ショート・ストーリーのKUNI[207]年賀状は永遠に/ヤマシタクニコ

投稿:  著者:  読了時間:11分(本文:約5,400文字)



201X年の年末、淀屋橋哲三はその年最後の年賀状を書いていた。妻の幸恵がの
ぞきこんだ。

「西九条信三郎さんね。あなたはいつもその方を最後に書くのね」

「ああ、そうだ」

「古いお友達?」

「古いどころか……西九条とは小学校のころからの親友、いや、同志、いや、ひょっとしたら仇といえるかもしれぬ」

「仇?」

「思えば50数年前。われわれは小学校2年生だった。年賀状というものを初めて書いた。私ははがきのスペースをいっぱいに使って『あけましておめでとうございます』と書いた。うまい、うまいとみんながほめた。それを西九条に出した。西九条も私あてに送ってきた。

それが小学生にしてはみごとな字。しかも、余白のとりかたが計算されたものだった。家族はみんな『小2とは思えない』『哲ちゃんより上手』と言った。私のプライドは傷ついた。ちきしょう、西九条のやつ、来年は負けるもんかと固く誓った。以来毎年、闘いが続いておるのだ」

「はあ」




「あらゆるテクニックが用いられた。ミカンの汁を使ったあぶりだし、芋版。しかし、あぶりだしも芋版も、くやしいことに西九条のほうが上手だった。ゴム版ではなんとか互角だったが、翌年になると木版で西九条は卓越した技量を見せた。私はまた水をあけられた。

中学校に上がるとさっそく英語を使った。私は喜び勇んで学校で教わった通り『Happy New Year!』と書いたが、西九条は『Have a great new year!』と書いた。どこで覚えたんだ。ネットなどない時代に。負けたと思った。

私は路線を変更して翌年からだじゃれに転じた。和尚さんふたりの絵を描いておしょうがツー。だが、西九条からの年賀状には紅ショウガがふたつ。ショウガツーだ。事前に申し合わせたわけでもないのに、私と西九条は同じ事を考えていたのだ。われわれはこのとき、悟ったのだ。これは長期戦になる! と」

「はい」

「以来、闘いはますます熱を帯びて今日に至っている。プリントゴッコ、パソコン。バブルのころは金箔銀箔はあたりまえ、飛び出す年賀状も試みた、インターネットを使った方法も試したが、やはり原点回帰と紙に戻り、今年はあらたな手法に挑戦してみた」

「そういえば……なにやらはがきに厚みが……こ、これは!」

幸恵は夫の手元の年賀状を見て息をのんだ。はがきの裏に3Dプリンタで作った角皿のようなものが張り付けられていたのだ。謹賀新年の文句と富士山の絵柄が微細な高低差をもって表現されている。

「どうだ。そこに醤油を注げばくっきりと文字と絵が浮かび上がるのだ」

「醤油が必要なんですかっ」

「いや、まあ見てるだけでもいいが」

「わかりました。あなたと西九条さんの闘いがそんなに壮絶なものとは、これまで思いもしませんでした。ここまで来たからには存分におやりになってください」

「幸恵、わかってくれたのか」

「あなたっ!」

「こうしてはいられない。これを投函したときから次の闘いが始まる。もしかしたら西九条も、今回は3Dプリンタを使うかもしれぬ。やつならかなり精度の高いものを出してくる可能性があるから油断はできぬ。いかに迎え撃つか……」

しかし、翌年、西九条からの年賀状はなかった。年賀状の制作にあたっていたころ急な病に倒れ、そのまま帰らぬ人となったのだ。日を経て一枚のはがきが淀屋橋哲三のもとに届いた。

──寒中お見舞い申し上げます。西九条信三郎の息子の西九条一郎です。闘いは私が引き継がせていただきます。

こうして、幾世代にもわたる淀屋橋家と西九条家の闘いが始まった。

西九条一郎は一見してごくふつうの年賀状を送ってきた。

「新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします……うむ、ごく普通の年賀状に見えるが……ああっ!」

「どうしたんですか、あなた」

「ここ、これは、オリジナルのフォントだ。見ろ、文字の中にさりげなく今年の干支を仕込んである。こんな文字があるわけがない。そうだ、息子がフォントデザイナーだと聞いたことがある。年賀状のためにオリジナルフォントを作ってきたんだ! くそっ、手の込んだことをっ」

信三郎なきあと、淀屋橋哲三は心中ひそかに「勝った」と思ったのだが、それが甘かったと思い知らされたのはこのときであった。まさに血ほどおそろしいものはない。哲三もすでに齢60を超えている。これは尋常の覚悟では闘えない。

哲三はすぐに筋トレを始めた。闘うにはまず体つくりだと思ったのだ。だが、これが災いとなった。苛酷な筋トレの最中に哲三は心臓マヒを起こして死んでしまった。

──寒中お見舞い申し上げます。夫・哲三は昨年他界いたしました。闘いは私、幸恵が引き継がせていただきます。

幸恵は子どものころからお習字が得意であった。その腕を生かすときが来た。相手が信三郎の血を受けた凄腕フォントデザイナーであっても、己を信じ、基本に立ち返るしかない。

西九条一郎が絢爛豪華にして洒脱でスタイリッシュなフォントを惜しげもなく使ったはがきを寄越せば、幸恵も後戻りも修正もできない生身の筆一本で立ち向かった。

「小学校のとき書き初め大会で文部大臣賞を受賞した私をなめんじゃないよっ!」

202X年、幸恵没。後は息子の淀屋橋光太郎が継いだ。光太郎は両親に似ず穏やかな青年であったが、嫁の佐知子が乗り気になった。

嫁は勝手にテーマを「手仕事」と設定、光太郎が書いたはがきを刺繍やニットで飾り立てた。カラフルな毛糸で作った鶴が舞い、梅の花がちりばめられ門松が屹立する。どこの展示会に出すオブジェかというレベル。ポストには入りきらず、宅配便で送る年賀状となった。

「フォントデザイナーがなんぼのもんじゃ!」

西九条家も黙ってはいない。オリジナルフォントを使ったデザインをウッドクラフトに仕立てた。元旦からトラックが淀屋橋家の玄関に横付けされたと思ったら、年賀状であったという。

翌年はこの反動で淀屋橋家が米粒に極小文字で年賀状を書いてみせたが、西九条家はごま粒に書いてきた。

「ううううううううううううううううううっ!」

悔しさに歯がみする淀屋橋光太郎のうなり声が町内に響いたという。

こうして闘いはエスカレートする一方であったが、年賀状にかける熱意のすごさにさすがに家庭は荒れ放題。淀屋橋家、西九条家ほぼ同時期に離婚。

ごたごたが続く中、淀屋橋家では光太郎の息子、光一が、西九条家では一郎の息子、颯太が若くしてあとを継いだ。若者らしく、二人は新鮮な発想で年賀状作りにいそしんだ。奇をてらうことなく、基本は紙の年賀状におきながらもセンスの良さを競った。

207X年、淀屋橋光一没。息子の剛大が後を継いだ。剛大はもはや老境に入った西九条颯太あてに挑戦状をおくるべく斬新な年賀状を送り、颯太は年長者らしく軽くそれをいなした。3年後、颯太没。息子の久雄が後を継ぐ。

2080年代から2090年代にはホログラムの年賀状が一世を風靡した。いきなり目の前に当人──8分の1のスケールだが──が姿を現すものだ。淀屋橋家と西九条家もさっそく採用した。

──あけましておめでとうございます。
──新年おめでとうございます。
「これが……」
「これが……」

元日の朝、両家はホログラム年賀状にしみじみと見入り、そこから発せられる声に聞き入った。無理もない。何代にもわたって顔を見たこともなかった宿命のライバルが、そこにいたのだから……。

ホログラムの流行もやがて終わる。だが、両家の年賀状の闘いは続いていった……。

21XX年の暮れ。崩壊寸前のアパートの一室で、淀屋橋メアリーは不自由な体をだましだまし、年賀状を書いていた。

そう、時は22世紀。そんな未来になれば、年賀状などなくなっているだろうと思うのはしろうとの浅はかさ。年賀状はもはや消滅寸前とまで言われた時期を経て、今また隆盛期を迎えつつあった。国の行く末が不透明になれば、なぜか自国の文化を礼賛する気配が生まれる。

あたかもフール・ジャパン、もといクール・ジャパンという言葉がかつて頻繁に民衆の口の端に上った時代を彷彿させるがごとく。人々は競ってはがきを求め、自分が出す年賀状の枚数、受け取った年賀状の枚数を誇らしげに語った。

「また今年も西九条ジョージにはがきを書かないといけないのね……」

メアリーはため息をついた。

「なんでこんな家に生まれてきたのかしら。毎年毎年、西九条家への年賀状だけは決しておろそかにするなと言われ続けてきた。見たことも会ったこともない西九条家の人々。あたしの人生はなんだったの」

「地球上の資源枯渇が貧富の差をいっそう広げている。年賀状レトロブームだとはいえ、趣向を凝らした年賀状を出せるのは限られた富裕層だけ。あたしみたいな貧乏人は一番安いはがきを買って、安物の絵の具で彩色するのがせいいっぱい。父が生きてたら、いえ、祖父が、曾祖父が、曾祖父の父が生きてたらあたしの年賀状を見てがっかりするはず。

『こんなもので西九条家に勝てると思ってるのか!』とあたしを殴り飛ばしたかもしれない……いいんだ。あたしだって、こんな暮らし、したくなかった。金もなく、夫も子どももいない。あとを継いでくれる人もいないんだよ……」

文字で見るとわかりにくいと思うが、メアリーはすでに75歳。21世紀はじめの日本でいうところの後期高齢者の領域に足を踏み入れているばあさんである。

若い頃からあまり体が丈夫でなく、いまは毎日が痛みの中にある。10年前までは父の後を継いだ兄が年賀状を書いていたが、その兄も死んだ。兄に子どもはいなかった。メアリーは結婚歴はあるが独身だ。

最近の西九条家からの年賀状が、メアリーにあわせるかのごとく簡素なものになっているのが救いのようであり、また屈辱のようでもある。

「もう限界。淀屋橋家と西九条家との年賀状の闘いだなんて……そうだわ」メアリーは決心した。

今こそ和平を申し入れるときだわ! あたしはこの闘いに終止符を打つのよ!

淀屋橋メアリーは一枚の年賀状を握りしめ、そこに書かれている住所へと向かった。12月なのに雨期のように雨がびしょびしょと降っている。温暖化の影響だろうか。

都心部に張り巡らされた鉄道を何度か乗り換え、メアリーはくだんのマンションに向かった。58階建てのタワーマンションだ。西九条家は裕福な暮らしを維持しているようだ。

エレベーターを降り、西九条家とおぼしき住戸のドアホンを鳴らす。名を告げると中から「どうぞ」と招き入れる声がする。室内に入ったメアリーは、あっと息をのんだ。

まばゆいばかりの光が満ちた部屋には、壁一面にモニタがはめこまれている。そしてそれらに囲まれ、部屋の中心部に置かれたデスクに男がひとり向かっている。男はメアリーを見たが、おそろしいほどに無表情であった。

「ここは、西九条さんのお宅……よね」

「そうとも言えるし、そうとも言えないかもしれない」

「どういう意味なの?」

「私は西九条家の年賀状を管理しています」

「それで?」

メアリーは男のつるんとした顔をまじまじと見た。

「あなた、人間じゃないみたい……ひょっとして……AI?」

男は微笑んだ。

「確かに。そしてここは永代年賀状サービスシステム。エーアイによるエーダイ年賀状サービスシステム」

「だじゃれかいっ!」

「当サービスをご利用になると、亡くなったあとも年賀状のやりとりを続けることができます。大切なひと、お世話になった会社に年賀状を出し続けたい、でも子や孫は引き継いでくれない、そういった悩みを解決します。

また、たとえ健在であっても、クオリティの高い年賀状を毎年毎年出し続けることが困難になった場合、だれとだれに出せばいいのかわからなくなった場合などにも当サービスがお役に立つかと。もちろん、差出人をお子様やお孫様のお名前にすることもできますから、不審に思われることもありません。当システムによって年賀状を永遠にやりとりすることが可能になったのです」

「……いつからこのシステムはできたの」

「設立は2063年です。淀屋橋家との年賀状のやりとりで、ぴんと来るものがあったのでしょうか。当時の西九条家の当主、颯太が自らこのシステムを立ち上げ、顧客を開発し、ビジネスとして成立させました」

「なんですって。それじゃあたしたち淀屋橋家の人間はそうとは知らず、システムあてに毎年毎年、年賀状を出していたと……」

「そうです。システムは淀屋橋家から過去に来た年賀状、そこに書かれている情報のすべてを分析して、それにふさわしい年賀状を毎年作り、発送しております。何かご不満でも」

メアリーは声を上げて泣き崩れた。

「お父さん、お祖父さん、そしてご先祖さま、あたしたちの負けよ。いえ、とっくに負けていた。西九条家はとうていあたしたちがかなう相手ではなかったのよ! あたしたちの闘いは無益だった。くやしい……」

「いかがです、淀屋橋家の最後の末裔、メアリーさん。あなたもサービスをご利用になっては。永年のおつきあいですので、特別にお安くしておきますが……」


【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
http://midtan.net/
http://koo-yamashita.main.jp/wp/

最近、変な夢をよくみる。昨日はどこかでお風呂に入っていたところ、茶碗くらいの亀が何匹も湯船に次から次に現れ、私は洗面器でそれを一匹一匹すくっては湯船の外に移しているという夢だった。アメブロは聞いたことがあるがカメブロとは。