[4276] ショートショート「そしてまた春が来る」

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《日本警察の比類なき不条理劇の開幕》

■ショート・ストーリーのKUNI[208]
 そしてまた春が来る
 ヤマシタクニコ

■デジクリトーク
 とんでもない人物を逮捕してしまった
 柴田忠男



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■ショート・ストーリーのKUNI[208]
そしてまた春が来る

ヤマシタクニコ
https://bn.dgcr.com/archives/20170202140200.html

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毎年春になると区役所から書類が届く。それは春にふさわしく品のいい薄紫の封筒に入っているのだが、それを見ると彼女はいつも、ほっとするような落ち着かないような、なんともいえない矛盾する気持ちになった。

いや、そんな気持ちになるのは彼女だけではなかったろう。それは年に一度、一定年齢以上の人々に決断を迫るためのものであったから。

今年はどうする。更新するのか。それとも。

55歳になったすべての住民の脳に、チップが埋め込まれるようになったのは何代か前の政権のときだったが、以後の政権もそれを継承している。

高齢者が増えることによる福祉予算の増大を食い止めると同時に、労働人口の減少を補うための施策として導入された。

チップは脳の老化を防ぐものであり、毎年更新される。最寄りの保健所で受けられる程度のほんの簡単な処置で、身体的苦痛はほとんどないといっていい。

ただし、更新費用がかかり、それは働いている人間は給与から、年金生活者は年金から天引きされる。平均的な所得の場合で10〜20%。健康保険料や税金もあわせるとけっこうな負担だが、65歳までは強制的に更新される。でも、それ以降は任意だ。

「どういうことなの? あたしたちコンピューターじゃないわ」

「だいたい本当に効果はあるの?」

「老化防止だなんて言って、ほんとは私たちを自分たちの都合のいいように操ろうっていうんじゃないの?」

「いやいや、実際は何も処置しなくて金だけ取るんだよ、きっと」

賛否両論が渦巻いたのも当初だけで、だれもよくわからないまますでに制度は「普通のこと」となりつつある。更新を続けていればとりあえず脳の老化はストップできる。進歩はなくとも。

新しい技術や変化への対応もスムースにでき、増え続ける事故を減らすこともできる、といわれる。だが、そういったことがどのように公正な手続きで検証され、そして結果が公開されているかは疑問だ。

彼女と夫は現在68歳だ。今年69歳になる。「任意」となった最初の年──66歳になった年は、ほぼ迷わず更新を選んだ。翌年は少し迷ったが、更新した。その翌年──去年──はかなり迷って、結局更新した。

「この間、学生時代の友だちに会ったの。『更新しない』を選んだ人がけっこう多くて驚いたわ」

「更新費用もばかにならないから、それもありだな」

「まだ現役で教師をしている人がいて、彼女はもちろん更新したらしいけど」

去年の春の、そんな会話を思い出す。

「更新しなかったらどうなるのかしら? 急にばかになるのかしら、私たち? 急に老け込むの?」

「そんなこともないと思うが…わからない」

更新をやめた友人のうちのひとりと、最近スーパーでばったり会った。別に変化はないと思った。だが、会話の途中で彼女がふと考え込むような仕草をしたり、何かが思い出せずほんの短い間いらいらしていると、それはもしやと考えてしまう。

考えすぎだ、きっと。でも、考えずにはいられない。急に体調を崩して以来ずっと寝込んでいる友もいたが、更新しなかったことと関係あるのかどうかわからない。

彼女は春の初めが一年のうちで一番好きだ。風景から冬の緊張感がなくなり、木々は葉を落としたままなのにどこかもやのような柔らかさをまとう。ささやかだけど新しいことがいくつも起こりそうな予感に満ちて。

そんな季節がいつの間にか更新の季節になってしまったことが、なんだかくやしい。

去年の秋、夫がいつになく真剣な表情で「更新のことだけど」と切り出したとき彼女は少し身構え、続く言葉を待った。

「更新だけど、来年は辞めておこうか」

彼女は小さくうなずいた。

「ぼくももう仕事はしていない。町内会の役員はしてるけど、たいしたことない。たぶん…だいじょうぶじゃないかと思うんだ」

「ええ、きっと」

「それより、更新のために天引きされるはずだったお金で旅行でもしないか。そんなに遠出でなくてもいい。ふたりでいまのうちに楽しむのもいいんじゃないかと思う。ああ、もちろん、旅行とは限らない。

しゃれた店に入っておいしいものを食べるのもいい。歩きやすい靴を新調してもいい。そうだ、君はミュージカルが好きだった。一緒に観に行こうか。今まで先延ばしにしていたことを全部、しよう」

彼女はええ、ええ、とうなずいた。

「年を取ると衰えるのは自然なことだ。そのことを受け入れるのはつらいことだが…もういいかなと思うんだ。君さえよければ」

「いいに決まってるわ。ふたりで年を取るのは理想だもの」

彼女はうれしくてすでに涙ぐんでいた。不安がないわけではないが、ふたりなら心強い。友人達もきっと祝福してくれるだろう。「仲が良いのねえ」とうらやましがられるだろう。

来年からは自然のままに生きるのだ。無理して脳だけ──それも所詮一部の機能だけだ──若く保っていてもそれが何だろう。どこかで受け入れるしかないのだ。

そして春になり、薄紫の封筒が届いた。封筒の中には例年と同じくシステムについての説明と、「更新停止申請書」が入っている。申請書を出せば直ちに停止手続きが進められる。もう保健所に行かなくていい。

何もしなければ更新希望とみなされ、更新案内が別便で来る。彼女は封書が届いたことを夫に告げ、とりあえず引き出しにしまった。

2週間後、書類のことをすっかり忘れていたことに気づいた。

「ねえ」

声をかけると夫はうん? と顔を向けた。

「申請書をそろそろ書かないといけないわ」

夫は黙って手元の本に熱中しているふりをした。聞こえてないのかと思って、彼女はもう一度、遠慮がちに声をかけた。

「申請書…書かないの?」

夫は、ごく小さな咳払いをした。それから言った。

「あれは、ふたり一緒じゃなきゃだめなのかな」

「え?」

何を言ってるのだと思った。少し時間をかけてようやく、夫が更新したいと思っていることがわかったが、彼女はきっとぽかんとした顔をしていたろう。

数日後、たまたま図書館に寄った彼女はそこで夫を見つけた。閲覧コーナーで見知らぬ女と並んで座り、談笑する夫。

手に持った雑誌はほとんど忘れられ、視線は女の顔に釘付けになっていた。女が笑うと夫も笑った。彼女が見たこともない顔で。

女は彼女よりたぶん20歳以上若かった。何の説明もなくともわかった。夫がその女のために「更新」を決めたのだと。

急に彼女はその女をしばしば目にすることになる。事実はそうではなく、それまで見えていなかっただけなのだ。夫はいつもその女と一緒にいた。どうして気づかなかったのかと自分の間抜けさにあきれるほどだ。

そういえば、わざわざ外に出て電話をしているときがあったが、別に何も思わなかった。デパートのスカーフ売り場で珍しく足を止めたときは自分のためのプレゼントを考えているのかと思ってうれしかったが、その後スカーフをプレゼントされたことはなかった。

「ごめん、外で食べてきたんだ」と遅くに帰ってきて、夕食を食べなかった夫を疑うこともしなかった。自分はどんなに滑稽にみえていたことだろう…。

「豪華寝台車で行くふたり旅。窓外に広がる大パノラマ!」「昔ながらの温泉町。小さくとも旅情豊かな旅。たいせつな人と」「こんな世界は知らなかった! さあ発見と体験の旅へ! シニアの方でも安心のアウトドアライフ7つのコース」

旅行代理店でもらってきたパンフレットを広げるのはそれだけで楽しい。すべての旅がいますぐに実現しそうな気がする。スーツケースを買わなくちゃ。しわになりにくいワンピースも一着ほしい。それらのものについて調べる作業も苦にならなかった。

「楽しかったね」「また行こうよ」旅を終えたあとの言葉まで想像していた。でも、もういい。彼女はパンフレットを古新聞のラックに移した。

春の初めのもやのかかったような風景が次第に明瞭になり、あちこちに木の芽が芽吹いて彩りを添え始めたころだ。

駅前に買い物に出た彼女の耳に「いい加減にしてください」という強い調子の女の声が聞こえ、はっとする。

それは駅前ロータリーの上にかかる歩道橋から、下に向かう階段を下りようとしていたときで、声は階段の下から聞こえた。銀行やカフェが並ぶ一角で多くの人が行き交うあたりだ。

思わず足を止めると階段の下から女が飛び出し、後を追う男の姿が目に入った。

「そうじゃないんだよ」

男はそう言いながら、なおも追おうとして足がもつれ、転んだ。かぶっていた帽子が脱げて、ころころと転がる。それは夫だった。

彼女は階段の上で凍り付いたようにそれを見下ろしていた。何人もの人が夫を見ていた。夫が膝をさすりながらゆっくりと立ち上がったとき、女はもうどこにもいなかった。


それから何日かして、夫が言った。

「申請書は…どこだっけ」

「申請書?」

「そうだよ。あの申請書…もう間に合わないか?」

「間に合わないことはないけど…」

期限までまだ一週間ほどあった。

「申請する気になったの?」

「うん。元々そうしようと言ってたしね」

夫は彼女を見ずに言った。年寄り臭い声、と彼女は思った。図書館で女と並んでいたときの夫はとても元気で、肌さえ輝いてみえたのに。

「そうだったわね。でも私、なんだか申請する気がなくなっちゃった」

彼女は、はははと笑った。

「今年はとりあえずそのままにしない? また来年考えればいいじゃない」

「それでいいかなあ」

「ええ。だいじょうぶ。旅行はいつでも行けるし。旅行に行かなくても、毎日楽しいことはたくさんあるわ」

「そうか。そうだな。それも選択だ」

彼女は女の顔を思い出そうとするがよく覚えていない。走り去った後ろ姿だけが目に焼き付いている。


【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
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先日、用があって、私にとって超早起きの6時40分起き。外はまだ薄暗くて、それがみるみる明るくなる様に「おおっ」。窓ガラスの結露は少しだけで「今日はたいしたことないな」と思ってたが、8時頃にもう一度見るといつもくらいびっしょりついていた。なんと、結露は夜が明けてからつくものだったんだ(発見1)。

その用が昼頃に終わり、帰宅前にパン屋さんでパンを買う。喫茶コーナーもあるが、いつも夕方に買いにいくと誰もいなくて「この店、こんなのでだいじょうぶなんだろうか」と思っていた。ところがお昼頃は満席、奥様方で大にぎわい。パンの棚もいろんなパンが山盛りで「え、こんなに種類があったんだ」とびっくり(発見2)。私の知らない世界がここにっ。


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■デジクリトーク
とんでもない人物を逮捕してしまった

柴田忠男
https://bn.dgcr.com/archives/20170202140100.html

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冲方丁「冲方丁のこち留 こちら渋谷警察署留置場」を読んだ(2016、集英社インターナショナル)。

この本は、「あるとき突然、想像もしていなかった体験へと投げ込まれた作家・冲方丁と、その一件にかかわることとなった妻、警察、検察、裁判官、弁護士、あるいは留置場で出会った人々による、『喜劇の物語』である。」と作家自身が定義するものである。

2015年8月22日、冲方は妻へのDV容疑で逮捕された。8月31日に釈放され、10月15日には不起訴処分が決まった。1年後に、その9日間にわたる理不尽、かつ不可解な勾留生活をリアルに、少しユーモラスに語っている。

さすがは作家、すばらしい記憶力である。わたしなんぞ、そんな渦中に巻き込まれたら、たぶん頭がおかしくなって、文章化なんて不可能だろう。だいいち、忘れようとしても思い出せない。

冲方は断言する。「そこで体験した一切はつまるところ、途方もない喜劇であった」。テレビドラマに登場するようなカッコいい、かつ頼もしい正義の警察や検察はいっこうに登場しない。どうやら、現実にはまったく存在していないらしい。えー、がっかり。

「その失望感たるや想像を絶するほどです。だからこそ、私はそれら体験をできるだけ笑えるものとしてつづり、こうして読者にお届けすることを決めたのです」と言う通り、刑事の取り調べの様子や、とんでもない留置場の実態、出会った人とのやりとりなどリアルに描かれている。なんという衝撃のアメージングワールドなんだ。ぐいぐい引き込まれていく。

日本警察の比類なき不条理劇の開幕である。刑事は最初から被疑者の言うことをまともに聞く気はない。警察や検察は、あらかじめ調書の筋書きを念頭に置きながら取り調べを行う。日本の刑事裁判では警察や検察が作成する供述調書がきわめて大きな力を持っているからだ。

警察の取り調べとは、当事者から事実関係を聞き出して捜査の参考にするのではなく、もっぱら用意された筋書きにあてはまることを被疑者に言わせ、それを自白として記録することをいう。それ以外の言動は事件と関係ないとして黙殺される。こちらがどれだけ事情を話そうとも、聞き流すか、先に手続だけ進めようと相手にしてくれないのだ。

「税金で雇われたシナリオライターたる警察・検察の文章能力、あるいは全国の司法関係者が膨大な時間と税金を費やして培った文章作成のための技術は、作家である私をして驚嘆せしめるレベルなのです。」

「冲方丁が妻へのDV容疑で逮捕された」というニュースは週明けに一斉に報道された。刑事が冲方を取り調べている間に、この一件を大々的に世間に流布させるべく副署長がマスコミにリークしていた。冲方を逮捕した渋谷署の面々からすると、冲方という被疑者は「手柄」をアピールするための絶好の獲物だった。署内の官たちは欣喜雀躍していたようだ。

しかし、とんでもない人物を逮捕してしまったものだ。

不条理で一方的な警察の態度に、冲方は激しい怒りを募らせ、結果的にはそれが「こうなったらとことん自分の言い分を主張してやるぞ」と奮い立たせてしまったのだ。「素直に認めればすぐに家に帰れるんだぞ」という恫喝を含んだ向こうなりの駆け引きに断固、応じなかった。

あとから弁護士に「供述調書には拇印を押さないで」といわれ後悔した。調書は基本的に警察にとって都合のいいことしか書いてない。たとえこちらの主張通りの調書であるように見えても、裁判になったとき、確実にこちらが有罪になるような「何か」が記されているはずだからだ。ここ重要です。大切なことを教わりました。

本当に罪を犯していない人々が、ポキリと心を折られる仕打ちが必ずある。高圧的な態度はずっと続く。逮捕された被疑者の拘束時間は最長72時間、その間にできるだけ被疑者を締め上げ、精神を圧迫し、なんとしてでも罪を認めさせようと躍起になる。被疑者をいじめ抜き、精神的に追い込んでいるという自覚は警察側にもある。

「被疑者にとって最悪のシナリオは、拷問のような留置所の環境に音を上げ、犯してもいない罪を認めてしまったうえに、金銭を支払わなければならなくなり、さらには社会的に汚名をこうむり、その後も長い間、経済力を失ったまま生活せねばならなくなることです。」

再び言うが、警察はとんでもない人物を逮捕してしまったものだ。善良な市民に知って欲しくない、司法の実態が暴かれてしまったのだ。この本は「いざというときのための留置所マニュアル」として非常に有効である。時系列に沿った記述が非常に実用的だ。留置所は誰でもが入る可能性がある場所である。まさに全国民の座右の書だ(笑)

司法組織に属する「公僕」たちは、苛烈な階級社会の出世競争ストレスを国民にぶつけてくる。そして、硬直した司法組織をよしとし、あるいは無知なまま自分とは縁のない世界だと思い込んでいて、「逮捕されるような悪人はひどい目に遭え」という短絡的な考えを疑わない大多数のわれわれ国民がいる。

さらにその思念を増幅させて派手に演出し、自分たちは正義であって悪はいじめ倒すべきだと思うよう仕向けるマスコミやエンタメの数々。こんな現状をどうしたらいいのか。

日本の司法がなかなか近代化できないのは、いまの司法制度を無意識に尊重し、変えてはいけないといったシンプルな心理に支配された人々(=我々の大多数)の存在があるからだ、というのが今回の一件で様々な人から学んだ筆者の実感であった。

じゃあどうすればいいのか。この本では「大いに笑い倒してやれ」という結論になっているが、なんだかなーという気もするんだよなー。そもそも何の訴えだったか、当事者がわからないという意外な展開もなんだかなー。


冲方丁「冲方丁のこち留 こちら渋谷警察署留置場」
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797673311/dgcrcom-22/



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編集後記(02/02)

●本編が始まる前に、淀川長治が語る。「ジーキルという立派な立派な紳士、それが自分で作った薬、それを飲んだらだんだんだんだん顔が変わってきて、悪い悪い男になるんですねー」。「ジキル博士とハイド氏」を見た(1941、アメリカ)。わたしも名前は知っていたが顔は覚えていない、スペンサー・トレーシーとイングリッド・バーグマンという演技派のふたりが主演した、文芸大作ロマンである。ジキルとハイドはスペンサー・トレーシーの一人二役だと後で知ったが、ハイドは別の役者かと思うくらい、猿人を思わせる奇怪な顔に変わっていた。パッケージには「二重人格サイコホラーの原点」とある。

博士は自信満々に講演する。「人間の精神構造は二重構造になっている。一つは気高さを保とうとする善の魂である。いまひとつは押し隠された動物的な衝動を求めるもの、これを悪と呼ぼう。この二者が戦いを繰り広げ、また共存している。近いうちにこの二つは分離可能になろう」。仮説は結構だが、分離してどんないいことがあるんだね。博士は自分の身体で精神の分離実験を行う。よくある風景の実験室で、合成した薬品を飲み干す。すると、容貌が次第に変化していく。醜怪でありながらも、常に牙のような歯の見える大口を開けているので、笑っているように見える、ちょっと愛嬌があるハイド顔になる。

CGはもちろん特殊合成もない時代、メイクで顔を変えるしかないだろう。手の甲には獣毛が生えてくる。ワンカットで顔が変わっていくように見えたのは、よほど撮影と特殊メイクの技術が高いのだろうと思う。鼻の穴には墨をいれて(笑)、醜い人工の歯を被せ、顔や頭髪もそうとう手が入っているはずだ。別人が演じていると言われれば、そうだろうなと思うくらいの変わりようだ。ハイドは夜の街に出て、バーグマンの演じる酒場女を見染め、金で囲って監禁同様の生活を強いる。ハイドのサディスティックで、意地の悪さ満開の仕打ちには、どこか滑稽な哀愁味を感じる。翻弄されるバーグマンの演技も素晴らしい。

バーグマンが「ベッドから脚をぶらんぶらんぶらんぶらん振るんですねー」この誘惑アクションはくどいが効果絶大である。ジキル博士には恋人がいるが、その父親は「君の素行が気に入らんのだ。君は移り気で短気だ」と言う。人を見る目があるんですねー。このスリリングな変身を繰り返すうちに、やがてジキルは薬を飲まなくてもハイドになってしまう。ハイドは相手の心を読む邪悪な力が備わっていて、平然と人を殺す。しかし非道な者には天罰が下されるというのは、どの時代でも共通のお約束だ。現在はちょっとあやしいもんだが。ハリウッド黄金時代の作品、第5回アカデミー賞男優賞を受賞した。 (柴田)

「ジキル博士とハイド氏」
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00009KMK3/dgcrcom-22/



●昨日の続き。逆に気づいて喜んでくれる人なら、次のお仕事の時に、足りないところを指摘したり、アイデアを出したりする。その人の評判が上がるようなことをしてあげたいと思う。そういう気づく人に自分もなりたいな。

無反応な人の上司と他の会話をしている時に「あの仕事良かったよ。お客さんの評判いいよ」とか「あれ、賞取ったよ」とか教えてもらうと、素直に喜ぶとともに、出世するはずよねぇ、人たらしっているよねぇ、無理もきこう、また頑張るかなと思うのであった。こうやって翻弄されている間は、出世できないわね……。

どこかで読んだんだけど、照明の明るさを何度か変えるだけで生産性が上がった工場があったって。気にかけてくれてると思ったら頑張るってものよね。奥さんがやることに、いい形で反応してあげたら、ささいなことでも気づいてあげたら、奥さんは旦那さんのやることに寛容になると思うわ〜。

/Sさんからメール。「ドンズバ」のフィードバックしてくれる人は、指示もドンズバなはずとのこと。確かに! こっちが質問する前に絞り込みしてくれたりする。ああ、そんな人に私もなりたい。 (hammer.mule)

価値観の共有による経営〜「コーチ」を事例に〜part1
6回 動機づけのリーダーシップ「1920年代、米国のGEホーソン工場で」
http://www.sgu.ac.jp/com/kawanisi/coach1.html

これの真似をした会社の話を読んだんだわ、たぶん。