ローマでMANGA[91]イタリアのマンガ家が見た日本
── midori ──

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●Quaderni Giapponesi(日本の帳面)

90年代に講談社の「モーニング」が、海外作家の書き下ろして作品をのせるという前代未聞の企画を遂行していたときにローマで「海外支局ローマ支部」を請け負って、そのときのことを当時のファックスをスキャンしつつ、それをもとに書いているシリーズです。

と、言いつつ、時々番外編を書かせてもらっている。勝手に変えてしまってるわけだけど。そういう前置きを書いたということは、今回も番外編なわけです。

今回はこのシリーズの一回目に出てきたイゴルト氏が、最近出したばかりの本について。題して「Quaderni Giapponesi(日本の帳面)」。




「Quaderni Giapponesi(日本の帳面)」はイゴルトの最新刊のタイトルだ。
http://www.fandangoeditore.it/shop/coconino-press/quaderni-giapponesi/


↓10月18日付けの全国紙「ラ・レプッブリカ」で取り上げられた。
http://www.repubblica.it/cultura/2015/10/18/foto/quaderni_giapponesi_il_sol_levante_di_un_italiano_vissuto_e_raccontato_a_fumetti-125221083/1/#1


↓2014年7月31日公開「Quaderni Giapponesi(日本の帳面)」の企画を得て
製作中の紹介ビデオ


イゴルトは、いま全ヨーロッパ(全世界??)で日本がブームになる前から日本に興味を持っていた。講談社とコンタクトを取って、日本との直接のつながりができて実際に日本を往復するようになると、日本が持つ精神世界への造詣が深くなり、あこがれが大きくなっていった。

イゴルトの持つ感性と日本の感性が合ったのだ。というか、日本のメンタリティがイゴルトの感性を刺激するのだ。

イゴルトはマンガ家だし、何よりも表現者、視覚伝達者であるから、メモ帳を持って歩いてそこここで見たものを絵でメモする。写真を見ながら描く場合もあると思うけど、そこにはちゃんとイゴルトのフィルターが通っている。

そうして描き溜めたものにキャプションをつけてFaceBookのページにアップしていくと、少なからぬ反響を得ることになった。そして、前年にだした「Quaderuni Ucraina(ウクライナのノート)」に続き、エッセイ/マンガ「Quaderni Giapponesi(日本の帳面)」を出すことにしたのだった。

このエッセイ/マンガの軸になっているのは、週刊モーニングで掲載すべく「アモーレ(暴力が嫌いなマフィアのボスの息子が主人公)」と「ユーリ(ママを探す子供の宇宙飛行士)」を製作中に、担当編集者と打ち合わせをしながら仕事を進められるように何か月か東京に滞在した体験だ。

その体験記の形をとりながら、「帳面(ノート)」だから、ある物語が始まって終わるのではなく、イゴルトの思考の覚え書きのような体裁をとっている。もちろん、思考があちこちに流れるような体裁をとっているだけで、ちゃんと計算している。「アモーレ」の時は千駄木のアパートで、「ユーリ」の時はホテルで過ごした。

●日本の陰影

千駄木のアパートから忍ばず通りや団子坂通りや根津神社を散歩し、日本を呼吸する。東京滞在を語りながら、昭和の映画やメンコに惹かれる自分を語る。日本は映像伝達の国で、絵を描く者にとっての天国だと。

1990年代の東京に居ながら、イゴルトの思考、嗜好は昭和以前へ導かれていく。もともと1939年代、1940年代のカートゥーンに惹かれていた。旧ソ連邦時代のポスターに見られるカクカクした感じのスタイルと混ぜて、イゴルト独特の画風を作っている。

イゴルトが1958年生まれのオジサンだから、というわけではない。と思う。東京は古い建物を壊して、どんどん新しいビルを建てていく。渋谷駅だって変わった。でも、空気は残る。

私もたまに里帰りをして見る東京には、幼いころの思い出があるから、実家の場所が江戸時代から民家だった界隈だからだけではない、日本独特の空気を感じる。

ひとつには家の構造、大きさもあるのではないかと思う。日本の家屋はヨーロッパやアメリカ家に比べて小さい。床から天井までが彼の地に比べて低い。

イタリアでは、かつての貴族の館とか公の建物だと床から天井まで6mある。19世紀までに建てられたものだと、普通の庶民のアパートでも3mある。最近のものでも法律で最低2m70cmと決められている。

体の大きさが違うから、というだけではなく、日本の家屋には人体を基板にしたモジュールでできているし、床に直接座る生活という習慣から来ている。

日本の家屋のモジュールの基本は畳一枚分だ。これで部屋の床面積が決まり、壁の幅や高さが決まる。これを基準に家ができている。建築界には詳しくないけど、現在建てられる家の部屋の大きさなどもこうした基準が元にあるのではなかろうか。

それには、家を支える柱を木で作るということも関係してるのではないだろうか。家を支えられると計算された(経験から来た?)柱の太さ、その太さを供給できる木材などの要素もからみ合って出てきだモジュールだ。

例えば、ローマの建物はそうしたモジュールはない。西暦が変わる前は、切り出した石を積み上げる、お金をかけられる場合は大理石を切り出して柱にする。金にあかしてすごく長い柱を切り出すこともできる。

レンガを発明してからはレンガを重ねて行く。アーチを駆使していくらでも高さを支えることができるから、モジュールは必要ない。そして、道は舗装になっただけで昔のまま蛇行し、交わっている。

わたしの実家近辺は昔、川があったそうで、川に沿って道ができ、そのままになっている。そうしたすでに目に見えなくなっている物、事が日本の、家屋を含んだ風景に受け継がれている。そして、多分、そうした伝統が表に見えていた最後の時期が昭和30年代、1950年代なのだと思う。

伝統とはそれを持つ国民のアイデンティティに関わる。精神性と言ってもいい。イゴルトが、1950年代以前に作られて残っている神社とか、家屋とか、印刷物に強く刺激されたのは、そこに日本の精神をより強く見たからではないだろうか。

イゴルトは「帳面」で、日活の今村昌平監督や鈴木清順の映画が好きだったことを明かす。日本に来る前にも鈴木清順のビデオを探しまくり、やっとフランスで見つけたと。日本に来て中古で見つかるかと探したけれども、店の人も鈴木監督の名前を知らなかったと嘆いている。あのタランティーノが強く影響を受けた監督なのに。

イゴルトはネーム作りの合間に神保町を好んで散策し、古いメンコや写真集を買いあさった。そして「帳面」に相撲取りを描いたメンコを題材にした絵を描いた。イゴルトというフィルターを通した相撲取りたちの個々はなくなって、簡易化された髷やマワシの意匠に日本の伝統・精神を表している。

そして「帳面」には谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を若いころに好きで、何度も読み返したことが出てくる(わたしは読んでない!!)。ある瀬戸物屋で使い込んで中にヒビが入ったものが美しい、という話とともに、日本が持つたくさんの種類の陰影、グラデーションについて感嘆して書く。

陰影は「粋」へつながり、阿部定事件やアングラ(もう死語?)漫画誌「ガロ」のつげ義春に言及していく。阿部定とつげ義春に直接のつながりはないけれど、「日本の情緒」ということからなんとなく連想としてつながっていくのは理解できる。しっとりというか、ジメジメというか、決して声高に言えないような、人間の情念としてつながっていく。

そして芭蕉の静寂と旅の世界へ。浮世絵から北斎へ。北斎の絵描きとしての成熟への探索とその情熱へ。そこからイゴルト自身の世界であるマンガへ戻って、手塚治虫へ言い及んでいく。

イゴルトというフィルターを使って、日本の視覚美術を通した日本の情念と精神のグラデーションの様を見せてくれる一冊だ。

●グラフィックノベル

というスタイルが、イタリアで、フランスで、新しいマンガのあり方としてジャンルを確立している。

ページをコマに分けるのは今までのマンガと変わらない。ただ、そのコマは時間の推移や読みのリズムを助けるためというよりは、解説のイラストレーションとしての役割のほうが大きくなる。絵付き読み物という感じ。絵と文のどちらのほうが重量が大きいかは作者による。

今回、イゴルトはQuaderni Giapponesi(日本の帳面)」でかなり自由にページ構成をした。今までのマンガのようにコマ割でフキダシがある部分、テキストのほうが多いページ、イラストだけのページ、と自由に混ぜている。

この自由な構成は実は1970年代の終わりから初めにかけて、アンドレア・パツィエンツァという、夭逝した天才的マンガ家が好んで使っていた。
https://www.facebook.com/andreapazienzafanpage/


作者の頭の中を一緒に見て回る感じだった。パツィエンツァは当時かなりの人気作家だったし、イゴルトは同じムーブメントグループに属したオトモダチ同士だったし、無意識下か意識下か知らないけれど、影響を受けても当然と言える。

いま日本でもエッセイMANGAが流行ってる。日本人漫画家のコマ割したエッセイMANGAはそれなりにリズムもあって面白く読める。ただ、このイゴルトのように哲学的な話に及ぶと、文で解説したほうが良い場合もある。こういう自由な構成で思考のお散歩っていうジャンル(?)もあっていいのではないかなと思った。


【Midori/マンガ家/MANGA構築法講師】midorigo@mac.com

ローマのマンガ学校でここ二年、MANGAマスターコースを立ち上げようとしているのだけど、厭々として進まず。宣伝もうやむやのまま時間ばかり過ぎている。学校側がなんとなく引け腰。

一つにはMANGAマスターコースに旨みがない、というもの。やったことがないから実績がない。私を含めた教授陣(私ともう一人卒業生)にも作家としての実績がない。他のコースの教授陣は皆作家で、MANGAだけ作家ではなく元編集者がやっているので、学校側もよくわからないのだと思う。

それじゃ、実績を作りましょ、と学校の原作家と作画家に呼びかけて企画を立ち上げた。題して「天才的な企画」。原作家のストーリーをもとに、私がMANGA構築法を使ったネームを作る。バリバリにヨーロッパ風の作風を持つ作画家が原稿を描く。

「MANGAの構築法とイタリアの才を合わせた新しいマンガ」をさっさと作ってしまおうというわけだ。なんでもっと早く思いつかなかったんだろう。来年1月のフランス・アングレームへ持って行ってフランスの出版社に打診する。今度こそ、かな?

パリのテロ事件は犠牲になった方に心痛み、犯人に怒りを覚える。ローマでも警戒が厳しくなっている。やだね〜、戦々恐々として暮らすの。「イスラム国」という言い方は断じてやめようよ、あれらは国などではなく、ただの暴力犯罪組織だから。

こちらでは自爆攻撃があるたびに「Kamikaze」という呼び名を使う。そのたびに英霊にすみませんと思う。戦闘員による敵の戦闘員を攻撃する戦闘行為と、市民を無差別に攻撃するテロ殺人行為を一緒に語ってはいけない。

何度かイタリアメディアのサイトにKamikazeと呼ばないで、と投稿したことがあるけど、もちろん何にも役に立たない。

今回もせめてFaceBookに「Kamikazeと呼ばないで」を再々度投稿した。

MangaBox 縦スクロールマンガ 「私の小さな家」
https://www-indies.mangabox.me/episode/18803/


主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
http://midoroma.blog87.fc2.com/