[4064] 絵が上手いということがよくわからない

投稿:  著者:  読了時間:24分(本文:約11,600文字)



《タブレットの時代が来るとしたら》

■ユーレカの日々[49]
 絵が上手いということがよくわからない
 まつむらまきお

■グラフィック薄氷大魔王[463]
 「パソコン離れと世代交代」他、小ネタ集
 吉井 宏




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■ユーレカの日々[49]
絵が上手いということがよくわからない

まつむらまきお
http://bn.dgcr.com/archives/20160210140200.html
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期末である。美大勤務なので、年明けからずっと合評とか卒業制作とか進級準備に追われている。課題を与え、方法を手ほどきし、進捗をチェックし、アドバイスをし、仕上がりを評価する。

その中でも、成績をつけるというのは、ぼくが最も苦手とする仕事の一つだ。大学で教えるようになってから、人前でしゃべるとか、アドバイスするとか、以前は苦手だと思っていたことも随分慣れたが、この「成績をつける」ということだけは今でも慣れない。

というのは、ぼくには「絵が上手い」ということがよくわからないのだ。

ぼく自身は絵の授業は持っていなくて、マンガ、絵本、Flashとかの構成・演出系なのだが、他のデッサンだとか、風景だとか、いろんな課題で、いろんな学生の作品を目にする。

特に高学年の、制作や進路の相談だと、トータルでその学生の能力を見ないと、アドバイスができない。そういった中で、学生はみんな、絵が「もっと上手くなりたい」とか、教員も「あの学生は上手くなった」とか、まぁ、「絵が上手い」という表現をよく使う。

こんな時、他人の言う「上手い」という意味がわからないことがある。

「え? これが上手いの?」とか「え? なぜ上手いと思うの?」とか、わからないことがある。

●上手い下手がなかった頃

とりあえず、僕の考える「上手い、下手」についてお話しよう。少し長い話になる。

幼稚園に上がる前から、絵を描くことと、お話を考えることが大好きだった。小学生時代、近所の児童画の教室に通い始める。アトリエには、先生(現代美術の「具体」作家である今井祝雄先生)の現代美術作品がゴロゴロころがっていて、そこで自由に絵を描いていた。

上手い、下手ということは、まったく関係のない世界だった。ただ、時おり先生が子どもたちの絵を児童画コンテストに応募してくれ、そこで初めて、佳作だとか入選だとか、そういう評価というものがあることを知る。

小学生だから、単純に賞状をもらえた、もらえなかったということだけが、嬉しさや悔しさで、なぜ、自分の絵が入選、もしくは落選なのかなんてことは、児童画展を見に行ってもさっぱりわからない。

上手い、下手という概念そのものが、まだ、自分の中になかったのだ。だってそうでしょう? ぼくは体育が苦手で、走るのが遅いと順位が最下位になる。だからますます体育がキライになる。

絵を描いたり、お話を作るのは、そういうのとは違うから好きになったのだ。ただ、描くことで、白い紙の中に絵が出来上がっていくという行為が、そしてそれをいつでも自分で見ることができるという行為が好きだったのだ。

●上手くなりたい

その後、中学になって、マンガというものに出会ってしまって、上手くなるということを意識しはじめる。それまでは、好き勝手に描いていればよかったのだが、マンガとなるとそうはいかない。

まず、どのコマも同じ人間に見えるように安定して描けなくては物語が成立しないし、描きたい状況、場所や人物のポーズを、そうわかるように描ける必要がある。

ここではじめて、「自分は絵が描ける人間だ」と思っていたのが、「全然描けない」ということを自覚させられる。

マンガというのがよく出来ているのが、台詞だとか、記号的な表現(リボンをつけているのが主人公とか)を利用することで、描けない部分を充分に補うことができる。

そういう方法そのものが、マンガの面白さでもあるので、描けないことは、描き始めた頃には、あまり問題にならない。だから、絵がまだ下手でも、マンガを描くことは面白かった。

しかし、それにも限界がある。描きたい場面を思いつくのに、自動車が描けない、猫が描けない、と描けないことにどんどんぶち当たっていくのだ。

「マンガの描き方」の本を買って、勉強する。描く手順や考え方を知って、やってみると、たしかに少し上手くなる。たとえば顔を描くとき、小学生時代は適当に描いていたのだが、丸を描いて、十字の補助線を描いて、という手順を知ると、絵が安定し、角度を変えるようなことができるようになる。

高校に入って、写生やらデッサンやらクロッキーやら、それまでとは違う「描くトレーニング」をはじめると、だんだん「描く」ということがわかって、それなりになんでも描くことが出来るようになってくる。マンガの方も、なんとか作品を描くことができるようになる。

そうすると、それまで気にしていなかった、自分と、他の人の描いたものの違いということがわかってくる。

みんな、上手い(色んなものが描けている)。自分は下手だ(描けないものがまだまだある)。

先生や有名な画家やマンガ家の描いたものは、先生だから、大人だから上手いと思っていた。だから大人になれば、自分も上手くなると思っていた。実際は、そうではないということを知るわけだ。

●自分なりに描きたいものが描ける=上手い

というわけで、ぼくにとって「絵が上手くなりたい」というのは「自分なりに描きたいものが描ける技術を身につけたい」という解釈である。

いろんなものを素早くサラサラと描く人に対し、「あの人は絵が上手いですね」という言い方をする。これは描いた絵の質のことではなく、なんでも描けるというその人が持っている技術が巧み(巧い)という意味だ。

ところが、この概念だと、「一枚の絵」に対して「上手い」というのはおかしいことになる。絵を一枚みたところで、その描き手がなんでも描けるかどうかなんて、わからないからだ。りんごのデッサンは上手く描けているが、みかんは上手く描けないかもしれない。

ちなみに、入試デッサンは上手い下手を見るのではなく、複雑なものが描けるかどうかで、描くトレーニングをどれだけやってきたかを見極める。つまり、他の科目同様、学習レベルの判定であり、上手い下手ではない。

●素人さんは写実=上手い

世間一般では、こういった「デッサンの上手さ」、形がとれている、立体感がある、ということが、絵全般に対する「上手さ」と混同されている。

義務教育の9年間美術の時間があるので、日本人はすべて、絵について教育を受けている。しかし、今はどうか知らないが、昔は美術の時間では、絵の描き方なんか教えてくれなかった。

「見て、思った通り描きましょう」だけで、物のカタチをどうすればうまく描けるのかは、教えてもらった記憶がない(透視図法はやった気がするが、あれは技術の時間だったかも)。

たまたま上手く描けた人は次のステップに進み、上手く描けなかった人は苦手意識だけを持って、その後絵から離れていく。走るのが遅かったからスポーツがキライになるのと同じだ。

そういった「世間一般」からすれば、「写実=上手い」となる。描写の技術面のみを見るからだ。フォトリアリスティックな絵を見ると「上手い!」となる。

しかし、美術を勉強した人からすれば、それはテクニックの一つ、手段の一つに過ぎないので、そういう部分だけで作品を「上手い」と評することはない。

●ヘタウマあたりから、よくわからなくなっている?

80年代のイラストムーブメントの中で、湯村輝彦に代表される「ヘタウマ」というのがあった。それまでの「上手主義」へのアンチテーゼとして、この定義はとても面白いのだが、同時に世間における「上手い」という言葉の定義をややこしくしてしまった。

デザイン論などでは、「絵として技巧は下手だが、センスが上手い」というように説明されるが、これがややこしい。

たとえば湯村氏のオロナミンCの広告は、グラフィック、印刷技術を知り尽くしているからできる表現であって、普通にイラストレーションとして上手い(センスももちろん)。

湯村氏の絵を「こういう上手さもある」とすればよかったのだけど、「下手だけど」としちゃった。真意とは別に、上手い、下手という意味を「形がとれてるかどうか」など表面的なことを指すようになってしまった。

●マンガの絵の上手い=仕上げがキレイ

マンガとか絵本とかアニメといったコンテンツの「上手さ」は、物語と演出が主眼となり、絵はそれ表現できているかどうかが、上手さの基準となる。

しかし、一般、特に若年層のマンガ、アニメファンたちは、「形が安定している」「線がなめらか」「仕上げがキレイ」といったことだけで、「このマンガ家は絵が上手い」と思ってしまう。

会社員時代、「西岸良平のマンガ、好きなんだよねぇ。絵は下手なんだけど」というおじさんがいた。ぼくは西岸良平の絵を下手と思ったことがないので、ちょっとびっくりしたことを覚えている。

最近でも「進撃の巨人」の絵が下手と言われているのを知ったときは「???」だったし、名前は出さないが上手いと言われるマンガ家の絵が、ぼくから見れば下手以外なにものでもないことも多い。

ほとんどの場合は、キャラクターの立体感が安定していて、線がキレイなら上手い、という中学生レベルなのだが、時々、論評などでもそういう言い方をされると、なんだか薄っぺらい物の見かただなぁと思う。

●仕事としての絵の上手さ

イラストなど、実務で絵を描く世界では「上手い」は「仕事として」という前提で語られる。上手いイラストレーターとは、企画の内容をよく理解し、要求を様々な方法で実現でき、さらにクライアントの期待を上回る成果を出せる人だろう。

こういった現場で、絵のスタイル(写実やらデフォルメやら)は、中華料理かフレンチか懐石か、というのと同じで、どれが上手い(美味い)なんてことは意味がない。その時の目的(どれが食べたいか)で選ぶだけの話だ。

中華に決めた時点でようやく、どの店が美味い、まずいということになる。それだって「今回は陳建一じゃなくて王将でいい」とか「3時間待ちのラーメン食べてみたけど、チキンラーメンの方がずっといい」という場合もある。

だから同じ業界内であれば、絵の上手い下手は「仕事が上手い」ことであって、それは仕事としての技術を指す。絵の技術はその一部であり、「写実=上手い」なんてことにはならない。「あの人は上手い」というのは、絵ではなく、仕事のことを指す。

ところが、業界が異なると「上手い」と言っても、全然違う意味になっていたりする。ファインアート業界とマンガ業界と広告業界では、仕事の評価基準(要求される上手さの基準)が全然違うからだ。

こっちの言っている「上手い」と、相手の言っている「上手い」がまったく咬み合わない。そういうことが度々起きる。

去年大騒ぎになった、オリンピックのシンボル騒ぎも、世間と業界の「いいデザイン」という言葉の意味の違いがよく語られた。あれは一般の人たちが「いいデザイン」ということをわかっていなかったという面もたしかにあるのだが、逆に業界が世間一般の認識と違うことを自覚していなかったことの方が、問題としては大きいと思う。

●絶対的な上手さはあるのか

とまぁ、ぼくにとって、その人(なんでも自由に描ける上手さ)や、その業界の仕事(仕事が上手い)を知らないと、その絵が上手いかどうかは判断ができない。その理由を説明するだけでもこんなに長くくどい文章になってしまう。

だからそう簡単に第三者に「上手い」という言い方をしないのだが、他の人はそうではないらしいく、けっこう「上手い」という言い方をする。ここがどうしてもひっかかる。それってどういう意味なの? と。

世間の人たちは、一体どういう基準で絵の上手い下手という話をするのだろう?単にみんな、写実的かどうかを言ってるのか? 自分の専門の文脈の中のことを言っているのか? 好き嫌いのことを言っているのか?

みんな意味に無頓着で使っているだけならまだいいのだが、ひょっとして、ぼくだけが知らない、なにか絶対的な基準というのが存在するのか? 人類が追求し続けている絶対的な「上手さ」というものが存在するのか?

絵が上手いとは、ぼくにとって永遠に解けない謎の一つなのだが、もし世間もそうなら、「絵がうまいとはどういうことか」というテーマで、本やら論評やらディスカッションやらがあるはず。

ところが、そういうテーマはほとんど見たことがない。絵の指南書なんかも、その点の定義がされているのをほとんど見たことがない。

だからぼくには、「絵が上手い」ということがよくわからない。だれかわかるように、説明してくれませんか?


【まつむら まきお/まんが家、イラストレーター・成安造形大学准教授】
twitter:http://www.twitter.com/makio_matsumura
http://www.makion.net/
mailto:makio@makion.net

ディアゴスティーニの「週刊ミレニアム・ファルコン」2号を買った(現在最新刊は4号)。砲塔基部である。ぐるぐる廻る部分である。1号ではいまいちリアリティがなかったが、この基部はやばい。ラウンジのホログラムチェス台もやばい。

1号買った時の約3倍(当社比)で、定期購読(2年で100号、20万)を正当化する理由を必死で考えている自分がいる。うううううううう。どうする! マキオン!? 「週刊サンダーバード2号」もあるんだぞ!?(つづく)


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■グラフィック薄氷大魔王[463]
「パソコン離れと世代交代」他、小ネタ集

吉井 宏
http://bn.dgcr.com/archives/20160210140100.html
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●パソコン離れと世代交代

ちょっと前に佐々木俊尚氏がサイゾーに書いてた記事(ビューンで全文読んだ)。

「ただ大きいだけじゃない!iPad Proが予感させるOS覇権闘争の新局面到来」
http://www.premiumcyzo.com/modules/member/2015/12/post_6372/

『よく比較されるiPad ProとSurface Pro 4。ポイントはコンピュータOSの未来像。従来のパソコンユーザー的にはSurface Pro 4が有利に違いない。でも、スマホで育ってきた若い世代が社会に出たとき、スマホと同じ使い勝手のモバイルOSで仕事をしたいと思うはず。画面を大きくし(キーボードを用意した)iPad Proはそこを狙った製品。ティム・クックも「パソコンでしていた仕事がiPadでできるようになる」と言ってる』

「若者のパソコン離れ」のまま世代交代が進むと、モバイルOSのiOSやAndroidが仕事に使われる方向に行くのは確かだろう。仕事なんだからイヤでも覚えるもんだと思ってても、10年以内にガラッと変わるかも。

そのへんMicrosoftも気がついてるからこそ、Windows Phoneを投入してモバイルOSの一翼を担おうとしてたけど、あまりうまく行ってない。それで最近はOSの使い分けをあきらめて、Windowsを丸ごとタブレット用に進化させ、Surface Proや小型タブレットで反撃してた構図になるわけか。(Chrome OSはどこ行った?)

一般の人たちがノートパソコンを使ってやることは、iPadやAndroidのタブレットで機能的には十分だもんね。僕だって仕事がPainter時代のように2Dだけなら、iPad Pro+Pencilでできちゃう。MS OfficeやFileMakerだって使えるし。パソコンは「業務用マシン」として使い続けられるだろうけど。

今まで、残念なスタイラスのために性能が発揮できてなかった無数のアプリが、Pencilのおかげで見違えるように実用的になったし。従来のフォルダ式のファイル管理ができないのが僕的にイラつくところなんだけど、そのへんも「慣れ」なんだろうな。

パソコンを持ってないけどスマホ=iPhoneを使ってきた若い人たちが、仕事を始めようってときに、旧世代がやっていたようにパソコンを買うか? それともタブレットにランクアップするか?

上の世代からの無言の要請で「パソコン買わなくちゃ」って圧力も大きいだろうけど、それがなけりゃ自然に考えてタブレット、それもiPad Proのような大型タブレットになるんじゃないか?

iPad Pro+Pencilとキーボードのフルセットで購入するとWindowsノートより高くなるけど、ぜんぜん知らないWindowsに移行するより、iPhoneとほとんど同じ使い勝手のiPad Pro。キーボードも必要なくて、フリック入力で仕事するのかも? そういえば音声認識をなぜ使わないんだろうな。

○余談1。ところで、この話って「スマホの小さい画面で仕事は無理に決まってるから大きいタブレットが必要」を前提にしてるわけだけど、スマホに大きな画面があったらタブレットは無用の長物になる可能性も。つまり、マルチタッチのディスプレイにスマホを接続し、大画面で使うようになりゃいいわけで。

以前から言われてる「スマホがパソコン本体になる」だよね。パーソナルで使うならメガネ型やヘッドセットのディスプレイも使えるし。僕の希望としては、タブレットで通話できるようになるほうが現実的にはうれしいかな。

○余談2。誰もがパソコンで仕事するようになったのって、せいぜい20年じゃん! 伝統と呼ぶにも短すぎる。これから20年でスマホから入った世代が台頭すれば、そんなの吹き飛ぶ。

タブレットの時代が来るとしたら、パソコンって単に進化の途中経過でしかなかったことになりそう。歴史的には、パソコン・スマホ・タブレットのハードウェア云々じゃなくて、やっぱネットの普及が主なんだろうな。

●左手用デバイス

WACOMの左手用デバイス、ExpressKey Remote。Cintiq27インチ専用かと思ったら別売りもしてて、無線コントローラーデバイスとして何でも使えるのね。そうなると、Surface Pro 4のペンで中ボタンクリックができない問題の解決策として有望。
http://news.mynavi.jp/series/27qhd/005/

僕はタブレットのファンクションボタンは使わないし、左手用デバイスはいろいろ試した末に「キーボードでショートカットを使うより便利なデバイスはあり得ない」に落ち着いてるんだけど、中ボタンクリック専用としてExpressKey Remoteはいいかも。

ただ、USBのレシーバーが一個しかないSurface Pro 4のUSBを占有するのは困る。Bluetoothならよかったのに。

と、そこまで考えてふと気がついたら、Bluetoothマウスの中ボタンを使えば問題解決と気がついてズリッとなった。

●動的ドローイング

古くはPainterについてたし、ProcreateなどiPadのお絵かきアプリなんかにもよくついてる、「絵を描く過程を全部記録して再生する機能」。一回やれば飽きる実用性に乏しい機能だと思ってたけど、使い道見つけた!

たとえば僕なんかの場合、キャラクターのスケッチを描いては消し描いては消ししてどんどん形が変わっていくのを記録しておき、後で再生して気になる形をキャプチャする。例えば1時間の消しては描きの間に10回くらい「使いものになりそうな瞬間」があればそれでいい。動的ドローイングというか。

●使えないヤツ

〈「やる気がないなら帰れ」→「イヤです!」→「ダメだ帰れ!」みたいに続いて最後に「次は無いぞ!」っていう流れ〉
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=3820507&media_id=210

って、「全面降伏してそっちの物語に巻き込まれます」というものすごいストレス。ただ、「やる気がないなら帰れ」って口に出した人は、自分の価値を試してるのと同等って自覚があるかどうか。覚悟のない常套句として口にしたのを見抜かれたら、優秀な部下だったら本当に帰っちゃうかもしれない。

僕はしょっちゅう言われた側w 真剣にやってて言われたらストレスだけど、空気読めずにどういうシチュエーションにいるのか、たいてい理解してない僕的には「ハッと我に帰る」的にいい効果が。昔は本当に何も考えてなくて、周囲も見てなかった。

で、デザイン事務所時代、いちばん「ハッ!」としたこと。

入って数か月くらいか、まだ20歳。事務所に顔見知りのイラストレーターの人が来てて、先輩数人となにやら話し合い中。見ると、飛行機のプラモデルの箱いくつかを囲んでる。おおー!

プラモデル大好きだった僕は、さっそく会話に飛び込んで「飛行機のプラモよく作りましたよー。プロペラ機がどーのこーの」とかしゃべり始めたら、、、、

先輩が、「おまえ、何やってんの? ……打ち合わせ中なんだけど」って。プラモデルのパッケージデザインの打ち合わせだったのでした(そのイラストレーターは箱絵を描く人)。

ガーーン!! ここは会社で仕事場なんだ……。デザインやイラスト好きが集まる同好会じゃないんだ……。って入社以来初めて気がついた orz

それで少しは目が覚めたとは思うけど、今でも注意してないと「今ここはどこでどういう状況なのか?」すぐ忘れてしまう。だから急ぎの仕事中なのに別のコトを初めてしまったりするw

デザイン事務所に入った初期、僕はホントに使えないヤツだった。空気を読まないだけでなく、気配りできない、気が利かない、仕事は遅い、説明を理解しない、言われたとおりにできない、プライドだけ高い。社長に内緒で先輩たちに夕食に呼び出されて、辞めるように説得されたことあるもんw

(当時は「先輩たちが夕食にさそってくれた」としか思ってなかった僕でしたw ずいぶん後になって、「あれは辞めさせるために呼び出したのだ」って聞いた。どんだけw)

今でも同じく基本的には使えないヤツなんだけど、職業として「使える部分を寄せ集めた上で、それを最大限に発揮できるフリーって立場だからなんとかなってる」感じか。


【吉井 宏/イラストレーター】
HP http://www.yoshii.com
Blog http://yoshii-blog.blogspot.com/

僕の中では「気が利いて使えるヤツ=お店などの接客業の人」。高校時代に夏・冬休みにガソリンスタンドでアルバイトしたことがあるけど、運転免許がなかったことが大きいものの「絵に描いたような使えないヤツ」で終始した。次の夏休みに行ったら「もう来なくていい」って言われたw

・パリの老舗百貨店Printemps 150周年記念マスコット「ROSEちゃん」
http://departmentstoreparis.printemps.com/news/w/150ans-41500

・rinkakの3Dプリント作品ショップ
https://www.rinkak.com/jp/shop/hiroshiyoshii

・rinkakインタビュー記事
『キャラクターは、ギリギリの要素で見せたい』吉井宏さん
https://www.rinkak.com/creatorsvoice/hiroshiyoshii

・ハイウェイ島の大冒険
http://kids.e-nexco.co.jp

・App Store「REAL STEELPAN」
https://itunes.apple.com/jp/app/real-steelpan/id398902899?mt=8


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編集後記(02/10)

●デジクリの姉妹メルマガに「写真を楽しむ生活」があった。2002年8月が創刊で、サイトは2009年8月にリニューアルして、日本で唯一、ギャラリー名を縦軸に、日付を横軸に配し、日本中で開催される写真展と会期を一覧できる「全国写真展カレンダー」を掲載して好評を得た。メルマガは2014年2月28日に2500号を以て休止した。サイトはその後も不定期な更新で続行してきたが、自慢の「全国写真展カレンダー」のデータベースが不調になり、制作困難になったので断念した。ものすごく時間を食った「全国写真展カレンダー」がなくなったら、ものすごく楽にはなったが、サイトをつくる面白さも減った。

最近では、写真関係記事のまとめサイトのようなものになり、いちおうカテゴリ分類はできているので、便利なサイトといえなくもないが、オリジナリティは全然ない。作っているわたしにとって満足な編集仕事とはいえない。毎日更新すればわずかな時間で仕上がるのだが、ちょっと間が空くとかなりの時間が必要だ。負担に感じるようになったら、いいものができるわけがない。2月11日は誕生日、年齢がキリのいい数字になる。この日を以て、写真関係から「足を洗う」(ほんらい悪い行いをやめることをいうが、現在は悪行・正業に関係なく、職業をやめる意味になった)ことにした。一度も職業にならなかったが。

全国写真展情報データベースができた頃には、ビジネスに結びつくのではないかという淡い期待があった。月刊写真雑誌の巻末にある写真展情報よりも、はるかに濃くて正確な情報を大量に集めていたからだ。ビジュアルの豊富なサイトをつくって展開していれば、勝機はあったかもしれない。だが、ヒトもカネもなかった。また、意外だったのが、ギャラリーの協力が得られなかったことだ。スペースを貸して商売するギャラリーの多くは、広報にぜんぜん熱心ではなかった。ギャラリーサイトでもおざなりの告知を掲載するだけで、たくさん集客して、展示する写真家を喜ばせようというサービス精神が欠けていた。

ところで「おざなり」である。「なおざり」という言葉もある。「おざなりに済ます」といえば、適当にいいかげんに済ますことで、「なおざり」とはそれ以下の、成り行き任せ、まともに着手しないことをいう。会期一週間前になってもサイトに何の告知もしないとか、DMをそのまま掲載するだけとか、いまでもそんな「なおざりギャラリー」がある。これからのフォトギャラリーはサイトの充実が絶対に必要だ。写真家のインタビューや作品のエピソードなど、会場に行ってみたいと思わせる仕掛けはいくらでもできる。そういうテキスト制作サービスでも始めようかな。でも需要は、ありそでなさそで……。 (柴田)


●住宅ローンの借換は去年やっちゃったよ……。

Reflect for Evernote「Reflect」続き。なぜEvernoteからピックアップすることを考えたかというと、同じような本を読み、何度も何度も同じことを肝に銘じたつもりになり、成長できていないように思うから。カフェ再現なんて何度やっているだろう。増え続けるケーブルの整理方法や、わかりやすいラベルの作り方、かっこいい書斎特集など保存しているのに活用できていない。

そうなのよ、Evernoteは倉庫になっていて、検索できるので助かってはいるものの、検索というアクションを自らやらないと得られない。検索ワードはその時々に必要なものなので、それはそれでいいんだけれど。

書籍メモと、いいなぁと思ってメモった言葉のノートをReflectしてる。言葉の方はわりと覚えているのだけれど、書籍メモがとっても新鮮(汗)。図書館で借りた本も登録していて、こんな本読んだっけ? とか、最近見かけて読みたいと思っていた、という本と出会うこともある……。続く。 (hammer.mule)

Reflect
https://www.reflectapp.io

iPhoneアプリ版
https://itunes.apple.com/jp/app/reflect-for-evernote/id1008154595?mt=8&at=1000lbV2

QuickDigger | Evernoteをランダム表示
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.fangleness.quickdigger&hl=ja

WebアプリRandomEver
http://myenigma.hatenablog.com/entry/2015/11/28/133546

Reflect for Evernote
Reflect for Evernote

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