羽化の作法[03]思わぬ反響と恐れ
── 武 盾一郎 ──

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段ボールハウスに絵を描き始めた最初の日、いきなりカメラマンがやってきた。当時『ジャパン・タイムス』で写真を撮っていた小暮茂夫さんというカメラマンだ。僕らの絵を掲載すると言う。

木暮茂夫さんは路上の人たちを撮り続けた写真家で、のちに複数の写真家たちと『路上写真展』を行い、さらにその後、『餌取りキャラバン』と銘打った路上生活者写真展を全国展開して、寄付を募り大量のお米をホームレスにおくるという偉業を成し遂げる人なのだが、この時は当然そんなことは知る由もなかった。

まさか初日から取材されるなんて思ってもいなかったのでとても驚いた。これはなんかすごいことになるんじゃないかって、無邪気にも思ってしまったのだ。

そして、描き始めてからわずか数日で『週刊Friday』が取材に来た。自分も知っているメディアだったのでちょっとびっくりしたが、正直嬉しかった。一部の美術業界の人が読むような高価な雑誌や専門誌に掲載されるよりマッチしてると思った。



当時の『Friday』というのは言っちゃあ悪いが、俗悪で大衆的で大量部数の雑誌、ショッキングなことを掲載する雑誌、というイメージだった。

僕の藝術行為もどこかそういう週刊誌的な「俗」を抱えていたし、むしろその方が「藝術」なのだ、と思っていた。「アートっぽいアートをアートな場所でやっているアートはもはやアートではない」みたいな、そんな気持が強くあったのだ。

なにせ、路上。しかも新宿西口地下道という大量の人が通る場所で、コンセプトや理屈が先行してる表現ではなく、その場で思いついたことを描いてるのですから。

でも一方で、闇に覆われて行くような感じもした。知らない底なし沼の世界に沈み込んで行くような……。

当時、僕は何も知らなかった。

「野宿者を支援する活動家たちがいる」ことすらも。そもそも「活動家」とは「かつて日本にあった(今はもうない)世界共産主義革命を遂行しようとする人たち」というイメージだった。

「マスコミ」も当然知らなかった。「高い給料を貰ってキラキラした世界に棲む特殊な人たち」というイメージしかなかった。

「ホームレスの人たち」も「ムーミン谷のスナフキン」のような漠然としたイメージを抱いてたに過ぎなかった。いずれにせよ未知の世界だったのだ。

自分たちのやっていること〈絵を描くこと〉を、多くの人に見てもらいたかった思いは、段ボールハウスに描けることによって実現した。

思いがけず取材されたので、この行為が「藝術」として評価されるんだ、という期待も自分の中で高まってしまったのだ。

そういう上昇する気分と、暴力の臭いのする闇の恐い世界へ突っ込んで行くような下降する気分と、両極に力強く引き裂かれていくような心持ちがしたのだった。

●恐れていた暴力

段ボールハウスに描かせてもらう許可を得るのに、相変わらず苦労はあった。しかし二人で描いていくうちに、ちょくちょくタケヲに「おねえちゃん、うちにも絵を描いておくれよ」とリクエストがくるようになった。

段ボールハウスの集落はやっぱり男性が圧倒的に多い。そこに二十歳の女性が絵を描きに来たのだ。おっちゃんたちもなにげにちょっと嬉しがってる感があった。

タケヲは“花”だった。もし、これが男二人のコラボレーションだったら、絵を描きつづけていくのはやっぱりきつかっただろう。

一方で、絵を描く相棒が女性であるプレッシャーはあった。男性通行人とのトラブルがあったらどうしようとか、段ボールハウス群のコミュニティはなんだかんだ男社会なので、そこに若い女性がいるんだから何かあったらどうしようという心配はあった。

というか、それが実は物凄いプレッシャーでストレスだった。「大都会の路地で不良グループが女性を襲うシチュエーション」は想像に容易い。

地元の中学でヤンキーにからまれた時の恐怖がよみがえる。友だちと帰宅中に後ろから見知らぬ上級生らしき人たちに「ちょっと金貸してくんない?」と話しかけられた。

青ざめながら「持ってないス…」とうつ向きながら答え、去ってくれるのを願うしかなかった。その時「なにガン飛ばしてんだよ」とおもむろに友だちが蹴られた。「飛ばしてないっス…」とよろめきながら力なく答えるが、更に蹴られ、そして、つばを吐きかけられていた。

僕は友だちを庇いに止めに入るどころか、目を下に向け後ずさりして「こっちには来ないで」と思うしかなかった。これと似たような体験が中学時代には何度かあったが、当時の日本の片田舎では良くある風景だったと思う。

ちょうどその頃に、友だちと美術予備校『彩光舎』の仲間が噂を聞きつけて新宿西口に来るようになった。二人とも女性だった。それはとても喜ばしいことだったが、二十代の女性が三人も来て大丈夫なのか?

何かあったら僕は対処できるのか? とも、ちょっと思った。

ところが、タケヲは僕の心配もお構いなく、常に堂々としていた。はなから「私は女だから守ってよね」的な素振りも一切なかった。というか、女性陣は新宿西口地下道の風景を恐がっているふうはなく、面白がっているようだった。怯えてたのは僕だけだったのかもしれない。

●グロテスク感とデザイン的と

新宿西口地下道段ボールハウス絵画は、「グロテスク」な絵が多いと言われることが多かった。或いは「摩訶不思議な絵」とか。画像は描き始めた頃の絵である。

http://cardboard-house-painting.jp/media/m_shinjuku/firepig
http://cardboard-house-painting.jp/media/m_shinjuku/hanakodomo
http://cardboard-house-painting.jp/media/m_shinjuku/gokuraku

ちょっと気持ち悪い雰囲気は、タケヲの画風によるところが大きかったと思う。タケヲは彩光舎でデッサンが上手な方だったが、なぜかグロテスクな絵を描くのだ。

臭いとか湿っぽさとか暗さとか重さとか、そういう要素を強く感じる、と言ったらいいだろうか。

僕は当時そういう雰囲気の絵にとても惹かれていたのだ。新宿西口地下道は僕らが好んだ「グロテスク感」がピッタリハマる場所でもあった。これも偶然なのだが。

新宿西口地下道段ボールハウス絵画では極力平面的に描こうとした。描写ばっかりだと時間がかかってしまうというのもあるが、遠くから観てもパッと分かるようなデザイン要素が強い絵を描きたかった。

面を使ってデザイン的にして、かつ、臭いとか湿っぽさとか暗さとか重さとかの「グロテスク感」も出したい、と。

デザイン的にし過ぎるとグロテスク感が薄くなる。グロテスク感を頑張っちゃうと時間がかかる上に、デザイン的な感じがなくなっちゃう。ここの試行錯誤だった。

そこに登場したのが彩光舎の仲間だった山根康弘(ヤマネ)だったのだ。(つづく)


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