ショート・ストーリーのKUNI[201]超恐がり女はカメムシの夢を見るか
── ヤマシタクニコ ──

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フリーのデザイナーというより、自称デザイナーと言ったほうがいいかもしれない、ほとんど事件の容疑者みたいなヤマシタである。

そのヤマシタが、なぜかここしばらく仕事で忙しかったので、いつものように創作ものを書く余裕がない。

この間はちょっと時間ができたので、「そうだ、創作のための刺激を受けに行こう!」「映画を観たらぶわ〜っとアイデアが浮かぶことあるよな!」と、近所のシネコンに行った。つまりインプット。

しかし、観た映画が「怒り」だったので、何の効果もなかった。あんな重い、力作まるだしの映画と、私のふだんの小説と何の関係があるというのだろう。ちょっと考えたらわかりそうなものだ。

そういうわけで、今日はフィクションじゃない雑文でお茶を濁させていただく。




実は少し前から悩んでいることがあって、それはカメムシである。チョコチップみたいと言われるあの黒くて小さなやつではなく、胴体の長さが2センチ以上ありそうな、たぶんクサギカメムシという種類。

6月のある日、洗濯物を取り入れ、Tシャツをたたんでいたら何かついてる。

直径1ミリくらいの、わずかに緑色を帯びた白い球体がびっしりと並んでいて、数えると12個……なんだろ……顔を近づけ、よく見ると……虫の卵……ぽい?!

ぎゃーっと叫び、いったん放り投げて部屋の隅まで逃げ出した後、正気を取り戻し、Tシャツをそーっと引き寄せる。つまみあげ、ベランダに持って行き、そばにあったプラスティック製のふとんたたきでこそげ落とす。

びっくりしてどきどきしているせいか、なかなか取れない。ててて手に力が入らないのだ。卵はボンドでくっつけたみたいにしっかり、産み付けられている。ふとんたたきを持つ手に力をこめ、なんとか、取れた。

ちょっと、いや、かなり罪悪感あったけど……。

それから何日か後、同じものが網戸に! 今度もこそげ落とした。だだだって、めでたく孵化したらいやじゃないですか、そんなにたくさん! 悪いけど。

で、このときもがんばったが、いくつかは落とすことができなかった。卵の殻だけが今も残っている。網戸から無理矢理落とした卵も、踏みつぶすまではできなかった。なんだかひどすぎるようで。それでも、罪悪感、さらに積もる。

ふと見ると、ベランダの柵の上に大きなカメムシがいる。真横から見ると、腹部がちらちらと見える。背中は硬くて黒っぽいが、腹部はやわらかそうで横に何本も筋が走る。

触覚と足をゆっくり、ゆっくり、もわもわと動かす。こっちを見ているような気がする。卵の関係者だろうか。なんだかどきどきしてくる。冷や汗がにじむ。

Tシャツをたんすの引き出しから出して着ようとしたら、そのカメムシがくっついてることに気がつき、また絶叫とともに放り出したこともある。私が気づかずにたたんで、しまったのだろうけど。

そのカメムシ、と書いたが、同じ個体かどうかはわからない。見た目はそっくりだけど。

カメムシはどうも居着いてしまったらしく、それからも毎日のように見かけるようになった。

あるときは台所のそばの開閉式の網戸にしっかり張り付いていた。とんとん、とたたいても網戸をばたばたしても微動だにしない。

仕事机の前の窓に張り付いていたこともある。こちらに腹を見せて。

私は別にカメムシを殺したくない。虫は苦手なので、よそに行ってほしいだけである。向こうも、別に私を攻撃するつもりはない。そのことはわかっている。

突然出会ってしまったときは驚いてこちらが動くと、向こうもびびって動く。

「うわわわわ!」「おおおおおっ!」と、どちらもびびってるわけで、考えたら笑える。でも笑うどころじゃないんだ、両者とも。

ベランダに出るときは、必ずカメムシチェックをするようになった。いきなり至近距離で目が合う事態は避けたいので、眼鏡をかけてまずそーっと360度チェック。

いなければいいし、離れたところにいるのが確認できればそれでよしとする。何時間もじっとしてることもあるので、しばらくは安心。むしろいなくなるとどこに潜んでいるのかと不安でたまらない。

当然かもしれないが、次第に、見かけてもそれほど驚かなくなった。それどころか時々「あ、そこにいたんだ?」と声をかけるようになってきた自分に驚く。

向こうも私に慣れてきたような。そんなことないか。でも、なんというか、お互いを認め合うようになった、というのかなあ。ははは。

だからといって間近で見る勇気はない。悪いけど、不気味だ。腹が特に。カメムシに何の罪もない。でも、近寄りたくない。

ところで、そんな恐がりの私だから、寝る前とか出かける前の戸締まりや火の元チェックには、いつもものすごく時間をかける。

声に出して「締めた」「消した」と言うのはもちろん、「ふり」もつける。何かの替え歌にして歌いながら身振り手振りつけて「♪ガスしめた〜元栓も〜」などとやる。

あっちの窓、こっちの窓、台所のガス、風呂場、そこらじゅう歌いながら踊りながら確認……あほです。

いや、だってそのほうが「確かにさっき、ああやって確認した」と記憶に残りやすいじゃないですか。

で、ある夜もそのようにして確認して、ふとんに入った。

その日はけっこうよく動いた。ふわ〜っ、今日はけっこう疲れたな……私にしては割と歩いたよな……その割に新しいポケモンにも出会えなかったな……ポッポやコラッタはもうええわ……とか思いながら意識が遠のいていく。

──え、風呂場の窓閉めたかな?

風呂場の窓の歌はどうだったかな? ああ、最近「あさが来た」のメロディに変えたんだった。♪風呂場の窓をしーめた……って歌った記憶がないような……歌ったかな……どうだっけ……

いつの間にか寝てしまった。

次の日、起きてみたら風呂場の窓は開いたままだった。

いや、風呂場の窓くらいどうってことないよ。

自分にそう言い聞かせる。事実、家の中が荒らされたわけでもないし、何の被害もない。そもそも風呂場の窓は、開けっ放しでも人間が入れるような大きさではないし。

──でも、人間じゃなかったら?

私はとても恐がりである。心配性である。

それ以来しばらく、何かがいるような気がして仕方なかった。いつもの部屋と同じにみえてどこか違ってないだろうか? 室内の空気の色、におい、重さ。そんなものが、ほんの少しだけ変わってないだろうか?

ふと振り返ってみる。もちろん、だれもいない。

でも、やがてそんな違和感はなくなった。

ある朝、私が目覚めて台所に行くと、男がいる。ごく自然にテーブルにつき、新聞を読んでいる。大きな男だ。肩幅がひろくがっしりしている。

「もう起きてたの?」

私が言うと男はうなずく。無口な男なのだ。死んだ夫も無口だったなと思う。このひとはいつからいたっけ。私は考えるが思い出せない。ずっと前から知っているような気がする。違うかもしれない。

「今日は遅くなるかもしれない」

私がそういうと、男はまたうなずく。新聞を熱心に読む。のぞきこむと、遠い街で起こった殺人事件の記事だ。

「そこ、行ったことある?」

男は首を横に振る。ふと聞いてみる。

「前はどこに住んでたの?」

男は答えない。コップを取り上げ、そこに満たされた樹木のにおいのする液体をごくごくと飲む。


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というわけで、映画「怒り」っぽい感じをちょっとだけ取り込んでみたつもりですが、どうでしょう。次はロマンティックな映画を観たいな。