晴耕雨読[17]娯楽としてトレーニングする人々
── 福間晴耕 ──

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休日に喫茶店に行って、ラジオ講座(主にロシア語)の予習をするのが習慣になっているのだが、周りを見渡してみると結構多くの人たちが勉強している。

もちろん学生が多いのだが、社会人とおぼしき人から結構な年齢の人もその中には混じっている。彼らは仕事でやむを得ずというのを除けば、どんな理由があるのだろう。あるいは何か資格を取るためなのかもしれないし、今すぐに役に立たなくても将来の投資のつもりで勉強している人もいるのだろう。

たぶん、私も含めて多くの人は、娯楽としてやっているのではないのだろうか。娯楽としての勉強というと変に聞こえるかも知れないが、よく考えてみればパソコンをいじったり、スポーツをする時も、傍目からは勉強やトレーニングにしか見えないことが、当人にとっては楽しいことだったりするものだ。

そして本当に自分の役に立つ技能は、こうした「楽しんでやっている勉強やトレーニング」でつくのだろう。




そういえば、偉人などの伝記を読むととても忙しい中で驚くほど多くの時間を勉強に費やしている話が出てくるが、本当はこれも努力や根性などではなく、当人にとっては楽しみとしてやっていたのかも知れない。そう思うと、これまで雲の上に思えたこうした人たちも、自分たちの延長線上にある人たちに思えてくる。

そんなことをふと考えた喫茶店からの帰り、照明の消えたお店のショーウィンドウを鏡に見立て、ダンスの練習に励んでいる若者達を見かけた。

そのジャンルに興味のない人から見れば遊びにしか見えないことの多くも、その内容の大半はトレーニングが多いのだろう。

多くの趣味に当てはまることだが、たとえ娯楽や趣味であっても、面白くなるまでにある程度敷居のあるものは少なくない。囲碁や将棋などもまずはルールを覚える必要があり、プレイするだけならともかく勝つためにはトレーニングが必要だ。そして同じことは多くのスポーツでも言えるだろう。

自分がやりたいと思っていることや、面白そうだと思っているとも、同じように面白くなるまでに多くの敷居が待っている。

一時期やっていたラジコンヘリは習熟するまでに時間がかかり、さらに飛ばす場所の確保の問題ですっかりご無沙汰してしまった。居合も気になっているのだが、これも訓練が必要なうえに独学で出来ない以上、道場に通う手間を思うと躊躇してしまう。

その代わりに始めたロシアの格闘技のシステマは、そろそろ二年目になるが、やればやるほど道のりが遠いことが逆にわかってきた。今やっている自転車、語学も道のりはなかなかに遠そうだ。

特に語学は、読めれば確実に面白そうな本やサイトは次々に見つかるのだが、肝心の能力がなかなかそこまで達しない。

今の状況は入れば面白そうな門は目の前にいくらでも開いているものの、先に進むための敷居もまた、いくつも前に構えている感じと言えるだろう。

まあ言い訳をしてもしょうがない。それに誰かに強要されていることでもなく、自分でやりたいからやっているのだ。文句を言わず前に進み、敷居を乗り越えていくしかないのだろう。惜しむらくは、恐らく目の前にあるすべての門には入れそうもないことである。


【福間晴耕/デザイナー】
フリーランスのCG及びテクニカルライター/フォトグラファー/Webデザイナー
http://fukuma.way-nifty.com/


HOBBY:Computerによるアニメーションと絵描き、写真(主にモノクローム)を撮ることと見ること(あと暗室作業も好きです)。おいしい酒(主に日本酒)を飲みおいしい食事をすること。もう仕事ではなくなったのでインテリアを見たりするのも好きかもしれない。