[4001] 新宿西口地下道段ボールハウス絵画制作の日々

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《魔法からようやく解放されつつある気分》

■ローマでMANGA[90]
 パルンボの「CUT」ウェブコミックで公開
 midori

■羽化の作法[04]
 新宿段ボールハウス絵画にヤマネが参加
 武 盾一郎




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■ローマでMANGA[90]
パルンボの「CUT」ウェブコミックで公開

midori
https://bn.dgcr.com/archives/20151023140200.html

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90年代に講談社のモーニングが、海外の作家に書き下ろしてもらった作品を載せるという前代未聞の企画を遂行していたときに、ローマで「海外支局ローマ支部」を請け負って、そのときのことを当時のファックスをスキャンしつつ、それをもとに書いているシリーズです……。

前回は舅の死を看取ったばかりで、そのことを番外編として書かせてもらった。前々回の7月のテキストの続きが今回のテキストということになる。

●忍耐のパルンボ

現在の主人公は南イタリア、マテーラ(サッシと呼ばれる洞窟住居がユネスコ世界遺産に登録されている。宮崎駿監督が「天空の城ラピュタ」を思いついたと言われ、メル・ギブソン監督映画「パッション」の舞台となった)出身、ボローニャ在住のジュセッペ・パルンボ。

すでにここで扱ったイゴルト、ヨーリのお友達で仕事仲間でもあり、先の二人に続いてNIPPONで作品掲載を夢見て我慢強く編集者とやりとりを重ねた。

パルンボは忍耐の人だ。最初のパルンボからのコンタクトは1965年6月19日。これはその前の5月に、イゴルトとヨーリ担当編集者である堤さんがボローニャまで来て打ち合わせをした時に、パルンボも提案のネームを見せた。その続きだ。

この打ち合わせの時も、イゴルト、ヨーリと掲載決定作家との打ち合わせを当然先にしたので、3時間以上じっとおとなしく待っていたのだった。

この季節、毎年講談社では異動の時期であり、長いことモーニング編集部に務めていた堤さんはそろそろ自分の番だろうと、海外作家に対する反応が鈍くなっていた。

それと、私の見方だけれどパルンボが提案したCUTに対して、あまり興味が沸
かなかったのではないかと思う。実際、異動騒ぎが収まって、堤さんはモーニングに残り、国際版権室から英語堪能の竹中さんが編集部に移動してくると、パルンボの担当を竹中さんに譲ったのだから。

押したければ編集者は作家を離さない。まだ掲載が決まっていない、日本市場にとっての新人の作家を「僕が押します!」と言っても、編集部にとって何の不都合もないのだから。

編集部からの返事は三か月経った同年10月3日。二番目の担当編集となった竹中さんの通信だった。その次の通信は一ヶ月半経ったパルンボからの11月18日付け。

一番目の担当編集者、堤さんとのミーティングで思考をそのように調整し、三か月後に担当が変わって、思考も変わる。別の仕事をしながら作品のお膳立てを考えるのは容易ではないと思う。

その次は、なんと翌年1996年9月の通信。私から竹中さんに「担当を変える云々はどうなりましたか?」と質問している。いくらなんでも10か月も何もやりとりがなかったとは考えにくい。

竹中さんは一度イタリアに来ているから、ボローニャで打ち合わせをしたはずだ。それにしても間隔が長すぎる。竹中さんもあまりCUTとパルンボがピンとこなかったのだろう。

そして、翌月、1996年10月24日の通信で三番目の担当編集者、新さんが登場する。パルンボがモーニングの企画に顔を出してから、一年四か月後のことだ。

例えば新人が作品を持ち込んで、サジェスチョンを受けて、また次の作品を持ってきて……とやって、一年で連載が決まったら早いほうだと思うけれど、パルンボの場合、放置プレイ期間が長かった。それでも諦めずに、何度でもやり直し、それもなるべく担当編集の意見に沿おうと頑張っていた。

その後、やっと新さんという、「パルンボさんのユーモア感覚が好きで、いつかぜひともご一緒に仕事をしたいと思ってました」という担当編集に巡り会えたのだ。

新さんは、パルンボが今まで二人の編集者に提出した9話に関して、一つづつ「スラップスティックコメディ」という見地からの修正案を出してきた。

パルンボも気に入って張り切ってネームの作り直しにかかったものの、腰を痛めたり、悪性インフルエンザにかかったり、やっといいコンビが誕生したのになんとも運の悪いことが重なり、ネームの提出が更に一か月後になった。

新さんとのコンビでの第一話の完成原稿が届いたという通信が入るのは、翌年1997年の6月。ボローニャでの初の打ち合わせから二年が経過した後だった。

初顔見せしてから二年、という時間の長さそのものより、その間どうなるかわからない状態でも諦めない、というパルンボの態度に痛く感心したのだった。

●デジタル世界に先駆けた新しいMANGAの見せ方

パルンボの三人目の担当編集者、新さんは編集部で企画を進めていた MORNING ON LINEに関わっていたウェブコミックの先駆けで、モーニング誌に連載されていた作品の一部を試験的に掲載していた。デジタルであることを意識して、紙媒体とは違う見せ方を模索した面白い展開を採用していた。

デジタルなら動きや音を入れることができる。紙では絶対に無理なことだ。かといってアニメにしてしまうわけではない。

紙に描かれたコマ割りの原稿を分解し、画面上に一コマづつ、場合によっては二コマ、三コマ出す。

紙のマンガ本の良さは、読む人が自分の読みたいスピードに合わせてページがめくれるところ、という新さんの見解をいれて、一話ごとに全ページダウンロードしてからページの移動ができるようにしていた。

当時のインターネットは電話回線を使っていて、画像のダウンロードには時間がかかった。わずかにあった電子書籍、電子雑誌は1ページ毎に読み込んでいたので1ページ読み終わると、次のページのダウンロードを待たなければならなかったのだ。

たしか、Shockwaveというマルチメディアのデータを再生するプラグインを使っていたように記憶している。すべてをダウンロードした後なら「自分の読みたい速度」でクリックしていけば良い。

この企画でさらに関心したのは、作品ごとによって扱いを変えたことだ。田中政志氏の「ゴン」の場合、動画も併用した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%B3_(%E6%BC%AB%E7%94%BB)


例えば、内容に合わせたとぼけた感じのBGMとともに、何かを見つけたゴンが草原を転がるシーンでは、ゴンの丸まった体の絵がクリックで次のページに行く前に、転がってコマから出て行く。

パルンボのCUT、「Cut vs Taxi」では、CUTが手をあげてタクシーを呼ぶコマが画面が出ると「TAXI!」と一瞬声が聴こえる。

CUTがドアに掴まったまま暴走するタクシーが道路工事人をかすめ、タバコを吸おうとしていた工事人がライターをマンホールに落として、ガス管に火がつき爆発が起きて、三つのマンホールの蓋が爆風で飛ぶシーンでは、3つのコマがクリックを待たずに次々と現れては消える。

「ボン!」「ボン!」「ボン!」と黒い画面の中、枠取りしたコマが三回右から左に移動しながら現れては消えていく、という演出を使った。CUTではゴンのような動画は使わないで、コマの出現速度の変化、最小限度の声、BGMを使用した。

他にも、一コマに中に二つ吹き出しがある場合、読みの速度を想定しつつ、一つ目のフキダシが現れて消えつつ、二つ目の吹き出しが現れるとか、鍵になる重要なセリフだったら、一瞬大きくなって色が変わるとか、感性に合った見せ方の工夫がされていた。

新さんの意をうけたグラフィックスタジオの一人がやっていたそうで、マンガ原稿デジタルアレンジという仕事ができてもいいくらい、面白い演出だった。

インターネットでMANGAを読むという行為がまだまだ一般的でなく、ネットでMANGAを読む人が増える前に、世間のデバイスはスマホに移行してしまって、この面白いやり方は進化せずにしぼんでしまった。表現方法として私は気に入っている。

幼稚園の頃、クリスマスパーティで園長先生がおおきな「立体紙芝居」をやってくれた。一枚の絵に出てくる登場人物が別になっていて、切り抜いた人物の絵を園長先生が手で動かして、切り目の入ったドアの中にいれたりするのだった。そのやり方がとても気に入って、自分でも真似して作ってみたりした。その面白さに似たものを感じたのだろう。

さて、こうしてパルンボはネット上ではあるものの、やっとNIPPONの出版社と仕事という経験を手に入れたのだった。


【Midori/マンガ家/MANGA構築法講師】midorigo@mac.com

ちょっと自分の中に変化が出てきた今日このごろ。ずっとずっと、誰かの言うことを聞かねばならない、いい子でいなければ嫌われてしまう、叱られてしまう、という呪縛の中にいた。その魔法からようやく解放されつつある気分の今日このごろ。

還暦をすぎて、生きるっていうことの意味がわかってきたような気がするし、この夏に看取った舅の死も大きく影響している。いつかは死ぬのだという実感だと思う。

人に悪を及ぼさず、社会人として人様に迷惑をかけない範囲であるならば、何を怖がる必要があろう?

例えば、やることがあって夕飯の後のお皿がシンクの中。今までもそういうことが何度かあり、そのたびに罪悪感に苛まれつつ、汚れたお皿の姿が頭の片隅で重さを増しつつ、他のすべきことをしていた。良い主婦の姿ではないから。

優先順位の結果(気分的なものでもある)夕飯の食器を放っておいて誰に迷惑をかけるわけではない。ビクビクしてる必要ないじゃないの。と、まぁ、事象としてはこういう小さなことなのだけれど、毎日の生活の中でいかにこうした小さなことで、自分を苦しめたり苛めたりしてきたことか。それはもうやめ。

MangaBox 縦スクロールマンガ 「私の小さな家」
https://www-indies.mangabox.me/episode/18803/


midoriyamane
midoriyamane@gmail.com


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■羽化の作法[04]
新宿段ボールハウス絵画にヤマネが参加

武 盾一郎
https://bn.dgcr.com/archives/20151023140100.html

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僕は美術予備校である彩光舎美術研究所に二年ほど通うのだが、二年目の春の新学期に大阪からやってきたのが山根康弘(ヤマネ)である。

彩光舎にも新歓コンパのようなものがあって、たまたまヤマネが向かいの席だったので喋ったのが多分最初である。

油画科はちょっと野暮ったい人が多いのだが、ヤマネは元々デザイン科だったこともあってか、お洒落に見えた。初対面から仲良くなれたのだが、まさかその後、段ボールハウスに一緒に絵を描くなんて、この時は思ってもみなかったのである。

ここ彩光舎で、ヤマネとタケヲと僕は二浪生として一年をともに過ごしたのである。

https://www.facebook.com/junichiro.take/posts/1053736371337916


(彩光舎時代の山根康弘と武盾一郎)

一九九五年九月四日。

段ボールハウスに描き始めて三週間後、彩光舎が休みなのでちょくちょく新宿に来ていたT美がヤマネを連れてきた。久しぶりに見るヤマネは随分と痩せて見えた。なにか思い悩んでいるようにも感じた。

ちょこっと話して僕は段ボールハウス絵画の制作を続けた。ヤマネは何も言わずに僕らの制作を見つめていた。制作中しばしば僕らに話しかけてくる人がいるのだが、間に入って相手したりと制作しやすいように気を遣ってくれていた。

僕の方もヤマネひとりだけ取り残して制作してるのもちょっと気になるので、ヤマネに話しかけたりしていた。すると決まって「気にしないで、描いてていいですよ」とヤマネは答えるのだった。

絵はちょっとずつ完成に近づいていった。通路の向かい側でヤマネは相変わらずしゃがんで制作を見つめていた。僕はヤマネに近づいて何気なく言ってみた。

「ちょっと手伝ってもらえるかな?」

ヤマネは煙草を深く吸い込んで「……、描かせてもらえるのなら、喜んで」と静かに答えた。

それを聞いて僕は心の中で小躍りしたのだが、なんとなくシリアスな感じもあったのでクールを装った。ヤマネは煙草を消して、何かを決心したようなゆっくりした足取りで段ボールハウスに向かった。

https://www.facebook.com/junichiro.take/posts/1053736448004575


(1995年9月4日ヤマネ初参加)

ヤマネが手伝ってくれたおかげで、絵はその日のうちに完成した。それで酒でも呑もうということになって、歌舞伎町にある24時間営業の居酒屋「養老の瀧」に入った。

その時はすでに夜の10時を回っていた。朝まで呑む、ということだ。メンバーはタケヲ、ヤマネ、T美、K子、そして僕の五人。

僕は酔っ払って「ストリートで描くということは殺される可能性もあるということだ」と何度も言っていた。「これ(新宿の地下で野宿してる人たちが暮らす段ボールハウスに絵を描くこと)はレクリエーションなんかじゃないんだ! 命がけの行為なんだ!」と、熱くなっていた。

随分と偉そうなことを口走っていたのだが、実際自分には「これしかなかった」のだ。そんな感じでワイワイと騒いで呑んでいたところ、ヤマネが改まった様子で僕に話し掛けてきた。

「武さん、俺も新宿で一緒に描かしてくれんか」

そのあと、どういう会話がなされたか覚えてないが、ともかくすべての辻褄が合うようなタイミングで、ヤマネは段ボールハウス絵画制作に加わることになったのである。

彩光舎の準特待生で絵もうまく、元デザイン科だったので段ボールハウス絵画で描こうとしている絵画観にピッタリだった。そして、男が増えたのでボディガードが来たという意味でも頼もしかった。

始発が走りだす時間に僕らは店を出た。酔っ払いながら階段を上がって地上に出ると、ぐにゃりと曲がったちょっと眩しい早朝の新宿の街を見上げた。

タケヲと二人で始めた新宿西口地下道段ボールハウス絵画は、一時五人まで増えたが、タケヲとヤマネと僕の三人で定着していった。

ヤマネが加わると段ボールハウスの表現が一気に広がった。僕がとっかかりを掴み、タケヲが描き進めて、ヤマネがディティールを攻める。という感じでリズムも出来てきた。

だんだん手の込んだ表現になり、一日一軒仕上げるペースから、何日もかけて描くようになっていった。

描く場所も新宿西口地下広場一帯だけでなく、京王モールを越えて行った所の京王新線の地下道にある段ボールハウス群にも描いて行くのだった。

ヤマネが加わって10日後、とある大きな段ボールハウスに絵を描くことになる。それが新宿西口地下道段ボールハウス絵画の象徴的作品である『新宿の左目』になるのだった。(つづく)

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1053979357980284

(新宿の左目)


【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/アーティスト20周年記念中】

ガブリエルガブリエラ第3回展覧会「─氷砂糖の湖の物語─」
http://gabrielgabriela-jp.blogspot.jp/2015/10/blog-post.html

日時:10/28〜11/9
場所:代官山アートラッシュ・箱庭展にて

新作原画とジクレー版画、氷砂糖の湖の呪薬(ジュエリー)、新作発表記念といたしまして『13月世の物語・第一話“氷砂糖の湖に棲む人魚”』初版本+新作ミニジクレー版画セット・限定13部を販売します。

今回の展示はスペースを広く使わせていただけることになり、新作・旧作(本掲載作品含め)・ジクレー版画を合わせて絵画約20点、旧作呪薬(ジュエリー)も併せまして華やかな展示となりそうです。

・13月世の物語 ガブリエルガブリエラ
https://twitter.com/G_G_jp

https://www.facebook.com/GabrielGabriela.jp

http://gabrielgabriela-jp.blogspot.jp/


・iPhoneケース展に出展します!
http://d.hatena.ne.jp/Take_J/20151001/1437654320

日時:10月24日(土)〜25日(日)
場所:横浜赤レンガ倉庫1号館

・武盾一郎×立島夕子二人展 やります!
「色彩と線 ─森からの生存者」
http://www.house-of-zaroff.com/ja/gallery_2nd/20151119/index.html

日時:11月19日(木)〜12月1日(火)
場所:画廊・珈琲 Zaroff(初台)

facebookページ http://www.facebook.com/junichiro.take

Twitter http://twitter.com/Take_J

take.junichiro@gmail.com


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編集後記(10/23)

●入江敦彦「ベストセラーなんかこわくない」を読んだ(本の雑誌社、2015)。四年間にわたる「本の雑誌」連載をまとめたものである。最近のベストセラーは取り上げていない。一定の時を経た有名本ばかり46冊がまな板にのる。「売れる本=良書ではない、ヒットメーカー=名作家でもない。(略)もし売上げがクオリティの証明なら、世界一美味しいレストランはマクドナルドになってしまう。そういう意味では、この本はファストフードやファミレスの研究書みたいなものかもしれない」という筆者は「ベストセラーだけは読まない」という人だった。とりあげられた46冊は、いいように料理されて面白いのなんの。

わたしも「ベストセラーだけは読まない」派であるが、ここに挙げられた本のうち、どくとるマンボウ航海記、日本沈没、ノストラダムスの大予言、窓ぎわのトットちゃん、見栄講座、キッチン、「NO」と言える日本、完全自殺マニュアル、バトル・ロワイヤル、バカの壁と10冊も読んでいた。判が小さくなった宮沢りえ「Santa Fe」も見ていたから11冊。おおよそ1/4になる。しかもかなり偏りがあるから、かなり恥ずかしい。著者がこれを書いた動機は、売れているからという理由で読まず毛嫌いしていると、せっかくの読書の愉悦を見逃してしまうのではないか、それはもったいない、という親切なものだったようだ。

だが、結果としてベストセラーとは、著作というより事件であり、読むというより目撃しているという感じで、それらは時代の証言だった。著者は「ベストセラー嫌いの本好き」(わたしもそうだ)にとって、とくに過去のベストセラーって面白いよと勧める。本好きな人は、本を通してその世情を生きた大衆の気配を解析する術を知っているから(ほんとか)、エキサイティングな読書体験になり得るのだという。とくに過去のビッグヒットは俯瞰点が高いので、見えてくるものも多いという。そりゃそうだ。後出しジャンケンみたいなものだ。我々は過去のベストセラーと当時の世情を知っている。分析なんて簡単だろう。

「同じ穴の狢」な二冊の論争は確かに面白かった。「買ってはいけない」に対して「『買ってはいけない』は買ってはいけない」である。後者は判型もデザインも、コンテンツの順番まで対応させた完璧な反論本のはずだったが、相手の否定に熱中するあまり脇が甘くなり、まともな批判が胡散臭くなってしまい、双方の不毛な論争が続いた。それは現在のネット社会を先取りしたような事件だった。知らない者同士が罵りあい、あやふやなことをもっともらしく撒き散らし、人格攻撃まで加えて、とりあえず言い負かした方が勝ちといったような不毛な論争、そんな時代が来るなんて思ってもみなかった、あの頃。(柴田)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4860112768/dgcrcom-22/

ベストセラーなんかこわくない


●心機一転、とはならず、いつものように粛々と。/まだ罪悪感はあるなぁ。誰も気にしていないだろうに、自分を責めるのはやめたいんだが。

Ingress続き。これだけ毎日Ingressネタを書いているのだから、どれだけ活動しているのだと思われるだろうが、まともに遊べるのは週一程度。あとはスーパーの行きのみ(帰りは荷物が重い)。一日数回乱れるGPSでのハックのみの日が続く。

活動範囲がすぐそばの敵さんはよくわかっていて、乱れて届くポータルのレベルは上げてくれない。レベルの低いポータルからは、使い物にならない武器が出てきて所持可能枠がいっぱいになってしまう。まず先に武器の調達ができないと奪回できないのだ。

Mapを見ると、自宅近辺がウィークポイントであることを実感する。敵の数が多くて、奪回してもすぐに取り返される。数が多くて入れるところが足りず、余っているだろう強いシールドが入る。それを壊すために、強い武器が数多く必要となり、そのためには……。

明日もこの近辺に大きな多重が作られるんだろうなぁと予測し、起きてしばらくしたら敵が動き出し、目の前に敵色が広がっていく。自分が動けたらいいだけなのに、好き放題されっぱなしで悔しい。しかし仕事で手一杯、家事手抜き中。実生活を侵食させたらあかん、と我慢しつつ粛々ハック。遊びたい〜! (hammer.mule)