Otakuワールドへようこそ![228]ピッカピカとごみごみが併存して活気あるベトナム
── GrowHair ──

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ドン、ドン、ドン、ドドドーン! 所持金、五百万ドン! 大富豪になった気分! 紙幣には0がやたらいっぱい並んでて、現実感のないこと、まるでゲームのごとし。おらおら、酒もってこーい。金ならいくらでもあるぞ。……いやいや、それは錯覚というもので。

成田空港で3万円をベトナムドンに換金したら、お釣りなしのぴったり500万ドンになった。1ドンって、1/100円の価値もないのね。ちょっと飲み物なんか買うと、「アハンドレッドサウザンド」とか言われて、桁数の多さに面食らう。頭の中で、まず「100,000」という数字にするだけでも一苦労。

そこから0を二つ取って、さらに2で割って、「あ、500円ね」と。照りつける常夏の陽射しの下で、こんな計算ばっかしてたら、頭から湯気が立ちそう。

1月16日(土)〜17日(日)、ホーチミンの「イオンモールタンフーセラドン」にて、経済産業省主催のイベント『クールジャパンラウンジ』が開催され、日本企業10社が出展参加した。
http://cjwt2015.com/country/vietnam/


そのうちの一社が制服ファッションブランド「LucyPop(ルーシーポップ)」で、商品展示、試着体験会、ミニファッションショーを催した。

私はLucyPopから招待されてベトナムへ行き、街頭プロモーション担当として、現地のアイドルグループ「NijiDanceGroup」と一緒にホーチミン市内の名所を背景に写真撮影した。

NijiDanceGroupのフェイスブックページ:
http://www.facebook.com/nijidancegroup/


私にとっては初めてのベトナム。ついこの前まで戦争をしていた社会主義の国に、平和ボケ大国ニッポンからセーラー服を着たおっさんが乗り込んでいくのは、多少危険かなと思わなくもなかった。

堕落文化を運び込む日本人はもう来るな、みたいな運動が起きて、外務大臣が謝りに行って許してもらう、みたいなことになったらちょっと面倒だ。が、思い切って行ってみれば、心配は無用だった。

ベトナム航空の機材は旧式で、乗客全員の祈りがひとつになると飛ぶタイプ。金曜の夜中近くに到着すると、どんな大スターが来るのか知らないが、出口前が非常に多くの人でごった返していた。小学生や中学生ぐらいの子供も大勢いる。そこへ出て行っちゃったもんだから、植木等の「お呼びでない?」みたいなことになって、ビミョーな空気が漂った。

街の空気は活力や希望といった成分からなっている。吸ってるだけで元気がみなぎってきて、楽しくなってくる。決して裕福な国ではないはずなんだけど、子供がいっぱいいる。大人もいっぱいいる。バイクもいっぱい走っている。

人々がどんどん話しかけてきては、写真を撮っていく。そこらじゅうの交差点に立って、あるいは腰掛けて、治安の維持に務める警察官たちも、ブッと吹き出していた。

宣伝効果は抜群で、狙いは大当たり。Yahoo!には2本の記事が上がった。タイトルに私の本名フルネームですかい?

「セーラー服おじさん」こと小林秀章さん、ホーチミンを訪問
みんなの経済新聞ネットワーク1月20日(水)11時39分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160120-00000021-minkei-asia


ベトナムで日本の制服ファッション展示 出展ブースに連日長蛇の列
みんなの経済新聞ネットワーク1月26日(火)11時45分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160126-00000024-minkei-asia




●南北統一から40年

予備知識がほぼゼロだった私は、ベトナムといえば、あの浅い円錐形の麦わら帽子をまず思い浮かべる。ノンラーというらしい。それを着けた船頭さんが、川に棹を差して舟を操る、あの牧歌的な風景。

しかし、台湾やタイと同様、都市部はきっと超近代的なんだろうなーと思っていたら、やはりその通りだった。ノンラーをかぶった人はホーチミンにもちらほらいたけど。

帰ってきた後になって、いまさらながらウィキペディアを見てきたら、ざっとこんな国。

ベトナム社会主義共和国は、インドシナ半島東部に位置する国で、首都はハノイ。国土は南北に細長く、北に中国、西にラオス、南西にカンボジアと隣接する。東は南シナ海に面し、フィリピンと対する。

19世紀にフランスにより植民地化される。1945年、日本の援助の下で、ベトナム帝国として独立し、ホー・チ・ミンが初代国家主席に就任する。1954年にフランスが撤退すると、北緯17度線で国土が北ベトナムと南ベトナムとに分断される。

1962年2月、アメリカ合衆国はサイゴンに援助軍司令部を作り、軍事介入によるベトナム戦争が始まる。1975年、サイゴンが陥落し、北ベトナムが実権を掌握する。1976年、南北統一した。

それは大阪万博よりも沖縄海洋博よりも後のことで、私は中学生だった。今は戦争の面影もなく、ホーチミン(旧称サイゴン)は、超高層ビルがちらほらと建つ、ピッカピカの近代都市である。

●エレガントな街並み

今回は、イベント会場に詰めている必要がなく、街をたっぷり散歩できた。金曜の夜中過ぎに到着して、ベトナムの空気がまだつかめていなかった私は、土曜の朝、とりあえずそこの角までと、ホテルから外に出てみた。

そこの角に行くまでに、いきなり警官と遭遇。適当なところに腰掛けて、暇そうにして、いやいや、治安維持の任務に務めている。私の姿を認めるなり、大笑い。それだけ。職質も何もない。これならいける、と気を強くした。

ホーチミン人民委員会庁舎から、サイゴン川に向かって南東方向に延びる広い道がグエンフエ通りである。中央分離帯がやたらと広く、歩行者専用の広場になっている。光るオブジェがきれいだし、足元に整列した穴から噴き上がった水が、いろんな形になるおしゃれな噴水がある。

並行して北側に、サイゴン大教会付近のロータリーから延びるのはドンコイ通りである。こちらも華やかに飾り付けられているが、車道の両側に並木の歩道がある古い街並みである。オペラハウスがあり、パークハイアットホテルがある。この二本が目抜き通りだ。

ホーチミンで方角が分からなくなったら、どこにいても見える際立って高いビルを目指せば、だいたいここらへんに出る。東京で言えば、新宿の京王プラザホテル、池袋のサンシャイン60、中野のサンプラザなどがその役として機能していたが、今は消滅したわけでもないのに、埋もれて目立たなくなっているね。

荘厳な印象の庁舎の近辺には、三つの大きなデパートが構える。VincomCenterとParksonとUnionSquare。超高級ブランド店が入っていて、ちょっと入りづらい感じ。

映画『プリティー・ウーマン』では、街娼のビビアンが男の目を引くチープな衣装でブティックに入ったら、"Please leave!" と言われてしまう。Pleaseをつければていねいになるのも場面によりけりで、あれは慇懃無礼という名のキッツイ命令文だ。あんな目にあうのはいやだ。

日本でも海外でも国際空港で出国手続きを済ませた後、搭乗口に向かう通路に面して、高級ブランドのお店が立ち並ぶ。私などはまったく用がない。

あれに用がある人はあんまりいないとみえて、店内にお客さんの姿が見えることはめったにない。なのに潰れないのは、めったに来ないお客さんが、とてつもない金額の買い物をするからなんだろうな。

三つのデパートのうち、二つには入ってみたが、中の店にまでは足を踏み入れることなく、さささっと見て回って、すぐに出てきた。Parksonは恐くて入ることすらできなかった。

●ごみごみのホーチミン

ピッカピカなのは、その周辺だけで、ものの5分も歩かないうちに、ごみごみ感いっぱいの街の風景になる。歩道がやけにでこぼこしてるし、建築資材などがででんと占拠してたりするし、歩きづらいこと。それに、ホコリっぽいニオイがする。

露天商がたくさんいて、屋台や商品置台があるのはまだいいほうで、地べたにむしろを広げて、なんだかよく分からなものを売っている人もいる。床屋さんが歩道上で営業していて、日差しよけのビニールシートの下で、塀にかけた鏡に向かって座るお客さんのヒゲを店のご主人が剃っている。

椰子の実のジュースを売ってる露店がある。椰子の実が、ジョッキみたいな形にカットしてある。取っ手はないけど。眺めてたら、店のおばちゃんがひとつを手に取り、手際よくナイフで上部をスパンと水平にカットすると、穴が生じて、ストローを差してくれた。

ええっと、まだ買うって言ってないのに。いくら?「アハンドレッドサウザンド」。ええと、ええと、500円?ちと高いな。でももう目の前に差し出されちゃってるし、まあ、いっか。

現地駐在してる人に後で聞けば、相場の10倍くらいだったと。ぶっ。観光客価格ですかい。やられた。見つけたらあと9杯、タダで飲んでやろうかと思ったが、もう会うことはなかった。

入る勇気のなかったParksonの前では、靴磨きの若い男が声をかけてきた。靴磨き、1970年代までは新宿西口などにたくさんいたけど、今は見なくなったなぁ。国語の教科書だったかテスト問題だったかで読んだ文章で、一心不乱に靴をみがく姿に感動した、というのがあったっけ。

Parksonの大きなガラスのウィンドウの下部の張り出しに腰掛けると、サンダルを出してくれる。靴底が減っているのを補強するよ、と。

はいはい、やってくれ。〆て70万ドンなり。って、高いよー。口論になりかけたが、少し距離をおいて、警官がこっちを凝視している。分かった、分かった、払うよ。オレ、かわいいからって、ナメられてる?

●イナゴの大群のごときバイクの群れ

ベトナムの一人あたりの平均月収は約2万5千円である。シンガポールの85万円は別格として、タイの10万円に比べてもだいぶん劣る。

高級ブランドのデパートとごみごみした街とが隣接していて、よく暴動が起きないもんだと思うが、人々はルサンチマンを抱えたふうでもなく、カラッとしている。

何車線もある太い道でも、いっぱいにバイクの群れが占めていて、際限なく続いている。イナゴの大群みたい。信号のある交差点でも、横の道から同じ調子で曲がってくるので、途切れるということがない。一家四人でひとつのバイクに乗っていることもめずらしくない。

道の向こう側に用事があっても、一生行けないではないかと思って見ていると、地元の人は、すいっと入っていって、壁抜け仙人のようにすすっとすり抜けている。魔法か。

地下鉄でも通ってればだいぶん緩和されるはずなのに。と思ったら、いま、掘ってるとこ。二本の目抜き通りに直交する形で、鉄板で囲われた帯状のエリアがある。

鉄板には、ベトナムの国旗と日本の国旗が並べて掲げられている。日本が受注できたというのもめでたいが、国どうしの友好をどーんと顕示してくれている感じがして、いい。

受注した日本の建設会社よ、ベトナムの人々が喜ぶような、乗り心地がよくて、サクサク走るやつを、しっかり作ってくれよぉ。頼んだぞぉ。間違っても、狭くて圧迫感があって、曲がりくねった軌道をのろのろ走る大江戸線みたいなのを作っちゃ、いかんぞぉ。

日本は地下鉄の建設技術だけじゃなく、地下アイドルの文化もあるので、一緒にいかがでしょうか。除幕式のときなんかに映えるんじゃないかと。

●昼メシは労働者のまね

適当に歩き回っていたら自分のいる場所が分からなくなり、目についた高いビルを目指して歩いてみたら、グエンフエ通りに戻れた。そのビルは「TimesSquareSigon」というホテルだった。

グエンフエ通りの歩道を歩いていると、ベンチに座っている労働者ふうのおっちゃんが話しかけてきた。ラーメンみたいなのを食べているので、どこで買ったのか聞いたら、すぐ斜め右にある店を指してくれた。

「Wrap&RollTinhhoamoncuonViet」という名前のお店で、後で、別の場所にも同じ名前の同じような造りの店があるのを見かけたので、チェーン店らしい。ベトナム料理のファーストフードみたいなもんか。

「Bunthitnuong」というのを注文した。せっかくなのでテイクアウトで。英語で説明がついていて「Ricenoodlewithgrilledpork,spring rolls&vegetable」とある。「ライスヌードル」は「ビーフン」でいいとして、「スプリングロール」は「コイルバネ」ではなく「春巻」である。72,000ドン。

「Bunthitnuong」でGoogle画像検索するといっぱい出てくるけど、ここのお店のは、ラーメンみたく汁に浸かっていた。非常に美味い! 360円とは思えないくらい美味い。やっぱ美味いもん食うなら、地元の人のまねをするに限る。この店、日本にも進出してきてくれないかなぁ。

おっちゃんが去ってしばらくすると、日本人のビジネスマンふうの男性が話しかけてきて、横に座った。LucyPopに呼ばれて来た旨を説明すると、前日、金曜日に見たという。

「HotelContinentalSaigon」で、経産省主催で、イベントに出展参加した日本企業10社と現地企業とを引き合わせる交流会が開かれた。それに参加していたそうである。

会場だったとは知らずに、そのホテルの前をさっき通りがかっていた。「UNIONSQUARE」デパートからドンコイ通りを隔てた向かいにあった。一階が「LeBourgeois」というレストラン。ル・ブルジョワ? プロレタリアートはお断りなのか?

店の前には10mほどにわたってレールが敷かれ、台車が載り、がっしりした三脚が載り、大きなカメラが載っていた。十数人のスタッフが作業している。映画を撮る準備だそうで。

この日本人紳士が、ホーチミンの街や人々の生活について、いろいろ教えてくれた。椰子の実のジュースに私が払った値段は、相場の10倍だったことも。

翌日、ベンタイン市場の近くで、道にテーブルと椅子を出して椰子の実のジュースを売っているお店を見つけ、今度は「俺はちゃんと知ってるぞ」って顔をして「これ下さい」と言ったら、20,000ドンと言われた。

10,000ドンまでは下がるはずだと思って交渉したが、譲ってくれなかった。まあ、100円でも感覚的にはめっちゃお得だからいいけど。

ベンタイン市場で話しかけてきた若い女性は、シンガポールでイベントに来て、私と会っているという。それってつい先月、12月のことだ。ベトナムで再会とは! 世界って、そんなに狭かったっけ?

●新興のリッチなエリアは外国人だらけ

ホーチミンの中心街の南側を東西に走る運河があり、東の端はサイゴン川につながる。その南側がホーチミン7区で、特にその中のフーミンフンは、かつて沼地だったところを開拓してできた新興エリアで、スーパーリッチな人々が住み、「ホーチミンのビバリーヒルズ」と呼ばれる。

外国人が多く、日本人もいるが、その10倍ぐらい韓国人がいるという。どうも東南アジアでは韓国の勢いがいい。私の姿を撮っていく人の持っているケータイやスマホのメーカー名の文字が見えるとき、感覚的に9割方は「Samsung」で、1割が「SONY」で、それ以外はほとんどない。人々の関心が日本文化から韓国文化へと移りつつあるように感じる。

「クレセントモール」は、2012年にオープンしたショッピングモール。日曜に行ってみた。余裕を見せつけるかのごとく、中央部に巨大な吹き抜けの空間が広がり、空中エスカレーターが何本も走る。しかし、高級ブランド店ばかりの入りづらい感じではなく、もっと大衆的。

最上階の4階は大部分をフードコートが占め、映画館やゲームセンターもあり、若者たちの娯楽の場となっている。早稲田カラーのポロシャツを着た大学生の姿がやたらと目につく。3〜4人とか5〜6人とかのグループになって、ぶらぶらしている。

近くにある「NguyenTatThanh University(NTT)」の学生たちである。二万人を擁するマンモス大学、とな!
http://en.ntt.edu.vn/


一階の中央にはステージが設けられ、チマチョゴリをまとった韓国人10人ほどのグループが美しく舞いを演じている。あんまり近くで見ていては、演者の気が散ったり、観客の関心を横取りしちゃったりして、ぶちこわしになってはまずいと思い、遠慮して離れたところから見ていた。

ところが、ステージパフォーマンスが終わって休憩時間になると、すぐに演者たちが私のところに来て、全員が大喜びで私と一緒に写真を撮っていった。どう見たって、日本に対して悪い感情を抱いているようには見えない。経済的にも勢いがあるようにみえるし、東南アジアの国々からは信頼されており、国際的に孤立しているわけでもない。

かの国はどうも謎が多く、一度、韓国人とじっくり話がしてみたい。できれば現地へ行って。焼肉やキムチを食べながら。機会が来るのを待っているのだが。

●メイド喫茶はオタク共和国の社交場

ホーチミンにメイド喫茶があるとの情報を入手した。
店名は、「UchiSweetHomeCafe」。
http://www.foody.vn/ho-chi-minh/uchi-sweet-home-cafe


検索かけても現地語の情報しか出てこなくて、どんな感じかさっぱりつかめない。行ってみて分かったことだが、オープンしてからまだ2か月しか経っていないそうだ。今はもう少し情報が増えているだろうかと再び検索をかけてみると、私が行ったという情報が加わっていた。「日越研究倶楽部」というブログ。

「セーラー服姿で有名な小林秀章氏がホーチミン市の道路を歩く強烈な写真を前に、Fcebook上のベトナム人らの間で衝撃が広まっている」とあり、路上やメイド喫茶で撮られた写真が掲載されている。
http://khoavnhoc.blogspot.jp/2016/01/blog-post_18.html


同じブログにもう一件記事が上がっており、私がネットでどんなふうに話題になっているかを和訳してくれている。それなりにインパクトあったようで、「キチガイ」「くさい」から「かわいい」「神様」まで、色々言われている。
http://khoavnhoc.blogspot.jp/2016/01/blog-post.html


地図だけはいちおう読める。ややこしい場所にあって、タクシーの運転手に伝えられる自信がなかったので、宿から歩いて行くことにした。

途中に、フェスティバルみたいなにぎやかなことになっている一角があり、なんだろうと思ったら、水上人形劇の「ゴールデン・ドラゴン・ウォーター・パペット・シアター」であった。

敷地に入るだけなら入場無料で、奥の庭でバザーみたいなのが開かれている。特にコスプレのイベントってわけでもないけど、ナルトのコスやメイドのコスの人がいた。メイド喫茶に着く前にメイドがいた、というところに意表を突かれた。

その先の十字路を右折するために、バイクの往来激しい道を命懸けで渡ると、道路脇に出したテーブルと椅子で酒を飲んでいる4〜5人のおっちゃんたちがいる。まだ日が高いのに。

私の姿を見ると、一人が寄ってきて、仲間が面白がって見ている。インタビューしてるつもりなのかもしれないが、からんできてるとも言える。

シアターからずっと追ってきたらしい中学生ぐらいの女の子が二人、道を渡ってきて、「写真撮らせてください」と。この状況に若干はらはらしたが、どうということはなかった。お互いになんか楽しそうに話してるし。こういうカオスは日常なんだろうな。

商店立ち並ぶ街が開けてきて、この辺と思うところに目的のお店はあった。2フロアーあって、両方で50人くらいお客さんが入っている。

私が入っていくと、わーっと盛り上がって、すごい騒ぎになった。ほぼ全員が写真を撮っていった。私のことは前から知ってたって人が多かった。

オタク共和国の公民館みたくなっている。明らかに外の世界とは文化が違う。ネコミミをつけてきゃぴきゃぴ言ってる男の子とか。ドイツの軍服を着たミリオタとか。フィギュアをひたすら組み立ててる人とか。

しかし、話し好きなところは、このあたりに共通する文化のようで、私の座ったところに入れ代り立ち代り、いろんな人が来て、話をしていく。

ベトナムの空気には、楽しくなる成分がぜーったい入ってる。土日で10時間ずつぐらい歩き回っていたら、私もだいぶん空気に染まってきて、けっこう日焼けした。

夜中過ぎに発つ飛行機で月曜の朝7時過ぎに成田に着くと、すごい雪になってた。いったん帰って着替えて何食わぬ顔で出社しようと思っていたら、着いたのが昼過ぎになった。


【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
http://www.growhair-jk.com/


タイのバンコクに2月6日(土)、「アニメイト」がオープンした。土日で一万人が来店する大盛況だったそうで。開店前から400人以上の列ができ、午後になると、入るまでに4時間待ちの大行列になったとか。
http://ascii.jp/elem/000/001/118/1118402/


同じフロアーにあるメイド喫茶「めいどりーみん」に、私が行ったのは11月2日(月)のことだった。店長さんの特別なご配慮により、ポスターを販売させていただいたのであった。

アニメイトとの相乗効果でますます繁盛するといいなぁ。同人誌のお店とか、コスチュームのお店とか、人形やフィギュアのお店とかもどんどん続けばいいんじゃないかなぁ、とか。

次はベトナムあたりなんかもいかがでしょ? 世界の国々に中華街があるみたいに、オタク街ができるといいんじゃないかなぁ。こぶしに力が入りすぎてる人々を脱力させて、世界に平和をもたらそう! さあ、みなさんご一緒に!

「萌え萌えきゅ〜〜〜んっ♪」