フリーのデザイナーというより、自称デザイナーと言ったほうがいいかもしれない、ほとんど事件の容疑者みたいなヤマシタである。
そのヤマシタが、なぜかここしばらく仕事で忙しかったので、いつものように創作ものを書く余裕がない。
この間はちょっと時間ができたので、「そうだ、創作のための刺激を受けに行こう!」「映画を観たらぶわ〜っとアイデアが浮かぶことあるよな!」と、近所のシネコンに行った。つまりインプット。
しかし、観た映画が「怒り」だったので、何の効果もなかった。あんな重い、力作まるだしの映画と、私のふだんの小説と何の関係があるというのだろう。ちょっと考えたらわかりそうなものだ。
そういうわけで、今日はフィクションじゃない雑文でお茶を濁させていただく。
実は少し前から悩んでいることがあって、それはカメムシである。チョコチップみたいと言われるあの黒くて小さなやつではなく、胴体の長さが2センチ以上ありそうな、たぶんクサギカメムシという種類。
6月のある日、洗濯物を取り入れ、Tシャツをたたんでいたら何かついてる。
直径1ミリくらいの、わずかに緑色を帯びた白い球体がびっしりと並んでいて、数えると12個……なんだろ……顔を近づけ、よく見ると……虫の卵……ぽい?!
ぎゃーっと叫び、いったん放り投げて部屋の隅まで逃げ出した後、正気を取り戻し、Tシャツをそーっと引き寄せる。つまみあげ、ベランダに持って行き、そばにあったプラスティック製のふとんたたきでこそげ落とす。
びっくりしてどきどきしているせいか、なかなか取れない。ててて手に力が入らないのだ。卵はボンドでくっつけたみたいにしっかり、産み付けられている。ふとんたたきを持つ手に力をこめ、なんとか、取れた。
ちょっと、いや、かなり罪悪感あったけど……。
それから何日か後、同じものが網戸に! 今度もこそげ落とした。だだだって、めでたく孵化したらいやじゃないですか、そんなにたくさん! 悪いけど。
で、このときもがんばったが、いくつかは落とすことができなかった。卵の殻だけが今も残っている。網戸から無理矢理落とした卵も、踏みつぶすまではできなかった。なんだかひどすぎるようで。それでも、罪悪感、さらに積もる。
ふと見ると、ベランダの柵の上に大きなカメムシがいる。真横から見ると、腹部がちらちらと見える。背中は硬くて黒っぽいが、腹部はやわらかそうで横に何本も筋が走る。
触覚と足をゆっくり、ゆっくり、もわもわと動かす。こっちを見ているような気がする。卵の関係者だろうか。なんだかどきどきしてくる。冷や汗がにじむ。
Tシャツをたんすの引き出しから出して着ようとしたら、そのカメムシがくっついてることに気がつき、また絶叫とともに放り出したこともある。私が気づかずにたたんで、しまったのだろうけど。
そのカメムシ、と書いたが、同じ個体かどうかはわからない。見た目はそっくりだけど。
カメムシはどうも居着いてしまったらしく、それからも毎日のように見かけるようになった。
あるときは台所のそばの開閉式の網戸にしっかり張り付いていた。とんとん、とたたいても網戸をばたばたしても微動だにしない。
仕事机の前の窓に張り付いていたこともある。こちらに腹を見せて。
私は別にカメムシを殺したくない。虫は苦手なので、よそに行ってほしいだけである。向こうも、別に私を攻撃するつもりはない。そのことはわかっている。
突然出会ってしまったときは驚いてこちらが動くと、向こうもびびって動く。
「うわわわわ!」「おおおおおっ!」と、どちらもびびってるわけで、考えたら笑える。でも笑うどころじゃないんだ、両者とも。
ベランダに出るときは、必ずカメムシチェックをするようになった。いきなり至近距離で目が合う事態は避けたいので、眼鏡をかけてまずそーっと360度チェック。
いなければいいし、離れたところにいるのが確認できればそれでよしとする。何時間もじっとしてることもあるので、しばらくは安心。むしろいなくなるとどこに潜んでいるのかと不安でたまらない。
当然かもしれないが、次第に、見かけてもそれほど驚かなくなった。それどころか時々「あ、そこにいたんだ?」と声をかけるようになってきた自分に驚く。
向こうも私に慣れてきたような。そんなことないか。でも、なんというか、お互いを認め合うようになった、というのかなあ。ははは。
だからといって間近で見る勇気はない。悪いけど、不気味だ。腹が特に。カメムシに何の罪もない。でも、近寄りたくない。
ところで、そんな恐がりの私だから、寝る前とか出かける前の戸締まりや火の元チェックには、いつもものすごく時間をかける。
声に出して「締めた」「消した」と言うのはもちろん、「ふり」もつける。何かの替え歌にして歌いながら身振り手振りつけて「♪ガスしめた〜元栓も〜」などとやる。
あっちの窓、こっちの窓、台所のガス、風呂場、そこらじゅう歌いながら踊りながら確認……あほです。
いや、だってそのほうが「確かにさっき、ああやって確認した」と記憶に残りやすいじゃないですか。
で、ある夜もそのようにして確認して、ふとんに入った。
その日はけっこうよく動いた。ふわ〜っ、今日はけっこう疲れたな……私にしては割と歩いたよな……その割に新しいポケモンにも出会えなかったな……ポッポやコラッタはもうええわ……とか思いながら意識が遠のいていく。
──え、風呂場の窓閉めたかな?
風呂場の窓の歌はどうだったかな? ああ、最近「あさが来た」のメロディに変えたんだった。♪風呂場の窓をしーめた……って歌った記憶がないような……歌ったかな……どうだっけ……
いつの間にか寝てしまった。
次の日、起きてみたら風呂場の窓は開いたままだった。
いや、風呂場の窓くらいどうってことないよ。
自分にそう言い聞かせる。事実、家の中が荒らされたわけでもないし、何の被害もない。そもそも風呂場の窓は、開けっ放しでも人間が入れるような大きさではないし。
──でも、人間じゃなかったら?
私はとても恐がりである。心配性である。
それ以来しばらく、何かがいるような気がして仕方なかった。いつもの部屋と同じにみえてどこか違ってないだろうか? 室内の空気の色、におい、重さ。そんなものが、ほんの少しだけ変わってないだろうか?
ふと振り返ってみる。もちろん、だれもいない。
でも、やがてそんな違和感はなくなった。
ある朝、私が目覚めて台所に行くと、男がいる。ごく自然にテーブルにつき、新聞を読んでいる。大きな男だ。肩幅がひろくがっしりしている。
「もう起きてたの?」
私が言うと男はうなずく。無口な男なのだ。死んだ夫も無口だったなと思う。このひとはいつからいたっけ。私は考えるが思い出せない。ずっと前から知っているような気がする。違うかもしれない。
「今日は遅くなるかもしれない」
私がそういうと、男はまたうなずく。新聞を熱心に読む。のぞきこむと、遠い街で起こった殺人事件の記事だ。
「そこ、行ったことある?」
男は首を横に振る。ふと聞いてみる。
「前はどこに住んでたの?」
男は答えない。コップを取り上げ、そこに満たされた樹木のにおいのする液体をごくごくと飲む。
【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
http://midtan.net/
http://koo-yamashita.main.jp/wp/
というわけで、映画「怒り」っぽい感じをちょっとだけ取り込んでみたつもりですが、どうでしょう。次はロマンティックな映画を観たいな。