[4045] みかん山を歩く。の巻

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《継続することへの情熱だけはありますので(笑)》

■わが逃走[173]
 みかん山を歩く。の巻
 齋藤 浩

■もじもじトーク[33]
 「促音・撥音・拗音・長音」について考える
 関口浩之




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■わが逃走[173]
みかん山を歩く。の巻

齋藤 浩
https://bn.dgcr.com/archives/20160114140200.html

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地図を見て、地形を想像して、なんか面白そうだと感じるところは、たいてい面白い。とくに曲がりくねった路地、細い坂道や階段のある地形は大規模な区画整理と無関係の場合が多いため、昔から変わらぬ町並みや風情のある物件など、楽しい風景に出会える確率が高い。

ちなみに、私が育ったS玉県のO宮では昭和のワビサビが残る町並みが軒なみ真っ平らにリセットされ、真っ直ぐなバイパスと直角に交差する道路が日々拡張しており、果たしてこういった土地に郷土愛が根付くのかと心配してしまう。

以前も書いたが、親子三代で同じ景色を共有できないという事実に、人はもっと危機感をおぼえるべきである。

さて、天皇やキリストの誕生日も過ぎ、年内の仕事も一通り片がついた2015年のある日、ちょいと散歩をしに尾道まで行ってきた。

駅周辺の山側の路地を日が暮れるまで歩くのがいつもの定番コースなのだが、今回は地図を見て気になっていた山波町を半日ほど歩いてみた。等高線の狭さとくねる細道になにかありそうと感じたのである。

ここは観光地でもなんでもない、尾道駅と東尾道駅の間にある造船所の城下町だ。住宅の集まる東側も気になったが、まずは町並みを見下ろすべく、小学校のある高台に向かった。地図で見るかぎりこの小学校は由緒正しい印象である。なぜなら学校の裏に山があるからだ!

昭和の児童漫画を読んで育った人にはわかるだろう。“学校の裏山”は小学生にとって、空き地の土管と同じくらい重要なアイテムなのだ。

私の通っていたO宮の小学校にも裏山はあったが、いまはすっかり宅地化が進み風情もなにもない。昔はカブトムシが採れたり墓があったり貝塚があったりエロ本が捨ててあったり痴女が出たりするなど、ちょっとした探検気分が味わえたのだ。

そういった意味からも、学校の裏山とは、充実した人格形成期を送るためのマストアイテムと言えよう。

さて、散歩は尾道造船正門前からスタート。普通の町並みに対し唐突に突き出るクレーンの大きさに圧倒される。

屋根の向こうに面白い形のビルが建ってると思うと、それは建造中の貨物船のブリッジだったりするわけだが、ここではそれが日常なのだ。

道路脇には水路。堰の独特の形状に歴史を感じる。

https://bn.dgcr.com/archives/2016/01/14/001

小学校には郷土資料館が併設されているらしいが、この日はお休み。風情のある裏山をもとめて坂道をゆく。

https://bn.dgcr.com/archives/2016/01/14/002

坂の途中、小さなY字の交差点に到達。本線と支線の高低差もさることながら、舗装道路の断面がカットモデルのごとく見ることができて興味深い。カーブミラーの根っこ部分というのも初めて見た気がする。

https://bn.dgcr.com/archives/2016/01/14/003
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ゆるやかなカーブを描きつつ坂道は続く。どうやらこの山全体にみかん畑が広がっているようだ。そして、頂付近には細い農道にもかかわらず立体交差という唐突感。

https://bn.dgcr.com/archives/2016/01/14/005

さらに登ると、こんな風景が。手前にある金属のラインは何かというと……

https://bn.dgcr.com/archives/2016/01/14/006

収穫したみかんを運搬するために張り巡らされた、モノレール軌道だった!遠景に造船、近景にみかん軌道。これぞ寄りと引きで楽しめる社会科見学。

https://bn.dgcr.com/archives/2016/01/14/007
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みかん軌道、残念ながらこの日の運行はなし。目の当たりにしたら泣いちゃうかも。ちいさな貨物列車がみかんをたくさん積んで一生懸命山々を走り抜ける向こうに、巨大なクレーンによって船が造られていく風景。

これは思い切りツボである。一日中眺めていたい。

それにしても、機械に人格を感じてしまうのは何故なんだろう。また面白いことに、電子機器に対してはまったくそういうことはないのも不思議だ。

山を反対側に下って川を渡る。つまり、みかん山は川にはさまれているわけだ。川は低いところを流れる。当たり前なんだけど、地形を図や知識としてでなく体感できる環境ってすばらしい。

https://bn.dgcr.com/archives/2016/01/14/010

水路の壁面を見ると、護岸工事の地層を発見。コンクリート、石、アスファルトと三重の歴史が視覚的に確認できる。こういう発見も嬉しい。

https://bn.dgcr.com/archives/2016/01/14/011

去り際に発見したのがこの看板。現役の大村崑は久々に見た。改めて思うが、「おいしいですよ」というコピーがいろんな意味でスゴい。読むだけで崑ちゃんの声が脳内で響く。

https://bn.dgcr.com/archives/2016/01/14/012

実に楽しい散歩だった。ああ充実感。

私が散歩をする理由だが、べつにノスタルジーにひたりたいわけではない。新しい発見やアイデアの源となる体験をしたいだけなのだ。

それには、再開発されたニュータウンよりも、昔から変わらぬ風景を歩いた方が効果的だということを経験上知っている。

ただ、それらは数値化できないため、説得力に欠けるのが少々残念ではある。次回は町の東側を散歩したいと思っている。

今年もよろしく。


【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
http://tongpoographics.jp/


1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。


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■もじもじトーク[33]
「促音・撥音・拗音・長音」について考える

関口浩之
https://bn.dgcr.com/archives/20160114140100.html

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こんにちは。もじもじトークの関口浩之です。2016年最初の『もじもじトーク』です。本年もよろしくお願いします。

前回は「括弧」、前々回は「句読点」についてお話しました。どちらも、あたり前のように使ってますが、それら記号がもっている本来の意味を理解して使うと、読みやすい文章が書けるのではないでしょうか(自分の文章が読みやすいかどうかは別の話ですけど……)

さて今回は、当たり前のように使っているシリーズ第三回「促音・撥音・拗音・長音」に挑戦したいと思います。

●「促音・撥音・拗音・長音」って何?

これら四つの用語を説明してください、と言われらたら、みなさん、どうでしょうか? 僕は答えられませんでした。なので、今回も『モジカ』という雑誌に登場していただきます。

今日の参考書はこちらです。ジャーン!
http://goo.gl/UbdNpX


『モジカ』5号は1996年8月発行なので、約20年前に発行された雑誌ということになります。まず、下記の一文が目に飛び込んできました。

促音・撥音・拗音・長音───これらの違いを正確に知る人は、それほど多くない。あまりに身近すぎて、その重要性をつい見逃してしまう。しかし、こうした特殊な音節のなかにこそ、実は日本語の大きな特徴が秘められているのだ。

では、それぞれについて解説していきます。

●促音(そくおん)

促音とは「取った」や「がっこう(学校)」などの小さな『っ』で表記される音のことです。『つまった音』と説明すると分かりやすいかもしれません。

下記の三つの単語は同じ『っ』として表記されますが、ローマ字書きすると[t]と[k]と[p]と発音は異なっています。

葛藤(かっとう) [katto:]
滑降(かっこう) [kakko:]
割烹(かっぽう) [kappo:]

促音は、母音はないけど一拍の長さをもっています。その意味で「特殊音節」と呼ばれています。

●撥音(はつおん)

撥音とは「呼んだ」や「かんばん(看板)」などの『ん』で表記される音のことです。『鼻にかかる音』と説明すると分かりやすいかもしれません。

下記の二つの単語は同じ『ん』で表記されていますが、ローマ字書きすると、[n]と[m]と発音は異なっています。

簡単(かんたん) [kantan]
看板(かんばん) [kamban]

撥音も、母音はないけど一拍の長さをもっています。その意味で、促音と同様に「特殊音節」と呼ばれています。

●拗音(ようおん)

拗音とは「きゃく(客)」や「きょう(今日)」などの『ゃ』『ゅ』『ょ』で表記される音、もしくは擬態語・擬音語の「くゎっと(目を見開き)」などの『ゎ』『っ』で表記される音のことです。

●長音(ちょうおん)

長音とは、平仮名なら「おかあさん」や「おとうさん」などの『あ』や『う』で表記される音のことです。「母音を通常の倍にのばしたもの」と説明すると分かりやすいかもしれません。音声学的には長母音になります。

また、片仮名なら「ケーキ」や「カーソル」などの『ー』で表記される音のことです。外来語で使用されることが多いようです。片仮名表記の場合、見た通りの「母音を伸ばしたもの」ということです。

●促音・撥音の歴史的背景

古代の日本語では、例えば「万葉集」の中では、促音・撥音・拗音・長音ともに、表記の上では存在しなかったようです。しかし、実際の生活の中では、これらの音節は存在していたと言われています。

例えば、「とさか(鶏冠)」が「とり+さか」からできていたとすれば、音声学的には「とっさか」の時期があったはずです。

促音や撥音は、動詞の連用形に助詞の「て」が付いたときに生じることが多く、平安時代から変化が始まったと言われています。例えば、

取り+て → 取って
読み+て → 読んで

のように変化したようです。[tori+te]の[i]が脱落すると[torte]になり、これが[totte]に変化していったようです。外国語でも母音が省略されたり、異なった子音が挿入されたりするケースがみられるように、日本語でも同様の変化が生じています。

奈良時代から音声としての促音は存在していたようですが、文字の表記は存在しなかったようです。例えば、「あやまって」という口語表現があったとしても、和文表現する際は「あやまりて(誤り+て)」と記述することが通例だったようです。

和文表現での促音「っ」の記述が一般的にになったのは、江戸時代になってからのようです。

簡単に「促音・撥音・拗音・長音」それぞれの意味や役割を書いてみましたが、日本語音声学を学んでいるような気分になりました。

●文字と言葉を誕生させた人類ってすごい

日本語をひも解くと、膨大な数の漢字があり、音読み・訓読みがあります。そして、ひらがら・カタカナがあります。そして、アルファベット混じりの文章を書く場合もありますよね。

また、人と人が直接コミュニケーションする際は、文章だけでなく、抑揚をともなった音声でやりとりするわけです。人類ってすごいなぁと思いました。

告白しますと、僕、学生の頃、文章書くのがすごく苦手でした。読書感想文の宿題が出たときは、原稿用紙の前にして、じっと固まってしまうタイプでした。

そして、彼女に手紙を書くなんてことになったら、そりゃー、もう大変でした。便箋を何枚もダメにしました。二日ががりで手紙を仕上げたりしてね…(笑)

そういえば、当時、便箋などの文房具はサンリオキャラクタが全盛期でした。ハローキティが誕生したのはその頃です。1974年。パティ&ジミーやリトルツインスターズも流行ってました。

ハローキティは息の長いキャラクタに育ちましたね。1970年代のキャクタ話はいつかのテーマにしたいと思います。脱線してすみません。

というわけで、文章を書くのは得意ではありませんが、ご縁があって一昨年、デジクリデビューしました。そしてどうにか休まず今日まで続けております。継続することへの情熱だけはありますので(笑)、今後ともお付き合いのほど、よろしくお願いします。

今回で33本目の連載記事ですが、100本目を書く頃にはもっと素敵な文章が書けるようになっているといいのですが…。ご期待ください。

当たり前のように使っているシリーズ、第一回「句読点(丸と点)」、第二回「括弧」、第三回「促音・撥音・拗音・長音」をお送りしました。

参考文献:モジカ5号(1996年8月発行)「促音・撥音・拗音・長音」


【せきぐち・ひろゆき】sekiguchi115@gmail.com
Webフォント エバンジェリスト
http://fontplus.jp/


1960年生まれ。群馬県桐生市出身。電子機器メーカーにて日本語DTPシステムやプリンタ、プロッタの仕事に10年間従事した後、1995年にインターネット関連企業へ転じる。1996年、大手インターネット検索サービスの立ち上げプロジェクトのコンテンツプロデューサを担当。

その後、ECサイトのシステム構築やコンサルタント、インターネット決済事業の立ち上げプロジェクトなどに従事。現在は、日本語Webフォントサービス「FONTPLUS(フォントプラス)」の普及のため、日本全国を飛び回っている。

小さい頃から電子機器やオーディオの組み立て(真空管やトランジスタの時代から)や天体観測などが大好き。パソコンは漢字トークやMS-DOS、パソコン通信の時代から勤しむ。家電オタク。テニスフリーク。


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編集後記(01/14)

●安倍政権の進める「一億総活躍社会」って、救いがたいダサい表現だ。年寄りだったらすぐに「一億火の玉」とか「一億総蹶起」とか「一億玉砕」とか、戦時中の勇ましくも空しいかけ声を想起するだろう。わたしは「一億総白痴化」という大宅壮一が発した流行語をまず思う。ところで、漢字変換で「白痴」が出ない。Googleでも「はくち」の漢字候補に出てこない。もちろんテレビでは絶対に出ない。ドストエフスキーの作品名としても“自粛”されるらしい。面倒な世の中だ。「一億」「総活躍」……聞いただけでさぶいぼ出たわ(注:関西風に感動しているのではない。ホントに身の毛もよだつ「鳥肌」である)。

政府の掲げる重点指標は新・三本の矢として、GDP600兆円、希望出生率1.8、介護離職ゼロを挙げていて、それはそれでよいが「一億総活躍社会」というキャッチフレーズのひどさは言語道断ではないか。誰か文句つけてくれと切望していたら、「新潮45」2015.11の特集「どの口で言う!」の中でコラム二スト・テクニカルライターの小田嶋隆が酷評してくれた。さすがツッコミの天才(とわたしは思う)。「商品の広告文案として使うにしても、組織の運動方針の告知であっても、このフレーズはあまりにもダサい。まして、21世紀の政府が政策アピールとしてリリースするなんて到底考えられない──はずだったのだが」

「恐ろしいのは、あのダサいスローガンに誰もダメ出しできなかった官邸の機能不全であり、トップの発案に異論を唱えることが不可能になっている党内のガバナンスの硬直化なのだ」とし、会議の様子を戯画化してみせる。発案は間違いなく安倍ちゃんだろう。総理の愚昧な決定に対して、誰も異論を唱えられない空気が永田町を支配しているらしい。小田嶋はこれを「致命的な集団自殺の兆候だ」と断じ、戦時中の「一億総蹶起」とニュアンスにおいて殆ど区別のつかないフレーズを「何の躊躇もなく掲げてしまう夜郎自大」を不気味だと感じる。なぜなら、官邸は最初から批判や批評をまったく恐れていないからだ。

小田嶋が強調するのは「安倍政権の中に当初はあった真剣さと説明への情熱が、失われてきている」ということだ。確かにその通りだと思う。また、新・三本の矢を最初に聞いたとき、まず思ったのは「これ、矢じゃなくて的だぞ」だという。そうだよな、具体策なら矢だが、ここでいうのは的、目標、ターゲット、ゴールであって、矢ではない。そして、わたしも考えていたオチが来る。日本の人口は約1億2685万人である。「一億総活躍社会」を額面通りに推進すると、2685万人の日本人が活躍候補から漏れることになる。そして「一億総活躍相」の英語表記が「Minister in Charge of Promoting Dynamic Engagement of All Citizens」と決まった。あれ? 「一億」が消えちゃった。 (柴田)


●はくち、ほんとだ出ない。わたしゃドストエフスキーの作品名しか連想しないのに。それはそれとして、地図記号の寺マークを、ナチスのハーケンクロイツに似ているからって三重の塔にすることに怒りを覚えるっ。お寺の記号の方が古いんじゃないの? 周知すればいいだけじゃないのさ。

外国人用だという話だが、そのうち日本人向けのものにも反映されるようになるのであろう。わかりやすいといえばそうなのかもしれないが、塔のないお寺の方が多いのに(庭先の小さなのは省く。一般家庭にも置いてあったりするから)。ちょっとIngressやってみなさいよっ!

NHKの小学3〜4年の講座より。「お寺を表すのはこちら。日本では『まんじ』と呼ばれています。もとは、『仏教』というインドのお坊さんが始めた宗教で使われる印で、『平和』や『栄えること』を表すものでした。今でも、お寺にかけられている布や仏像にはこの印が入っているものがあります。」 (hammer.mule)

ホテルや寺…外国人向けに新たな地図記号 国土地理院
http://www.asahi.com/articles/ASJ176TK6J17UTIL02W.html


神社と寺の地図記号の由来(動画あり)
http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005310229_00000&p=box


少林寺拳法までもが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%84