はぐれDEATH[18]はぐれの教育したりされたり
── 藤原ヨウコウ ──

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●知的好奇心を満たすための学問

いわゆる「教育論」とやらをぶち上げる気はまったくない。そもそもボク自身が大学院に入るまで、勉強らしい勉強をやっていないのだ。娘にだってせいぜい「勉強はちゃんとやっといた方がイイで」という程度である。自分がやっていないのに、娘や他人様に押しつけるような理不尽なことはできない。あくまでも自分が経験した範囲でしか人には教えられない。

それでもまぁ何とかかんとか、現役で大学に入学できたのは、ひとえに過剰なまでの読書量の多さである。文系の科目はこれだけでほとんど誤魔化したと言っても過言ではない。理系はというともうほぼ全滅である。何しろ共通一次試験直前まで数学Iの習得に時間がかかったのだ。他の科目は推して知るべし。

大学院に進んで事実上の担当教官に出会えて、学問に対する見方に新たな光芒を見いだしたのは幸いであった。ボクの専門は明治時代の印刷技術の変遷と挿絵に関することだったのだが、この先生の専門はバウハウスである。日本のバウハウス研究の第一人者と言っても過言ではなかろう。

まったく明後日の方向の分野にもかかわらず、先生は好奇心丸出しでボクの指導をして下さった。もちろん専門外のことなので、先生から質問もされる。答えないといけないのでとにかく勉強する。これをほぼ二年続けて、論文とは少々言い難いが何とかまとめあげられた。




「学者とは、学問とはこうあるべし」とボクが思ったのはこの時の指導にある。まず、純粋で反応しやすい知的好奇心がないと、どうにもならないのだ。先生の凄みはこの知的好奇心の旺盛さにある。高校から大学卒業まで、劣等生のコンプレックスを抱いていたボクにとって、この先生の存在は大きかった。

「ああ、学問とはこうなんや」と腑に落ちたのである。他人との競争ではなく、あくまでも自分の好奇心を満たすための学問。楽しいコトしかしないボクにとって、こういう学問の定義は本当に嬉しかったし、実践されている現場を目の当たりに出来たのは、幸運以外のなにものでもない。

会社に入ってボクは、この時の経験をフルに実践することになる。そもそも「大学院出だから」というワケの分からない理由で、配属先でなにも教えてもらっていない状態から、いきなり担当を任されたのだ。

こうなったら、先輩達の仕事ぶりやら何やらをパクるしかないではないか。もちろん、失敗もたくさんしたが、上司が間に入ってくれてどうにかしてくれた。「仕事を任せるというのはこういうことなんや」と思い知ったのはこの時のことである。

会社では一応アート・ディレクターとして働いていたのだが、原則として自分で手を動かすことはしなかった。コンセプトや方向性を示唆するだけで、表現は全部デザイナーさんに任せっきりにした。

デザイナーさんが袋小路に陥ったときはアドバイスもしたが、そもそも袋小路に陥るような指示しかできないボクが悪いのである。この時大いに参考にしたのが、大学院時代の恩師のやり方だ。とにかくまず自分が「面白いことをやっているのだ」ということを、デザイナーさんに示す。質問もばんばんする。その受け答えの中から、表現が生み出されていく過程は非常に楽しかった。

ボクに言わせれば、そもそもアート・ディレクターというのは教育者としての側面も大きいのだ。デザイナーさんが気がついていないことを教えたり、疑問に答えてやらないといけない。ボクだけの考え方かもしれないけど、そう思っている。

会社には結局三年しか在籍しなかったのだが(ボクのワガママだ)、フリーになってから専門学校で教える立場になって経験はまた大いに役立つ。

とはいえ、専門学校時代は苦い思い出しかない。ボクが普通だと思っていた基礎教養の段階で、学生が「?」となるのである。正直これには参った。デザインだのMacだのと言う前に、いきなり西洋近代史から始めないといけない羽目になったのだ。

歴史は洋の東西を問わず大好きなので(本当は大学は歴史関係の方面に行きたかったのだ)教科書から年表、その他副読本はもちろん、とにかく本を読み漁っていた。祖父の蔵書も読んでいたので文語体にも慣れていた。変体仮名は小学生時代には解読できていた。これが普通だとものすごい勘違いをしていた。

学生達は高校から進学してきたケースが大半である。「高校で習ったことならまぁまだうろ覚えしているだろう」と思ったのが間違いのもとだった。何しろ「産業革命」という言葉が通用しないのだ。ここで本来のカリキュラムから脱線して、基礎教養の授業に突入しなければならなくなった。

教える以上、こっちもうろ覚えではまずい。学生以上に勉強をしないと教えられるものも教えられない。考えられるあらゆる質問を想定して、かなり広範にわたって近代史を学び直したのはこの時だ。

苦痛だったのかと問われれば、答えは「No」である。前述したようにボクは歴史が大好きなのだ。むしろこの時の勉強で知識は更に深くなったし、緻密にもなった。それまで気がついていなかった色々な疑問もたくさん生じたし、その疑問を解決すべくまた本を漁るという、言わば大好きなことしまくりな状態だったのだ。ちなみにこれだけ勉強したのに、授業では殆ど役に立たなかった。

エカキになってからは様々なジャンルの小説に出くわすことになるのだが、これまたボクの好奇心を刺激し続けている。知らないことがじゃんじゃん出てくるのだ。お仕事なので選り好みなどしていられない。

とにかく、分からなかったら即学習である。分からないというのは文章の内容が分からないということではなく、背景にある諸々の知識である。この背景を理解しないと挿絵など描けない。もちろん、作者の方は分かりやすく書いていらっしゃるのだが、絵を描く方としてはそれ以上に知識が必要になるのだ。ボクだけかもしれないけど。

実際、ボク自身が仕事を引き受けるまで、特に好奇心を持っていなかったジャンルというのはかなりある。自分の知識がいかに偏っているのかを自覚するのにはイイ刺激だし、正直こうした刺激は大歓迎である。単純に楽しいのだ。

そういう意味では、担当させて頂いた作品はすべてボクの先生と言っても差し支えない。そうして思うと、今後もずっと学問が出来るわけだ。「生涯学習」という得体のしれないキャッチコピーとは異なる生きた学問だ。面白くないはずがない。とにかくお仕事を続けていればいつまでも続けられるのだ、呵々♪

●再び教育者として現場に

今年の秋から、再び教育者として現場に出ることになった。もっともいわゆる「先生」ではない。某印刷会社の顧問(この肩書きが恥ずかしくてしかたがない)として「社内の若い衆を教育せよ」というお達しがあのM氏からきたのだ。

ボクがこの「辞令」を断るはずはない。頼まれた以上はどうにかしようと11月から週一で出向しているのだが、専門学校時代のデジャブが甦った。あの時と状況がよく似ているのだ。

厄介なことに若い衆たちは(当たり前だけど)それぞれの仕事で忙しくしている。改めて一から教育し直すなどということは当然不可能だ。「さてどうしたもんか?」と頭をひねっていたら、ちゃんとM氏が助け船を出してくれた。

新しい案件をボクの管轄内でしろということだった。メンバーも選んでくれた。ここまで来ればしめたもんである。会社員時代のノウハウをフルに応用できるからだ。専門学校やエカキとしての経験も大いに役立つだろう。

ありがたいことに、選んでくれた二人のデザイナーがそれなりの場数を踏みつつも、今自分がおかれている立場に疑問を持っている子達だった。これほど教育しやすい例も珍しい。さすがM氏である。

自分の立場に疑問を持つといっても、具体的にどうこうという話ではない。どこかもやもやとしていて、「このままでいいのだろうか?」という不安を持ち始めた子達らしい。

ボクに言わせれば、将来に対する明確な目標とそこに至るための過程を示して、一緒に解決すればいいだけの話である。だから、のっけから「君らには三年後にアート・ディレクターになってもらう」と目標を突きつけた。

あくまでもボクの価値観にあるアート・ディレクターである。そして、そうなるためには今デザイナーとしてやらなければいけないことを、案件を通して学んでもらおうというのがこっちの狙いである。

それまで社内では誰も言い出さないようなことを、営業を含めた会議でどんどん質問し、あとから質問の意図を二人に教える。馬鹿みたいなことしか聞いていないのだが、アート・ディレクターとしては知っておかないと困ることばかりだったのだ。

「こんな話が来たからラフ作って」じゃ困るのだ。とにかくデザイナーの前で根掘り葉掘り質問をする。二人とも「なんでそこまで質問をするのだろう?」というような顔をしていたが、後から種明かしをちゃんとした。制作する側として知っておくべきことのレベルの違いを明確に示したわけだ。

ありがたいことに、こうしたボクの態度に二人とも食いついてくれた。だって珍しいんだもん。当たり前である。食いつけばあとはこっちのもんである。じわじわと価値観の転換をしながらあるべき姿に指導すればよろしい。

「失敗したらボクのせい、成功したら君らの手柄」とも付け加えておいた。一見、寛大な態度に見えるかもしれないがそれは大間違いである。「全部任せた」ということなのだ。日頃の仕事内容とはプレッシャーの度合いは遥かに高い。任せられるというのはそういうことなのだ。これもちゃんと口頭で注意した。

但し社内からの攻撃はボクが一手に引き受けなければならない。彼らの責任問題にしては意欲が喪失するのだ。これは絶対に避けるべきである。もちろんこっち方面に関してはM氏にも参戦いただくべく、進捗状況は常に伝えている。M氏も「よっしゃ、よっしゃ」と言ってくれてるので、ボクは自分のなすことをするだけだ。

要するに、こうした教育がなされていなかったからボクが呼ばれたのだが、正直「これでようやっとったなぁ」と半分呆れて半分驚いていたりする。

それとは別に、再教育しなければいけないことがあるのだがこれは内緒だ。ボク一人でどうにかしないといけないので、作文やら図表やらを作りまくっている。参考書みたいなもんか? 

とにかく、ここをどうにかしないとボク自身も困るし、会社全体としても困ることになるのだが、なぜか誰も手をつけていない。会議では「やりましょう」ということになるのだが、実際は何も進んでいないのだ。結局ボクが全部しないといけない。

もともとはM氏の案件の一つなのだが、M氏が関わっている案件はあまりに多すぎる。ボクが一部を担当しないとM氏の計画全体が先に進まないのだ。もちろんボクだけが肩代わりしているわけではない。それぞれの改革すべき案件のエキスパートが複数関わってM氏のチームがある。ボクはそこに新規参入しただけの話だ。で、内容はと言うと結局「教育」に行き着く。

「ここはフジワラ君に頼む」とM氏に言われたら、ボクは断れないのだ。まぁ、下っ端だしね(笑)

立場はあくまでも外様である。M氏の顔を潰さないようにしながら、最悪尻尾切りの役目も負うべきだと思っている。そこまで覚悟をしないと、教育だの改革だのということは出来ないと思う。自己保身など百害あって一利なしだ。

守るべきは未来の人材や事業であり、現在の下らない見得ではない。ここまで言い切ってしまうのもはぐれならではなのかもしれないが、ボクはそう思っている。

あ、本業は止めたわけではありません。絶賛、お仕事大募集中です。どんどんお仕事ください。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
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装画・挿絵で口に糊するエカキ。お仕事常時募集中。というか、くれっ!