ゆずみそ単語帳[07]ねこ耳マーチと相反する事実たち/TOMOZO

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●ねこ耳大行進

トランプ大統領の就任式翌日に、全米のみならず世界各地で開催された「ウィメンズマーチ」は、世界中で何百万人も動員する歴史的なイベントになった。

女性をトロフィーのように扱い、マイノリティや身障者をバカにし、21世紀のアメリカでは許されなかったはずの下品な差別発言を繰り返して、一部に熱狂的な支持を得つつ世論をますます分裂させて、就任時の支持率が40%という異常な状況で大統領になったトランプ。

このマーチは、その言動と価値観に「NO」という声をあげる機会として、各地で予想を超える数の人びとを動員した。

シアトルでも5万人程度という予想を軽々と裏切って、一番少ない見積りでもその倍の10万人(主催者発表では17万5000人)という驚くべき数の動員があり、ダウンタウン中心部は5kmが人の波で埋まった。

http://komonews.com/news/local/organizers-175000-people-turned-out-for-seattle-womens-march

このマーチ参加者の多くは「pussy hat(プッシーハット)」という、ねこ耳つきのピンクの毛糸の帽子をかぶっていた。この帽子を編んで、マーチ参加者に寄付するボランティア活動も11月下旬からさかんに行われていた。

言うまでもなく「プッシー(こねこ)」は、女性器をさすスラングでもある。

このねこ耳帽子は、もちろん、選挙戦中に流出して大騒ぎになった2005年のトランプ発言「オレくらいのスターになると何だってできるんだぜ。いきなりプッシーをつかんだりね、なんだってできる」と、思いっきり下劣な自慢をかまし、自分は女性の意思なんか無視して好きなようにする力を持ってるんだという妄想に酔いしれる幼稚な世界観を世界に垂れ流してしまったあの発言に対して、「このプッシーはお前なんかにつかまれて黙っているプッシーじゃありませんことよ」と宣言する小道具なのだった。

ウィメンズマーチに参加したのは女性だけではなくて、男性も、LGBTのグループも、障害者の人も、老人も、マイノリティの姿もあり、夫婦そろってこのピンクのねこ耳帽子を被って参加しているカップルもたくさん見られた。

ニューヨークタイムスのフォトストーリーで世界各地からの写真を見ると、参加者は実に様々な主張をかかげている。

https://www.nytimes.com/interactive/2017/01/21/world/womens-march-pictures.html?smid=tw-nytimes&smtyp=cur&_r=1

ここに紹介された全米各地のプラカードのスローガンを、乱暴ながら、5つのカテゴリーにわけてみる。



その1)「女性の権利」とは別のイシューを主張するもの

「健康保険を全国民に」
「私たちの保険を奪うな」
「Black Lives Matter」
「えーと温暖化は本当なんですが…」
「教育は大切」
「科学を救え」
「地球を救え」
「障害者の権利は人間の権利」

マイノリティの権利、温暖化対策、健康保険といった、直接「女性」にのみ関連する問題ではないけれども、トランプ政権で直接の影響を受けると予想される諸問題について声を上げるもの。内容は本当にさまざまで、数えたわけじゃないけどプラカードの半分くらいは「女性」とは直接関係ない方面だったような印象を受けた。

その2)トランプ攻撃

「トランプの周りに壁を」
「プーチンの人形」
「私の大統領じゃない」

など、ストレートにトランプの人物そのものを否定・攻撃するもの。これはちらほら見えた程度。でも明らかに、このマーチが反トランプのデモであることをはっきり物語っていた。

その3)抽象的な愛のスローガン

「Love Trumps Hate(愛はヘイトを踏みつける)」
「ヘイトはアメリカをグレートにしない」
「ヘイトじゃなくて愛がアメリカをグレートにする」
「壁でなく橋を」

など、選挙中にトランプがバラまいた嫌悪や恐怖の感情(その矛先は移民だったり、偉そうな女だったり、都会に住むマイノリティだったり、モスリムだったり)へのアンチテーゼとして「LOVE」を押し出す、ジョン・レノン的な方向性のスローガン。

その4)女性の力や連帯を主張するエンパワーメントなメッセージ

「Nasty Woman(最悪の女)」(これはヒラリーとのテレビ公開討論でトランプが思わずポロッと言った失言を逆手にとったもの。あんたからみたらあたしたちは最低最悪の女でしょうけどおあいにくさま、というプライドを強調するメッセージ)

「ガール・パワー」
「あんたのそのちっちぇえ指をあたしの権利からどかしなさいよ」などなど。

その5)ストレートに女性の権利を主張するもの

「女性の権利は人間の権利」
「My body is my choice(私の身体のことは、私が選ぶ)」など。

このマーチは、リベラルな価値観を持つ人びとにとっては癒やしでありエンパワーメントであり、トランプに中指を立てたい人がこれだけいるのだということを確認できた点では、大成功だった。

マーチ参加者に共通していたのは、トランプが煽った安易なポピュリズムに反
対することと、女性蔑視に寛容な態度は我慢ならないという点、だけだったといってもいい。むしろそういう抽象的なゆるやかな連帯だったからこそ、これだけの人を動かしたのだと思う。

でもそれだけに、この勢いを実際の各問題に対する行動や今後の選挙、政治活動に反映させていくのは、とてもむずかしいに違いないとも思われる。

●国を二つに分ける「女性の権利」

イシューを超えた連帯だったこのマーチは、でも、トランプ支持かどうかを別にして、ある一定数のアメリカ人には嫌悪された。なぜかというと、このマーチが基本的には人工中絶を支持する「プロチョイス」の立場に立つものだから。

たとえば、保守派のConservative Reviewというサイトには「ウィメンズマーチは女性を傷つけるもの」というコラムが載っている。

https://www.conservativereview.com/commentary/2017/01/womens-march-on-washington-is-really-a-march-against-women-science-and-life-itself

5)の「女性の権利は人間の権利」や「私の身体のことは、私が選ぶ」というメッセージが、4)の「ガール・パワー」という抽象的なエンパワーメントのメッセージと何が違うかというと、5)は子どもを生むか中絶するかを自分で選ぶ権利を、女性の権利としてストレートに訴えているという点だ。

21日のウィメンズマーチには人工中絶反対の立場、つまり「プロライフ」のフェミニスト団体「New Wave Feminists」が参加を表明し、一旦はマーチのパートナー団体として認められたものの、プロチョイス側の猛反対にあって、マーチ前日にパートナーを取り消された。主催者はこの団体のパートナー扱いを取り消すにあたって、あたらめて、このマーチがプロチョイスの立場にあることを明確にしている。

http://nymag.com/thecut/2017/01/womens-march-2017-drops-anti-choice-partner-after-backlash.html

この「New Wave Feminists」という団体は、他の問題に関してはフェミニストのリベラルな価値観を共有するが、人工中絶にだけは反対するという珍しいプロライフ団体。

ウィメンズマーチへの団体としてのパートナーは取り消されたものの、個人参加を止められたわけではなかったので、ワシントンDCのマーチにはこの団体のメンバーがプロライフのプラカードを持って参加し、「人を殺すなー!」と叫んで歩き、まわりのプロチョイス派が嫌悪をしめして、ちょっとしたにらみ合いになったという。

http://nymag.com/thecut/2017/01/pro-choice-and-pro-life-feminists-at-the-womens-march.html

人工中絶問題は、21世紀の現在でもアメリカ政治の中心にある課題だ。

アメリカでは1973年の「ロー対ウェイド」訴訟の最高裁判決で、人工中絶を違法とする州の法律が憲法違反であるとされて、人工中絶が全国的に合法となった。でもこれで決着したわけではぜんぜんなくて、人工中絶反対(プロライフ)派はいまでもこの判決をくつがえすべく、熱い戦いを繰り広げている。そして、その戦いはかなりきわどいせめぎあいになっている。

これまでにもこの判決をひっくり返しそうな訴訟が何度もあったし、テキサス州ではつい3年前、中絶可能な時期をせばめ、クリニックの設備についての規制を厳しくする州法が壮絶な議会バトルの末に可決された。

からめ手から中絶クリニックを廃業に追い込もうとするテキサスのこの法律に対して、その後中絶クリニックが原告となって訴訟を起こし、またこれも長い裁判の末、去年の夏に最高裁で違憲とされたばかり。

プロライフの人びとにとっては、胎児の生命は神に与えられた尊いもの。人として扱われるべきであり、中絶はれっきとした殺人なのだ。

「自分では身を守ることのできない小さな生命が身勝手な理由で簡単に殺され、神から与えられた可能性をすべて奪い取られている。この罪のない生命を守らなければ」という考えかた、感じかたは、圧倒的な切実さを持ってプロライフの人びとに共有されている。

原理主義クリスチャンのサマーキャンプを紹介したドキュメンタリー映画『ジーザス・キャンプ』(2006年)でも、人工中絶について「真実」を教えられた子どもたちが泣いて憤り、どうかもうこんな悪いことは止めさせてください、と神に祈る場面があった。中絶は子どもたちにもすぐにのみ込める分かりやすい悪として、プロライフの人びとの感情を大きく動かす。

まだ生まれていない胎児に真摯な共感と同情をかたむけるプロライフの人びとは、自分たちを無垢な生命の守り手だと感じている。強烈な使命感に動かされて、中絶クリニックを攻撃したり医師を殺害するといったテロ活動に走る人も出る。

でも、では中絶を非合法化した後どうするか。というその先の議論は、プロライフ側の人からはほとんど聞かれない。その先は急に自己責任論になってしまうのだ。

望まれずに生まれた子どもを教会がすべて引き取って育てるとか、貧しい母子を経済的に全面支援する計画があるわけではもちろんない。プロライフの人は、無力な胎児には共感するが、妊婦や母たちの現実にはたいして共感を向けないように見える。

プロチョイス側は、中絶を頭から禁止するのが正義だと信じてやまないプロライフの立場を、社会的に自覚のない、高圧的に道徳をおしつける態度だと考える。プロチョイス側にとっては、産まない選択を規制によって奪うということは、その女性の生活、身体、人生についての重要な選択を政府が指図するということだ。

プロライフ側は、中絶を安易な選択だとみなし、奪われる生命に対しての共感を拒否するプロチョイスの無感覚に憤る。

プロチョイス側は、ひとくくりに中絶に反対する態度を安易だとみなし、それぞれの女性が置かれた状況について共感を拒否するプロライフの無理解に憤る。

この二つの価値観は互いに決して相手を受け入れようとしないし、両者が出会う場は敵対的な抗議活動の場でしかない。

●オルタナティブ・ファクトの時代

社会にいくつもの断層を持つアメリカの中でも、女性の「選ぶ権利」はもっともセンセーショナルな、注目を浴びやすい断層のひとつだ。

そして多くの断層がそうであるように、この分裂は積極的に政治的に利用されている。

今回の大統領選挙でも、保守派クリスチャンの多くが、トランプの言動や品性は気に入らないが、ヒラリーがプロチョイス志向を明言しているという一点だけでヒラリーではなくトランプに投票する、と公言していた。

トランプもこの一点が多くの票を左右することを充分に意識して、選挙の2か月前にプロライフのリーダーたちに書簡を送り、自分が当選したら中絶の自由を大幅に制限すると約束し、プロライフを味方につけた。

http://nymag.com/thecut/2016/09/donald-trumps-new-anti-abortion-letter-should-terrify-you.html

その書簡でトランプは、NGO「プランド・ペアレントフッド」(PP)に対する連邦政府からの補助金を途絶させることを約束している。

PPのクリニックは人工中絶もするが、男女の性病検査と予防、避妊、健診も提供している。患者の8割近くは他に手段を持たない貧困層だという。

このPPに対する見方も、プロライフ側とプロチョイス側では、これが同じ団体かと思うほどに分かれている。

プロライフの目に映るPPは「堕落した組織」であり、人工中絶を推進し、胎児の臓器を闇で取引したりする、悪魔の手先のような団体。このような団体があるから、安易な中絶が後をたたず、女性たちの精神を傷つけ、堕落させると考える。

プロチョイスの目にうつるPPは、安全な中絶手術とともに避妊具やピルの配布で望まない妊娠を防ぎ、検査や治療の提供で貧困層にセーフティネットを提供している団体。PP利用者の多くには代わりになる手段がなく、PPが閉鎖に追い込まれれば社会に大きなマイナスの影響が出ると考える。

全国にあるPPのクリニックでは、2013年度でのべ400万件以上の利用があり、32万件以上の中絶手術が行われた(中絶手術には連邦政府の補助金が適用されない)。

プロライフの反対派はPPのサービスのうち94%が中絶だと主張し、PP側では中絶は全体の3%にすぎないといっている。ワシントン・ポストの分析では、どちらの数字も正しいとはいえず、患者数と中絶件数からするとおよそ7%〜14%ではないかという推論を述べている。

https://www.washingtonpost.com/news/fact-checker/wp/2015/08/12/for-planned-parenthood-abortion-stats-3-percent-and-94-percent-are-both-misleading/?utm_term=.c8f8535bd5d3

つい昨日、ホワイトハウスの報道官が初の公式会見で、就任式の見物人の数についてウソ八百を並べたことに対し、ケリーアン・コンウェイ顧問がテレビのインタビューで「あれはオルタナティブ・ファクト(もうひとつの事実)を提供しただけ」と言って大炎上した。

事実は一つしかないという前提が共有されていたのは、もうすでに過去の話になったようだ。

対立するオルタナティブ・ファクトの間には、対話が成立するはずもない。

多くの人にとって、事実というのは「自分にはそうとしか見えない」というものの見方でしかなくなってきているのかもしれない。

プロチョイスとプロライフの対立も、ひとつも建設的な対話を生まない、オルタナティブ・ファクトにもとづいた不幸なスパイラルにしか見えない。


【TOMOZO】tomoq311@gmail.com

米国シアトル在住の英日翻訳者。在米そろそろ20年。マーケティングや広告、雑誌記事などの翻訳を主にやってます。

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