[4323] 伏見の四季とはぐれのお散歩

投稿:  著者:  読了時間:21分(本文:約10,400文字)



《ゲーム世界で歩く人とリアル世界で歩く人》

■装飾山イバラ道[198]
 「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」感想 魔物編
 武田瑛夢

■はぐれDEATH[26]
 伏見の四季とはぐれのお散歩
 藤原ヨウコウ




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■装飾山イバラ道[198]
「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」感想 魔物編

武田瑛夢
http://bn.dgcr.com/archives/20170411110200.html
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何回か記事にしてきたけれど、レビューというほど他のゲームの機種もソフトも知らないので、感想とさせていただく。

私はいつもゼルダの新作ソフトが出るタイミングで、対応機種のゲーム機を買うタイプだ。ゲーム好きというよりも、ゼルダ好きなのかもしれない。だいたいその時期に合わせて、他のゲームソフトも数種類買う。

※以下はゲームのネタバレを含みます。

せっかくポケモンGOで身につけたお散歩力が、ゼルダのおかげで封印されている状態だ。ゼルダのゲームの世界を歩き回っていると、十分に散歩をした気がしてしまうのだ。違う違う、歩いていない。もっと歩かねば。

もうこの時期になれば、リアルな世界では桜も散ってしまうかもしれないのに。でもゼルダの世界でピンク色の花を咲かせた巨木を発見した。これで花見が済んだってことでもいいかもしれない。

ゲームを始めて結構経つけれど、やはりゼルダは素晴らしい。これはゲーム的に解釈された、この世の仕組みなのだ。ゲームなので取り決めもあるし、枠もある。

しかし、プレイヤーがどの道を通るかが自由になっているので、人によって経験が変わってくる。コレを手に入れておけば楽だったと、後で気がつくこともあるけれど、苦労したおかげで楽しかったことも多い。

わざわざ試練を探し、見つけては喜び、そこに飛び込む。リアルな世界でもそんなことって多いのではないだろうか。

●選択肢が自由な分だけ自分が出る

草原を歩いていて敵に近づいてしまうと、気づかれて攻撃を受ける。一対一であればとりあえずやっつけるけれど、相手が複数の場合は逃げた方がいいこともある。

敵も魔物系は基本的に頭が悪いので(笑)、少し離れると忘れてくれる。例え魔物の仲間の一人が私に殺られていても、何があったかすら気にしていないのだ。残念な者たちだなぁ。ただこの切り替えの早さも、厄災のおかげで心を乗っ取られているせいであろうと勝手に思っている。

ゲームの中で逃げ足とスタミナに関わる「がんばりゲージ」が上がってくると、割と簡単に逃げることができてしまう。こうした「逃げ癖」がつくと、より大きな敵に出会って、コテンパンにやられたりする。

安易に回避したいろいろなことを、「やっぱりそれじゃあダメだったんだ」と思い知らされるのだ。

立ち向かう勇気を持って積極的に攻撃すれば、案外たいしたことなかったとわかる。現実をしっかり見つめて、やることをやるのだ大事だ。

逃げる時は逃げ、戦う時は戦う。このゲームがよくできているのは、倒しても元凶となる厄災をなんとかしなければ、結局は魔物は生き返ってしまうという「赤き月」という仕組みだ。

赤き月の時がどのタイミングかはよくわからないけれど、夜中に魔物を倒してそばにあった焚き火で時間を変えたら、倒したはずの魔物に囲まれていてビックリしたことがある。この世界から悪を断つには、やはりラスボスを倒すしかないのだ。

四つの大きな目標以外の敵はそのうち復活するという仕組みは、逆に言えばいつまでもこのゲームを楽しめる仕組みでもある。大きな怖い魔物がいる場所は、いつになっても気安くは通れない。

しかし、以前倒した時よりも自分が強くなった今は、もっと簡単に倒せるはずだと気がつく。自分の成長によって、楽しみ方がどんどん変わるのも素晴らしいと思う。

最初はあんなに怖くて、避けて通ってばかりいたロボットのガーディアンも「部品集めちゃう?」、大男のヒノックスも「お宝奪っちゃう?」という気分で挑めるようになった。

後述するライネルだけは「……今はやめとこう」と思うけれど。それぞれ色やレベルによって強さが違うので、どのタイプも甘く見るとやられてしまう。

●武器の適性

使う武器も好みがはっきりしてきて、私は弓が好きだ。当たった時はスカっとするし、外れるとガッカリ。距離が離れると少し上を狙わなければいけないし、弓の性能によっても使い心地が変わる。

動きながら接近する敵に、最小限の矢の数で倒せた時は、すごく嬉しい。ゲーム内マネーのルピーも、矢を買うお金に消えていた時があった。

夫は剣が好きなので、矢よりも剣を消費する。かわりばんこに戦っていると、武器の消費はちょうどよい感じだ。しかし、敵との距離は常にアクティブに変化する。やはり、どちらの武器もバランス良く使えるのが理想だろうか。

武器は使うと消耗していき、そのうち壊れてしまう。やっと手に入れたすごい武器も、使えばいつかは壊れてしまうけれど、使わないでおいても意味がない。

それでも記念にもらった英傑ゆかりの武器はなかなか使えなくて、執着をどうするかに悩む。この世の仕組みをここでも感じるのだ。

●マモノグッズ

魔物にお肉をあげたら食べてくれたことは前回書いたけれど、もっともっと深く魔物と遊べるようになるのが「マモノグッズ」だ。

このアイテムを考えた人は天才ではないだろうか。もっと早く手に入れておけばよかったと思う。今回のゼルダのゲームは、「このアイテムを使うのが楽だけれど、なければ他の手段でもできますよ」ということが多くなっている

他のゲームがどうなのか比較はできないけれど、アイテムを手に入れてセリフが変わる程度のものは多いと思う。このグッズは魔物の態度が変わり、危険だった道がまったくの安全地帯に変わるのだ。

夜中になると現れるマモノショップでは、魔物を倒した時に手に入れたツノや牙を、マモというゲーム内のお金にしてくれる。マモノショップで買えるマモノグッズは、ボコブリンマスクやリザルフォスマスクという仮面などだ。

店主が適当に縫ったように見える手作り感満載のマスクなのだけれど、これをかぶってボコブリンの前に行くと、ハテナマークで怪しまれるだけで全然大丈夫なのだ。すごい効き目だ。

魔物に攻撃されないというのがこんなに楽しいとは。リザルフォスも首をかしげて考えてはみるけれど、敵という確信が持てないみたいだ。

リザルフォスマスクをかぶって、一緒にジャンプする。そばにある焼きサバや武器を頂いても、全然怒られない。マスクは一つしかかぶれないので、複数の魔物が同時にいる時だけは見抜かれてしまうので注意が必要だ。

他にも色々なマモノグッズがあるけれど、とうとうライネルマスクを手に入れた。ライネルとはケンタウルス風の半身半獣の体つきで、ものすごく強い魔物だ。体つきも武器も大きくて、戦闘力は他の魔物とはケタ違いだ。

「でもライネルっていつも一人でいるのに、他のライネルに気を許すのかな?」と夫に言われる。

私は「でもライネルだって別の所には色々な色のがいるし、たまには集まって飲み会でもしてるよ(笑)」と、ライネルマスクが欲しいだけのためにトボケてみる。ケンタウルスの体格で飲み会だと、テーブルはどんなのだろう。

ライネルマスクの効果については、ここでは秘密にしておきたい。とても楽しいには違いない。

まだまだ行っていない所、やっていないことがある。読み進めている本の残りページのように、単純に少なくなっていくのではなく、前のページをもう一度読みに行くと何か変わっていることが発見できるのだ。知らない方法、知らない物があったなら、知ってからもう一度訪れれば良いのだ。


【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/

先月母の健康診断に付き添って、久しぶりに視力検査をしてもらった。Cの文字の空いている部分を答える検査で、私も少し後ろから見ていたけれど結構な正解率だ。母が目が良いというのを疑ってごめんなさいという気持ち。


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■はぐれDEATH[26]
伏見の四季とはぐれのお散歩

藤原ヨウコウ
http://bn.dgcr.com/archives/20170411110100.html
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伏見に来てそろそろ一年が経つ。伏見の四季を軽く振り返ってみたい。

伏見に着いたのはまだ梅雨時だった。それでも、これから訪れるであろう京都の初夏を想像するには充分な環境。もうほとんど言いがかりに近いのだが、紫陽花ですら関東で見かけたものよりもずっといい雰囲気に感じたものだ。

東に桃山を眺め柳と桜の並木が彩る宇治派流の佇まいは、満身創痍状態のボクを心の底からホッとさせ、これから移ろう景色を楽しみにさせたのは言うまでもない。

伏見にきて足腰がガタガタになったことは前述した。リハビリはしつこく続けている。ストレッチと軽い筋トレ、体幹トレーニング、それからお散歩である。

間違ってもウォーキングなどという大層なものではない。毎日(雨さえ降らなければ)宇治川派流に沿って同じコースをだらだら歩く。ただ、最近はあんまりリハビリの体はなしていない。それなりに足腰が復活したのも一つの理由だが、お散歩そのものが楽しくなってきたのだ。

元々、ボクは歩く速度が早いのだが、こっちに来たときはもう自分でも情けなくなるぐらい遅くなっていた。無理をして記憶の速度で歩こうとすると、そっこーでバテていた。距離も大したことないのに、お散歩した後はかなりふらふらになっていたのだ。

「歩く速度の速さは過去の栄光」と諦めかけていたのだが、毎日の積み重ねというのはやはり侮れないもんで、現在はある程度の速度を取り戻した。後は距離かな?

ちなみに関東との比較を今はもうほとんどしていない。記憶が薄れてきたのと、比較の対象が大阪に変わっただけの話で、都市嫌いは相変わらずである。

京都には「梅雨明けは祇園祭」という言説がある。実際、お手伝いを始めた頃(かれこれ33年前か)は、夕方にはさっと夕立が降り涼しさを演出していた。もっとも、すぐに蒸し風呂状態になるのですが。

ところが、近年は京都に限らず天候が無茶苦茶である。二年前には、豪雨を通り越した台風の中で強行した。幸い事故がなかったから良かったものの、関係者はたまったもんではない。

夕立も滅多にお目にかかれなくなった。むしろ鉾立の間、しとしと雨が降っているか、ばりばりの晴天かは毎年変わる。極端なのである。

祇園祭そのものは祭りの期間が固定なので、過去のお天気との比較が楽である。記憶力の怪しいボクですら憶えているので、そうそう大間違いはないと思う。裏は取ってないけど。

本格的な夏に入ると正に京都の夏である。伏見なので多少はマシなのだが、それでも十分暑い。ボクは暑いのが大好きだし、湿気にも耐性があるのでお気楽に過ごした。

もっとも、部屋の窓から宇治川派流を臨む上に窓は全開なので、十石船のエン
ジンの音とアナウンスのだみ声に最初はびっくりしたが、これはすぐに慣れた。
辻堂で苦しんだ米軍の戦闘機のエンジン音に比べれば、カワイイもんである。

宇治川派流に沿って植えられたしだれ柳も涼しげ。緑に包まれた風景に、酒蔵が並ぶ風景はなかなか良いものである。お酒は呑めないんですがね。

宇治川派流沿いの酒蔵は、四季の移ろいを演出するのに実に効果的で、見事なまでの舞台装置と化している。酒蔵の中に入って、お酒の製造を見学とかしてみたいのだが、これはまだしていない。

水の美味しさも酒造りにはかかせないのだが、伏見の水は確かに美味しい。そこかしこに湧水がある。夏などはここでお水を飲むと本当に美味しいのだ。

炎天下のアルトの練習は賀茂川から宇治川へ変わった。日差しの強さに変わりはないが、向こう岸が賀茂川よりもずっと遠いので、遠慮なく鳴らすことが出来る。

一つ困ったのは、賀茂川のように橋が多くない、という点である。楽器を日光に晒しっぱなしには出来ないので、これには手を焼いた。幸い観月橋の下を見つけたのだがちょっと遠い。

他の橋の下はというと、暑さを逃れて昼寝をしている長距離トラックとか、明らかに仕事をさぼっている営業車が連なっているので、どうにもやりにくい。それでも練習場所としてはかなり恵まれているだろう。

秋の訪れは随分遅かったし、足早に通り過ぎていったが、それでも紅葉は存分に楽しんだ。季節の変化を自然に体感できるのが楽しいのだ。娘の保育園の送り迎えに近い感じかな。

同じ風景もよくよく見ると日々変化が見て取れる。たまたまこうした環境にある部屋に引っ越したのは、我ながら幸運だと思う。

ちなみに道そのものも、舗装されてる部分と土がむき出しになっているところがあるのだが、あまり気にはならない。お散歩に限っての話だが、石畳とかは機嫌がいいのだが、アスファルトは勘弁願いたい。情緒もへったくれもない。

人が踏み固めた土の道というのは、幼少時を思い出させる。特に転校先の小学校の通学路は、今から思うとなかなか凄まじかった。あぜ道、山道の連続なのだ。高低差もそこそこあって、真っ直ぐな道など皆無だったような気がする。3kmぐらいあったのかな? 今から思うといい通学路である。

手なづけたにゃんこの親子も、このお散歩コースで発見した。釣りをしているおっちゃん達からおこぼれをもらうために待機しているのだが、これはこれで微笑ましい。よく悪戯をしてはおっちゃんに怒られているが、その辺はある種の信頼関係である。

ちなみに野良猫に餌を与えることは禁止されているのだが、ボクは釣った魚ならあげてもイイと思っている。

「キャッチ&リリース」という標語があるのだが、ボクにはこれがどうにも胡散臭く感じられて仕方がないのだ。釣られるということは、口の中に傷がつくということである。河川などは寄生虫も多く、更には黴菌も多いのだ。傷口から死に至るケースは十分にあり得る。

と言うのは建前で、楽しみで他の生物を傷つけたりしていいのだろうか、という素朴な思いがあるからだ。

福山にいた頃、海釣りにはよく行ったが釣ったお魚は家に持って帰って食べてた。相手が何であろうと、殺生をした以上は最後まで責任は持つべきだと思う。

その点、野良猫に釣ったお魚をあげるのは、ボクの中では理に適っているのだ。わざわざキャットフードを持ってくる人がいるのだが、こちらに比べればはるかに不自然だと思う。

冬はあんまり想像したくなかったのだが、予想通り分かりやすい京都の冬だった。なまじ暖かい辻堂に二年もいたせいで、伏見でさえ十二分に京都の底冷え極寒地獄を味わわされた。

ご近所に住んでいる大学時代の先輩に教えていただいたので、気をつけて見ていたのだが、冬になると伏見の酒蔵は一斉に酒造が始まる。それはそれで独特の雰囲気になる。

もちろんお散歩コースには酒蔵も多数ある。寒いのは大の苦手だが、これはなかなか楽しめた。特に朝の宇治川派流は、濃霧と醸造所から噴き出る湯気が、えも言われぬ幻想的な景色を生み出すのだ。

十石船は宇治川派流の水が抜かれて、1月末頃から3月末までお休み。干上がった宇治川派流も、最初は物珍しかったので楽しんでいたが、すぐに飽きた。

宇治川派流に水が戻ってくると春は近い。釣りのおっちゃん達と「今日か、明日か」と毎日、干上がった水路を眺めてお喋りをしていた。そうこうしていると、にゃんこ達がいそいそと寄ってきて、ボクの胡座の中に潜り込む。時には眠ってしまう。

冷え切った石畳にじっと座るというのは実に厳しいのだが、段々お尻の冷たさよりも、胡座の中のにゃんこのぬくもりが気持ちよくなってくる。お天気がいい日など、危うく一緒に寝落ちしそうになった。

そしてやっと春である。宇治川派流に水が入り、水路沿いに植えられた桜が芽吹く。しだれ柳にも若葉がつき始める。

桜の本数はもちろん賀茂川に及ばないが、水路は桜のトンネルと化し、その中を十石船が通り抜ける。これでエンジン音と案内のおっちゃんのダミ声さえなければ、情緒は倍増だと思うのだがしゃぁなしである。

残念ながら「春はあけぼの」にはイマイチならなかった。伏見だからかもしれない。上賀茂なら比叡山を春霞が覆うのだが、この違いをハードコアな京都人の皆様は明確に分けて考える。

先日、お花見にいらしていた上品な老婦人に道を尋ねられて、しばらくお喋りに付き合っていたのだが「今日は京都から参りましたの。こちらの桜もよろしいですなぁ」と何気なく仰った時は、内心で「前の戦争は鳥羽伏見の戦い(応仁の乱かもしれない)という京都人がまだ生きとった」とビックリしたのは言うまでもない。

噂には聞いていたのだが実物ははじめて。かろうじて顔色を変えなかったのは、我ながら天晴れだと思う。

お散歩は日にだいたい三回。朝、昼、夕で同一コースをだらだら歩く。最初はそれなりにきつかったのだが、周りの風景に気を取られるようになってから楽しくなってきた。にゃんこを手なづけてからは楽しみ倍増である。

実際に歩いている時間よりも、にゃんこと戯れている時間の方が長いかもしれない。ここまでくるともう完全に遊びである。

呆れかえるぐらい馬鹿になっていた足腰が、リハビリで復活してきたことを考えると、散歩はある意味無駄なことなのかもしれないが、ボク自身が無駄とは全然思っていないのでしかたがない。

もちろん、体力をキープする、という建前だって使おうと思えば使えるのだが、ボクからすればこれ程アホらしいことはない。楽しいからお散歩をするのだ。建前や言い訳など必要ない。

そもそも「忍耐」の精神からは遥か遠くにいる人なのだ。イヤなことはそれがどれほど合理的かつ健全であろうと、間違ってもしない。とにかく我慢が大嫌いなのだ。ボクが延々続けていることは、大抵楽しいから、それに尽きる。

ただ正直、これほどお散歩にはまるとは想像もしていなかった。「歩くだけなのに何が面白いねん?」と不遜なことを思っていたことは正直に白状しておく。

実際、関東にいたときは、間違ってもお散歩をしようなどとは思わなかった。環境の影響は大きいと思うし、関東にいた頃はお散歩よりもチャリでうろちょろする方が圧倒的に多かった。

お散歩にはまりだしてからチャリに乗る機会は激減した。大抵の場所は歩いて行くようになったのだ。もっとも、お散歩コースがメインであり、買い物などはコースからちょろっと外れる程度だからだ。昔の都市設計(安土桃山時代に秀吉が行った都市設計がベースのようだ)が可能にした、地の利である。

お散歩で仲良くなったのはにゃんこだけではない。釣りのおっちゃん達とも親しくなった。辻堂にいた頃は部屋に籠もって、他人とラチもないお喋りなど想像も出来なかったし、当然していない。

だが今は別である。お散歩コースがあるように、釣り人のおっちゃん達がたむろする場所があるのだが、ここで色々とアホなお喋りをするようになった。で、おっちゃん達のアホ話がまた面白い。

もちろんおっちゃん達は、ボクの両親と同じか少し若い程度なので、ボク的には一番お気楽なお喋り仲間である。もちろんボクが最年少。そこへにゃんこ達がやってくるのだ。にゃんこの相手をしながら、おっちゃん達とお喋りをする。

実は「ラチもないお喋り」というのは、精神衛生上イイ事らしい。もちろん真偽は分からないが、お喋りで色んな知らなかった情報が入ってくる。一人だけで情報のインプットをするよりも、遥かに多くの情報が入ってきて脳が活性化するらしい。

入る情報といっても、深刻なものではないので気楽なもんである。ただメディアを通した情報ではもちろんないので、話すおっちゃんの価値観だけ。これがボクにはイイのだ。

論理的な会話というヤツは神経を使うもんである。これが積もりに積もると、どこかでおかしいことになる。それがラチもない会話となると、ただのアホ話なので聞いたりお喋りするときはお気楽そのものだ。

お散歩の効能、というのはこういう場面でも発揮される。ボクだけかもしれないのだが、これが精神衛生上バランスがよくなるのだ。

あと、会話そのものが健康に良いとかいう説もあるようだ。表情筋というヤツが運動するかららしい。考えてみれば、引きこもってる状態で顔の表情が極端に変わることはあまりない。電話で喋ってるときぐらいか? ああ、吐血したときもかなり顔の表情は変わってたやろうなぁ。まぁ、その程度だ。

軽い運動、下らないお喋り、猫と戯れる、四季の移ろい。これ全部が体験できるのがボクのお散歩である。のどかと言えばのどかなのだが、元は田舎者である。この程度が一番イイ。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com/
http://blog.livedoor.jp/yowkow_yoshimi/

装画・挿絵で口に糊するエカキ。お仕事常時募集中。というか、くれっ!


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編集後記(04/11)

●高山正之「変見自在 朝日は今日も腹黒い」を読んだ(新潮社、2016)。筆者の「変見自在」シリーズはこれで11冊目、重要なことを短文でさらりと書くところが恐ろしい。朝日の正体は一つに裏付けのない傲慢、もう一つが後先考えずに自虐ものに耽溺(笑)。日本の恥部の振る舞いをまたいくつも知った。

それはさておき、以下はアメリカの恥部だ。マッカーサーは気障で自己愛に満ちながら、ただ異常なほどの臆病者だった、という話。いつ頃だったか、厚木に下りたマッカーサーは恐怖で失禁していたんだって、という話がネットで広まっていた。与太話だと思っていたら、どうやらこれは有名な話だったのだ。

日本軍が迫ってきたと聞いただけで、部下を捨てて一人、コレヒドールからメルボルンに逃げた卑怯者でも、いちおう米太平洋陸軍司令官。日本敗戦のあと厚木に乗り込むが、マニラから直行は嘘で、沖縄に一泊して飛行ルートも時間も変えて飛んできた。待ち伏せする特攻機がいるに違いないという恐怖からだ。

厚木に着いた。周辺には日本軍。側近が狙撃を心配し、彼をどう降ろすか検討中に、不意に立ち上がって単身タラップに立ったマッカーサー。パイプを咥えレイバンのサングラス越しに広がる敵地を悠々睨め回す。カッコいい! 戦時中あらゆる司令官の中で最も傑出したポーズだった、とチャーチルが褒めた。

狙撃されやすい高みに単身で立つ。ナイスな演出だが、彼の生理は正直だった。過度の恐怖でちびった。股間を濡らした。それを右下から同盟通信の武田明のカメラが捉えていた。ズボンの左前下から股にかけて黒い濡れ染みが広がっていた(共同通信刊「写真でつづる戦後日本史」)。もちろん本人も動揺した。

地上に降りたつ栄光の瞬間、いつもの気障ったらしコメントはなく「長い道のりだった。やっと終わった」と言うだけ。気張って腹から声を出せば、またちびる可能性があったからだろう、と筆者は意地が悪い。タラップ上の世紀の瞬間は、異常なことに翌日の新聞に載らなかった。マッカーサーが抑えたのか。

後にこの写真は自身の回顧録に載るが、当該部分は白くなっており、修正したことを十分窺わせる。「しかし彼は宿舎の横浜ニューグランドホテルでズボンを穿き替えた途端、元の傲慢な男に戻った。天皇の名を騙って憲法を書き替え、軍を廃し、皇族を絶って日本潰しに邁進する」。

検閲で彼を偉大だと思いこまされた日本人は知らなかったが、「敵前逃亡したケチな気取り屋」に人気はなかった。大統領選に名乗りをあげたが、党大会で1094票中11票しかとれなかった。共和党はあれでまだまともで人を見る目があった。実際、アイゼンハワー、ニクソンのおかげで日本は復活できた。「共和党は単純なりに騎士道も知っている。狡いだけの民主党とは違う」。今の日本にも、人を見る目がなく、ただただ狡いだけの旧民主党がいる。 (柴田)

高山正之「変見自在 朝日は今日も腹黒い」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4103058811/dgcrcom-22/

厚木の凱旋将軍 「マッカーサーは失禁していた」iRONNA
http://ironna.jp/article/2747


●Mさん、無理しすぎたらアカン! たまには自己中でいいと思うっ。それより何より、自分が大事〜♪

/ほとんど外出しない生活で、宝の持ち腐れな「ポケモンGO PLUS(通称後ゴプラ)」。いや、外出の機会が少ないからこそ、歩いた距離をスリープ状態でもカウントしてくれる、このゴプラが大切なのだ。

ゴプラはポケモンの出現やポケストップの範囲に入ったことを、振動で知らせてくれるデバイス。バッテリーの減りもセーブできる。

銀行やスーパーに行く時でさえ、左手に持ち、振動があるとボタンを押す。たったこれだけで、ポケモンがゲットできたり(逃げられたり)、道具が手に入る。楽すぎて手放せない。続く。 (hammer.mule)

ポケモンGO PLUS
http://www.pokemongo.jp/plus/

アマゾンでも在庫ありになってるわ。一時は品薄で入手困難だった
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B01IO57DAM/dgcrcom-22/