はぐれDEATH[27]はぐれと腰のエトセトラ 見た目はどんどん修行僧化/藤原ヨウコウ

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ボクは自分の体型にいささかのコンプレックスを持っている。遺伝だから仕方がないし、体型だって選ぶことはできない。

それなりの体型を目指そうと思えば、ダイエットとか食事療法とか筋トレとか、色々と体型を維持したりシェイプアップする方法はあるが、ボクにとっては興味の対象外である。あくまでも機能優先。

前にも書いたが、お散歩やストレッチは体力をまともな状態に戻すのが目的だった。体型どうこうではない。とにかく歩けないというのは相当情けない。おかげで大分元に戻った。

体型を決めるのは基本骨格だと思っている。もちろん体質なんかもあるのだろうが、ボクが骨格にこだわるのは、正にこの骨格がボクのコンプレックスの源だからだ。

最初に断っておくが、ボクの骨格は本来ホモ・サピエンスにはない、お猿さんの骨格が多数残っている。これは前に書いたような気がするので詳細は省く。

最大のコンプレックスは、骨盤のでかさである。というか、下半身の骨自体がアンバランスなぐらい大きいのだ。女性の骨格に近い。




上半身がそれなりにしっかりした大きさだったらまだ誤魔化しもきいただろうが、悲しいぐらい華奢だ。肩幅は狭いし、なで肩だし。

更に言えば、安産型。女系一族末裔の宿命である。親父とボクは骨格の作りがほぼ同じで、娘もまた同様である(娘の場合は女の子なのでまったく問題ない)。

だから親父のスーツ、特にズボンの腰のフィット感はぴったりである。もう40年近く前のスーツなのだが、オーダー・メイドで当時の職人さんがしっかり作ってくれてるので、今でもまったく問題ない。袖と肩幅に若干の無理があるのは内緒だ。

あ、ちょっと断っておくが腰のサイズというのはウエストであり、普通男性がはく位置ではない。だが、この位置ではくように育ってしまったのでどうしようもない。男性にとってレギュラーと思しき位置だと、どうにも落ち着かないのだ。ちなみに親父も同じ位置だ。

ズボンは太腿とお尻の大きさに合わせると腰がダブダブになる。腰に合わせると太腿とお尻が入らない。これがレディースになるとばっちりフィットする。特にスリム系のジーンズはレディースじゃないと格好がつかん。

ストレートになると完全にアウトである。大学生時代にリーバイス501とMA-1ジャケットの組み合わせが流行ったのだが、正に上記の如き結果となった。レディースなら26インチがベストなのだが、まともに501で挑むと30インチでも厳しい。様になるのは32〜34インチから。

このように変なはき方をする変な体型の男は、それなりに色々誤魔化しながらズボンをはいてるワケだ。が、ここで一つ問題が発生する。和服だ……。

そもそも和服を着る習慣はない。せいぜい作務衣。ぼーずが作務衣を着ていると本職にも間違われる。これには驚いたのだが本当の話だ。どう見ても僧侶顔とは思えないのだが。ピアスが唯一のはぐれ印だったが、そのピアスも今はもうない。

ピアスは祇園祭の山鉾巡航の時以外はつけっぱなしだったのだが、最近お稽古ごとを成り行きでする羽目になって、ピアスは完全に外した。

詳細は省くが、お稽古でヘマをすると師匠が「次からヘマしたらその度に一つづつピアス引きちぎるぞ」と言い始めたのだ。もちろん冗談なのだがやりかねないところがあるので、身を守るために外した(笑)

悟りを開いたわけでもなければ、何かを反省をしたわけでもなく、もちろん哲学的にどうこうとかというような理由ではないのが、ボクらしいと言えばボクらしい。これもまた成り行きである。

和服を着る羽目になったのは、正にこのお稽古ごとのせいなのだ。何のお稽古かは内緒だ。

最初は自分なりのレギュラーの位置で帯を締めていたのだが、様々な所作の関係で徐々に帯の位置が下がり始め、気がついたらほぼ男性レギュラーなポジションに落ち着いた。

他の国とか地域のことは知らないが、和服で帯を結ぶ位置というのは、やはり極めて洗練された合理的な位置だったのだ。

最近は(というかボクが生まれた育った頃は既にそうなり始めていたのだが)いわゆる和の生活というのは薄れている。当たり前である。

だいたい家の造り自体が伝統的な建築様式から外れているのだ。椅子が中心となる生活ですな。床に直接座るという習慣は相当薄れていると思う。だから正座が出来なかったり、胡座をかけなかったりする人がいるワケだ。

座れば立つこともあるし、立てば歩くこともある。ここでポイントになるのが腰である。「腰を落ち着かす」という言い方をよくする。重心を安定させるということですね。

要は下半身がしっかりとしていないと、何をやってもダメという極めてシンプルな理由なのだが、これを意識し始めると、意外に出来ていないことに気がついて自分でもビックリした。

絵を描く時、ボクの場合ほとんど椅子の上で胡座を組んでいる。これはこれでばっちり安定するので、上半身は問題なく自由に動かせる。

最初に躓いたのは足捌きである。いわゆる「摺り足」というヤツ。これ腰が安定していないと悲惨なことになるのだ。

師匠が色々な言葉でアドバイスしてくれたのだが、一番良く分かったのは「金タマを真下に意識しろ」である。品のいい例えとは到底言えないのだが、これで理解できたボクもボクである。

「でもな、この例えは男にしか通用せぇへん。女の子やったらわしもどう言っていいかさっぱり分からん」と師匠も笑って言っていた。こういう師弟なのだ。

摺り足の際に腰が上下動しては、上半身の位置も不安定になる。そもそも摺り足というのは、上下動を最小限に抑える為の方法なのだ。

上半身を使うことをしようとすると、個人差はあるものの、やはりある程度の位置に落ち着いていないとどうしようもないのだ。一つ一つの所作がバラバラになり、結局何も出来なくなる。

日本伝統の習い事というのは型にうるさいのだが、型を気にし始めると不自然になる。不自然な動きに合理性がないのは言うまでもなかろう。

これは日本に限った話ではないと思うのだが、それぞれの地域にはそれぞれの風習や生活習慣、文化によって違いはあるものの、腰の重要性は不変な気がする。調べたワケではない。ボクのただの勘だ。

適切な例でないことは百も承知だが、猫をあげてみよう。ボクは室内飼いをしたことがないので当然、外をちょろちょろするヤツらである。ももちもそう。

共通するのは歩く時にしろ、走る時にしろ、獲物を狙って静かに忍び寄る時も腰の位置(肩胛骨もなのだが)が安定しているのだ。脚は動くが肩胛骨から腰までの線は、そのままの状態で上下動する。

四つ脚なので人と直接結びつけるのは問題があるとは思うが、自然な動きという点から見れば参考にはなる。

腰に関しても帯の位置同様、これまた合理的な理由がちゃんとあるのだ。幸い師匠は理由をきちんと教えてくれる。最初からではない。ボクが何となく感覚を掴みかけた時に、タイミング良く教えてくれるのだ。成り行きとはいえ実にいい師匠に出会えた。我ながら実に運のいい人である。

歩く時だけではない。次に躓いたのは正座から立つ時だ。どうしても前屈みになる。「腰から真っ直ぐ立ち上がって上半身は動かすな」と言われたのだが、なかなか出来ない。

これは力の入れ方のポイントを間違えていたのだが、まぁどうでもよろしい。本当にちょっとしたことなのだが、真っ直ぐ腰から立ち上がると、次の動作に入りやすいのだ。

歩くのも腰から前へ。腰は水平に移動する。所作も腰が安定している状態で。とにかくひたすら腰である。

「自然に動くのが一番エエねん」とは師匠の口癖だが、本当に自然にするというのは難しいもので、意識すると妙なところに力が入るもんである。

ちなみに絵を描いている時は、頭も空っぽなら全身にも力は入っていない。極めて自然な運動律で無理がないから、腱鞘炎にもならないし腰痛や肩こりに悩まされることもない。

「ちょっとこったかな?」と思ったら少しストレッチをすれば元にすぐ戻る。その程度だ。

これに上下左右の動きが加わると、更に難度は増す。腰も上下左右するのだが、重心はあくまでも真下である。書くのは簡単なのだが、実際にやるとかなりヘビーだったりする。

今までの生活習慣にはなかったからなぁ。おかげで太腿はぱんぱんである。ただ、これもどうやら無駄な力が入っているようだ。

力が入るのはあくまでもほんの一瞬で、無理に力を入れ続けるとどうしても変になる。身体に力が入ってガチガチになり、動き自体が不自然極まりなくなるのだ。この対極にあるのが、ゆったりとリラックスした状態である。

これが師匠の言う「自然体」であることは百も承知しているのだ。上述したように、絵で経験済みだし今もそうしている。というかなってる。

とにかく絵は物心ついた時には描いていたので、どう身につけたのかさっぱり分からない。でも絵では出来るのだ。

「五十からの手習い」とはいえ「出来ないはずがない」とボクが確信しているのは、こうした体験があるからである。もっともこの事に気がついたのは、絵を描く人が腱鞘炎やらなんやらになったりするのを知ってからだ。

ところでボクは猫背な上に、自然体そのものがだらしないので、自然体から矯正しないとどないもならん。50過ぎての姿勢の矯正は大変ですよ…

和服に戻る。腰が小さいのは前述したが、和服を着るとさっぱり様にならん。胸の厚みもなければ、もともと腹も出てないので貧相極まりない。帯の位置だけでどうにかなる体型ではないのだ。ズボン以上に質が悪い。

おまけに、お稽古を始めてそれなりにせっかく(!)弛んでいた腹・腰周りがしゃっきりしだしたので、ますます腰は小さくなる一方である。成人して記録したもっとも細い53cmにむかって驀進してるような気がする。

何かがどこかで間違っているような気がするのだが、人によっては「羨ましい」と思うかもしれない。

ここに袴が加わると、もう絶望的な姿にしかならない。着付けも厳しいので、ちゃんとすればするほど腰回りの小ささが目立つ。こればかりは師匠も「持って産まれたもんやからしゃぁないけど、かなり珍しいで」と苦笑混じりに感想を言っていた。師匠の言う通りに着付けてこれなのだ。始末に負えない。

見た目を誤魔化すだけなら、着物の下に座布団なりなんなりを入れて形を調整するという手が昔からの定番だが、これをするとお稽古の時動きづらくなるので当然却下だ。そもそもそんなもの入れるのイヤだし。

最初に書いたが、間違いの元は結局、骨格と体質にあるのだ。筋肉だって細いし。ないワケじゃないのです。分かりやすく盛り上がらない。その代わりと言ってはなんだが、筋同様に伸縮性は抜群。筋断裂はまぁあり得ない。柔らかいからね。

相変わらずストレッチは続けてるので、以前に書いた時よりも身体の柔軟性は更に増している。筋肉を無理矢理増やすつもりもないので、食生活は相変わらずだ。こうして見た目はどんどん修行僧化していく。厳しい修行なんてしてないのに。そもそも本職じゃないから。しつこいようだけど。

だからボクの場合は「痩せる」というよりも「締まる」と言う方が妥当だろう。それでも筋肉は少しづつだが増えてるだろうし、もともと少量な体脂肪もどんどん減ってる気がする。

体脂肪に関しては、この冬の着込み具合からかなり変化しているのがよく分かる。冬の初めよりも今の方がヘビーなのだ。元々、保温が出来ないところにもってきて、更なる体脂肪の減少である。

これ笑えないんですよ。特に京都の場合。ひどい寒がりなので、かなりキツいものがある。底冷えは半端ないのだ。その上食事もすぐ怠けるので、体脂肪が減らない方がおかしい。我ながら見事な悪循環である。

このように、肩幅は広がらない、胸も厚くならない、脚は筋肉太りする、腰は小さくなりアンバランスさは悪化する一方である。気にしなければ別にどうでもイイ事なのだが、着るものに反映されてしまうので、気にしないわけにはいかない。なかなか困った状態である。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
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装画・挿絵で口に糊するエカキ。お仕事常時募集中。というか、くれっ!