皇の後を慕い殉死した乃木希典大将は、死の直前に後の昭和天皇にこの『中朝事実』を献上されたそうです。

さて素行は1675年には許されて江戸に戻っています。ちなみにその年、赤穂では長矩が三代目を9歳で継ぎました。素行は54歳の年です。以降、亡くなるまで10年間、素行は江戸で門人の指導に当たりました。


江戸初期の学問をちょこちょこっと覗いてみたわけですが、いかがでしょうか。かなり退屈だったかもしれませんが、江戸時代を見ていく上での最低限の予備知識、ってことで、お許しください。次回は忠臣蔵の話でも。

【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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いよいよ夏本番。熱中症にご注意。


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■LIFE is 日々一歩(15)[コラム]
パーソナルカラーを知って素敵になりたい

森 和恵
< https://bn.dgcr.com/archives/20150720140100.html
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こんにちは。森和恵です。今日は海の日。いつもならデジクリはお休みですが、メンバーが登壇したい! と希望しての登場となりました。

先週の台風一過と共に梅雨も明けて、いよいよ本格的な夏がやってきます。夏バテ、大丈夫ですか? ゴルゴさんが疲労度合いをチェックしてくれるサイトを見つけましたので、休日の暇つぶしにぜひどうぞ。

・ゴルゴ13疲労のうめき 偽りの胃腸バーニング
< http://www.golgo13yomeishu.jp/pc/
>

さて。今日は祝日モードということで、PHPの勉強はお休み。先日勉強してきた「パーソナルカラー」についてのレポートをお届けします。パーソナルカラーを知っていれば、素敵女子・素敵男子になれるかもしれません。

●パーソナルカラー診断を受けてきました

お友達のFBで見かけた、パーソナルカラーのセミナーに参加してきました。「パーソナルカラーを知っていれば洋服選びとか楽しくなりそうだよね。いつか一緒に行きましょうよ!」と彼女と以前話していたのを思い出したからです。お友達が一緒なら、初めての場所への参加のハードルもグンと下がりました。

・「知って遊ぶ」パーソナルカラーの日
< https://juso-coworking.doorkeeper.jp/events/28088
>

パーソナルカラーとは、「自分に調和する・似合う色」のことです。肌・髪・瞳などの色から、「春・夏・秋・冬」の4パターンに分けられた色のグループをみつけます。自分がどのパターンかを知れば、洋服・お化粧・ヘアカラーなどを選ぶときの指標になるというものです。

・講師のナターシャ先生のブログ。パーソナルカラーとは?:natasha.jp
< http://natasha.jp/color-story01/
>

自分でカラー診断をするWebサイト(↓)もありますが、自分のことを客観的に見れているのか? が不安になっていました。確信が持てなかったんです。

・パーソナルカラー診断:@cosme
< http://www.cosme.net/html/spc/1310/diagnosis01.html
>

でも、今回資格を持っている先生にきちんと診断してもらうことで、自信を持って、安心してパーソナルカラーに基づいた色選びができそうです。

・当日の診断のようす
< http://r360studio.com/dgcr/dgcr-lifeis15/p1 >

赤系で4パターンに分けた色味の違う布をあてて、似合う色を探しているところ。赤・黄・青・緑・白系と順番におこないます。どのパターンが多かったかで診断します。

私は「メインカラーが彩度高めのオータム、さぶカラーが彩度低め・薄めのスプリング(特に黄色系)、なぜか赤色だけウインター」という診断結果でした。

・先生がホワイトボードに描いたトーン別の4パターン
< http://r360studio.com/dgcr/dgcr-lifeis15/p2 >

・トーン別の色相カラーチャート:色カラー
< http://iro-color.com/colorchart/tone/
>

トーン別のカラーチャート使って、4パターンの分類をまとめたものです。私の場合は、オータム(Au)とスプリング(Sp)なので、中央下から右上の対角線上の色が似合うということになりますね。

中でも、「彩度高めのオータム=ダルトーン・ダークトーン」と「彩度低め・薄めのスプリング=ブライトトーン・ライトトーン」あたりになりそうです。

パーソナルカラーさえしっかりわかれば、それを解説してくれている所はたくさんあるので、自分の色の傾向がわかればOKになりますね。

たとえば、下記のサイトでは、特長から苦手な色の解説やその使い方についてもまとまっています。

・パーソナルカラー診断 オータム(秋)タイプ 女性編:allabout
< http://allabout.co.jp/gm/gc/190839/
>

余談ですが、診断をみていて知ったこと。人間の目は、赤色の微妙な違いはわかりにくく、青色はわかりやすいのだそうです。これは、普段のWebデザインの仕事でも使えるなぁ……と思いました。やはり、カラーは奥が深いし、いろいろ知ると面白いです。

●パーソナルカラー実践編

セミナーでは、全員のパーソナルカラー診断を終えた後、各自持参したファッション雑誌から「自分の好みに合う、パーソナルカラーの洋服を選んではさみで切り、糊で紙に貼ってこらーズを作る」という実習が行われました。

わたしは、ふだんフェリシモさんのhaco.というブランドをよく着ているので、そのカタログを持ち込んでコラージュを作成しました。いつもデジタルで切り貼り作業をしているので、アナログ作業が楽しかったです。夢中になって作業しました。

・当日作成したコラージュ
< http://r360studio.com/dgcr/dgcr-lifeis15/p3 >

『自分に合ってない色だけど好きな服にどういう差し色をすればいいのか?(たとえば、上にカーディガンを羽織ったり、ストールを巻いたりすればカバーできる)』

『同じ形で色違いがある場合、どの色がいいのか?』

……なんかが聞きたくて、いろんなコーディネイトのパターンを貼って完成しました。

先生は、ひとつひとつ丁寧に答えてくださって、この実習を通してより理解が深まったと思います。そんな指導を元に、NGだった部分の色を直してみました。

・帰ってからデジタル処理で直したコラージュ
< http://r360studio.com/dgcr/dgcr-lifeis15/p4 >

「p3.jpg」と「p4.jpg」を見比べてもらうと、NGだった部分がわかるようになっています。

1)左下の外国人モデルさんが着てる青色・縦縞ボーダーのトップス

これは青みが強すぎて、オータムの私には似合わない色だそうです。(実は、購入しようと思ってショッピングカートに入れて検討中の商品でした)。もし着るのなら、もっと黄みがかった青(アクアブルー)ならOKだそうです。

2)左上の紺色トップスと右下の青色ワンピース

どちらも、オータムが苦手な濃い青色です。haco.では、この紺がよく登場するので、どうにかして着たい! ということで、差し色を聞いてみました。

私は最初、スプリングの薄い黄色を差し色にすれば……と思ったのですが、私がここでチョイスした黄色は青みがかっていて、分類としてはサマーになるそうです。もっと黄色が深く、オレンジに寄せたような色ならOKだそうです。

3)中央の緑のタイトスカートに合わせたピンクのノースリーブトップス

このピンクも青みがかっていて、分類としてはサマーになるそうです。もっと黄みがかったサーモンピンクになる色ならOKだそうです。

実習を通したレクチャーで感じたのは、理屈がわかっていても実際に選ぶのはむずかしいということ。特に「黄みがかっている色」と「青みがかっている色」の違いがよくわかりにくいと思いました。慣れるまでがむずかしそうですね。

●今夜、顔出し雑談ラジオで話します!

一緒に受講したお友達のはざくみさんと今夜10時〜ハングアウトオンエアで放送されます。せっかくなのでこのパーソナルカラーの話題を予定しています。

三連休の終わりにぜひエアチェックしてみてくださいね〜。

・今夜の放送URLが決まったらTwitterで告知します。フォローよろしくです☆
Twitter < http://twitter.com/r360studio
>

【はざくみチャンネル】 ※録画をみるときはこちら
< https://www.youtube.com/channel/UCQtN-3BakognEMltm7fLA4Q
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ということで、パーソナルカラーを知ろう! のススメについてお話しました。さて次回は、前回のPHPプログラムの続きをします。バックナンバー↓をみて、復習しておいてくださいね☆
< https://bn.dgcr.com/archives/20150706140100.html
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ではでは、また!(^^)

【 森和恵 r360studio 〜 Web系インストラクター 〜 】
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編集後記(07/20)

・今日は「海の日」で休日ですが、なぜかデジクリが発行されます〜

●「ヂヂババがいない家は、新聞をとっていないから、新聞が何のことかわからない児童が多い」という小学校教員の話がある。ある人が朝日新聞の幹部が「この春入社した新卒のうち、親元を離れて下宿していた者のなかで、誰一人、新聞を購読していなかったのに衝撃を受けました」と言っていたの聞いたという。毎日新聞には、記者志望の大学生たちが、「新聞を読む姿を友だちに見られると恥しい。変な人だと思われそう」と言っていたとの記事がある。また、中年世代の新聞離れが著しいという報道もある。まともな人は離れたほうがいいと思うプロパガンダ新聞は、中央にもローカルにもあるけれど。

我が家はヂヂババだから、当然新聞はとっている。ジャイアンツ新聞だけど。プレミアム会員なので一週間分はネットで紙面が読めるが、切り抜けない。YOMIURI ONLINEにない記事は昔ながらのスクラップがいい。けっこう溜まる。定期的に見直して、保存と廃棄を選別するが、保存しておいても有効に活用できることはまずない。ところが、「介護の社会化、家庭内弱者・労苦から解放」という山崎正和論文(2014.7.6付「読売新聞─地球を読む」)は、とっておいてよかったと思う。氏の主張は「高齢者の介護を社会化すること、平たくいえば介護の苦労から家族を解放すべし」ということである。

介護の社会化は2000年に介護保険が導入された時のうたい文句だった。しかしこの間、寝たきり老人患者を受け入れてきた療養病床が削減され、その受け皿として在宅介護や医療が強調されて来た。それがこれまで以上に家族に負担を強いる結果になった。介護が必要な老人の多くは歩行や食事や排泄にも困難で、これにしばしば認知症を伴うため、感情の交流でも食い違いが起きる。家族は、親や祖父母の排泄物の処理までしながら、感謝されるどころか、不満や反抗の声に耐えて、24時間の緊張を強いられることが多い。最大の問題は、しばしば介護の苦難が家庭内の弱者にしわ寄せされるという現実である。

必須なのは介護の責任主体そのものを社会に移すことであり、そのためのシステムとインフラを形成することだ。具体的には、病院と自宅のあいだに緩衝地帯をつくり、そこには老人を自立した個人として住まわせたうえで、支援することである。高額の有料老人ホームと、特養老人介護施設の間に、費用とサービスと質の点で中間の施設が求められている。モデルとなるいくつかの施設があり類似の企画は拡大の兆しをみせている。ここで大事なのは、老人の主導である。親がまず子や孫を対等な他者として突き放すことだ。この新しい家族関係は意外に楽しいようだ。わたしも妻もそうしたいと思っている。 (柴田)


●診断の前から先生には冬だと言われた。わかりやすいタイプだったようだ。布をあてられ、やはり冬ねと。

マラソン続き。やっと終わった。とにかく疲れた。休みたい。7時間も走り(歩き)続けることなんて、普通の生活ではまずない。しんどさから早く抜けたかったら、早く走ればいいだけだ。これって苦手仕事をしている時のジレンマみたい。

そして考えることは、ホテルのチェックアウトの時間と、帰りの近鉄特急の時間。何時だっけ? 特急の時間はスマホから変更できたな〜、早めに帰ろうかな、とか。

タキシードの人からペンダント。あとはボランティアの人たちからTシャツやタオル、お水をもらい、手荷物の引き取りとナンバーカードのチップ返却。その後の給食は取りに行くのを忘れていた。

ネットでは、ナンバーや名前で大会記録が検索できる。グロスで06:53:35、ネットで06:34:51だった。6:58に見えたのだが、6:53だったようだ。続く。 (hammer.mule)