[4051] 二度目のシンガポールでまた考えた

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《日本の教育は厚生省式改良便所である》

■ Otaku ワールドへようこそ![226]
 二度目のシンガポールでまた考えた
 GrowHair




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二度目のシンガポールでまた考えた

GrowHair
https://bn.dgcr.com/archives/20160122140100.html

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機会というのは、真剣に念じていると向こうからやって来るものである。いちばん行きたい国を念仏のように唱えていたら、その国で開催されるコスプレイベントにお呼びがかかった。

シンガポール。経済的に立てなおそうとの意志があるのなら、日本がいちばんお手本にすべきは、かの国だと思っている。一世帯あたりの平均月収が約85万円。6世帯中1世帯が、1億円以上の金融資産を保有する。リッチな国である。

もっとリッチな国はあるのかもしれないけど、地中から湧いてきた石油のおかげで、というのでは、あまり参考にならない。工業国としてうまくやっていて、日本もがんばれば追随できそうなのは、この国である。

シンガポールに特徴的なことのひとつとして、教育水準の高さがある。世界の大学をランク付けする "TIMES HIGHER EDUCATION (THE)" の"World University Rankings 2015-2016" によると、シンガポールも日本も、ベスト100に2校ずつランク入りしている。

26 位 シンガポール国立大学
43 位 東京大学
55 位 南洋理工大学
88 位 京都大学

いい勝負、ではない。シンガポールの人口は約500万人で、国立大学はわずか3校しかない。日本の人口1,273億の中から学力トップ500万人を選抜して、生え抜き国家ができていると思うと、驚異&脅威でしかない。
http://www.timeshighereducation.com/world-university-rankings/2016/world-ranking


行ったら、賢い人を探し出して、国の成功の秘訣を聞き出してこよう。シンガポール国立大学に行って、そこらへんの人をつかまえて、インタビューしてみるか。

●スタッフの素早い対応に感謝

2015年12月26日(土)、27日(日)、マリーナ地区にある「サンテック・シンガポール国際会議展示場」にて、コスプレとゲームのイベント『Cosfest Christmas × Good Game 2015』が開催された。
http://www.cosfestgg.com/


台湾のコスプレイヤー二人とともに、私にもお呼びがかかり、願ったりかなったりとばかりに行ってきた。年内の出勤日の最後の二日、25日(金)と28日(月)を休まざるをえず、首のあたりが若干すーすーするのは、あえて意識から追い出しておくことにした。

シンガポールへは6月にも行っている。6月6日(土)、南洋理工大学の講堂で、漫画・アニメ・ゲームのイベント『Minnacon』が開催された。主催するのは、南洋理工大学(NTU)とシンガポール国立大学(NUS)の学生たち。ゲストのアテンドについては、プロに依頼しないと心配だったのか、Cosfest のスタッフであるTT氏が務めてくれた。

渡航前、4月25日(土)に「ワイアードキッチン ペリエ海浜幕張店」にて開催された『外のニコニコ学会β』で、チームラボ株式会社の高須正和氏の講演を聞いていたので、シンガポールが工業国としていかに成功していて、経済的に絶好調であるかは、最初の渡航の時点でも意識していた。

実際に行ってみて、生い茂る木々の一本一本からも繁栄を誇られているように感じたこと、2015年6月19日(金)のこの欄にレポートしている。
https://bn.dgcr.com/archives/20150619140100.html


高須氏は「WirelessWire News」というウェブメディアに不定期にコラムを寄稿しており、すでに9本がサイトに上がっている。
https://wirelesswire.jp/author/masakazu_takasu/


その後、7月になって、田村耕太郎氏の有料メルマガ『シンガポール発、アジアを知れば未来が開ける!』を知って購読するようになり、いよいよ日本ヤバいかとの思いが強まってきた。20年にわたってどよよと停滞を続ける日本を尻目に、がんがん進化していくシンガポール。このままいくと、日本の技術が世界から完全に遅れをとって、製品が競争力を失い、国が丸ごと沈没してしまうのではあるまいか。

田村耕太郎氏は、「現代ビジネス」というウェブメディアに不定期に連載しており、2015年6月からすでに20本のコラムが掲載されている。全体的に、いかにシンガポールが進んでいるか、いかに日本が世界から取り残されているかを警告する論調で、衝撃的ではあるが、非常に大事なことを教えてくれていると思う。
http://gendai.ismedia.jp/category/usaedu


もう一回、シンガポールへ行って、少なくとも書いてあることが現地の人々の共通認識と一致するのかどうか確認したい、さらには、シンガポールの成功の秘訣を現地の人々からも聞き出したいと思い、機会をうかがっていたら、来たというわけである。

NUSを訪問したい旨、事前にスタッフに伝えており、28日(月)に連れていってもらえる話になっていた。26日(土)の夕食の席で、TT氏から聞かれた。「NUSに行って何がしたいの?」。あらららら……。行きたい意向だけ伝わって、思いまでは伝わっていなかったらしい。

「ただ歩き回って空気を吸ってくるだけでもいいんですけど、できれば関係者とお話ししたいです。学生でも教員でも」。そしたら、それからの動きが素早かった。翌日、27日(日)の夕食の席には、NUSの学生さんを連れてきてくれていた。クレメンス氏。NUSに在学している3年生で、日本語を勉強しているとのこと。

28日(月)11:00amにホテルのロビーに集合し、TT氏は台湾へ帰る二人を空港へ送っていき、クレメンス氏が一人で丸一日案内してくれた。NUSのキャンパスの広さは200ヘクタールというから、ざっと1.4km四方だ。日本の国立大学の1キャンパスとして一番広い東大本郷キャンパスが54ヘクタール、私立では拓殖大学八王子キャンパスが107ヘクタールである。それらを余裕でしのぐ広さ。起伏と緑に富んだ丘陵地帯丸ごとひとつって感じ。

中を無料のバスが巡回しているが、何を急いでいるのか、運転がめちゃくちゃ乱暴で、手すりにぎゅっとつかまっていても、ぎゅいんぎゅいん振り回される。

東京の真夏よりはだいぶ涼しくて過ごしやすい12月のシンガポール。私のセーラー服は、もちろん夏服だ。

冬休みに入っているので、誰もいなかったらあきらめるしかないかと思っていたが、意外とたくさん人が行き来していた。寮生はふつうに生活しているとのことで。特に、中国人は、2月の旧正月に帰る人が多いとのこと。

向こうから話しかけてくれる人もいて、ざっと20人ほどと話ができた。キャンパスに入ったところで会った二人連れのうちの一方は日本人。NUSリークワンユー公共政策大学院の教授である田村耕太郎氏を知っていたが、あの人は話を膨らませ気味なので、少し割り引いて聞いたほうがいいよ、と。

男性三人連れのうち一人は、日本人だった。東大教養学部に在学しており、一年延ばして交換留学しているそうだ。

国際色豊かな食堂が立ち並ぶエリアで、「口福」という中華系の食堂に入った。その店だけでも200人ほど入れそうな広さで、カウンターがいっぱいあって、そうとう迷った。大きな皿の真ん中にごはんを半球状にポコンと盛ってくれて、並べてある15種類ほどのおかずの中から3〜4種類指さして選ぶと周辺に盛り付けてくれて、重さで課金する方式のにした。空心菜とか、豚の角煮とか、4種類選んだ。0:00pmを過ぎるとどっと混んできて、ほぼ満席になった。

乱暴なバスでセントラル図書館のエリアに行くと、そこにも食堂があり、国際コミュニケーションを専攻しているという二人連れ二組と話ができた。

乱暴なバスでさらに理工学部のエリアに行くと、そこにも食堂がある。「この学部の人たちはシャイなので、こっちから話しかけないと、誰も話しかけてこないよ」とクレメンス氏。はいはい、私も数学専攻だったもんで、分かります。食事中の男子学生三人組がこっちを見ていたので、話しかけたら、たっぷりと話につきあってくれた。

帰りがけ、キャンパス外へ出ていくバスを待っているとき、男性三人組と話すことができた。一人はそうとうのご年配で、NUSの卒業生だが、今は事務職のような立場だという。博識で、日本の状況もよく把握していた。

予想以上の収穫であった。ポイントは4つ。

●その1 猛勉強した人が、してないと言う

「入試を突破するまでに、そうとう猛勉強したでしょう」。NUSで会った人のほとんどにこれを聞いてみた。「そりゃあ、生半可な勉強じゃ突破できませんからね」ときっぱり言ったのは、最後に会った年配の方、一人だけであった。

たいていの人は、照れ笑いを浮かべ「いやいや、そんな、猛勉強なんて、してませんよー」と。もちろん、そんなわけがない。多分に謙遜もあろう。

しかし、謙遜ばかりではなく、耐えてきた、苦しんできた、という暗さが微塵も感じられない。まったく受験疲れしていないのである。ハイペースで一生走り続けるもんだと迷いなく受け入れ、入試突破などは通過点にすぎず、それ以降もペースを緩めるどころか、ますますピッチを上げて走り続けている感じ。明るく元気でのびのびしていてさわやかな印象。

日本だとなかなかそうはいかないのではあるまいか。そもそも勉強とは苦痛なのがあたりまえ、と捉えているフシがある。そりゃあ、原宿でクレープ食べたり、ディズニーランドでミッキーマウスと一緒に写真を撮ったりするのに比べれば、なるほど辛気くさい営みではある。

勉強とは将来偉くなってお金をがっぽがっぽ稼ぎまくれるようになるための布石として、いま我慢しておく仕込み作業なんだと教わってきてはいなかったか。

遊びたいのをこらえにこらえ、長時間にわたる単調な暗記や計算ドリルに耐えに耐え、強い精神力をもって苦 難のトンネルを抜けた人だけが晴れて栄冠を手にする、みたいな。グラウンドで「重いコンダラ」(※)を引く野球部員のイメージ。

※1968年(昭和43年)に放映が始まったテレビアニメ『巨人の星』のオープニング主題歌の最初のフレーズ、「思い込んだら 試練の道を」を「重いコンダラ」と勘違いされたことが由来とされる。

で、受験を通過すると、それまで遊びたいのを我慢していたのが一気にはじけ、積年の恨みを晴らすかのごとく遊び呆ける、と。あるいは、「今までは教科書の勉強だったけど、これからは実地に社会勉強だ。人間の幅を広げるのだ」とかなんとか自分に言い訳をしつつ、恋愛や恋愛シミュレーションゲームにうつつを抜かす、と。

で、社会人になってだいぶ経ち、もうテスト勉強でもなくなったころ、ひょんなことから、勉強の内容が意外とおもしろいってことに気づき、「あっ!」ってなる。もし最初っからそこに気づいていたら、あんなに苦痛を感じずに勉強に励むことができたかもしれないじゃんかー。先生よぉ、なんでそこを最初っから教えてくれなかったんだよー。

シンガポールの優秀な学生さんたちを見ていると、どうも、幼少のころからそこがちゃんと分かっていて、ひとつも苦痛を感じずに勉強に励むことができていたのではなかろうかと思えてくる。

学校教育において、低学年のうちから、ノーベル賞受賞者など一流の学者から話を聞く機会が与えられるという。それが成立するためには、まず前提として英語がふつうにしゃべれなくては話にならない。そんなことが、田村氏のメルマガに書いてあったっけ。

そういう人からちょっと息を吹きかけてもらうと、パッとスイッチが入って、勉強することの意味がピンと来ちゃうのではあるまいか。将来稼ぐための手段としての勉強ではなく、知的な喜びのための勉強。青虫が旺盛な食欲をもって葉っぱをバリバリ食っていくがごとく、旺盛な意欲と好奇心をもって、学習内容をどんどん吸収していけるのではあるまいか。だから少しも苦痛を感じることがないのではあるまいか。

ものごとの奥にある意味を自分で考えることが尊ばれず、なんでもかんでもむやみに暗記するのをよしとして、テストが終わったら全部忘れちゃう、日本の詰め込み教育とは、勉強の概念が異なるようである。

中学のときの保健の授業で、「厚生省式改良便所」というものを覚えさせられ、それがテストにも出題されたのがあまりにもばかばかしくて、いったいいつ役に立つのか、一生覚えておいてやろうと決めた。35年経つが、これがそれだと意識できる形で実物に出会ったことすらない。分かった。日本の教育は厚生省式改良便所である。

●その2 生き残りを賭けた競争原理になじんでいる

日本は農業国としての歴史が長い。農業においては、多様な作業を各自の適性に応じてみんなで分担しあい、協力しあって事を進めるのがよい。社会の原理として意識の根底にあるのは、「競争」よりも「協力」だったのではあるまいか。十七条憲法にも「和をもって貴しとなす」とある。

それが、急速に工業化しちゃったもんだから、とってつけたように、競争原理のほうが優勢になってきた。どうもこれが、社会にいろいろなひずみを及ぼしたように感じられる。

「受験戦争」という言葉は、私が小学生のころからあった。4年の2学期から通い始めた四谷大塚進学教室では、生徒どうしがお互いを「お宅」と呼び合っていた。あれは母親どうしがそう呼び合っていたのが単純に子に伝搬したものだと思うが、小学生にしては不自然によそよそしい感じがするもんだから、仲間意識よりもライバル意識が先行しているようにみえたかもしれない。

変に距離を置いて関わり合う子供たち、それが後の世の「オタク」の由来である。名付け親は中森明夫氏。実際にその呼称を用いていた私は、由緒正しいオタクと言える。

授業をサボったり(「フケる」と言った)、隠れて煙草を吸ったりする不良まがいのは、私の高校時代にもいた。いじめや暴力もあった。しかし、集団でフケたり、本格的な破壊行為に及んだりして授業が成立しないという「学級崩壊」は、私が卒業して以降のことである。

詰め込み教育や競争原理によるストレスがいけなかったのであろうという反省がなされ、対策として「ゆとり教育」が導入された。円周率はおよそ3、運動会では順位を決めない、というアレである。その後、学級崩壊という事態は聞かなくなったので、対策としては間違ってなかったのであろう。

後に教育の後退のように言われるようになるけれど、後退の元凶は学級崩壊のほうにあり、対策としては仕方がなかったのだと思う。

サラリーマン社会もなぁ。昭和のころは「年功序列」が原理として支配的だった。サラリーマンの三条件は「遅れず、休まず、仕事せず」と言われていた。まわりとの調和が大事だったのである。

バブルがはじけて、企業は厳しいコスト削減を余儀なくされた。払う賃金の総和を減らしつつ、全体の士気を下げないようにするにはどうすればいいか。年功序列をやめて、能力や働きに応じて大きく傾斜をつけちゃえばいい。実力主義。給料の平均値は下がっても、頑張った人はかえって増えるという仕組み。

うまく考えたもんだ。頑張りさえすれば給料は減らず、増えることさえ期待できる。互いに競争があおられるので、みんながいっそう頑張るであろう。労働者側からも意外と支持されていた。傾斜を極端に強くつける外資系企業がカッコいいとされたり。

給与傾斜システムを公平に運用するためには、各社員の能力や働きぶりを正当に評価する仕組みが必要である。といっても、みんなが同じ種類の仕事を担当しているわけではないので、単純に生産量的な比較はできず、個々の持ち場に応じた評価をしないとならない。

次の半期でどんなことを達成するかを各自が期初に宣言し、期末にどれだけ達成できたかをもって評価する。成果管理とか目標管理と呼ばれる。評価システムと給与傾斜システムとをセットにして運用すれば、すべてがうまくいき、日本はバブル崩壊後の不景気から抜け出せるはずだ。

昭和のモーレツ社員よろしく「24時間働けますか」の掛け声のもと、エナジードリンクをぐぐいと飲んでバリバリ働くジャパニーズビジネスマン。活気にあふれる職場。力強い景気回復。……となるはずだった。

なんか、そうはなってないね。なんだろ、やっぱ急に競争原理を導入されても、すっとは適応できないのかなぁ、日本人。負けたらリストラされるという恐怖から自分をごまかすためなのか、みんな「デキる人ごっこ」に勤しんじゃってるし。デキる人のお芝居に溺れて自分でもそのつもりになっちゃってるそこのアンタ、錯覚、錯覚。

職場で不要な存在にならないよう、大事な情報やスキルを一人でガメちゃって、まわりの人に伝授しようとしない。協力のムードが薄れ、コミュニケーションの絶対量が減る。組織の活力が減退する。

さすがに社内暴力とか職場崩壊とはならなかったけど 。鬱になる人は多い気がする。私などは比較的能天気なほうではあるが、ひょっとすると最新型鬱とか次世代鬱とか、そういったものを患っているのではなかろうかという気がするときもある。どうも競争は苦手だ。

そこんとこ、シンガポールではどう向き合っているのか、ぜひ聞いてみたい。「和」とか「競争原理」とかにあたる、根本原理はいかなるものであるか。クレメンス氏から明快な答えが返ってきた。それは「サバイバル」であると。

面積は広くない、人口は多くない、資源は湧いてこない。条件だけみれば、圧倒的に不利な立場に置かれている国である。水の供給はお隣のマレーシアに依存しており、3本のパイプラインを通じて送られてくる。岩盤が固くて地下鉄を掘るのもたいへんだったというから、巨大な地下貯水池なんて作れない。

周辺国に対して経済的に勝ち続けていなくては、国として生き残れないのである。悪くすれば、近隣の国に併合されかねない。

まず、国と国との競争は、宿命としていやおうなく受け入れざるをえない。国として勝つためには、内部では人と人とが競争原理にさらされ、テクノロジーで勝てる人材を育て、より有能な人に、より大きな役割が与えられる仕組みの下にやっていくしかない。

NUSのある学生さんは、競争はたしかにストレスではあるけれど、そんなの小学生ぐらいでそういうもんだと受け入れちゃってて、あんまり苦痛に感じなくなっているという。

いじめなども、ぜんぜんないわけではないけれど、非常に少ないという。サバイバル原理からすると、内部の人どうしで足を引っ張り合ってる余裕はないわけだ。実際、NUSの学生さんたちは、みんな明るく屈託がなく、精神の健全性が顔に表れていた。

みんなが頑張らなくては国として生き残れないのだから、考えてみると、日本よりもずっと厳しい宿命を負っている。そこは同情したくなる。

しかし、である。じゃあ、日本はのほほんとしていてもだいじょうぶなのか。資源は大して湧いてこない、面積はシンガポールよりは広いとはいえ、平らなところがそんなに多くない。農業国でやっていくとしたら、そうとう貧しい生活を余儀なくされる。

原材料を輸入して、加工して工業製品にすることで付加価値をつけ、輸出することで儲ける。このモデルでやっていくしかないと思って、いままでやってきた。高度経済成長の時期が周辺国よりも先行しており、技術レベルにおいて圧倒的に勝ち続けてきた。

それが、ここへ来て、日本が20年にもわたって停滞しているうちに、周辺国に追いつかれ、追い越されつつある。このままいくと、日本の企業はみんな中国の企業に吸収合併され、名称はなんちゃら公司、経営陣は王さんとか、李さんとか、張さんとかになっちゃう。日本人は下っ端労働者。

産業・経済で支配下に置かれた後は、政治的にもやられて、しまいには国が丸ごと併合され、われわれは幼児のころから中国語を習わされる、と。これ、ありえないシナリオではないような気がする。

日本も「サバイバル」をもうちょっと意識してもいいんじゃないかと思うけどなぁ。うまく勝ち抜けば、月収85万円、資産一億円というのはなかなか魅力的だし。

●その3 人の多様性

「シンガポールの成功の秘訣は?」の質問に、コミュニケーション専攻の学生さんがズバリ答えてくれた。人の多様性(diversity of people)である、と。

シンガポールは貿易の中継点であり、非常に多様な文化的背景をもった人々が共存している。中東の人々とも仲がよい。この状況が、国の繁栄にとって、いい方向へ作用していることを人々がちゃんと実感している。

「いいとこ取り」ができる利点がある、とはTT氏。いろいろな文化が混ざり合っているおかげで、自分の慣れ親しんだ慣習とは異なる流儀を日常的に目にしていると、部分的に優れたところ、劣ったところがあるのが自然と目につく。

優れた部分は取り込んじゃえばいい。そうすることによって、あらゆる方面において、いちばんいいところに合わせることができる 。誰にとっても得にしかならない。

しかし、それだけだと、最良点に行き着いた後は、そこに落ち着いて、もう何も起きないことになってしまう。それよりも、「メディチ効果」が大きいのではあるまいか。

メディチ効果については、その名付け親による著書に詳しい。

フランス・ヨハンソン(著)、幾島幸子(翻訳)
『メディチ・インパクト(Harvard business school press)』
ランダムハウス講談社(2005/11/26)

出版社からの紹介文には下記のようにある。

(ここから引用)本書はイノベーションを目指すための自己啓発書である。その昔、中世ルネッサンスのフィレンツェにおいては、垣根を越えた様々な芸術が集まることで、専門領域を越えてお互いに影響を与え合い、技術や文化がめざましく発展を遂げた。

本書では、その繁栄を「メディチ・エフェクト」と名づけ、イノベーションにおいても異文化・異分野の枠を越えて接点を見出してこそ次々と斬新な発明・アイデアを生むことができる、と説く。

「メディチ・エフェクト」を意図的につくりだす方法を、古今東西の発明家、起業家、芸術家、建築家、科学者の実例を読みやすく紹介しながら説明。改革・飛躍するための秘訣が満載!(ここまで引用)

つまり、単なるいいとこ取りで終わるのではなく、異文化が接点をもつことにより、お互いにいい刺激となり、新たな発想が生じる効果があるというわけだ。

シンガポールは、地下鉄にドリアンを持ち込んではいけないなど、コマゴマとルールが決められている。そして罰則が非常に重い。結果として、ゴミひとつ落ちていない、非常にクリーンで秩序立った都市が形成されている。

一見、人に対して厳しいようだが、実は逆である。ルールさえ守っていれば、どんな文化的背景を背負った人でもウェルカムですよ、という姿勢を示しているのであって、誰にでも優しいのである。そのさばさばしたムードは行くと確かに感じられ、妙に居心地がいい。

コマゴマとしたルールが制定されていることそれ自体、多様な考え方の人々のぶつかり合いの歴史があったのだな、と想像させてくれる。常識とか以心伝心といった、もやっとした暗黙の共通認識が通用しないから、いちいち明文化せざるをえなかったのであろう。

多様な人々が共存していたとしても、ゾーンを区切って住むことで相互干渉が起きないようになっていたのでは、メディチ効果にならない。また、混ざり合って住んでいたとしても、コミュニケーションが内輪だけでしか起こらず、情報の流通がセグメンテーション化していては、やはりメディチ効果にならない。

シンガポールには英語という共通言語があるおかげで、そこがうまくいっている。中国由来の人が多く、内輪どうしはマンダリンで話している。しかし、みんな英語が立派に話せて、コミュニケーションの間口が外に開かれていて、実際、垣根を超えた相互のコミュニケーションは日常的に起きているのである。

この点、日本は圧倒的に不利である。まず、民族として、ほぼ単一的である。いちいち全部言わなくたってお互い日本人なんだから分かるはずだろ、みたいな暗黙の了解事項がいっぱいあって、空気に変な圧力がある。

それはそれとして、ひとつの独自文化を形成していて、いいことではあるのだが、メディチ効果という観点からはよろしくなく、斬新な発想が生まれづらい。

人の多様性という観点からすると、移民を受け入れたり、外国から労働者を呼んじゃったりすればいいようにも思えるが、それだけではきっとうまくいかない。生活が分離していて、相互のコミュニケーションが起きなければ、空気が活性化しないばかりか、相互不信が芽生えて、かえって不安な世の中になっていきそうだ。

みんな気がついていないかもしれないが、もうすでに、そこらへんに中国人や韓国人がうじゃうじゃいる。けど、お互いに親しく会話することがあまり多くないので、ちっともメディチ効果になってない。

どうすればいいか。ほんとは、みんながいろんな国を訪問して、それぞれの国の人たちといっぱい話をしてくれば面白いんだけど。景気悪くて、そんなお金ないしなぁ。

最近のネットカフェの進化ぶりは著しく、個室になっていて、鍵がかかり、隣りとの間の壁は防音になっていて、ティッシュが箱で置いてある。そんな閉鎖空間でシコシコとデジクリの原稿を書いているのもいいけれど、もう一息がんばれば、世界に開かれたコミュニケーションルームに改造できるのではあるまいか。

上下左右前後の壁を全面液晶モニターにしちゃって、バーチャルな空間で、世界の人々とおしゃべりするサロン、みたいな。どうでしょ?

●その4 やっぱ英語でしょ、英語。

もう喫緊の課題。のんびりしている余裕はない。私のころは、授業の科目に英語が登場するのは中学一年からであった。今はどうなってんだろ? 小学校四年ぐらいから? その方向性自体はいいんだけど。

シンガポールの人に言うと、みんな、信じられない、いったい何をやっているの? という驚愕の表情を浮かべ、即座に「遅い遅い、小学校一年からでも遅い。3〜4歳からやれ」と言い返してくる。

英語ができなかったら世界のトレンドから取り残される。誰かが翻訳してくれるのを待っていたら、ごくわずかの情報にしかアクセスできない上に、タイミングが著しく遅れる。その危機感をシンガポールの人たちは、ちゃんと認識している。

それは、自分たちが、英語ができることによって、どれだけの恩恵にあずかってきたかをちゃんと実感しているから、ってことなのであろう。

フランス人は、英語によって言語で浸食されると、文化的にも浸食されて、独自のいいものを失っていってしまうのではないかと懸念して、英語を使いたがらない。というか、英語は世界共通言語だとばかりに威張ってのさばるその態度が気に入らないらしい。

そうは言いながら、ちゃんと英語は話せるのである。発音は悪いけど。日本人に比べたら、格段に上手い。それでも文化的に浸食されたり、政治支配に利用されたり、なんてことはそんなに起きてないようにみえる。

英語って、中途半端にできると、なんでもかんでも西洋のものが進んでいてカッコよく見えちゃって、西洋かぶれみたいになっちゃうんだけど、一時的なもんである。もうちょっとレベルアップすると、外の立場から自国をみなおしてみるという視点を獲得し、自国の置かれている状況がクリアに見えてくるようになる。

自国のいいところも見えてくるので、自分から進んで盲目的に西洋文化に染まりに行く、なんて軽薄なことはしなくなるものである。

要らぬ心配をして姿勢が後ろ向きになっていて、いちばん肝心なところがなかなか進んでいかないことのほうが、よほど心配である。

●また行かなきゃ

NUSを回った12月28日(月)、クレメンス氏にセントーサ島も案内してもらい、チャンギ国際空港まで見送ってもらい、深夜、搭乗口前に着いたところでパソコンを開いた。

なんと、チームラボ株式会社の高須正和氏からフェイスブックでメッセージが来ているではないか。送信時刻は日本時間の1:45pm。私がNUSにいた時間だ。

「外のニコニコ学会以来です。いつまでシンガポールにおられます? 僕いまシンガポール住まいなので、お時間もらえれば会いに行きたいです!」えーーーっ?

行く前にちょっとは頭をよぎったのだけれど、私の中では超高〜いところにいらっしゃるお方なので、畏れ多くて、こっちからお会いしたいなどとは申し出られず、遠慮していたのに。先方からとは、ますます畏れ多い。

そういうわけで、三度目の渡星の機会、来い来いと念じている私である。


【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
http://www.growhair-jk.com/


年の変わり目は中国で過ごしたアルヨ。上海のちょと北の南通ね。長江の河川敷など、ホテルから見える範囲でも5か所ほどから一晩中花火が上がり続け、なんと景気のいいこと!

1月15日(金)〜18日(月)、ベトナムに行ってきた。ホーチミンに一定の足跡(あるいは爪痕?)を残してきた。Yahoo! ニュースに。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160120-00000021-minkei-asia


アイドルグループSDN48の元メンバーである大木奈津子さん・亜希子さんの双子姉妹から12月6日(日)に取材を受けたこと、12月11日(金)のプロフィール欄に書いた。
https://bn.dgcr.com/archives/20151211140100.html

1月7日(木)に記事が出た。すご〜く持ち上げてくれて、照れるぅ〜。
http://sirabee.com/2016/01/07/71587/


12月20日(日)には人間失格社員ピーター・メロス氏から取材を受けていて、12月28日(月)にウェブ上の記事になっている。事前によく下調べしてくれていて、当日のインタビューでは今までどこにも言ってなかったことを引き出してくれたのが、たいへんうれしい。デジクリのことも紹介してくれている。私の次はスマイル党のマック赤坂氏に突撃インタビュー。勇気あるなぁ。
http://peter-melos.com/2015/12/post-498/


セーラー服を着て街を歩いていると、いままでもいろいろと面白いことが起きたけど、これには完全に意表を突かれた。映画『セーラー服と機関銃 -卒業-』のマスコミ向け試写会に招待され、3月5日(土) の一般公開よりも二か月近く早い1月8日(金)に見てきた。

ふつうの女子高生がいきなりヤクザ「目高組」の四代目組長でなんの違和感もない不思議なリアリティ。高齢化社会、地方創生、悪徳企業、まさに今の社会のリアルなテーマ、機関銃をぶっ放して解決するのかと途中で心配になった。千年に一人の美少女・橋本環奈の凄味を見せてもらった。カ・イ・カ・ン──

私が見に行ったことは、映画の公式ツイッターから写真つきでつぶやかれ、橋本環奈さんが「いいね!」してくれている。


セーラー服と機関銃 - 卒業 - @sk_movie2016
街で噂のセーラー服おじさん @GrowHair に『#セーラー服と機関銃 -卒業-』をご覧いただき感想をもらったっす!『素晴らしい映画でした! 橋本環奈さんの演技が、本当に素晴らしかったです。すごく楽しめました!!』あざます!
22:02 - 2016年1月12日

今月はあと中国成都がある。今年もこんな感じでばたばたばたばたと進んでいくんだろうなぁ。


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編集後記(01/22)

●暖かな年末年始だったが、先日初雪が降って寒かった。こんな夜にぴったりかもな〜と映画「ザ・グレイ」DVDを見た(2012、アメリカ)。飛行機墜落事故、七人の生存者、マイナス20度の極寒の地獄、オオカミに追われて雪山の逃避行。「男の闘争本能が覚醒するサバイバル・アクション」だというが、執拗な回想シーン「君のことが頭から離れない。もう一度会いたい」がうっとうしくて女々しくて、加えて彼女宛の手紙(?)を深刻そうに見つめるリアルシーンが何度も何度も出てきて、こんな奴がリーダーではサバイバルなんて不可能だと思う。案の定、打つ手もなくメンバーは次々とオオカミに食われていく。

ファイトーいっぱ〜つのハイテンションならまだしも、主役が恋人を失ったトラウマ(?)に絡め取られていて、とにかく暗い。行きがかり上、生き残り男たちを率いるリーダーを買って出る。石油掘削現場での彼の仕事は、オオカミハンターなのだ。墜落機の残骸の中で一夜を過ごすが、見張り当番がオオカミに食われてしまう。彼は「ここはたぶんオオカミの縄張りで、俺たちが目障りなんだ。あの森まで行けばおそらく追ってこないだろう。森の方が身を守りやすく見つかりにくい」と主張して、吹雪の中、一同を引き連れ森に向かって歩き出す。墜落機のそばで火を焚いていた方が絶対に安全なんだけどなあ。

お約束通りオオカミは追ってくる。一人また一人と食われる。まあ、そういう話になるのは想定していたが、アクション要素がまるでない。オオカミを小気味よく撃退するようなシーンなどはない。もっとも、オオカミも集団戦法ではなく、一頭ずつ来るんだから全然迫力がない。結局、最後までカタルシスのないアクション映画であった。ただただ逃げるだけ。どこに向かって? 人が住んでいる所を目指す? ここはアラスカの荒野だぞ。やっぱり、墜落機のそばで火を焚いていた方が絶対に安全だったんだけどなあ。うまくいけば救援が来たかもしれない。まあ、そんなサバイバルは映画的に面白くないのか。

いちばん反抗的だった若い男、最初に惨死がお約束だと思っていたら、ラスト3に入っていた。だが、ケガと疲労で歩けなくなり自ら生存を放棄。ラスト2は川に落ちて死ぬ。助けに入った主人公も全身ずぶ濡れで、マイナス20度じゃ普通死ぬでしょう。しかし平気でそのまま歩いて、ラストはオオカミのボスと一対一の決闘になる。ここに至ってやっと闘争するヒーローらしく見えた。とたんにお終い。おいおいそれはないだろう。我慢してエンドクレジット見ていたら、最後に意味深な一瞬が。なんともトホホなサバイバル・アクションだった。墜落機のそばで火を焚いていた方が……。真夏に見ればよかった。 (柴田)

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「ザ・グレイ」


●40年ぶりの大寒波の到来、西日本では3日分の備蓄をとのこと。乗り切りましょうぞ!

仕事中のBGM続き。エレクトロニカ系のは、正確なリズムが気持ち良く、勢いが欲しい時はいいのだけれど、長時間BGMにしていると疲れることがある。身体に響いてしまったり、必要以上に乗りすぎる(笑)。

ボーカルが入るのは避けると言いつつも、小野リサさんのは例外で、彼女の柔らかい声が心地よく、楽器のようで、徹夜時にはよくかける。楽曲数も多くて理想的。でも今回は他人の目が欲しいので、選んだ曲は避けるのだ。

なので他人セレクトのYoutube音楽がいい。「作業用」「カフェ音楽」というタイトルで検索すれば、13時間の動画だってある。続く。 (hammer.mule)