ショート・ストーリーのKUNI[180]太りゆく男
── ヤマシタクニコ ──

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おれの友人の一人である中川へ。間違った。おれの一人しかいない友人である中川へ。

この手紙をおまえが読むとき、おれはもはやこの世にいないかもしれない。

何を言ってるんだとおまえは言うかもしれない。冗談はよしこと言うかもしれない。だが、冗談ではない。

おまえとは家が近所同士、しかも同い年だったせいで生まれて47年間友だち同士だった。とはいえ、ここ数年はおれが失業して家にこもっていたりしたせいであまり交流もなかったが、友だちというとやはりおまえの顔しか浮かばない。

おまえをおちょくるつもりはない。これはまじな話だ。




おれが佐知子と出会ったのは一年ほど前だ。ハローワークに行った帰り、駅前でなんとか祭りというイベントをやっていて、下手なバンドが演奏していたが、ひまだし無料だし椅子もあったので、つい座ってぼうっと見ていた。

すると、誰かがおれを‥‥じっと見ているのに気がついた。ねっとりからみつくような視線というやつだ。ちらと見るとおばさんと言っていい年齢の女がいた。なんだ、と思い、おれは無視した。

ところが、それ以降その女に何度も出会う。図書館で、スーパーで、コンビニで。何回めかで、向こうから話しかけてきて近くのカフェに入った。カフェラテをごちそうしてくれた。それが始まり。それが佐知子というわけだ。

最初は、なんでこんなおばさんと、と思ったが、人間、なんでもすぐ慣れるもんだ。だんだん、面と向かって話していても、まあこの女でも特に問題ないよなと思ってるおれがいた。だいたいおれたち、もう年だし。選り好みできる立場じゃないし。それで、あっという間におれたちは一緒に暮らし始めた。

え? 自慢しているのかって? いつまでも冴えない中年独身男同志だったのにひとりだけ抜け駆けしてうれしいのかって?

自慢できるものならそうしたいところだ。だが、わくわくするような恋愛を経て同居を始めたわけではないし。

おれはまったく手詰まりだった。定職を持たず、親はとっくに亡くなり、きょうだいもいない。このままだとアパートの家賃も払えなくなる。

そこへ何故かおれを気に入って、一緒に暮らそうという女が現れた。のってみるか、と思ったんだ。わかってくれるよな、中川。おれたち47歳なんだし。

佐知子は年齢をはっきり言ってくれなかったが、おれより少し年上だと思う。50を過ぎているかも。かなり過ぎているかも。わからない。

仕事はしていないが、よく出かける。生活には謎が多いが、あえて聞かないようにした。こっちもあまり言いたくないことがいろいろあるから、お互い様だ。

そもそも、ずっと一緒にいようと固く決心したわけでもない。簡単に夢をみられる年じゃない。だけど、夢をみられたらいいなあ、ひょっとしてみられるのかなあとは思ったんだけど。わかるだろ、中川。

一変したのは食生活だ。佐知子は一日三食、しっかり食べさせてくれた。

おれは朝昼兼用でパンとかラーメン、夜は弁当をスーパーで買ってくるとか、たまに飯を炊いてレトルトカレーをぶっかけるとかだったけど、朝から脂のしたたるベーコンのにおいで目が覚める。

昼はがっつりカツ丼とかハンバーグだったりする。そんなものはおれにすれば一日一回のごちそうなわけだが、夜は夜でまた豪勢な料理が並ぶ。

へたに手の込んだ趣味的な料理ではなく、ふつうにうまく、ボリュームがある。おれは信じられない思いでエビフライだのシチューだの何たらソテーだのを、とにかくばくばく食べた。佐知子はそんなおれをにこにこほほえみながら眺めていた。

──うれしいわ。そんなにおいしそうに食べてくれて。

デザートは冷蔵庫に各種常備されていた。濃厚なアイスクリームやプリン、まんじゅう、アップルパイ、バターサンドクッキー等々。

──いつでも好きなだけ食べてくれていいのよ。

言われるまでもなく、おれは食べた。先がどうなるかは知らない。いまはとりあえず、食えるのだから。

当然ながらおれは太った。家の中に体重計はなかったが、測るまでもなかった。働きもせず毎日食って寝るの生活で太らないはずがない。

ズボンはきつくなり、新しいズボンを佐知子が買ってきた。それもたちまちきつくなったというと、すぐに新しいのを出してくれた。そうなるのを見越して何本かサイズ違いでまとめて買ったものらしい。

おれの腹はどんどん出てきた。さらにおれは食べ続けた。腹はますます出てきた。もはや見下ろしても巨大な腹で足下が見えない。そんなおれを佐知子は相変わらずにこにこと見守っていた。

──もっと食べてね。遠慮せずに。

佐知子は風変わりな女だとは思っていた。時々ぼんやりとあらぬところを見ていたりする。ゴキブリを殺して、その後素手でつかんで捨てたのには若干驚いたが、そういう女もいるだろう、いてもおかしくないと思うことにした。

あるときはひとりで台所のテーブルに向かって一心に何かしているので、覗き込むと黒い人形のようなものが見えた。

なんでも、自分の抜けた髪をたくさんためておいて、それをなんとかいう接着剤のようなもので固めてオブジェを作っていたらしい。

おれは若干薄気味悪いと思ったが、まあそういう女もいるだろうと思うことにした。滅多にいないだろうけど。創作に興味を持つ人間は普通の人間と違うところがあるもんだ。人形はその後どうなったか知らない。

おれはさらに太った。腿がふれあうのでどうしてもがに股になる。上腕部も太くなり、自然と脇を広げたかっこうになる。ああこんなやつが学生時代の仲間にもいたよなと思う。名前が松本で、陰で「ぶたまつ」といわれてたっけ‥‥。だが、佐知子はそんなおれをますます好ましそうに見ていた。

──すてき。

そしておれの、まるで女のようにふくらんだ乳をなで、たぷたぷの腹をさするのだ。

何かおかしいと思っていた。普通に考えておれの今の状況はありえない。なのに、どういうことなんだ。

振り返ってみれば最初のうちは、おれの中で佐知子についてどこか警戒するところがあったと思う。なのに警戒心が食欲に負けたとしたら、ばかすぎるじゃないか。

それ以上に不安もあった。おれの父親は糖尿病を患っていた。最後はいろんな症状が出てきて何が直接の死因かわからない状態で死んだが、目がよく見えないと言ってたりしたそうで、糖尿病はかなり進行していたようだ。

母親は心臓病でなくなった。日頃から血圧が高かった。自分にもそういうやばい可能性があると思うが、かれこれ20年以上も健康診断を受けたことがない──そんなことを考えるとなんだかぞっとする。

ある日のことだ。ふだん新聞もろくに読まない、ニュース番組も見ないおれが図書館でたまたまひとつの新聞記事を見て驚いた。

それは某大学の水産学科が、ウナギの味のするナマズを開発したという記事だった。環境を整え、餌や水を工夫することで、ナマズをウナギそっくりの味に近づけることができたというのだ。

餌でナマズがウナギ風に? あるのかそんなこと? ナマズ、馬鹿すぎないか? 何も考えずそんなものを食べさせられて、ナマズとしてのプライドはどうなる!──おれははっとした。にわかにおれの鼓動が早まった。

急いで家に帰ると運良く佐知子はいなかった。おれは今まで佐知子の持ち物を探るなどということはしたことがなかったが、初めて、タンスの中から化粧道具入れまで、震える手で、開けたことのないところを開けまくった。何かの手がかりを求めて。

ガサッと音がして、ひきだしを探っていたおれの手元から箱が滑り落ちた。中身が散らばった。それは何枚かの写真だった。

おれとそっくりの中年の男たち。どいつも小太り、どころではなく明らかに太っている。おれと同じように丸顔で、色白。肌がもち肌っぽい。

他人とは思えないほどおれに似ている。髪は長めでやや癖毛。これも同じだ。みんなめがねをかけている。おれがかけているのとは少し違って、黒縁の四角い、最近では少なくなっている型だが。

そんな男が6人‥‥写真を裏返すと名前とともに年月日と、年齢はかっこでくくられて記入されていた。何なんだ、何を意味するんだ、この年月日と年齢は‥‥。

おれはその場で固まってしまった。佐知子は、こういう男が好みだったんだ。男を連れ込んではどんどんえさを与え──おそらく過去の男たちに与えたのと同じレシピを使っているにちがいない──自分好みのおっさんに育てて、楽しんでいたのだ! 

おれはナマズか! そして、その男たちはその後、どうなったんだ‥‥。

おれの額からたらたらと冷や汗が流れた。気分が悪い。なんだか吐き気までする。いや、単に食べ過ぎかもしれない。そのとき、帰ってきたらしい佐知子の声が、玄関のほうから聞こえてきた。

「ただいまー。いるの? ねえ、めがね買ってきたのよ。四角い黒縁の。これ、きっと似合うと思うの。ちょっとかけてみて‥‥」


この手紙をおまえが読むとき、おれは絶対この世にいない気がする。おれはばかだった。せめておまえだけは、おれみたいことになるな。おれたちにそうそううまい話があると思うな。食い物につられるな。それだけは言っておく。

おれの一人しかいない友人、中川へ。


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私には珍しく朝の7時に起きて出かける支度をしていたら、どこからか(団地の物音ってどこから聞こえるのかわかりにくい)洗面器を使う音がする。はっ。朝風呂?! そうか、世間には朝風呂してる人もいるんだ‥‥朝の苦手な私には未知の領域だけど、なんとなくよさそうな気がした。一度やってみようかな? て、できるのか?