ゆずみそ単語帳[04]欲望の新しい名前
── TOMOZO ──

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「desire」という英単語をポジティブに日本語に訳すのが難しい。

たとえば高級リゾートホテルやスパの宣伝などにも、desireという言葉はさらっと使われていたりする。

これを「あなたの欲望のすべてを満たす贅沢なスパ体験」なんて日本語にしてしまったら、なんだかやたらにギラギラした、方向性の異なる施設のように聞こえてしまう。

この場合は「欲求」でも「願望」でも「希望」でも、ヘンである。


『リーダーズ英和辞典』の訳語は
(n)欲望、欲求、…心(欲)、好み、性欲、情欲、希望、願望、要求、要請、望みのもの。

この中では「望み」というのが一番穏当な日本語ではあるが、望みという言葉はお行儀がよくて、淡白でよそよそしい印象がある。

えーと、だめなら別にいいんですけど……と、最初から少しあきらめ気味な感じでもある。

その点desireは切実で、それが実現しないといてもたってもいられないのである。そういえば中年以上の皆様にはなつかしい中森明菜のdesireには、「情熱」というサブタイトルがついていた。熱いのである。

desireの兄弟にgreedというのがある。

『リーダーズ』ではgreedは
(特に富・利得に対する)意地汚い欲望、貪欲、強欲。2.食い意地、大食。と説明されている。

Oxford英英辞典では

desireは
A strong feeling of wanting to have something or wishing for something to happen
(何かを手に入れたいと欲する、または何かが起こることを願う、強い感情)とあり、

greedは
Intense and selfish desire for something, especially wealth, power, or food
(特に富や力、食物に対する烈しく、身勝手な欲望)とある。

desireとgreedの違いは、「身勝手」であるかどうかのようだ。

自分やまわりを傷つけることに頓着せず、欲求だけに盲目になっている状態がgreed。たとえば『千と千尋の神隠し』のカオナシは、迷えるgreedの権化でしたね。

「おいしいご飯が食べたい」と、心の底から願う気持ちがdesireであるのに対して、greedには、まわりの人が飢えていても自分の穀物倉に食料を貯め続けるとか、人の手からオニギリを奪って食べるとか、あるいはもうお腹がいっぱいなのに飽き足らずご馳走を目の間に並べてしまうとか、そういう前提がある。

desireが暴走した状態がgreedなのだといえる。

greedといえば、映画『ウォール街』(1987年)でマイケル・ダグラスが演じるゴードン・ゲッコーのセリフが有名だ。

The point is, ladies and gentleman, that greed ─ for lack of a better word ─ is good. Greed is right. Greed works. Greed clarifies, cuts through, and captures the essence of the evolutionary spirit. Greed, in all of its forms ─ greed for life, for money, for love, knowledge ─ has marked the upward surge of mankind. And greed ─ you mark my words ─ will not only save Teldar Paper, but that other malfunctioning corporation called the USA.

「いいですか、皆さん。他にもっと良い言葉がないのでgreedと呼ぶが、greedは善いものです。greedは正しい。greedは物事をうまく回らせ、はっきりさせ、道を拓き、前進する精神のエッセンスを表している。あらゆる形のgreed、生命や金や愛や知識に対するgreedが、人類を進歩させてきたのです。Greedは、この会社を救うだけではなく、アメリカ合衆国という、この機能不全の組織をも救うのです」

この臆面もない欲望礼賛のスピーチは、観客をはっとさせ、この人物の狂気スレスレで回っている自信とパワーをものすごくよく代弁して、80年代映画を代表する名セリフの一つにもなった。

日本語字幕でこのgreedがどう訳されたのか気になるところ。「貪欲さ」かな。いずれにしても、greedというネガティブな言葉が表すところの、普通なら眉をひそめるべきなりふり構わない自分勝手で迷惑な力を全面的に肯定したところに、このセリフの破壊力があった。

オリバー・ストーン監督の意図とはうらはらに、ゲッコーに心酔してしまった観客も多かったという。

ゲッコーはもちろん、desireとgreedをすり替えている。

これがdesireだったらごく当たり前のスピーチであって、ちっとも衝撃的ではないのだ。

こうありたい、こうなりたい、もっと知りたい、もっと速く動きたい、もっと遠くへ行きたい、もっと美しくなりたい、もっと美しいものが作りたい、あの人と一緒にいたい、これが食べたい。生きていたい。……というような強い望みは、すべてdesireである。

desireは、人がなにかをする原動力だ。人間だけではなくて、どの生きものにも備わっている、根源的な力なのだと思う。

植物が土と水さえあれば根を張ってどんどん葉をのばしていくのをみていると、生命活動というのはすなわち、desireそのものなのだと思わされる。

Desireがgreedに変わるのは、リソースを奪い合う他の個体との軋轢による。

ほかの木を枯らしても自分の場所を確保しようとする植物は、人間の目に強欲にうつる。

たらふく食べたいという願望が心にあるだけの間は平和だが、一つしかないオニギリを飢えた子どもたちと分け合わねばならないとなったら、そこには人がgreedにおちいる舞台が用意されている。

西洋社会、とくにアメリカでは、明らかにgreed(強欲)に陥っていない限り、desire(素直な欲求、欲望、望み)はデフォルトで礼賛されている。

ゲッコーのスピーチのgreedをdesireに変えれば、たとえば教会の牧師さんが日曜の礼拝で言っても不思議ではない。

「わたしたちはこのように切実な願いを持っている。このdesireが神の目にかなうものなのであれば、神はわたしたちを祝福してくださるでしょう」というように。

西へ西へと国土を広げてきたアメリカという国では、たぶんほかの西洋諸国よりもずっとこの傾向が強いのだ思う。

だだっ広い大平原に出かけていって家を建て、畑をつくり、街を築くには、強いdesireが必要だ。

それはもちろん、そこにもとから住んでいた先住民にとっては大変迷惑なことではあったが。

そのようにして道を切りひらき、成功した人をアメリカは手放しで讃えるし、たぶん多くのアメリカ人にとっては「自分のしたいことを追求するあまり、ちょっとばかり人の迷惑になってる人」と「desireがないように見える人」を比べたら、ちょっとくらい迷惑である人のほうに強く共感できるのではないだろうか。

desireがないというのはつまり、ちゃんと生きていないということ、という考え方なのだ。

それに対して日本語では、desire的な状況がかなり蔑視されている気がする。

これには仏教と儒教の影響があるのだと思う。

この世の苦しみから自由になることにフォーカスしている仏教では、「欲」は基本、真実の平安へと至る道の障害物として取り扱われる。

儒教はよく知らないけど、たぶん個人の欲望とはあまり互換性がない教えではないかと思われる。

かといって、日本にdesireのニーズがないわけではもちろんないので、そのニーズを受け止めてくれるのは八百万の神様たちであろう。

苦しいときに救いを求めて祈る対象は仏でも、個人的なdesireを聞き届けてもらいたいと願う先は、あちらこちらの神社の神様や、あるいは仏教にとりこまれた眷属たちでなければならない。

仏様のところにそんな願いを持っていっても、「まだわかってないね。万物は空なのだよ」とやんわり諌められてしまうに違いない気がするからだ。

日本では長いこと、仏教と儒教と、あらゆる場所にいるいろいろな神様に役割分担がふられてきた。

desire部門はおもに神様たちの担当だったけれど、そこに体系的な教義のバックアップはなくて、どちらかというとアドホック的なご担当だったと思う。

権力を持つインテリ層のほとんどは、仏教か儒教の勉強をしている人びとだったので、日本人の精神生活の中ではdesire的な状況は蔑まれる傾向にあったのではないか、なんて思う。

欲などはしょせん知恵や修行の足りない大衆のものだったのだ。庶民文化ではもちろん欲望が全開で花開いていたけれど、それも仏教や儒教が上に控えてフタをされていたために、ちょっと面白いねじ曲がり方をしてるんだと思う。

日本文化の中にデフォルトで入っている、ホンネとタテマエのこの二重構造はとても面白い。

言葉は文化が作るもので、その中で生活する人びとはその文化と言葉の影響を受ける。そして言葉は、何百世代にもわたって受け継がれている集合的な記憶と知識のあらわれでもある。

いまから千年後にまだ日本語を話す文化があれば、そこではdesire的な状況を示す日本語はもっと楽観的で気さくなものになっているような気がする。


【TOMOZO】 yuzuwords11@gmail.com

米国シアトル在住の英日翻訳者。在米そろそろ20年。
マーケティングや広告、雑誌記事などの翻訳を主にやってます。

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