はぐれDEATH[09]はぐれ関東滞在記3 神奈川県辻堂・鬱々の日々
── 藤原ヨウコウ ──

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神奈川県辻堂に実家があるのだが、この頃母が膝を悪くして、ちょっと放っておけない状態になっていたので、これを機に実家の近所へ転居することにした。

新基地はロフトつき二階の角部屋という、物件としてはそう悪くなかったのだが、欠点は窓から見えるお隣の墓地と米軍戦闘機のエンジン音である。

前者はまだ無視できるのだが、戦闘機のエンジン音というのは無視をしようにもしようがない、とんでもない爆音だった。ボクは夏でも滅多にエアコンを使わず、窓を全開にするのが常なのだが、この爆音にはとにかく参った。

多分、厚木から飛んできてると思うのだが、訓練飛行の離発着コースのほぼ真下で、特に着陸時は高度がぐっと下がってパイロットの顔が見えそうな所を飛ぶのである。

これが通常訓練時は午前、午後、夜、と来る上に中国やら北朝鮮やらISやらが何かをやらかす度に回数は倍増する。夜なんか21時頃に訓練を終えた戦闘機が帰ってくるのだ。




はっきり言ってかなりキツイ。防音ガラスなどという洒落たものは当然入っていないので、窓はほとんど役に立たない。この基地に行くまでは一日中音楽をかけていたのだが、エンジン音で何も聞こえないのでいつしか音楽を聴くのは止めてしまった。

サックスの方も潮風で管体がやられるのが怖くて、練習出来なくなった。セッションも辻堂から阿佐ヶ谷となると、交通費だけでも馬鹿にならない。これまた中断である。

爆音の影響は就寝前、読書にも及んだ。おちおち読書もできないような態である。こっちは極端に読書量が落ちてしまった。数少ない趣味を封印された形になったボクは、鬱々しながら部屋に閉じこもってしまうという不健康極まりない生活に突入することになったのだ。

サチ坊(実家のネコ)が唯一の楽しみになったのだが、こいつは男の子なのでボクがイマイチのれない。

毛も尻尾ももふもふしていて実に気持ちイイのだが、とにかくこいつほどアホで鈍くさい猫は初めて見た。腹を上に向けて寝そべり、テレビのサッカー観戦(プレミア・リーグだ)をしている姿を見たときは腰が抜けそうになった。

老夫婦しかいないのと室内飼いのせいなのかもしれないが、ももちをずっと眺めてたボクにすると堕落しきった猫である。で、こういう雰囲気にはやつらはめちゃめちゃ敏感なので、ボクにはあまり懐かなかった。

辻堂に移って約一年後、昨年の4月に胃潰瘍で吐血し入院すると(もっとも、とっとと逃げ出したが)引きこもり度は更に上がった。生まれて初めて輸血されたぐらいだから、かなり失血していたのだろう。それでもしばらくは貧血に悩まされた。

こうなるとそれでなくても狭い行動半径が更に狭くなり、生活習慣レベルで運動不足になる。この深刻さに気がついたのは、ここに引っ越してきてからだが、当時は気にもしていなかった。とにかく外に出たくないのだ。ただ鬱々と日々が過ぎていくのをぼんやり眺めていた、というのが実態だろう。

辻堂に移った結果として、京都にいる時よりもクライアントとの距離が開くというアホな展開になってしまった。本末転倒どころの話ではない。

もっと直接的な言い方をしてしまうと、ボクは最後まで関東という土地に慣れることはなかった。元々が西日本の人なのだ。おまけに若い時に行うべきであったろう、関東移住の機会をものの見事にスルーした。理由はいくらでも後付けできるが、要は東日本が怖かったのだ。

この辺は東日本出身・在住の皆様には大変失礼だとは思うのだが、とにかく自分本位で考えるとそうとしか思えない。逆に関西や西日本が怖い人がいても不思議ではないとも思う。

実際、大学に入学した当時は、関西弁が怖くてしかたなかったのだ。それでも京都に留まり続けたのは若さのなせる業だと思う。結果、はぐれながらも京都で日々を過ごしてきた。

京都が「余所者には厳しいけど学生には優しい」という風土をもっていたのも、留まる理由の一つだったのかもしれない。だから「はぐれ」でありながらも、「余所者」という距離感をボクは今も持ち続けている。

だが東京となると、もうワケが分からないのだ。まず東京の下町が怖い。いい人が大勢いるのは知っていますが、それでも怖いもんは怖い。繁華街はもう戦場であり、気を抜けるところなどほとんどない。

阿佐ヶ谷のライブハウスは数少ない気が抜ける場所だったのだが、結局そこだけである。極端な緊張(東小金井)から極端な弛緩(辻堂)と、加減の無さをモロに露呈したのも必然だったのだろう。

心身共に限界を超えていたのだ。ボクの健康状態と反比例するように、母の膝の具合は良くなっていった。妹もついている。そろそろ京都へ戻ろうと思った。

「東山を越えたらもうあかんなぁ」と思い始めたのは、関東に行って一年もしないうちだっただろう。時代錯誤な価値観に映るかもしれないが、これはボクの生活習慣とか環境に対する耐性の問題であって決して必要以上に京都を賛美しているわけではないし、関東を不当に貶めるつもりも到底ない。

むしろ京都は、時代の流れに翻弄されて一地方都市へと転落していっているようにボクの目には映るのだ。それでもやはり京都へ帰ることを決意した。

今現在、伏見という新しい(?)場所で、いまこのような駄文をダラダラ書き連ねることが出来るようになるところまでは回復した。近くの宇治川でサックスの練習も再開した。

あまりに弱り切った身体のリハビリのために、軽い筋トレとストレッチは欠かせない。幸いこっちはすぐに効果が現れてかなり回復した。サックスとの合わせ技だが、筋肉と関節と骨だけは元々丈夫に出来ているのだ。内臓は知らん。

まだetudeには手をつけていないが、お仕事で描く絵の線に力が戻ってきているのは実感している。etudeに手をつけていない理由は、一度に色々なことを始めて、またおかしくなるのが怖いからだ。

etudeを最後にしたのは、やはり無理をしたくないからである。人生の軸になっているのが絵だ。下手に手を出して、これ以上取り返しのつかないことにはしたくない。幸い「呱呱プロジェクト」で大阪にでる機会も増えそうで「思いついたら即実行」のボクが、ブレーキをかけるのを手助けしてくれる形になっている。

関東での最大の成果は、今年出たにゃんこの本の装画と挿絵を描かせてもらったことだ。かわいいは悲願だったのでめちゃめちゃ嬉しい。こっち方面で更に新しい展開があることを心から願っている。

【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
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装画・挿絵で口に糊するエカキ。お仕事常時募集中。というか、くれっ!