はぐれDEATH[01]引っ越しドタバタ顛末記 その1
── 藤原ヨウコウ ──

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約三年の関東単身赴任を終えて、京都へ帰ってきた。普通ではないボクにとって、この引っ越しはハプニング続出どころかハプニングしかない、恐ろしい事件となってしまった。

新居に入って一週間。やっと少し落ち着いたので、このアホな顛末記を書いているわけだ。もちろん面白がりの編集長が食いついたからである。でなきゃ、こんな役立たずな手記を書こうなどとは思わない。

編集長には昔色々お世話になっているので無下に断れない、という時代錯誤な理由もある。まぁ色々とボクは面倒くさい人なのだ。

ちなみに、この手記を引っ越しの「やってはいけない例」として参考にするのはやめておいた方がイイ。なぜなら通常では考えられないような例外だらけのネタだからだ。

だから、どちらかというとフィクションとして読んでいただけると幸いである。




本題。

三年間の期限を設けて関東へ単身赴任をし、やはり向こうでも色々とアホなコトをしまくっていたのだが、年季が明けたので(死語だな)京都へ戻ることにした。

最後の二年間は実家の近所に住んでいたのだが、厚木(だと思う)から朝・昼・晩、非常時には滅法やたらと飛んでくる、米軍のF18戦闘機のエンジン音に悩まされ続けていた。

戦闘機というのはその機能性を最大限に引き出すために、戦闘とは関係のない無意味なオプションなどつけていない。エンジンなんてのは正にその典型で、静音設計などというアホなコトはしないのだ。その音の凄まじさは旅客機の比ではない。

名神高速道路を車で走っていると、時々着陸態勢に入った旅客機が目の前を横切っていくのが見られるが、あの時の音など今から思えば静かなものである。スクランブル発進と思しき訓練中の戦闘機のエンジン音は、それこそもう超爆音で、BGMなんか完全に聴こえなくなる。

それもかなり距離のあるところから響いてきて、ボクの部屋のほぼ真上を通過し、相模湾に出て行くしばらくあいだこの爆音地獄は続くのである。同じ米軍の飛行機でも、輸送機はぜんぜん静かなほうだ。

基地近辺の皆様のご苦労の一端を垣間見た気がする。まぁ、防音ガラスは入れていると思うが、それでもなぁ……。

その他にも吐血したり発狂しかけたりと、様々なトラブルがあったのだが、とにかく三年の関東滞在で、ボクは心身共に疲弊しきっていたのである。

今年に入ってからは、京都に帰れる日を指折り数えて待っていたぐらいだ。引っ越しは6月と決めていた。借りていたお部屋の契約期限が今年の6月だった、という単純な理由なのだが。

5月某日。その日までネットで物件を検索しまくって、ある程度絞り込みをし、不動産屋さんと電話とメールで打ち合わせをしながら、京都へ向かった。

これから住むところである。実際に物件やら周辺やらを見ておかないと心配で仕方がない。おまけに、今回は京都といってもボクには未知の領域「伏見」である。この辺りの土地柄に関してはまったく知らない。

ボクの行動半径は基本的に極めて狭いのだが、それでも学生時代、独立後と一貫して北山通りから北にしか住んだことがないのだ。京都駅の向こう側で分かっているのは、京都南インターぐらいである。

さて、少々の不安を抱きながら近鉄丹波橋に降り立ったのだが、この瞬間に不安はほとんど吹き飛んだといってもイイだろう。

京都特有の細い路地が東西南北にはりめぐらされ(実際は洛内とは異なり少々ややこしいのだが)、低い住宅が建ち並び、東に桃山を望む風景にホッとしたのだ。

大学に入学した頃の、京都市中の雰囲気によく似ている。不動産屋さんの担当さんに案内されて二件ほど見たが(ここまで絞り込んでいたのだ)幸いにも、一発で気に入る物件が見つかった。

そこが今ボクが住んでいる物件である。東角の部屋なので東と南に窓があり、採光も理想的。窓の下には細い道を挟んで濠川、川沿いには桜並木、そしてはるか向こうには桃山。

水路が多く、かつて水上交通の起点とした面影がそこかしこに残っている。また酒処としても有名な土地である。昔ながらの酒造もあれば、近代的なものもそれぞれ沢山ある。

なにせここから目と鼻の先は、伏見鳥羽の戦いの最激戦地があるかとおもうと、例の寺田屋さんまであったりする。そして独特のゆったりとした雰囲気。ボクの心を鷲掴みにしたことは言うまでもなかろう。

と、とんとん拍子に決まったようなことを書いているが、実際に見るまでは、はっきり言ってイライラしっぱなしであった。

見知らぬ土地なので、頼りは不動産情報とGoogleマップ、Google Earthだけである。それでもネットが使えるだけマシな方だ。ある程度はイメージ出来るが、しょせんはモニター上のことで、実見できないことには落ち着かない。

さりとて、神奈川から京都まで何度も往復できるほど懐が豊かなわけでもない。家賃やら初期費用だって馬鹿にはならない。更にネット接続の件もある(すぐに繋がってくれないと非常に困るのだ)。

とにかく、4月から5月は検索しまくりの日々である。それでもしっくりこないので、イライラは増すばかり。北朝鮮やら中国がなんかしでかす度に、米軍の戦闘機は頭上を行き来し、更に神経を逆撫でする。

住んでいた部屋の解約日は決定していたので、時間的な余裕もない。無情に日々は過ぎていく。おかげで胃潰瘍が再発したぐらいだ。まぁ我慢できる程度だったのが、救いと言えば救いになるか。発狂もしなかったし(笑)

だから、一発で気に入った部屋を見つけられたのは、青天の霹靂だった、と言っても過言ではなかろう(用法はほとんど違うが)。が、ここで安心してはいけないのである。事実、この後おもしろいぐらいトラブルが続出する。

先にも書いたが、部屋の解約日は決定していたので、引っ越しの手配を並行してやらないといけない。早速、引っ越し屋さんに連絡して見積もりをしてもらったところまでは良かったのだが、この段階でまだ引っ越し先も、日程も決まっていなかった。

決まっていたのは、伏見区に引っ越すという実にぼんやりした状態だけである。これが後々、度重なる悲喜劇を起こすことになるとは、夢にも思わなかった。

京都に行ったその日に、とりあえず仮契約をして、審査用の書類は後から郵送してもらう手配をして、日帰りで神奈川に戻った。ハウスクリーニングやら何やらで、実際に入居できる日がこの時は分からなかったのだ。

そして後日、届いた書類を見てびっくりした。印鑑登録証が必要なのだ。ちなみに最後に印鑑登録証を申請したのは、上賀茂の家のローンを組んだときなので、かれこれ15年以上使っていない。

さらに保証人も印鑑登録証が必要だという。保証人は義弟にお願いした。真っ当な社会人が、ボクの周りには彼しかいないのだ。ちゃんと会社勤めもしてるし、しっかりしている人なのでお願いすることにしたのだが、幸いにも快諾いただいた。お礼に伏見の地酒を送るつもりである。

さらに心臓がひっくり返りそうになる項目があった。納税証明か所得証明を提出しなければいけないのだ。関東に引っ越したときは、口頭だけで済んでいたので、完全に不意を突かれた形になった。

はっきり言って、これはボクにとっては極めて不利な状態なのだ。今年は確定申告もしていなければ(こっちに来てから遅まきながら申告はしました)収入だってかなり怪しい。

この一件をめぐって、約二週間の攻防があったのだが(どんな汚い手を使ったのかは内緒だ)何とかクリアできて、審査をパスできたのが引っ越し屋さんが来る二日前という、超ギリギリのタイミング。

更に妹の携帯に印鑑登録の件をメールしていたのだが、ナゼかこういう時に限って携帯の調子が悪く、連絡がついていなかったのが判明したのも二日前という最悪の状態である。

だが、起こってしまったことは仕方がない。とにかく、引っ越し屋さんが来る日までにできることはやるだけやった。

荷物の引き渡しそのものはスムーズに進んだ。とにかく荷物がめちゃめちゃ少ないのである。最初から京都に帰るつもりだったので、極力モノは増やさないようにしていたのだ。

引っ越し屋のお兄ちゃんもびっくりしていた(笑)。大物と言えばデスクぐらいだろう。これはワークスペースの関係上、どうしてもそれなりの大きさが必要だったのだ。

だが、この一点だけなので、あっという間に荷物をトラックに積み込んで去っていった。後はボクとアルトサックスだけである。さすがにアルトは手で運ばないと怖かったからだ。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
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http://blog.livedoor.jp/yowkow_yoshimi/


装画・挿絵で口に糊するエカキ。お仕事随時募集中。というか、くれっ!


◎4133号(6/2)にむりやりピンチヒッターに立て、「休刊」の危機を「急患」テーマで救ってもらった藤原さんに、今後レギュラーをお願いすることになりました。6月と7月は引っ越しをテーマに数回ご登場いただきます。

「はぐれDEATH」とは、世界征服を目標とするBABYMETALのメンバー紹介のパクリだそうです。



デジクリトーク/「規則正しい」という言葉とボクの生活は無縁だ
https://bn.dgcr.com/archives/20160602140100.html