はぐれDEATH[13]はぐれだからできる中継ぎ-2
── 藤原ヨウコウ ──

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「呱呱プロジェクト」のM氏がボクに声を掛けてくれたのは、単純に「アナログ、デジタルを現場で見て感じて知っていて、技術だけではなく表現そのものにも関わっていて、なおかつどんな印刷技術の原稿でも入稿させることが出来る、フラフラしていて楽に操れそうなヤツ」と言うだけの話だ。

全部兼ね備えていて、フラフラしている人材などそうはいない(笑)。当然と言えば当然の帰結である。はぐれだから条件を満たしたと言ってもイイかもしれない。幸いM氏の話や計画を、ボクはすぐに理解した。

M氏曰く「ここまで言葉少なく理解してくれる人も珍しい」そうなのだが、ボクに言わせれば話して分かりそうだからボクに声を掛けただけの話で、実際のところは確信犯だと今でも思っている。




更にM氏の年齢のこともある。「呱呱プロジェクト」もやりっ放しで済ますわけにはいかないのだ。後身を作る必要があるとM氏が判断し、ボクに鉢がまわってきたのは当然である。ただM氏に不安がなかったわけではないし、今だってそれが取り除かれたわけではないことを、ボクは重々承知している。

それはボクの性格だ。とにかくキレやすいのである。もっともこの辺は五十歳を迎えたあたりから急に減速しているのだが(キレるのが面倒になってきたのだ)さすがにこればかりは、実際にやらせてみないと分からない。

上手い具合にプロジェクトを進められるかどうかは、この段階ではボクの性格次第という、極めてリスキーな性格を帯びてくる。何をしでかすか分からない危険人物というイメージは払拭されるどころか、更に増していたのだ、呵々。

おだて上手で人誑しのM氏が、上手い具合に手綱を締めてくれたのは言うまでもあるまい。こんな書き方をすると稀代の大悪人のようだが、そんなことはございません。天の邪鬼のボクが心酔し、言うことは何でも聞くという数少ない一人なのだ。人としての大きさを想像して欲しい。

といっても、ボクを知らん人には想像のしようがないか。とにかく偉い人なのだ(ああ、なんて貧困なボキャブラリー)。

後のプロジェクト名ともなった「呱呱」(命名:井上佳穂)は、原稿の段階からかなり特殊な性格を与えることにした。とにかくデータ通りでは絶対に再現できない強烈なインパクトを、現場の皆様に与えながら、彼らの解釈力を無理矢理に引きずり出そうというのがその狙いだ。

だからボクは、製版や刷版の現場の人達には「好き放題してイイ」と投げ出したのだ。無責任といえば無責任そのものだが、とにかくスタートとしてはこれがベターだと判断したし、M氏も納得して後押しをしてくれた。

このプロジェクトは、アート印刷工芸株式会社さんが担当してくれているのだが、全員が全員驚いたようだ。何しろレイヤーが全部残っている原稿データを渡して、「好きに印刷して下さい」などと言う暴言(!)を吐く人には初めて会ったと異口同音に言われたのだ。

ボクとM氏にしてみれば、予定通りの反応だったので、しめしめとほくそ笑んだものだ。もちろん、この段階でアート印刷工芸さんに危険人物としてマークされたのは言うまでもなかろう。

数え切れないほどの色校と工夫、手間暇をかけてくれた印刷物はもちろん素晴らしい出来映えであった。この間ボクは一切口出しをしなかった。

「現場が率先して考え試行錯誤しより良い印刷物にする」という目標を、最初にM氏と共に提起していたのだが、原稿を渡したボクは評価に関しては、アート印刷工芸さんが「これです」といってくれるモノが出てくるのをひたすら待つことにしていた。

彼らが胸を張って提出するものにしか評価はしない。それがこの時のボクのスタンスだったし、M氏も承知の上だったのだ。任せるといったら任せて、責任は任せた人間が取る、という方式を採用したに過ぎない。

もっとも、ボクは任せる立場にいたこともあるし、今は専ら任される立場である。「任せた!」と投げ出される方のプレッシャーは、イヤと言うほど知っているどころか、もうほとんど日常茶飯事とも言ってイイ。だから必死で工夫するのだ。

クライアントの予想の上を常に狙っているし(斜め上になることもある)とにかく「任せて良かった」と思ってもらわないと困るのだ。挿絵画家などはその程度のものだと、ボク自身は思っている。任せる、というのはそういう意味では任された側のスキルアップにも直結するのだ。

もっともマジメに取り組んでくれたらの話だが、幸いアート印刷工芸さんは見事にクリアして下さった。あとはねちねちとハードルを上げていくだけでいいのだ。とにかく現場が盛り上がってくれたのが、ボクには何よりも嬉しかった。イヤイヤではダメなのだ。「あのぼーず頭の青二才」(いやもう四十はとっくに越えていたのですが)と思われるぐらいでちょうどイイのだ。

●ボクとM氏の考えるアート・ディレクターとは

ちょっと話が逸れたが、ボクが京都に戻りアート印刷工芸さんを伺うことによってボクの責任は倍増したと言える。何しろ三年も待ってもらったのだ。ましてや、ボクの大好きな印刷の現場。明らかに変化した現場の空気にボクが驚いたぐらいだ。が、それでもボクはきっちり爆弾を持っていった。

アート印刷工芸さんが、再びはぐればーずの災厄に晒されることになったのだ。さらにM氏との引き継ぎが水面下でゆるゆると進む。ボクはこっちの方が怖い。名目上はアート・ディレクターとして関わることになるのだが、このアート・ディレクターというヤツが実に厄介なのだ。

業界一般ではどうか知らないが、ボクとM氏の考えるアート・ディレクターは「問題点を整理し解決法を模索し表現の方向性を明確に指示、監督できる役割」と理解しているからだ。

表現そのものはベクトルの上にしっかり乗っていれば、デザイナーに任せっきりにしてもいいのだ。むしろ、ベクトルから外れないように見張っていないといけない。

更に変に口出しをしてもいけない。デザイナーの思考を縛ってはいけないのだ。この辺のバランスを取るのが滅茶苦茶難しいのだが、ボクも表現をする立場の人間なのである程度のアタリはつく。相手にもよるけど。

で、素直にこの通りに物事が進むかというと、そんなことはまったくなくて、大抵の場合はデザインの再教育からスタートすることになる。これがめちゃめちゃしんどい。今まで何をやってたんや、と突っ込みを入れたくなるケースが大半なのだ。

これはボクが会社にいた頃からそうだった。白状してしまえば、やはり若い人の方が責任感が強く、結果的にこっちが驚くような提案をしてくれる方が多かった。経験値の低さが、ハードルそのものをさげる効果を持っているからだと思う。

逆に中堅以上になると、「なんでこうなるかなぁ?」というようなモノを平気な顔をして持ってくる。だから会社員時代ボクが、新規の仕事を任されるときよくお仕事を頼んでいたのは、同世代か若いデザイナーさんばっかりだった。

継続している仕事に関してはそれまでの経緯もあるので、首を飛ばすと言うことはしなかった。むしろ打ち合わせに時間をかけた。

こうしたアート・ディレクターという立場を明確に理解し、把握していたのは当時の本部長であり、M氏である。というか、同じ会社なのに我々は少数派だったのだ。これはグラフィックに特徴的な傾向なのかもしれないが、一連の工程をシステムとして理解し、それぞれの工程の特徴や目的があまり明確ではないのが普通らしい。

実際、グラフィック畑の人間はすぐに手を動かしたがる。その前に確認し、考えなければいけないコトが山とあるにもかかわらずだ。これは今も昔も大して変わらない。

PCの普及でむしろ酷くなったとも言える。ラフを描かないのだ。どこでどうイメージを構築するのかというと、デスクトップでごちゃごちゃいじっているうちに何となく出来ちゃいました、というケースをよく耳にするのだが、そうだろうなぁとも思う。とにかくこういう時代である。

アート・ディレクターは、人材の育成というアホなコトにまで手を突っ込まないとどないもならん、というのがボクとM氏の共通見解であり、M氏はそれをボクに「やれ」と言ってるのだ。ここが抜けると、せっかく印刷技術を向上させても意味がないのだ。

ただこれほど時間も手間も労力もかかる立場というのはそうそうない。が、本来教育というのはそういうもんだろう。はっきり言ってしまうが、教育に経済的なリターンを求めるのは筋違いなのだ。ハイリスク・ハイコスト・ノーリターンを肝に銘じておかないと大抵ダメになる。

ただ本当の意味でノーリターンかというと、そういうわけではない。専門学校で非常勤講師をしていた頃、教え子達がそれぞれに巣立つのを眺め、彼らがこれからどういう人生を送るのか、ボクが教えたことがほんの少しでも役に立てばいいのに、と思っていたことを素直に告白する。

実際どうなったのかは知らないが、彼らは彼らでまた後進の指導をする立場になっているはずだ。世代交代というのは、本来このような形で進むのが理想的なのだが現実は厳しい。そして交代すべき世代間の中継ぎとして、ボクは印刷の現場に戻ってきた。クローザーになってゲームを終わらせてはいけないのだ。

とにかくボクの知識、経験を伝える。もちろんボク自身は更に学ばなければならないだろう。学ぶ姿勢を見せるのも大事なコトだと思う。単なる巡り合わせなのだが、こうなってしまってはもうどうしようもないではないか。大人しく自らの立場を受け入れ、すすんで努力するしかない。

というかボクはアホなので、それ以外になぁんにも思いつかん。今から性格が変わるなどということはあり得ないし、人格が飛躍的に高くなるということもあり得ない。アホのボクはアホのままだ。

出来ることはする。今出来ないことも出来るようになるよう努力する。そしてちょっとづつ成果を出すしか他に手はないのだ。この辺は挿絵画家としての立場とリンクするが、当たり前の話である。

アート・ディレクターだろうと挿絵画家だろうと、ボクはボクなのだ。基本的なやり方が変わることはない。

で、アート・ディレクターのまんまでいいのかと問われると答えは「NO」である。ボクの後釜を育てなければならない。二重三重にややこしいコトを抱えてしまったのだがしゃーなしである。この辺は大工さんも一緒だな。

というか、こうして様々な技術やノウハウは受け継がれていかないとおかしなことになりはしないか? 実際、こうした歪みは社会のありとあらゆるところで噴出している。

派遣の人の方が知識も経験も技術力も正社員以上、なんてのはよく聞く話である。せっかく育てた人材をリストラの一言でばっさり切り捨て、コストの都合で安く調達しようという、経営者にとって都合のよすぎる状態が闊歩しているのだ。

すべてがすべてとはさすがに言わないが、目立つ事象であることは事実だ。酷いところになると、経験豊富な派遣の人が正社員を教育するというアホな事態まで起きているようだ。正社員以上の仕事をしながら正社員より給料安いのに、さらに人材育成である。あまり風呂敷を広げたくないのでこの辺でやめとく。

ちなみに挿絵画家に関しては、後進を育てる気はまったくない。邪魔くさい上に、ボクの方法論は山田荘八「近代挿絵考」(双雅房、1943年)と近代デザインの思想がごっちゃになっている。いずれも前世紀どころか戦前の論考である。時代遅れもいいところだし、こんなやり方を誰かに教える気はまったくない。基礎教養もかなり必要だしね。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
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装画・挿絵で口に糊するエカキ。お仕事常時募集中。というか、くれっ!