わが逃走[196]新幹線の幼虫の巻
── 齋藤 浩 ──

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8年くらい前だったか、銀座を歩いていると、ふと『天賞堂』の看板が目に留まった。

天賞堂といえば絢爛豪華な宝石や腕時計を扱う老舗として有名だが、私が最初にその名を知ったのは、小学4年生のときに立ち読みした『鉄道ファン』の雑誌広告だ。

超精密に再現されたD51型蒸気機関車の真鍮製鉄道模型。値段も腰が抜けるほど高価だった。いちどだけ父に連れられて店内に入り、夢のような名列車の数々をショーケースごしに凝視した思い出がある。

それ以来、ここは紳士のための高級店、というイメージが定着しているわけだが、いいかげん私も立派な中年男になっていたので、意を決しておよそ四半世紀ぶりに入ってみたのだ。

緊張とは裏腹に、絢爛豪華宝石売場と鉄道模型売場は入口が別だった。そのあたりさすがである。当然のことながら、模型売場の方が敷居が低い。

で、久々に美しい機関車の数々をうっとりと眺めていると、なにやらカワイイものと目があった。





蚕の幼虫だ! いや、新幹線のぬいぐるみだ!! しかも0系!!!

ほどよくディフォルメでされ、大きさ的にもだっこするのにちょうどいい。次の瞬間、「これください!」と買ってしまった。

天賞堂の紙袋を下げて銀座の町を歩くなんて、セレブになった気分だ。

で、それ以来新幹線の幼虫と暮らしている。

私は物心ついたときから“やわらかいもの”が好きで、まくらやおふとんは、人生を共に歩むパートナーだと思っているが、新幹線の幼虫もそれに相当する。

子供の頃、「もうぬいぐるみは卒業しなさい」と言われ、そのときは親の顔を立てて素直に従ったが、そんな私も大学生の子供がいてもおかしくない年齢だ、構うこっちゃねえ、と、だっこして寝ている。

すると、けっこうな確率で不思議な夢を見るのだ。


夢◎その1

毎朝の日課は幼虫に餌をやることで、私が桑の葉をケージに置くと、腹を空かせた新幹線たちがわっと寄ってきて、しゃりしゃりと音をたてながら旨そうに食む。

「たーんとおあがり」とか「元気に育て」とか言いながら私は桑の葉を与えるのだ。

どうやら私は新幹線の養殖をしており、大きく育てて国鉄に納品することになっているらしい。

世の中はもっと大きなヒラタシンカンセンや、海外産のヘラクレスオオシンカンセンなどが人気で、年々0系の需要は減る傾向にあるようだが、日本の風景に似合うのはやはり0系以外には考えられない。

その強い信念のもと、私は新幹線を育ててゆくのである。

最後に冨田勲の「新日本紀行」が流れて目を覚ます。


夢◎その2

うちの新幹線の幼虫は「ひゅーん」という声で鳴く。一緒に暮らし始めて何年も経つが、なかなか大きくならないなあ。でも私にはすっかり懐いて、けっこう楽しい毎日だ。

ある日、幼虫とテレビを見ていると、ドラマの中で「ひゅーん」という音とともに新幹線が画面を横切った。

それを見た幼虫も「ひゅーん」と鳴く。そして何かを訴えるような目で私を見るのだ。どうやら新幹線に乗りたいらしい。

そういえば、幼虫はまだ新幹線に乗ったことなかったな。ではいちど乗りに行こう。

ということになり、ある晴れた日の朝、下りのひかり号に乗り込んだ。自由席はガラ空きで、進行方向右側の席に座った。

新横浜を過ぎたあたりで駅弁を食べる。崎陽軒のシウマイ弁当だ。今はいくらか知らんが夢の中では700円だった。

こんなに充実した内容でこんなに旨くて700円か。さすが崎陽軒だ。

幼虫も食べたそうな顔をしていたので、弁当のフタにごはん少々とシウマイを乗せてやると旨そうにぺろりと食べた。

へー、新幹線ってシウマイ食べるんだ……。

そうこうしているうちに富士山が見えてきた。幼虫を窓の高さまで持ち上げてやると「ひゅーん、ひゅーん」と鳴いた。

よほどうれしいとみえる。この子もはやく大きくなって、せめて小田原くらいまで往復できるようになるといいな。などと思う私。

すると車掌さんが検札に現れた。ひざの上の新幹線を見て、これは何か、と聞くので新幹線の幼虫だと答える。

車内持ち込みの許可を得ているかと尋ねるので、何言ってるんですか、これは新幹線ですよ。新幹線が新幹線に乗ってなにが悪いというんです?

みたいなやりとりがつづいていく。その後どうなったかは覚えていないが、まあ楽しかったのでよしとしよう。

それにしても、こんな夢を見るなんて愉快だなあ。と思っていると、隣で寝ていたごく親しい間柄の年上の女性Aさん(年齢非公開)も新幹線を育てる夢を見たという。

なにやらおしりの扉がサッと開くとポロっとウンコをして、またサッと扉が閉じたとのこと。彼女はその様子を詳細な図とともに観察日記に記録したのだそうだ。


【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。