[4028] 3Dプリンターのデータ制作あれこれ

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《すべての人は願いごとがかなってしまう可能性を持っている》

■ショート・ストーリーのKUNI[185]
 世界は平等である
 ヤマシタクニコ

■3Dプリンター奮闘記[71]
 3Dプリンターのデータ制作あれこれ
 織田隆治




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■ショート・ストーリーのKUNI[185]
世界は平等である

ヤマシタクニコ
https://bn.dgcr.com/archives/20151203140200.html

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なんだって屋根田先生はあんなことを急に言い出したんだろう。まあもともと変わった先生だけどな、とぼくは思った。

屋根田先生は音楽だけの先生で担任も持っていないし、ひまそうだから、みんな陰でちょっとばかにしている。その上、話がよく脱線する。昨日も突然、「この世界はある意味たいへん平等にできている」と言い出したので、みんな、はあっ? という顔をした。

先生によると、すべての人は願いごとがかなってしまう可能性を持っている。何の努力も何の苦労もせずに、そう、突然に。

神さま、ていうか、まあそういう存在があるとして、その存在にとってはこの世で誰がどうなろうとどうでもいい。

だから、「願いごとがかなう瞬間」を常に、まったくでたらめにばらまいている。どこに住むどんなやつが、いつどの瞬間にそれにぶちあたるかはわからない。そして、その「願いごとがかなう瞬間」はかなりの大盤振る舞いでばらまかれているので、いまこの瞬間にもだれかのもとにその瞬間が訪れているのだそうだ。

ただし、その瞬間に何も願っていなかったら、せっかくめぐってきてもすばらしい瞬間は素通りしてしまう。両者がぴたりとあうのは奇跡に近いかも知れないが、可能性は平等にあるのだ…。

ぼくの頭の中にはそのとき、赤や緑や紫、白といった無数の小さな玉──人間の目には見えない玉──が高速で地球のまわりをぐるぐるまわっている図が浮かび、どうして自分はこんなに鮮明に屋根田先生の言うことをイメージできるのだろうと、われながら不思議だったが、それは商店街でガラガラ抽選をやっている時期だったからかもしれないし、その少し前の理科の時間に宇宙とか惑星とかの話を聞いたことも影響していただろう。

ぼくはケーキ屋の前の行列の中にいた。母さんに頼まれてクリスマスケーキを買いにきたのだ。

「チョコレートケーキで、シンプルだけどかわいいデザインの。大きさは5号。わかったわね」

預かったお金を確かめる。だいじょうぶ、ポケットにある。待っているうちにまた屋根田先生のことを思い出した。

すべての人は願いごとがかなってしまう可能性を持っている。かなってしまう……? かなってしまう? 変な言い方だな。かなうと困るような願いごとって……あ、そうか。人間の願いごとって、いいことばかりとは限らないから……かな?

ぼくはそんなことを考え、ちょっと、ぞくっとした。そうか、……てことは?

不意に列の後ろに並んでいる、よその人の話し声が聞こえてきた。年取った女の人だ。

──○○さん、最近急におしゃれになったのよ。すごく高そうなバッグとか持ってて。何かあったのかしら。

──宝くじでも当たったんじゃない?

そうだ。確かに、絶えず誰かにその瞬間は訪れている。宝くじに当たりたい。 そう願った瞬間、高速でまわっていた赤い玉がちょうど、その人の頭上にやってきたのだ! その人の頭上にはきっと、雲のようなかたちのものが一瞬浮かび、そこに「宝くじに当たりたい」と書かれている。

赤い玉はひゅーっとやってきて、すぽっ! とそこにはまるわけだ。あるいは頭の上に「ギターが弾けるようになりたい」と書かれた雲をひょい! と浮かべた人がいて、また別の玉がそこにすぽっ! と吸い込まれる。

そうやって、あこがれていた俳優に突然街で出会った人もいるかもしれない。探し物が出てきた人もいるだろう。すべてはそういうことなんだ。

そしたら、反対に、誰かが悪いことを願ったそのとき、何色だか知らないけど、ちょうど玉がめぐってきたとしたら……。

にわかにぼくの胸はドキドキしてきた。だめだ。それは、あってはならないことだ! 

屋根田先生の言うことが本当なら、ぼくたちは自分が心で思うことによっぽど気をつけなくちゃいけないということなのだ。口には出さなくても、願ったことが「かなってしまう」かもしれないのだから。

ああ、そうか。だから先生はあんな話をしたんだ。ぼくたちが良い子でいるように。人の不幸を願うような人にならないように。

ぼくは納得した。屋根田先生は変な人だけど、ほんとうはまじめでいい先生だ。先生があんな変な話をしたのも、ぼくたちのことを思ってくれてるからなのだ。

頭の中でまた、赤や緑や白や、さまざまな色の玉が光りながらくるくるまわりはじめた。それぞれの玉の軌道は少しずつ違うし、速さも一定ではない。無数の玉がからまり、もつれそうに見えて決してそうはならない。

そして、よく見るとあちこちで小さな雲がひょいと浮かんでは消え、またひょいと浮かんでは消える。くるくるまわる玉の、ほんの一部が雲に吸い込まれていく………。

そして、またぼくは思い出した。夕べ、ひとつ違いの弟のシンヤとけんかしたこと。あれは何だったっけ。ああそうだ。クリスマスプレゼントの話で、シンヤは「サンタクロースなんてものをいつまでも信じてるやつがいるけど、ばかだよな」と言ったのだ。まだ小3なのに。

ぼくだってすでに、そうでないことはわかっていたけど、去年までは半分信じていた。だから、シンヤのその言葉は自分に向けられたように思った。おもしろくなかった。だから「そんなこと言うなよ」と言った。

シンヤは「なんでだよ」と言った。いつもそんなふうに、どこかさめてて、言わなくてもいい憎らしいことばかり言う。それがシンヤだった。それにシンヤは賢かった。ぼくよりずっと。小3にしてすでに「冷笑」という技を身につけていた。

ぼくは黙り込んだが、シンヤはしつこく「なんでだよ」「なんでだよ」と繰り返した。シンヤは、頭がいいだけでなく、しつこいのだ。ぼくはいやになった。相手になりたくなかった。勝てるはずがないから。

だけど、同級生とか近所の友達とかならともかく、いやになってもどこか他に帰るところがあるわけじゃない。ぼくたちは同じ家に住む兄弟なのだ。ああ、そうでなかったらどんなにいいだろう!

そう思うことは初めてではなかった。胸の奥にいつもいやなにおいの、重い水をたたえた沼が横たわっているような、わあっと叫びたいような気分だった。

──そうだ。ゆうべ、確かにぼくは思った。シンヤなんかいなくなればいい。あんな憎たらしいことが二度と言えなくなればいいと……。なんて恐ろしいことを思ったんだろう。いくらシンヤがしつこいからといって……。

そのとき、後ろから軽くこづかれ、行列が進みつつあることに気付いた。ちょっとぼうっとしてたみたいだ。ぼくはあわてて何歩か進み、ケーキの見本がいくつか並んだ「ご注文コーナー」に来た。

その中から「チョコレートケーキで、シンプルだけどかわいいデザイン」の5号を選んだ。注文だけして、さらに進むと次のコーナーでケーキを渡してくれる仕組みだ。

──チョコレート・Bの5号をご注文のお客様〜

ぼくはお金と引き替えにそれを受け取った。後ろの客の会話が聞こえた。今度は若い女の人の声。

──ねえ、5号ってどれくらいの大きさ?

──そうねえ。子どもの頭くらいかしらねえ……

ケーキは厚紙のしっかりしたケースに入れられ、さらに持ち手のついたペーパーバッグに収められていた。ぼくはそれを提げて歩き出した。ケーキは意外と重かった。

駅前広場を過ぎた。気のせいか、ケーキはさっきより重くなっていた。スーパーの横を通り、近道なので古い団地の中を通った。ケーキはずっしりと重く、紙のひもは今にもちぎれそうに、指に食い込んだ。

──これ、ほんとにケーキなんだろうか……

だが、確かめるのがこわかった。夕暮れの団地の中は外灯が少なく、歩く人もほとんどいなかった。葉を落とした木々が黒い影を落とすそばを、ぼくはゆっくり歩いた。枯れ葉がくしゃくしゃと足下で崩れる。

ひとあしごとにケーキはずんずん重くなる。とうとう、ひもが切れかけた! あわててぼくは紙のバッグごとケーキを抱えようとし、次の瞬間、わっと声を上げてそれを放り投げた。ケーキの箱が、動いたように思ったのだ。

──気のせいだ……

だが、中を改めてみるまでもなく、ケーキはぐしゃぐしゃになっているに違いなかった。もし、本当にケーキだったとしても。ぼくは確かめたくなかった。

どきどきしながら紙のバッグごと引き寄せ、やはりずっしり重いそれをひきずるようにして団地のゴミ収集所に持って行った。そして、震える手でコンテナに放り込むと後をも見ずに走って帰った。

──コウタなの?

帰るなり母さんの声がした。ケーキを持ってないことをどう弁解しよう。ぼくは窮地に立ったと思ったが、その心配はなかった。母さんはそれどころではなかった。

──シンヤがいないのよ。友達のところにもどこにも行ってないみたい。お父さんが探しに行ってるけど……。

シンヤはそれから4日間、行方不明だった。母さんも父さんもあちこちに連絡したり出向いたりしてばたばたしていた。警察にも届けていたが、公表しないよう頼んでいたようだった。だけど、これはもう、いよいよきちんと公開して捜索したほうがいいという話が出てきたころ、シンヤは突然帰ってきた。

ぼくはそのときのシンヤの目を忘れられない。見かけはどこといって変わったところはなかった。だが、ぼくを見る目はまるで別人だった。それは、だれも知らない世界にひとりで行き、そして帰ってきた人間の目だった。

シンヤはもともと賢いやつだったが、小学生とは思えないすごみが加わったと思った。そのことに気付いたのはぼくだけだったかもしれないが……。

ぼくはシンヤに対して恐怖に似た感情を抱くようになった。一方、シンヤも口数が少なくなり、ぼくたちは以来ほとんど会話らしい会話をしなくなった……。


それから20年以上が過ぎた。ひさしぶりに開かれた小学校の同窓会で、ぼくはなつかしい名前を聞いた。屋根田先生だ。

──変な先生だったよなあ。

──音楽の時間なのに全然関係ない話をしたりさ。

──覚えてるかい、ほら、いつだったか、「この世界はある意味たいへん平等にできている」と言い出して……。

──ああ、あれだろ。願いがかなってしまうというやつ。

──屋根田理論な。

わっと笑い声が上がった。ぼくも思わず笑った。すると、一人の男がぼくに言った。

──そういえば、おまえの弟がおもしろいことを言ってたそうだよ。

──シンヤが?

──そう。おれにはシンヤくんと同い年の弟がいて、その弟から聞いたんだけどね。屋根田先生はその学年にも同じように屋根田理論をぶったらしいんだ、おれたちの次の年に。自分ではずいぶん気に入ってたんだろうな。そしたら……。

──そしたら?

──授業の後、シンヤくんが言ったそうだ。「平等にできてると言っても、可能性があるだけで、生きてるうちにそういう瞬間にめぐりあえるかどうかとなると、確率的にはすごく低い。せっかくその瞬間がめぐってきてもそのときほとんど何も考えてなかったり、せいぜいアイスクリームが食べたいと思ってるくらいかもしれない。それでは意味がないし、実際そんなものだろう。

だけど、こうも考えられる。ぜひかなえたい願いごとを持っている人間は、ずーっとそのことを考え続けるようにしたらいいんじゃないか? そうしたらそれがかなう確率はぐんと高くなるということになるよね? たとえそれがどんな願いごとであったとしても、『神様』は選り好みせずにかなえてくれるそうだし」と。

ああ確かにそうだな、と思ったよ。シンヤくんはやっぱり頭がいいな、と……。ぼくは自分の表情がこわばるのを感じた。

──でもシンヤくん、何か願いごとを持っていたのかなあ。そんなにずーっと考え続けるような……。


【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
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子どものころから時々、左耳の後ろあたりが「きりきり!」と痛くなってた。母に言うと「お母ちゃんといっしょやな。それは偏頭痛や」と言われ、以来ウン十年、自分は偏頭痛持ちだと思ってたが、最近ネットなどで調べるとどうも違うみたいじゃないか、母よ(もういないけど)。

医者に行ったわけでないので確かじゃないけど「後頭神経痛」っぽい。で、ここ数日それがひどかったのでバファリンのお世話になっている次第(ロキソニンやイブは胃潰瘍の経験がある人は服用してはいけないらしいので)。


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■3Dプリンター奮闘記[71]
3Dプリンターのデータ制作あれこれ

織田隆治
https://bn.dgcr.com/archives/20151203140100.html

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寒い! 朝、布団から出るのが嫌になる季節になりました。もうこのまま寝ててもいいんじゃないかと思いますね。

さて、ちょっとお仕事のお話。今年にちょっとだけお仕事をやらせて頂いた、「サクラ花」という映画です。

映画の紹介はコチラ↓
映画サクラ花 桜花最期の特攻 公式サイト
http://www.sakurabana-movie.jp/


今までは、映画とかドラマのお仕事と言えば、出て来る飛行機なんかのCGモデリング。そのデータを、ポスプロさんの方で動かしたり、実写に合成して映像を作るわけですね。

今回の「サクラ花」という映画では、「一式陸攻」という飛行機に装着されていた、回転式機銃を作らせて頂きました。

何が違うのか、ということですが、これまでの映像の仕事では、CG映像用として3DCGモデリングをする、ということでした。

今回は、僕の制作した3Dモデリングデータを、3Dプリンターにて出力して、実際の撮影に使う、ということらしかったです。

ミニチュアに使用されたかどうかは分からないのですが、そういう使い方をするデータを制作させて頂いたのは初めてでした。

映画は見に行きました! 劇中で出て来る回転式機銃は、結構映っていましたが、当たり前のように完成したものですので、実際どのようにプリントされて、どのように加工されたのかは分かりませんでした。

当時の資料も少なく、ネットで画像を探して解析することから始め、モデリン
グは結構大変でした。

一般的な3DCGモデリングと、3Dプリンターで出力するための3Dモデリングって、実は結構違うんですよね。

映像用の3Dデータは、パソコンの中のバーチャルな世界の中で完結するので、裏側がなかったり、厚みのないデータでも全然大丈夫。

それと違って、3Dプリンターで出力するデータは、ちゃんと体積を持ったオブジェクトである必要があります。

ペラペラの薄い紙でも、実際は0.01mmとか厚みがあります。基本的にすべての物には体積があって、それがないとこの世界に存在できないですね。従って、すべてのデータが閉じられた「ソリッド」形式である必要があります。

また、物と物が重なって存在することが出来ないように、3Dプリンターで出力するためのデータは、そのオブジェクト同士が重なっていては、うまく出力できないことが多いんです。

3DCGのオブジェクトデータには、法線というものがあります。これは、その面の表がどちらにあるか、ということを指し示すものです。

例えば、厚さのない一枚の四角(ポリゴン)があったとして、そのポリゴンのどちらが表になるか、ということですね。

同じ大きさの四角いポリゴンを、6面繋げると6面体になります。その6面のポリゴンの法線は、すべて外を向いていて、初めて体積を持つことが出来るようになります。中が詰まった状態ということですね。

その6面体が、二つ重なっていたとすると、重なった部分はどうなるでしょう?法線が外を向いているので、重なった部分は空洞と認識されます。

そのデータを3Dプリンターで出力してみると、重なった部分は何もないと認識されてしまい、そこが空洞になる場合がほとんどです。

ということは、重なった部分で切り離されてしまいます。それを避けるために、オブジェクトが重なった部分を作らないように作る必要があります。

重なったもの同士を一体化してしまうか、または、重なった部分を一方のオブジェクトで削り取ってしまうかしないと、そういう状態になることが考えられます。

そういうことを認識しながら、モデリングを進める必要がありますね。これ、案外知られていないことが多いように思います。

3DCGデータはどれでも、3Dプリンターで出力できるわけではないんです。

一部、石膏プリンターなんかは、そういう重なった部分も埋めてしまうようですので、あまり気にしなくてもいい場合もあります。

要は、どういう3Dプリンターを使うかによって、データの制作手法が変わって来るんですね。

使用するプリンターの特性を理解した上で、データを制作する必要がありますが、基本的には、すべての3Dプリンターでうまく出力するには、

1)すべてのデータが、ソリッド(体積を持ち、穴が空いていない)形式とすること。

2)オブジェクト同士が重なった部分がないこと。

これが基本となるかと思います。

他にも、プリンターによって再現できる最小精度のサイズがあります。これは、解像度や積層ピッチに依存します。

例えば、積層ピッチが0.2mmのプリンターの場合、当然、0.1mmの物は制作することが出来ませんね。そこで、使用する3Dプリンターの再現度に合わせて、厚みや幅を増やしたりする必要がある訳です。

これも、結構重要なポイントになります。

以上のようなことを注意して、きれいに出力できるデータの制作を行う必要があるんですね。……と、今回はけっこう真面目な内容となりました。

さて、もうすでに師走。僕も事務所の引っ越しや、溜まった仕事があり、無事に正月を迎えられるかは、これからが勝負です……。


【___FULL_DIMENSIONS_STUDIO_____ 織田隆治】
oda@f-d-studio.jp
http://www.f-d-studio.jp



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編集後記(12/03)

●わたしは絶対に認知症になりたくない。自分が自分でなくなり、暴力や暴言や妄想や徘徊などの醜い行動をとるなんて、想像しただけで自死したくなるが、なってしまったら自分で止めることができず、周囲に迷惑をかけ放題、醜態をさらして生きていくんだなと思うと、人生ってむなしいものだ。なんて思っていたのだが、それは偏見というか、無知というか、誤った考えであった。毎日新聞生活報道部「認知症新時代 私らしく生きる」を読んだ(毎日新聞出版、2015)。認知症の当事者に対して真正面からの取材に加え、認知症と共に生きることを前提に、国および医療や地域の現場をルポした画期的な企画である。

認知症になっても安心して生きていける社会にするため何が必要か、我々はどうしたらいいのか、それにはまず当事者である認知症の本人の意見をきくのが一番だ、というじつに真っ当な視点。これは介護する家族の大変さや、医療・介護の現場を支える人の苦労を否定するものではない。しかし、認知症になったら周囲との関係性を絶たれ、病院や施設に入って“問題のないように”管理されても当然という考えは根強い。今は「介護する側の都合」が優先されているのではないか。認知症をもっと「本人の立場」からとらえるべきではないか。そういう切り口のルポだから、非常に前向きで期待の込められた内容だ。

出雲市の精神科医・高橋幸男さんの話には納得する。認知症になると「何もわからなくなる」との誤解があるが、医師の経験では、本人は分かっているし、不安や孤独感を抱いているという。認知症になると、もの忘れが増え、言葉も出にくくなり、会話も減る。家族も話しかけなくなるが、間違いを指摘したり、「しっかりして」という励ましは逆に増える。認知症の人はこれを「叱られている」「責められている」と感じ、不安や孤独感を深めるのだそうだ。指摘を受けることで更に追い込まれ、問題行動(徘徊、暴力、暴言、妄想など)に陥る。周囲は「暴力的になった」と薬で沈静化させるが、これでは解決しない。

解決には、認知症の人が安心できるよう、周囲が本人の気持ちを理解し、関わりを変えることが重要だ。具体的には、現状を受け止め、励ましや指摘は減らし、温かい会話を増やすことである。この本では、ステキな認知症本人が何人も登場する。みなさん、先々への不安を抱えつつも、生きがいをもち、周囲の人々や地域とのつながりを大切にしながら、自分らしく生きていこうと奮闘している。認知症なんかこわくない、来るなら来てみろって気分になる。あと10年で、65歳以上の5人に1人は認知症になるらしい。認知症とは2004年に厚労省が決めた「行政用語」である。そんなものに振り回されてたまるか。 (柴田)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4620323276/dgcrcom-22/

「認知症新時代 私らしく生きる」


●「『壊す』という行為を避けて通っている。」の続き。この罪悪感は、実生活ではなかなか味わえない。こんな罪悪感を感じるぐらいなら、我慢した方がいいやと思って生きてきたところがあるし、イケズな人には近寄りたくない。ゲームでそのイケズを必ずしもする必要はないが、相手が作り上げてからだともっと厄介なことになるのがわかってる。

イケズしたくないからと見過ごした時にも、罪悪感が生まれる。なんでやらなかったんだ、やらないからこんなに厄介な状況になっているんだと。

なので相手が動く時間帯(決まっている)は、アプリを立ち上げないようにしたり、別の場所で活動して、帰宅してから、あーあまた面倒なことをしてくださったわ〜、次に動ける時に壊しましょとMapを見て忘れるようにする。続く。 (hammer.mule)