[4020] イタリアのマンガ家が見た日本

投稿:  著者:  読了時間:20分(本文:約9,500文字)



《上書きされるのは絶対嫌》

■ローマでMANGA[91]
 イタリアのマンガ家が見た日本
 midori

■羽化の作法[06]
 私はあなたを見つめている
 武 盾一郎




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■ローマでMANGA[91]
イタリアのマンガ家が見た日本

midori
http://bn.dgcr.com/archives/20151120140200.html
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●Quaderni Giapponesi(日本の帳面)

90年代に講談社の「モーニング」が、海外作家の書き下ろして作品をのせるという前代未聞の企画を遂行していたときにローマで「海外支局ローマ支部」を請け負って、そのときのことを当時のファックスをスキャンしつつ、それをもとに書いているシリーズです。

と、言いつつ、時々番外編を書かせてもらっている。勝手に変えてしまってるわけだけど。そういう前置きを書いたということは、今回も番外編なわけです。

今回はこのシリーズの一回目に出てきたイゴルト氏が、最近出したばかりの本について。題して「Quaderni Giapponesi(日本の帳面)」。

「Quaderni Giapponesi(日本の帳面)」はイゴルトの最新刊のタイトルだ。
http://www.fandangoeditore.it/shop/coconino-press/quaderni-giapponesi/

↓10月18日付けの全国紙「ラ・レプッブリカ」で取り上げられた。
http://www.repubblica.it/cultura/2015/10/18/foto/quaderni_giapponesi_il_sol_levante_di_un_italiano_vissuto_e_raccontato_a_fumetti-125221083/1/#1

↓2014年7月31日公開「Quaderni Giapponesi(日本の帳面)」の企画を得て
製作中の紹介ビデオ


イゴルトは、いま全ヨーロッパ(全世界??)で日本がブームになる前から日本に興味を持っていた。講談社とコンタクトを取って、日本との直接のつながりができて実際に日本を往復するようになると、日本が持つ精神世界への造詣が深くなり、あこがれが大きくなっていった。

イゴルトの持つ感性と日本の感性が合ったのだ。というか、日本のメンタリティがイゴルトの感性を刺激するのだ。

イゴルトはマンガ家だし、何よりも表現者、視覚伝達者であるから、メモ帳を持って歩いてそこここで見たものを絵でメモする。写真を見ながら描く場合もあると思うけど、そこにはちゃんとイゴルトのフィルターが通っている。

そうして描き溜めたものにキャプションをつけてFaceBookのページにアップしていくと、少なからぬ反響を得ることになった。そして、前年にだした「Quaderuni Ucraina(ウクライナのノート)」に続き、エッセイ/マンガ「Quaderni Giapponesi(日本の帳面)」を出すことにしたのだった。

このエッセイ/マンガの軸になっているのは、週刊モーニングで掲載すべく「アモーレ(暴力が嫌いなマフィアのボスの息子が主人公)」と「ユーリ(ママを探す子供の宇宙飛行士)」を製作中に、担当編集者と打ち合わせをしながら仕事を進められるように何か月か東京に滞在した体験だ。

その体験記の形をとりながら、「帳面(ノート)」だから、ある物語が始まって終わるのではなく、イゴルトの思考の覚え書きのような体裁をとっている。もちろん、思考があちこちに流れるような体裁をとっているだけで、ちゃんと計算している。「アモーレ」の時は千駄木のアパートで、「ユーリ」の時はホテルで過ごした。

●日本の陰影

千駄木のアパートから忍ばず通りや団子坂通りや根津神社を散歩し、日本を呼吸する。東京滞在を語りながら、昭和の映画やメンコに惹かれる自分を語る。日本は映像伝達の国で、絵を描く者にとっての天国だと。

1990年代の東京に居ながら、イゴルトの思考、嗜好は昭和以前へ導かれていく。もともと1939年代、1940年代のカートゥーンに惹かれていた。旧ソ連邦時代のポスターに見られるカクカクした感じのスタイルと混ぜて、イゴルト独特の画風を作っている。

イゴルトが1958年生まれのオジサンだから、というわけではない。と思う。東京は古い建物を壊して、どんどん新しいビルを建てていく。渋谷駅だって変わった。でも、空気は残る。

私もたまに里帰りをして見る東京には、幼いころの思い出があるから、実家の場所が江戸時代から民家だった界隈だからだけではない、日本独特の空気を感じる。

ひとつには家の構造、大きさもあるのではないかと思う。日本の家屋はヨーロッパやアメリカ家に比べて小さい。床から天井までが彼の地に比べて低い。

イタリアでは、かつての貴族の館とか公の建物だと床から天井まで6mある。19世紀までに建てられたものだと、普通の庶民のアパートでも3mある。最近のものでも法律で最低2m70cmと決められている。

体の大きさが違うから、というだけではなく、日本の家屋には人体を基板にしたモジュールでできているし、床に直接座る生活という習慣から来ている。

日本の家屋のモジュールの基本は畳一枚分だ。これで部屋の床面積が決まり、壁の幅や高さが決まる。これを基準に家ができている。建築界には詳しくないけど、現在建てられる家の部屋の大きさなどもこうした基準が元にあるのではなかろうか。

それには、家を支える柱を木で作るということも関係してるのではないだろうか。家を支えられると計算された(経験から来た?)柱の太さ、その太さを供給できる木材などの要素もからみ合って出てきだモジュールだ。

例えば、ローマの建物はそうしたモジュールはない。西暦が変わる前は、切り出した石を積み上げる、お金をかけられる場合は大理石を切り出して柱にする。金にあかしてすごく長い柱を切り出すこともできる。

レンガを発明してからはレンガを重ねて行く。アーチを駆使していくらでも高さを支えることができるから、モジュールは必要ない。そして、道は舗装になっただけで昔のまま蛇行し、交わっている。

わたしの実家近辺は昔、川があったそうで、川に沿って道ができ、そのままになっている。そうしたすでに目に見えなくなっている物、事が日本の、家屋を含んだ風景に受け継がれている。そして、多分、そうした伝統が表に見えていた最後の時期が昭和30年代、1950年代なのだと思う。

伝統とはそれを持つ国民のアイデンティティに関わる。精神性と言ってもいい。イゴルトが、1950年代以前に作られて残っている神社とか、家屋とか、印刷物に強く刺激されたのは、そこに日本の精神をより強く見たからではないだろうか。

イゴルトは「帳面」で、日活の今村昌平監督や鈴木清順の映画が好きだったことを明かす。日本に来る前にも鈴木清順のビデオを探しまくり、やっとフランスで見つけたと。日本に来て中古で見つかるかと探したけれども、店の人も鈴木監督の名前を知らなかったと嘆いている。あのタランティーノが強く影響を受けた監督なのに。

イゴルトはネーム作りの合間に神保町を好んで散策し、古いメンコや写真集を買いあさった。そして「帳面」に相撲取りを描いたメンコを題材にした絵を描いた。イゴルトというフィルターを通した相撲取りたちの個々はなくなって、簡易化された髷やマワシの意匠に日本の伝統・精神を表している。

そして「帳面」には谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を若いころに好きで、何度も読み返したことが出てくる(わたしは読んでない!!)。ある瀬戸物屋で使い込んで中にヒビが入ったものが美しい、という話とともに、日本が持つたくさんの種類の陰影、グラデーションについて感嘆して書く。

陰影は「粋」へつながり、阿部定事件やアングラ(もう死語?)漫画誌「ガロ」のつげ義春に言及していく。阿部定とつげ義春に直接のつながりはないけれど、「日本の情緒」ということからなんとなく連想としてつながっていくのは理解できる。しっとりというか、ジメジメというか、決して声高に言えないような、人間の情念としてつながっていく。

そして芭蕉の静寂と旅の世界へ。浮世絵から北斎へ。北斎の絵描きとしての成熟への探索とその情熱へ。そこからイゴルト自身の世界であるマンガへ戻って、手塚治虫へ言い及んでいく。

イゴルトというフィルターを使って、日本の視覚美術を通した日本の情念と精神のグラデーションの様を見せてくれる一冊だ。

●グラフィックノベル

というスタイルが、イタリアで、フランスで、新しいマンガのあり方としてジャンルを確立している。

ページをコマに分けるのは今までのマンガと変わらない。ただ、そのコマは時間の推移や読みのリズムを助けるためというよりは、解説のイラストレーションとしての役割のほうが大きくなる。絵付き読み物という感じ。絵と文のどちらのほうが重量が大きいかは作者による。

今回、イゴルトはQuaderni Giapponesi(日本の帳面)」でかなり自由にページ構成をした。今までのマンガのようにコマ割でフキダシがある部分、テキストのほうが多いページ、イラストだけのページ、と自由に混ぜている。

この自由な構成は実は1970年代の終わりから初めにかけて、アンドレア・パツィエンツァという、夭逝した天才的マンガ家が好んで使っていた。
https://www.facebook.com/andreapazienzafanpage/

作者の頭の中を一緒に見て回る感じだった。パツィエンツァは当時かなりの人気作家だったし、イゴルトは同じムーブメントグループに属したオトモダチ同士だったし、無意識下か意識下か知らないけれど、影響を受けても当然と言える。

いま日本でもエッセイMANGAが流行ってる。日本人漫画家のコマ割したエッセイMANGAはそれなりにリズムもあって面白く読める。ただ、このイゴルトのように哲学的な話に及ぶと、文で解説したほうが良い場合もある。こういう自由な構成で思考のお散歩っていうジャンル(?)もあっていいのではないかなと思った。


【Midori/マンガ家/MANGA構築法講師】midorigo@mac.com

ローマのマンガ学校でここ二年、MANGAマスターコースを立ち上げようとしているのだけど、厭々として進まず。宣伝もうやむやのまま時間ばかり過ぎている。学校側がなんとなく引け腰。

一つにはMANGAマスターコースに旨みがない、というもの。やったことがないから実績がない。私を含めた教授陣(私ともう一人卒業生)にも作家としての実績がない。他のコースの教授陣は皆作家で、MANGAだけ作家ではなく元編集者がやっているので、学校側もよくわからないのだと思う。

それじゃ、実績を作りましょ、と学校の原作家と作画家に呼びかけて企画を立ち上げた。題して「天才的な企画」。原作家のストーリーをもとに、私がMANGA構築法を使ったネームを作る。バリバリにヨーロッパ風の作風を持つ作画家が原稿を描く。

「MANGAの構築法とイタリアの才を合わせた新しいマンガ」をさっさと作ってしまおうというわけだ。なんでもっと早く思いつかなかったんだろう。来年1月のフランス・アングレームへ持って行ってフランスの出版社に打診する。今度こそ、かな?

パリのテロ事件は犠牲になった方に心痛み、犯人に怒りを覚える。ローマでも警戒が厳しくなっている。やだね〜、戦々恐々として暮らすの。「イスラム国」という言い方は断じてやめようよ、あれらは国などではなく、ただの暴力犯罪組織だから。

こちらでは自爆攻撃があるたびに「Kamikaze」という呼び名を使う。そのたびに英霊にすみませんと思う。戦闘員による敵の戦闘員を攻撃する戦闘行為と、市民を無差別に攻撃するテロ殺人行為を一緒に語ってはいけない。

何度かイタリアメディアのサイトにKamikazeと呼ばないで、と投稿したことがあるけど、もちろん何にも役に立たない。

今回もせめてFaceBookに「Kamikazeと呼ばないで」を再々度投稿した。

MangaBox 縦スクロールマンガ 「私の小さな家」
https://www-indies.mangabox.me/episode/18803/

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
http://midoroma.blog87.fc2.com/


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■羽化の作法[06]
私はあなたを見つめている

武 盾一郎
http://bn.dgcr.com/archives/20151120140100.html
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●視点

いちばん最初に二人で描いた人面魚といい、三人で描いた『新宿の左目』といい、新宿西口地下道段ボールハウス絵画のモチーフでけっこう多かったのが、「目」とか「眼差し」である。

段ボールハウスに描き始めてすぐに感じたことのひとつが、通行人からしてみたら段ボールハウスとは「見る対象」で、相手がこっちを見ているとはあまり思ってなさそうだ、ということだった。

なので「段ボールハウス側(または私)もあなたを見ている」というメッセージをなんとか伝えたくなったのだ。そして割と首尾一貫してそのスタンスで描いていった。今から思うと不思議なのは「僕を見て!」というメッセージではなかったということだ。

同じストリートでもヒップホップの「チェケラ」と真逆だ。指を下げたあの手の形はアフリカを意味するらしい。すると「俺に注目しろ!」とか「(俺達のルーツの)アフリカ(の奴隷の歴史)を知れ!」とかいうニュアンスになると思う。

一方、僕らの表現は目線の方向が逆で「私はあなたを見つめている」なのだ。僕らは段ボールハウスにたくさんの「目」を描いて増やしていったのだが、それらは東京都によってすべて破棄されて消えた。

かわりに都市のあちこちに監視カメラが設置されるようになり、違った形で「目」が増殖し続ける。僕らの絵は「主張」というよりも予言的だったのだ。

そして、同じくストリートのグラフィティのような「見つからないように素早く書く」とも正反対だった。背中を見せながら、何時間も時間をかけて僕らは絵を描く。

作品に対して一番心配したのは、グラフィティのように無断で描いてるものと思われて、誰かが勝手に絵を加えてしまうことだった。段ボールハウスはそのうち朽ち果て消え行くものであることは了解していた。作品はいずれ消える。しかし、住人以外から上書きされるのは絶対嫌だった。

だから、絵に情念とか怨念をあらん限り出すようにして、第三者が気安くさわれないようなパワーを持たせようとしたのだった。

画材はペンキ。画材用のアクリル絵の具と比べると発色はすごくくすんでしまうのだが、それが功を奏したのかのように、ちゃんと怨念のようなものは発せられたのではないかと思う。

実際のところ、僕らの絵に上書きをするグラフィティは一回もなかった。僕はグラフィティをどこか誤解してたのかも知れない。その反省からという訳ではないけど、10年後の僕は「246表現者会議」という路上会議の発起人となり、グラフィティを擁護するような運動藝術を行うことになる。
http://kaigi246.exblog.jp/i3/

●ペンキとリュック

最初はペンキを持ち歩いていた。新宿から家まで持って帰り、翌日新宿へ持って行った。でも重いし、匂いもするので満員電車ではちょっと気まずかった。かといって、新宿西口地下道付近で無料の安全な保管場所はない。

ところが、あるとき「ここなら大丈夫じゃないか」という場所を発見した。腰くらいの高さの台でずらーっと並んでる公衆電話である。その足もとが意外と死角だということに気が付いた。

地下道の階段の柱にぽつんと置かれている公衆電話の足元に、紙袋に入れたペンキを置くことにした。これはいいアイデアだ。

しかし、ほどなくしてあっさりと盗まれてしまった。お金のない僕らにとってこれはかなりのダメージだったが、盗んだ方も金品が入っていると思ったらペンキなんだから、それもまたショックだったと思う。

ペンキの保管場所がどこかにないものだろうかと悩んでいたら、ラブホテルをいくつか経営してる会社から仕事の依頼が来た(その話はのちほど)。その会社は居酒屋やスナックも経営していて、新宿西口のビルの地下二階に「スナック・地下室のメロディ」という店を開いていた。

スナックの入り口手前に観葉植物の鉢植えがあって、横にお店の資材が積まれてあり、ペンキの入った紙袋はちょうど隙間に収まったのだ。

「スナック・地下室のメロディ」に降りていくビルの入口にはシャッターがある。地下一階も夜の店らしかったので、深夜以外はシャッターは閉じているのだが、鍵がかかってなくて持ちあげれば開けられるようになっていた。

僕らは新宿に着いて段ボールハウスを見つめたあと「スナック・地下室のメロディ」のあるビルへ向かい、シャッターを開けてペンキを取りに地下へ潜る。この、シャッターを開ける瞬間がとても好きだった。これからまた絵を描く。絵の世界へ入る扉を開ける儀式のような、ちょっと神聖な感じがしたのだった。

ペンキの入った紙袋を両手に持ち、リュックを背負って新宿を歩く僕らの姿はホームレスの人たちとなんだかちょっと似ている気がした。そう思うとなぜだかちょっぴり嬉しくなった。

最初のころはよくリュックを背負ったまま描いていた。リュックを置いて目を離した隙に盗まれる心配があったからだ。実際に一回だけリュックは盗まれた。

リュックの中にはメガネと日記だけが入っていた。個人的なものなので僕にとってはショックだったがペンキ同様、盗んだ方からするとまったくアテが外れたことになる。

ただ、その日記があればこの原稿の参照にもなっただろうから残念ではある。ここでは盗まれることに対してどこか諦めがあった。なので盗まれないように気をつけるしかなかった。

例えば、財布などはズボンのお尻のポケットではなくて、前のポケットに入れて描いていた。通行人に背(お尻)を向けているからである。通行人に背中を向けて描いてるのはやっぱり恐い。リュックを背負って描いていたもうひとつの理由が、何かを背負ってた方がなんとなく安心だったからなのであった。(つづく)


【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/アーティスト20周年記念中】
武盾一郎×立島夕子二人展始まりました!21(土)夕方頃在廊します。
「色彩と線 ─森からの生存者」
http://d.hatena.ne.jp/Take_J/20151113/1447381636
日時:11月19日(木)〜12月1日(火)
場所:画廊・珈琲 Zaroff(初台)

facebookページ http://www.facebook.com/junichiro.take
Twitter http://twitter.com/Take_J
take.junichiro@gmail.com


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編集後記(11/20)

●数年前、ある英会話学校の広告のコピーに「その国は、英語だけが足りない」とあった。これを見た人の多くは、「(我々日本人がこれからグローバルな世界でやっていくには)英語だけが足りない(だから英語をやろう)」という解釈をした。日本の主流の英語観に合致するので、まあ納得のできるものだ。ところが、同時にもうひとつ、まるで違う解釈がある。「(金も技術も人材もあるその国を我々がうまく支配するには)その国は英語だけが足りない(だから英語をやらせよう)」という植民者の声だ。これは永井忠孝「英語の害毒」(新潮新書、2015)の中にあったエピソードの一つだ。

現在の日本には、英語に関してかなり画一的な考え方が行き渡っている。「これからグローバル化が進むから英語ができないと生きていけない」「従来の読み書き中心の英語教育は失敗だった。会話中心にやるべきだ」「なるべく早くから英語を学ぶべきだ」「ネイティブスピーカーに英語を学ぶべきだ」「アメリカ・イギリスの英語を学ぶべきだ」。この誤った考えに基づいて、日本の英語教育で大きな変革が起こったが、別の見方、考え方もあることを知らなければならない。英語は植民地支配の道具であることを、日本人は自覚していない。英語教育には自発的植民地化という側面があるのだ、と筆者は警告する。

アメリカ人は、日本人が英語をできるようになってもらいたいのだ。かといって、できすぎも困る。日常会話ができるくらいが一番いい。高度な内容を表現したり理解したりはできない方がいい。そういうことはアメリカ人がやるから。アメリカ人の手足になって働くことができる程度の英語を身につけること、これがアメリカ人が日本人に求める理想の英語力だ。そうなれば、社会のエリートは英語を母国語とする外国人で、英会話ができる程度の日本人はみな奴隷、という社会になるかもしれない。いま日本を外国から守っている「日本語の障壁」を日本人自らが低くしようとしているが、それこそアメリカ人の思う壺だ。

小田実は1974年「状況から」(岩波書店)で「日本の学校での英語教育は『植民地教育』ではないか。その特徴の第一は、教える側が教えられる側に対して圧倒的に優位に立つことである。前者は人間であり、後者は人間以外の何ものかである」と喝破している。英語は便利なだけのものではなく、危険性を秘めたものだということを知るべきだし、危険性に無自覚でいることは不幸への道だ。TPPが妥結されると、英語が日本の公用語になる可能性もあるという。TPPの条項、条件、交渉過程一切の情報が機密扱いだから何もわからないのだが、アメリカが日本を縛るものだということだけは確か。こわいな〜。 (柴田)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106106248/dgcrcom-22/
永井忠孝「英語の害毒」


●続き。旅行に積極的でない理由は、どの街に行っても同じ店があり、世界各国のモノがあふれているせいかもしれない。映像だっていつでも見られるし、その気になれば世界中の人たちと会話を楽しむことができる。近所でほとんどのことができてしまう。

だからIngressの、そこに行かなきゃはじまらないという体験が新鮮なんだろう。地図を見て、ああしたいこうしなきゃといくら思っても、その場にいなきゃ何もできない。毎日地図をチェックしていたって、活動してなきゃ、他人にとっては存在しないのと同じ。

本当は旅行の体験だって同じはずなのになぁ。旅行は、迷ったり(目的地に行くための苦労)、現地の人との会話だったりが楽しい。電車やバスの乗り方が違うとか、スーパーの食材なんかでもワクワク。でもそんな偶然は最初から予想できるわけじゃないし、違いを感じるためだけに日数かけるのはおっくうだ。続く。 (hammer.mule)