[3980] ぼくのミラクル夏休み

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《断っておくが私は鉄ヲタではない》

■Otakuワールドへようこそ![218]
 ぼくのミラクル夏休み
 GrowHair


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■Otakuワールドへようこそ![218]
ぼくのミラクル夏休み

GrowHair
< https://bn.dgcr.com/archives/20150918140100.html
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●凶悪な霊気を発する墓碑

自分の先祖はまるで放ったらかしで、どこに墓があるのかさえ知らないが、赤の他人の墓にはよく参る。墓参りじゃなくて、墓地歩きが好きなのだ。

「哲学は死ぬ練習」とよく言われるが、墓地歩きはもっと直接的に死ぬ練習である。将来この下に埋まるのだと頭の中でシミュレーションするのが、思索の肥やしとしてなかなかよい。墓地逍遥学派を名乗ってみるか。人のいない夜中などはおのずと精神に張りが生じ、たいへんよい按配である。

墓地の住人たちは、死んでるからといって気を許すのは危険である。生きてるやつら同様、けっこう凶悪なやつはおるのだ。

ただ、徳の高い者の魂に触れて中和されてはなるものかと思うのか、なかなか私には会いたがらない。近くを通りがかると、来るな、来るなと脅しの霊気を送ってくるのである。私も歓迎してくれない相手とわざわざ顔を合わせに行きたくはないので、ネガティブ霊気を感知したときは、それ以上近づかないことにしている。

けど、一度だけ、ふと気まぐれを起こしたことがある。「行ったらどうなるってんだよ?」。

2008年3月30日(日)の夕刻。霧雨が青山墓地を覆って空気を陰気にしている。翌週末、4月6日(日)に人形の撮影を予定していたので、いいスポットはないかとロケハン。桜が咲いているが、天気も天気だし、時間も時間なので、現世の人はぜんぜん見かけない。

本格的に夕闇が迫ってきて、そろそろロケハンにならなくなってきたかな、と思ったとき、それは来た。なんとなく、行ってはいけないような気配が圧力をかけてきて、私を立ち止まらせる。

車の道からT字に入っていく墓地内の通路から、さらにT字に左へ入っていく細い芝生の小径にさしかかった地点。気配ははっきりそっちから来る。日没後だが、まだ空は明るく、あたりは多少見通しが利く。ようし分かった、行ってやろう。

芝生の小径に入ると、気配が急に強くなった。猛烈に凶悪な霊気。全力で、来るな、来るな、と威嚇してくる。芝生の道は別の道へT字に突き当たる。気配ははっきり右から来る。見てみると...。あ。これだ。

一目で、そうとう古い墓だと分かる。墓石が四角くない。概形は縦長の楕円の上半分みたいなのだが、輪郭はすごくでこぼこで、適当な形。厚みのやや薄めの平らな石が立ててある感じ。気配の源はこれに間違いないと確信がもてる。

鉄柵で囲われていて、石にまでたどり着けないようになっている。文字を読み取ろうとしたが、暗すぎて読めない。しばらく眺めていたが、何が起きるというわけでもない。多少は恐怖を感じていた私は、背を向けることができず、後ずさりしながら立ち去った。翌週、人形作家さんにこの話をして、一緒に探してみたが、見つからなかった。

鳥取だか島根だか、どっちが右だか左だかに、そんな伝説がある。一人で山道を歩いていたら、見慣れぬ石碑があるので、触ってみる。帰ってから仲間にこんなのを見かけたと話す。その夜に死んでしまうのである。話を聞いた仲間が石碑を探しにいっても、どこにも見当たらない。

もしあのとき、ひるまずに触りに行っていたら、私はその夜にぽっくり逝っていたのであろうか。ようし、今度は触りに行ってやろう。「さわらぬ神にたたりなし」というが、私の場合「たとえたたる神であっても、たたられぬぎりぎりのところまでさわりに行ってやろう」である。

なんだかんだと日が経ってしまい、探しに行けたのは今年の8月10日(月)である。七年経ってるじゃん。

今度は歩き残しのないようにシステマティックに攻めよう。作戦名は「サーペンタイン(serpentine)」。ジグザグヘビ歩きである。青山墓地は非常に広大で、中を一般道が十字に貫いている。つまり、全体が四つの区画に分断されている。

可能性の高い区画から順々に、歩きつぶしていこう。あたりが平坦であったことと、東芝の創業者である田中久重氏の墓を見た後だったという記憶が正しければ、北東の区画なはずである。

午後から日没にかけて四時間にわたって歩いた。結果、気配すらなかった。ネガティブもポジティブも、霊気というものがまったく漂ってくることがなく、空気は完全ニュートラル。妖気アンテナの立つことはなかった。

途中、作業しているおじさんたちに聞いてみた。「震災でずいぶん壊れちゃったからねぇ」と言う。そういうのは撤去したそうだ。

北東、南東、南西、北西と回り、ほぼ歩き尽くしたところで、大型の犬を散歩させている若い女性が通りがかった。日常的にここを歩く地元の人なら分かるかもしれないと思い、聞いてみた。「分かる!」という。その墓が、ではなく、その感じが。

犬は同じ場所でぐるぐる回ったりと、墓地内では異常な挙動を示すことがときたまあり、そういう気配を察知するのではないかという。ここ五年くらいの間に、墓地の景色が急速に変化しているという。

ショバ代を払っていない区画には、「ご連絡ください」と掲示が施され、一定期間経つと、強制的に隅っこのほうにまとめられてしまうのだそうだ。住人が生きてないもんだから、やりたい放題だなぁ。

そう言われてみると、私も思っていた。当時はひとつもなかったはずの、モダンな墓石をけっこうたくさん見かけるようになっているのだ。横長の四角い石の手前の面だけを傾斜に削ぎ落としたような、中野サンプラザみたいな格好をしている。

風情のないこと。ついでにプラスチック製の柳の木でも添えておけば、お化けの人たちは出る 気を完全に削がれるであろう。

身近に生きていた人が急にいなくなれば、それは喪失感をもたらす。私が味わったのは、別の喪失感だ。何百年にもわたってそこにあったはずの墓が、忽然と消えている。

生きた時代の遠く隔たる、どこの誰だかも分からない見知らぬ人との唯一の接点だった墓を通じての絆が、いとも簡単に失われていく。やりきれぬ。自分が入った墓だって、いつかはそうなる。墓地歩きは二度死ぬ練習だ。

●アホとボケの仲間入り

観覧者の一人として博物館をふらりと訪れたら、館長のU野氏がとても喜んでくれて、入場料をタダにしてくれた上に、みずからセーラームーンのコスに着替えて案内してくれた。「まぼろし博物館」。またの名を「アホとボケの楽園(パラダイス)」あるいは「アンポンタン共和国」あるいは「怪しい秘密基地」という。

8月11日(火)、熱海駅でこだまから踊り子に乗り換え、伊東駅からバスで30分ほど。梅の木平バス停で降りると、もうヤバい。近ごろの若いもんは何を見てもヤバいヤバい言うので、ヤバいの価値がすっかり暴落しているが、以前の高騰状態のヤバいと思っていただきたい。どんな頭のおかしいやつがやっとんねん。狂気が空気を満たしている。

いやぁ、わざわざ来た甲斐があったってもんだぜ。こういうのが見てみたかったんだ。そしたら、館長が出てきてくれて、冒頭のとおりの歓迎ぶりである。こういう人に見にきてもらいたかったと言わんばかりに。ヤケに波長が合いますね。

館内には2014年2月より「村崎百郎館」が設置されている。1990年代の悪趣味ブームを作り上げた鬼畜ライターで、著書に根本敬、村崎百郎『電波系』(1996/09、太田出版)、村崎百郎『鬼畜のススメ ─ 世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!!』(1996/07、データハウス)などがある。『鬼畜の〜』ではゴミ漁りのノウハウを詳細に解説している。

村崎氏は、2010年7月23日(金)、よく分からない理由でファンによって殺されている。村崎百郎館の開設には、妻の漫画家・森園みるく氏や古物商で美術作家のマンタム氏が協力している。私は森園氏とは面識がなかったが、マンタム氏からは浅草橋の画廊「パラボリカ・ビス」などでおおいにお世話になっている。

8月1日(土)〜30日(日)には『真夏の文化祭2015』が開催されている。期間限定の展示として、かつて作品を撮らせてもらったことのある人形作家さん三人も参加している。これは絶対行かなきゃと思っていた。

どんな狂気じみた展示がなされているかは、下記の書籍に詳しい。大量の写真が掲載された、公式ガイドブックである。

「アホとボケの楽園」制作室 (編)『アホとボケの楽園─パラダイス─ 伊豆高原・まぼろし博覧会』(2014/12、データハウス)
< http://honto.jp/netstore/pd-book_26485699.html
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ただし、展示物は書籍発行後も増え続けている。

公式ウェブサイトを見れば雰囲気はだいたい分かる。いま、確認しに行ってみたら、いきなりオレが! あーびっくりしたー。
< http://maboroshi.pandora.nu/
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そう言えば、ネットの映像メディア「池袋テレビ」が取材に来ていて、インタビューに答えていたんだった。その映像が上記サイトに埋め込まれている。映像では『真夏の文化祭』の様子が記録されている。
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私が行った翌日に、なんと、森園さんやマンタムさんなどの関係者がこの場に集まることになっているという。そうと知っていたら、日を合わせて行ったのに〜。翌日再訪することも考えたが、それをやっていると予定が入らなくなる。私の夏休みはたった一週間しかないのだ。断念。

受けた印象が強烈すぎて、帰りがけに寄った、熱海の秘宝館がちょっと見劣りした。嫌いというわけではないが、今さら笑えない古〜い下ネタジョークを造形で体現したようなもんで、楽しむというよりは、しみじみとノスタルジアに浸る気分であった。

帰りもこだまに乗って7:00pmには高田馬場に戻り、映像作家の寺嶋真里さんと会う。愛媛県松山にある映画館「シネマルナティック」のYさんをご紹介いただいた。寺嶋さんも、翌日、伊東に行くことにしているという。なんてこった。

5日後の 8月16日(日)、コミケの後、かつてよく撮らせてもらっていたコスプレイヤー二人と新橋でお茶して、それから池袋に行って、イタリアから来ているビアンカさんたちと「ごっつい」でお好み焼きを食べ、自宅の最寄駅まで戻ってくると、土砂降りだった。もう真夜中近いというのに、雷雨。

スクールバッグの中に折り畳み傘が入っていたような気もするが、差したってずぶ濡れになりそうな降りである。今、出ていく手はない。

見知らぬおばさんも雨宿りしている。壁に背をつけてしゃがみ込んでいる。スカート丈は割と長いけど、なんか見えそうできわどい。って、おばさんのを見てもあんまりおもしろくないか。

とか何とか思っていたら、こっちを見て立ち上がったので、ドキっとした。「森園みるくです」。えっ?

●収録の日に次への伏線が

「ミラクルが起きました」と日テレのディレクタ氏は言う。10月に放送予定の『行列のできる法律相談所』の企画を練っていて、出演予定のタレントさんに、その回のテーマに即したエピソードはありませんか、と聞いたところ、居酒屋で私と遭遇した話が出たとのこと。じゃあ、それを使いましょうって話になって、また出演させてもらえることになった。

9月12日(土)、外ロケ収録に呼ばれて行ったら、ディレクタ氏が経緯を説明してくれた。そんなことがあったなんて、こっちはぜんぜん気づいてなかったよ。芸能関係に割と疎い私は、タレントさんと居合わせたこと自体、まったく気づいていなかった。いったい、いつ、どこでの話だろう。

タレント氏と私との遭遇場面の再現映像の収録だが、役者が代役を務めるので、本人は来ていなかった。なので、直接は聞けない。お店も別のところを借り切ってスタジオとして使っているので、実際にどこだったかは分からない。

しかし、タレント氏は、エピソード周辺の私のもろもろの行状をディレクタ氏に語っており、ディレクタ氏からそれを聞いたら、だいたいの見当がついた。

8月2日(日)放送回の外ロケがあったのは、7月5日(日)であった。ウチの近所の行きつけの居酒屋で飲みながらのインタビュー。お店の大サービスでグラスの縁ぎりぎりまでなみなみと注いでくれた赤ワインを三杯飲んだ。

それから中野に行って、ひよ子さんと飲んだ。そこでも赤ワインを三杯ほど飲んだらしい。駅でひよ子さんを見送って、ふらふらしながら飲み屋街を歩いていると、居酒屋のお店の女性が「写真を撮らせてください」と飛び出してきて、その流れでお店に入った。

そこでまたずいぶん飲んで、さらにふらふらしながら歩いていると、別のお店のお客さんから引っ張り込まれた。そこでさらに飲んだようだが、ほぼ記憶がない。

カウンターで隣りの女の子とスカートをめくりっこして、最初は後ろのほうをめくって「地味なパンツだね」と感想を述べたら、前を見せてくれて、小さいリボンのついたかわいらしいやつだった。そこしか記憶がない。どちらも初めて入るお店で、どちらも私は勘定を払っていない。じゃ、誰が?

ちょっと心配になり、自分の足取りを追う自分探偵となって聞き込み捜査に乗り出したのが、7月26日(日)のことだ。問題の二軒を再訪した。ところが、それもけっこう飲んだ後だったもんだから、また同じようなことになった。

女性三人で飲んでいたグループに呼び入れられて混ざり込み、隣りの女の子の穿いていたジョギング用の短パンみたいなのの後ろや横から手をすべり込ませて、「なんだよ黒かよ」と文句を言いつつ、触ったりしたところしか覚えていない。

おおかた、この二回のうちのどっちかであろう。普段は品行方正で、飲んでもそんなに変わらない私が、たがを外したような飲み方をするのは例外中の例外である。

外ロケ収録の翌日9月13日(日)、日帰りで奈良県吉野に行った。のぞみ422号が東京駅に到着したのが22:56 で、それから例の二軒へ確認に行こうと思い立った。

一軒は閉店後で、店は空っぽ、店員の姿も見えなかった。もう一軒は、やはり閉店後だったが、まだ中にお客さんが何人かいた。飲めなくてもいいから、聞くだけ聞いてみよう。

「一杯だけならいいよ」と入れてくれた。ビンゴであった。そのタレントさんの行きつけのお店で、週に三回は来るそうだ。今日、いてもおかしくないんだけどねぇ、と大将。

私が二回目に行ったときに居合わせて、こっちはまったく気づいていなかったのに、向こうには強烈な印象を残してしまったということらしい。

おじさん四人組が店に入ってきた。この店は閉店後が本格勝負なのか。そのうちの一人が、そのタレントさんであった。

● 終戦記念日に開戦の映画、満員立ち見

8月15日(土)、福島県本宮にある築101年の映画館「本宮映画劇場」で『幻のフィルム上映会』が開催され、館主の田村修司氏秘蔵のフィルムが上映された。その中には、米兵が撮影したという、真珠湾攻撃の映像も含まれる。

私が本宮映画劇場を訪れるのは二度目である。前回は3月8日(日)で、半導体関連の国際学会の宴会の余興映像を収録するために、特別にお願いして、われわれのために映画館を開けてもらい、H氏と一緒におじゃましたのであった。

田村氏は、われわれの訪問をたいへん歓迎してくれて、一般公開日でもないのに、みずから編集した予告編コレクションを上映してくれた。さらには、古い映写機や整流器も中を開けて説明してくれた。

今回は二度目なので、違う経路で行くことにしたのだが、結果的に、あんまり座れない一日になった。8:00上野発の常磐線特急ひたち3号で水戸までは座れたのだが、水郡線で郡山までの3時間は立ち通しであった。

常磐線は、震災以来の不通区間が二か所あり、上野から仙台まで直通していない。いわきまで行って磐越東線で郡山に出る手もなくはないが、いわき発8:41の次は13:13である。5:10上野発に乗れば、14:00からの上映に間に合うけど、そこまでの気合いはない。

昼間の時間、水戸方面から仙台方面に抜けるには、水郡線を利用するしかなく、混むのである。ディーゼルカー三両編成の列車が途中、常陸大子(ひたちだいご)で後ろの一両を切り離したのはまったく余計なことと思ったが、終点郡山駅のホームは二両分の長さしかなかった。

八日後の8月23日(日)、両毛線の電車の中で声をかけてきた人がいた。「水郡線でもお見かけしましたよ」と。水郡線に乗り合わせた人と両毛線でも乗り合わせるというローカル感がたまらない。断っておくが、私は鉄ヲタではない。

上映会は大盛況であった。約100席の客席がすべて埋まり、右脇のスペースに30人ほどが立ち見していた。昼メシから戻ってくるのが遅れた私も立ち見であった。

映画評論家の柳下毅一郎氏が来ていて、2ショット写真を撮っていただく栄にあずかることができた。
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/Town150815
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たかそうゆききさんというコスプレイヤーの方が、映画館を訪ねてきてくれた。ご近所に住んでいて、ネットで私の来訪の情報をキャッチしたそうで。たかそうさんは日本のトップクラスのコスプレイヤーで、コスプレの入門書を執筆している。

たかそう(共著)、RUMINE(共著)、黒渕かしこ(作画)、トレンド・プロ(制作)『はじめてでも安心コスプレ入門』(2011.11、オーム社)
< http://honto.jp/netstore/pd-book_03479853.html
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郡山からの帰りの新幹線も座れなかった。終電まですべての列車の指定席が売り切れで、自由席特急券を買うも、当然のごとく満席で、2〜3両離れた指定席車両のデッキまで人が立っていた。

しかも! 街で片足立ちしている時間もけっこう長かった。この日はお祭りで、東北本線の東側を並行して走る街道の旧道から車を締め出して、屋台が並んでいた。街は子供たちでにぎわっていた。

『行列のできる法律相談所』を見たって人がけっこう多くいて、私はまるでスターが来たかのような大歓迎を受けた。

屋台の人が声をかけてきた。「覚えてますか?」。すみません、えーっと...。「羽田空港で。台湾に行かれるときの」。はい? あ! お酒を売ってた方!

4月17日(金) のデジクリに書いているので、引用してみましょう。

4月10日(金)、羽田空港で、出国審査と手荷物チェックを通過して搭乗口のあるフロアーに出て、ラウンジへのエスカレータを上ろうとすると、その脇にテーブルを出して、日本酒の造り酒屋が臨時に店を構えている。

「大七酒造」という銘柄で、福島のお酒だという。「福島のどこですか?」と聞いてみると、二本松だという。あ、ついこの間、駅を降りたら職質されたとこではないか! 3月8日(日) のことである。

お酒を売っているお兄さんは本宮の人だとのことで、本宮映画劇場をご存知であった。不思議なご縁だ。試飲させてもらう。おお、抵抗なくするりとのどを通っていく、澄んだ飲み口の酒だ。

羽田で会った時点で不思議なご縁を感じていたら、本宮で再会とは! ご縁はつながっていきますね。

本宮映画劇場はNHKの『探検バクモン』で取り上げられ、9月2日(水)と9月8日(火)に放送されている。爆笑問題のお二人が実際に訪れている。25分間の番組だが、この回丸ごと本宮映画劇場の話題で、テーマは「奇跡のシネマパラダイス ─福島・本宮市─」であった。

ガイド役を務めるのは写真家の都築響一氏。都築氏は著書『独居老人スタイル』で、館主の田村氏を取り上げている。NHKから出演依頼が来たとき、オレがガイドをするからには、エロネタを外すのは許さない、とがんばったそうである。

私が行った時点ではすでに収録を終えており、編集でどこまで聞き入れられるかが楽しみなポイントであった。結果的には、NHKがほぼ全面的に譲歩したであろう放送内容となった。

経営が次第次第に苦しくなっていく映画館がこうして延命を図ってきたのは、文化なのだから、なかったことにしてはいけない、という都築氏の主張が深い。ツイッターには200件以上のツイートが上がり、絶賛の嵐だった。

●凝集から臨界へ

日本全国にいくつの町があるのか知らない。そのほとんどにおいて、そこに住んでいる知り合いは一人もいない。同じ町に住んでいたり、あるいは実家があったりと、ゆかりのある知り合いが三人もいるというのは、いったいどれほどの偶然であろうか。しかもその三人はもともとお互いにつながりはなく、それぞれ別口で知り合っている。

以前に福山でそんなことが起きた。2009年8月30日(日)、行って、お互いを引き合わせてきた。たまたまみんなオタクだったもんだから、アニソンカラオケで大いに盛り上がった。

今度は上尾で起きた。しかも、そのうち二人は「アウトドアカフェ山小屋」の馴染み客であるという。ならば、ってわけで、8月22日(土)、三人に山小屋にお集まりいただいた。って、武 盾一郎さんに声かけたの、前日だった。急にお呼び立てしてすいません。しかも、ちゃっかり上尾駅から武さんの車に乗せてもらってるし。

けど、このときのレポートは、回をあらためましょう。お互いの結びつきが、次のミラクルへとつながっていけばいいなーという期待も込めて。

ひとたび「臨界」に達すると、あとはひとりでに反応が連鎖していく。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
< http://www.growhair-jk.com/
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地理的錯覚というのはある。自分の住んでいる地域のことなら割とよく知っているが、周辺、そのまた周辺と遠くなるにつれて、なじみが薄くなっていく。知識の密度が薄まっていっているってことなのに、うっかりしていると、遠い方面においては面積や距離が大したことないと錯覚してしまいがちである。

関西方面の三地点に用事ができた。一日に一か所ずつ行って、三日で回ってくりゃ効率いいぞ、と、うっかり思っちゃったんだな、これが。

大阪府は難波、兵庫県は朝来(あさご)、愛媛県は松山。これを8月28日(金)から30日(日)に回ってこよう、と。

聞いて即、アホかと思われた方は、地理感覚が優れている。私なんざ、先に予定を決めちゃって、出発の前々日ぐらいになって交通手段を調べていて初めてアホかオレは、って気がついたもんね。地図でみると、こんな。
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/Town150828#6195506540097691682
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特に朝来から松山がひどくて、姫路に宿泊しない限り不可能。姫路と松山に行っておきながら、城を見てない強行軍。これも、回をあらためてレポートしましょう。

本文にも書いたように、9月13日(日)日帰りで奈良県吉野へ。これも後日レポートしましょう。

もう一回、青山墓地に行かなくてはと思い始めている。目当ての墓は、ひょっとしたら存在していたのではなかろうかと思いなおしているのである。

全部見た中で、これが一番雰囲気が近い、というのは確かにあった。それが実はそうだったのではあるまいか。先入観とはおそろしいもので、その場では、これではない、と否定していた。

まず第一に、気配がぜんぜん漂ってこなかった。第二に、石に横文字で言葉が刻まれていた。横文字を見た覚えはないので、これであるはずはない、と思ってしまったのだ。

ところが、帰ってから、当時ミクシィに日記を書いていたことを思い出し、読
みに行ってみると、「文字を読み取ろうとしたが、暗すぎて読めない」と書いてある。

とすれば、横文字が彫られていたからといって、否定する理由にはならないではないか。くっそ、今度は気配を消して、やり過ごしたな。やられた。

次はぜったいにちゃんと対峙する。そしたらきっと手を伸ばして触るだろうな。みなさん、生還を祈っててください。


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編集後記(09/18)

●生島淳「駅伝がマラソンをダメにした」を読んだ(光文社新書、2005)。10年前の本だが、たぶん筆者の主張はいまでも通用する。つまり、マラソンやトラックの長距離は国際的に相変わらずダメで、一方で駅伝は相変わらずテレビの人気番組ということだ。駅伝がマラソンをダメにした、これは陸上界で長らく考えられてきた問題だが一般の人はあまり知らない。新聞、テレビが駅伝、マラソンを主催していて、わかっちゃいるけどやめられないからだ。駅伝はマラソンだけでなく、5000や一万といったトラック長距離種目の強化の妨げになっているという問題は無視され続けている。関係者は誰でも分かっている。

箱根駅伝もニューイヤー駅伝も、各大学、各企業は上位に食い込もうと必死に強化に取り組んでいる。外国人の“輸入”さえしている。メディアに取り上げられるには、トラックを強化するより駅伝の方が手っ取り早い。強化にエネルギーと時間がかかるマラソンや長距離は手薄になる。日本の長距離界は20年以上前から、駅伝中心に塗り替えられている。そして、駅伝の競争力は、そのまま陸上の国際的競争力につながらないことが問題だ。日本独特の種目だから、いくら駅伝で強くなっても、それがトラックやロードレースの結果に結びつかない。世界陸上やオリンピックで日本人選手が上位に入るのは難しくなる。

マラソンは駅伝の延長線上にはない。まったく別の競技だ。箱根を走る学生にマラソンの準備をしろというのは無理だし、スケジュールがそうなっていない。男子のスケジュールの問題点は、駅伝とマラソンの開催時期が混在していることだ(現在もそうなのかは知らない)。大学側の思惑と、日本の正月の風物詩になってしまった日本テレビの中継が、選手を過剰なまでに箱根に駆り立てたツケがマラソンに押し寄せている。そして選手の燃え尽き症候群という問題もある。巨大になり過ぎた箱根駅伝の隆盛には、世界と競い合うトラック、マラソンの犠牲が伴っている。だが、その流れは止まらない。

一方、女子の長距離陣は世界大会において健闘している。なぜ、女子マラソンの強化はうまくいっているのか。男子は駅伝偏重の考えに固まっているが、女子は必ずしも駅伝が最終目標ではない。「最後はマラソン」という考え方が指導者、選手にまだあるからだ。幸い、女子駅伝は男子ほどの人気はない。企業も女子の場合は駅伝よりマラソンの方がPR効果が高い。女子駅伝の絶妙の区間距離は、トラック、マラソンの強化に役立つ。そうか! 箱根駅伝がトラック、マラソンの強化にもなるという奇跡のようなアイデアが閃いた。区間距離を中距離選手が走れるくらいに短縮すればいいんだ。駅伝とはいえないか。(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334033350/dgcrcom-22/
>
「駅伝がマラソンをダメにした」


●Ingress続き。オーナーであるポータルを維持するためにはどうすればいいか? これは人間心理や人口、季節や地形も関係するように思っている。

近所は敵優勢の激戦地で3日程度。味方優勢地域はそもそもオーナーになる隙がない。繁華街だと1分の時もある。

繁華街のはずれ、少し不便なところは、場合によっては1週間もつ。住宅地の人通りの少ない路地裏は穴場だと考えたが、同じことを考える人がいて、1週間もてばいいほう。大抵半日。

駅は激戦。面白いことに、敵優勢の駅の次は味方優勢というように、交互になっていることが多い。1駅ぐらいだと歩くからか。

急な坂が続く山の中腹は3日。これはお盆休みだったからかもしれない。早起きして、苦労して登って3日って……。その後数回オーナーが変わって、今は味方が3週間以上維持。シルバーウィークではまた変わるのかも。続く。 (hammer.mule)

< http://app.famitsu.com/20150917_571174/
>
Ingressが東京ゲームショウで「ゲームデザイナーズ大賞」を受賞!