メグマガ[07]サプライズってやばくないですか
── こいぬまめぐみ ──

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「めぐちゃんに25年前に出会っていたらなぁ。お父さんが許してくれるまで、土下座して結婚頼み込むのに。ご両親の要望があれば、二世帯住宅をどーんと建てて、めぐちゃんに苦しい思いは絶対にさせない。好きな服を買って、好きなバッグを持って、ずっと家にいるのは退屈だろうから、日中は趣味でもやって……」

コンビニでバイトをしていた頃、親しくしてくれた常連のおじさんに突如言われたこの一言に、商品を袋詰めしていた私は面食らった。さっきまでポンタカードの所持確認や、からあげクン増量のセールストークをしていた私は、Boy Meets Girl 土曜日 遊園地 一年たったらハネムーンの世界観へ連れ去られる。

おじさんの中での冗談と本気のパーセンテージはさておき、彼のこの発言に、私は恋愛結婚におけるプロポーズというイベントの危うさを垣間見たような気がした。



余談だが、「目立つには どうしたらいいの 一番の悩み 性格良ければいい そんなの嘘だと思いませんか」ロマンスの神様/広瀬香美(1993年)と、「性格いいコがいいなんて 男の子は言うけど ルックスがアドヴァンテージ いつだって可愛いコが 人気投票1位になる」恋するフォーチュンクッキー/AKB48(2013年)は、周囲のキラキラ系女子と自分を比較して拗ねながらも、なんとか男の子とのチャンスをものにしようと奮闘する、どこにでもいるふつうの女の子の心情を描いた歌詞がよく似ている。恋するフォーチュンクッキーはロマンスの神様の現代版だと思う。こういう曲は定期的に出されるんだな。

結婚というものに、夢を抱かなくなったのはいつからだろう。小さい頃はただ漠然と、20代半ばくらいでそのとき付き合っていた人にプロポーズされて、みんなに祝福される中、ドレス着て結婚式をして、左手薬指にはシルバーリングが光って……と、自然にそうなるものだと思っていた。

考えることといったらせいぜい、自分の名前に合う苗字は何かくらいで、結婚に対するその他の思考は、そで停止していたようにも思う。

しかし、大学の講義で恋愛や結婚について考えたり、周りにちらほらと結婚した同級生や先輩が現れるようになったこの歳になって、ようやく結婚というものを現実的に捉えることができるようになってきた。だからこそ、おじさんの過去形プロポーズに違和感を覚えたのだろう。

よく考えたら、私は高いお金を出して結婚式をするくらいなら、そのお金でふたりで海外旅行へ行ったり、その後の生活資金に回したい。

アクセサリーがあまり好きではないので、シルバーリングも必要なさそうだし、こいぬまめぐみは「こいぬま」と「めぐみ」でセットなので、苗字も変えたくない。

結婚後もバリバリ働きたいし、人とずっと一緒にいると疲れてしまうので、適度な距離感を保って暮らしたい。両親がそうだったように、母は働きながら家事から育児までのすべてをひとりで完璧にこなし、家庭での主体性に欠ける父との溝が深まっていくだけの関係は御免である。

結婚することが当たり前の時代ではなくなり、結婚や夫婦のあり方、パートナーとのその後の生活の仕方に対する考え方も多様さを増した。

それなのに、いまだ恋愛結婚における結婚の提案のシーンでは、指輪の箱をパカッと開けたサプライズ性のあるプロポーズという、紋切り型のイベントが根強く美徳とされ、独擅場であり続けているのはどうしてだろう。

「僕と結婚してください」に対して、目を見開いて驚きながらも承諾する女性の画を目にするたびに感じるのは、え、これってふたりの間にはいま初めて「結婚」の二文字が出されたのかなという疑問。

この女性は何に驚き感極まってるの、ふたりの恋愛がようやく結婚というステージに到達したこと? それとも思ってもいなかったタイミングで指輪を差し出されて結婚を提案されたこと?

後者だったとしたら、やばいと思う。そのサプライズにいたるまでに、ふたりの間で結婚やその後の生活に対するお互いの考え方のすり合わせが十分に行われていたのであればいいのだけれど、それを経ていなかったとしたらーー。

結婚の提案にサプライズ性を求める時点で、何かが違うと思う。だって、他人同士がこれから家族になりましょう、いっしょに暮らしましょうっていう、お互いの人生においてすごく重要な選択を(多くは)男性側の出方待ちのサプライズに託す時点でおかしい。

もしかしたら、それを提案された側の(多くは)女性は、既存の結婚や家族のあり方に違和感を感じているかもしれない。生活スタイルに譲れないラインやこだわりがあるかもしれない。

それを共有せずに行うロマンティックな演出によるサプライズパフォーマンスは、その話し合いをすっ飛ばしていきなりひとつの枠に相手を押し込めようとするわけでしょ。そんなんもうテロじゃん。

その場では感動的な雰囲気に流されてOKしたとしても、お互いの価値観の相違に関しては話し合いを重ね、その都度折り合いをつけていくことでしか解決されないと思う。そういうのは結婚後にしていこう、まずは結婚してみないと何も始まらないからっていう考え方なのかな。

結婚に限らず、普段の生活スタイルにも「枠」ではなく「個」を重視するようになりつつある現代人同士が家族になるってなったら、なおさらお互いの価値観を照らし合わせる時間が必要なのでは。

偶然それが一致していればいいけれど、そこをうやむやにしてきたツケは、感動が覚めた数年後にしっかりとふたりにのしかかってくるのではなかろうか。そうなったらもう最後、よくあたる星占いに頼るしかない。カモン カモン カモン カモン ベイビー 占ってよ。

交際しているカップルは、結婚に対する考え方や夫婦のあり方、パートナーとのその後の生活の仕方について、もっと気軽に話し合うべきなのではなかろうか。と言うと、結婚とか口にしたら重いと思われるというためらいがあるのだろうか。

特別な関係にあるはずのふたりでも、その話題をすることは腫れ物を触るような扱いをする傾向にあるのはどうしてだろう。

それを話したから、結婚を迫られたとか言って話し合いの場から逃げたり、今はまだそのときじゃないからと言って言葉を濁すのだったら、話し合いで相手の考え方を知ろうとすることのできない、そこまでの関係性ってことじゃないのかな。

それなのに、今までほとんど触れてこなかった人生のあり方を左右する選択をサプライズという形で急に提案することを、恋愛におけるファンタジー性と紐付け、その不透明さを許容した罪はなかなか大きい。

おじさんの過去形プロポーズに抱いた違和感の正体はこれである。相手の価値観は無視して、唐突に自分の価値観を一方的に押し付ける。冗談半分だったとはいえ、それくらい君のことがお気に入りだよというメッセージだったとはいえ、ちょっとズレている。その想像力の欠如は悲しい。

からあげクンの揚げ上がりを知らせるタイマー音で、ハネムーンから帰還した私は、多すぎる支払いのお釣りを渡し、数百円の商品の入った袋を手渡し、マニュアル通りの定型文でおじさんを送り出す。

「ありがとうございました、お次お待ちのお客様どうぞ」


【こいぬまめぐみ】
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武蔵大学社会学部メディア社会学科在学中。宣伝会議コピーライター養成講座108期。現在、はてなブログ「インターフォンショッキング」にて、「おもしろい人に自分よりおもしろいと思う友だちを紹介してもらったら、13人目には誰に会えるのか」を検証中。