[4343] iPhone壊れる……

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《画廊ではなくて画郎です》

■装飾山イバラ道[200]
 iPhone壊れる……
 武田瑛夢

■Scenes Around Me[04]
 岡画郎との出会い
 関根正幸



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■装飾山イバラ道[200]
iPhone壊れる……

武田瑛夢
https://bn.dgcr.com/archives/20170516110200.html

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GWも終わり、さて明日は学校だということでiPhoneの目覚まし時計をセットしようと思ったら、画面が真っ暗なまま反応がなかった。

充電のためにケーブルを挿して安心していたけれど、私のことだからきっと元が抜けていたのかな。確認したけれど、抜けていなかった。

夫にiPhoneの電源が入らないと言うと、またどうせ元が抜けたまま充電しているつもりだったんじゃないかと、私とまったく同じ推測をされて悔しい(人に言われると悔しい)。

そうではないことがわかり、あまりにもウンともスンとも言わないiPhoneの様子にだんだん不安になってくる。とりあえず私は明日があるので、電話の調査は夫に任せて寝ることにする。

夏は何かと機械が壊れやすい、と私は勝手に思っているけれど今年は早かった。私のiPhone7 Plusはまだ半年ちょっとしか使っていないし、特に手荒には扱っていないつもりだ。

ただ今までのiPhoneと違うのは、Suica機能を使っていることだ。電車やバスに乗るたびに、頻繁にピッと使うようになった。

改札の機器にタッチしないで、iPhoneを浮かせて通るだけでもピッと反応するとはいえ、実際には物理的に触れてしまっていることが多いのも、本当は過酷なことなのかもしれない。

ケースの汚れ方も今までと比べて、半年にしては汚れて痛んでいるようにも見える。明日は電車もバスも使う日なので、Suicaのカードを探して持っていかなければ。色々と心配でなかなかすんなりとは眠れない。

朝少し早めに家を出て、駅でSuicaカードの残金を多めに入れておいた。携帯電話で改札を通る習慣がついているのに、カードを当てて通るのは勝手が違って何かと面倒だ。大したことではないけれど、便利さに慣れた罰を与えられているような気分になる。

その日の仕事が終わり、買い物をするために途中下車した。家に電話をかけようと公衆電話を探すけれど、電話ボックスがない。駅の改札の中には公衆電話があるのが見えたのに、既に外に出てしまったのだ。

バスターミナルを歩いて、大型量販店の入り口でやっと「緑の公衆電話」を見つける。10円玉を幾つか手に持ち、ガチャリン、ガチャリンと入れる。なんだかとても懐かしい作業だ。

「100円はおつりがでません」この文字を読んだのも久しぶりだ。家にかけると夫が出た。少し声が高めで若々しく感じたのは気のせいだろうか。

次の日、iPhoneの修理予約の準備をする。Apple Careに入っていたので、Appleのwebで対処方法を探す。

こちらからサポートに電話するのではなく、空いている時間を選んで「サポートから電話をかけてもらう予約」をする仕組みだった。電話がつながるまで無駄に待つことがなくて、なかなか良い方法だと思う。

ほぼ予約した時間通りに電話がかかってきて、iPhoneの電源が入らなくなった状況を説明する。最寄りのAppleストアを探してくれて、予約まで完了した。

何か質問はありますか? と言われたので、「壊れたiPhoneにSuicaのチャージで入れてあるお金はどうなりますか?」と聞くと、窓口に行った後に何とかしてくれとのこと。もし今確認したいのなら上級部署へ繋ぐという。特別には急がないので窓口で聞くことにした。

●Genius Bar

Appleストア渋谷店の二階のGenius Barへ行くと、緑のTシャツのスタッフがたくさんいた。まずエレベーターの中にいたApple緑スタッフに「今日はどのようなことで?」と聞かれ、椅子まで連れて行かれる。

「iPhoneの電源が入らなくなりました」。座っていると二人目のApple緑スタッフが来て「今日はどのようなことで?」と聞かれる。「iPhoneの電源が入らなくなりました」。

最後に来た三人目のApple緑スタッフがどうやら本当の担当らしく、「今日はどのようなことで?」とやっぱり聞くので、三回目の「iPhoneの電源が入らなくなりました」。

私は結構ガマン強いので平気だけれど、この程度はしょうがないのかな。

電源のリセット方法を色々試し、サクっとiPhoneのSIMカードを外してどこかに行った。戻ってくると「こちら交換になりますね」とのことで、すぐに新しいiPhoneを持ってきた。

方針が決まると流れは異様に早い。データのバックアップはiCloudである程度は取られていると思うけれど、いつが最後かについて聞かれても、自信がなかった。

写真だけはiMacですべて残っているのを自分で確認していたので、そう不安はなかったけれど。ゲームやアプリはダメかもしれない。

新しいiPhoneを起動して「これでやることは以上になります」とのこと。

iPhoneの画面にiCloudの復元の予測時間のバーが表示されて30分、40分とどんどん増えていく。「この時間は途中で減ったりするので、こんなかかりません」。

実際には20分くらいでデータは復元された。どうやら最後のiCloudのバックアップは、壊れる直前だったようだ。バックアップ作業中に何かがあって壊れたのかもしれない。

ゲームもアプリも不具合なく、まったく元のiPhoneに戻った感じだ。iCloudで自動的にバックアップが取られているのは、安心で素晴らしい。

●Suicaのチャージ

Suicaのチャージの件を聞くと「それはわかりません」と言う。iPhoneが壊れた時の状況によって違うらしい。

会社が違うので、Appleがやってあげることではないという感じがした。チャージした金額が無事に戻るかは、やってみないとなんとも言えないようだった。

家でSuicaのWebサイトを探すと、Suicaを新しいiPhoneに移す方法は書いてあったので、そのやり方で復旧した。

パソコンでiCloudアカウントにログインし、マイデバイスに表示された壊れたiPhoneを×マークで外すのだ。これをデバイスの消去と言うらしいけれど、慣れないとなんだか怖い(このデバイスの消去までがApple Careのサポートの範疇ということらしい)。

Suicaの会員サイトで再発行登録をすると、翌朝5時までにSuicaが再発行され、新しいiPhoneに追加する準備ができるのだ。紐付けを切って結び直すので間違えられないし。

夜間だったのでしばらく待ったけれど、無事にSuicaのチャージ金額が戻ってきた。

今回のiPhone全とっかえの交換で面倒だったのは上記のSuicaだけで、あとは指紋認証とSiriの声認識をやり直す必要があるぐらいの手間だった。突然壊れた割に、簡単でありがとうと思うべきなのか、こんなに早く壊れないでと怒るべきなのかわからない。

そういえばもう一つ、iPhoneの表面のフィルムの購入と、貼りなおしが必要だった。フィルムは買ったけれど、あの緊張感のある貼り作業は未だに嫌いなのでめんどくさい。いつやろうかな。


【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
装飾アートの総本山WEBサイト "デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/


もしかして今回の記事は、記念すべき200回だったのかもしれないですが、以下は普通の日常のことですみません。

最近はマリオカート8DXをやってから眠る日々です。グラフィックが綺麗でとても楽しいけれど、案外疲れるのであまり続けてはできない不思議なゲームです。


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■Scenes Around Me[04]
岡画郎との出会い

関根正幸
https://bn.dgcr.com/archives/20170516110100.html

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現在のような記録行為を始めるきっかけとして、1995年11月に高円寺にあった岡画郎に出入りし始めたことに触れない訳にはいきません。

今回は、岡画郎との出会いについて記すことにします。

岡画郎は高円寺駅南口と青梅街道を結ぶ大通り沿いのマンションの一室にありました。〈東京都杉並区高円寺南2-26-9 第5下田ビル203〉

ここは、もともと岡啓輔さん(以下、岡さんと記す)の住居でしたが、部屋の窓が大きくて外から部屋の中がよく見えたので、窓際に作品を展示して道の向かいに設置された(100円ショップの)双眼鏡で作品をみるというコンセプトのギャラリーになりました。

岡さんは建築家(大工)兼ダンサーで、現在、港区三田で「蟻鱒鳶ル」という鉄筋コンクリート製のビルを自力で建築(セルフビルド)し続けています。

ちなみに、岡画「郎」というのは「廊」の間違いではなく、大家に部屋の居住以外の使用を咎められた岡さんが岡画郎(岡ガロウ)を名乗り、岡画郎という人物の住居だと言い逃れようとしたことに由来します。

岡画郎を立ち上げたのは、岡さんの他に小川てつオ君と水口孝一君で、彼らは1990年に小川てつオ君の呼びかけで集まった「ロシアノーパンギャルズ」というアートグループに参加した関係で知り合ったようです。

三人は、岡画郎最初の展示『窓際族』で、サラリーマンの格好をして窓際に置かれたデスクに座り続けたといいます。

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岡画郎があったビルの構造は少し変わっていたので触れておくと、建物の中心を貫くようにエレベーターがあり、エレベーターの周りを螺旋状に階段が作られていて、廊下はなく、各部屋は階段で結ばれていました。

なので、岡さんの部屋に行くには、通りの裏側にあるマンションの入口から階段を10段ほど下り、半地下にあるエレベーターホールからエレベーターで2Fへ、そこからさらに階段を10数段上る必要がありました。

岡さんの部屋自体はおおよそ4畳半の広さで、風呂トイレ付きでしたが、隣りに6畳くらいの広さのベランダがあって、ベッドなどを含む展示に関係のない家具や荷物は、すべてベランダに出されていました。

後述する岡画郎定例会で、参加者が多くて部屋に入りきれない時などは、ベランダに避難することもしばしばだったし、酒を飲み過ぎてベッドで寝ている間に体に落書きされたこともありました。

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岡画郎の展示は、窓際を板壁で塞いで板壁と窓の間に作品を展示することが多かったのですが、板壁以外にも展示に必要な道具類や双眼鏡をしまっておく箱などは全て岡さんの手作りで、そこに岡さんの大工としての技量が発揮されていました。

さらに、岡画郎では作品の展示以外に、毎週土曜日の晩に定例会と称した、誰が来ても構わないという会合を開いていました。

これは元々アーティストトークや、展示期間中のイベントを開催するための場だったと思われるのですが、後には次の月の展示内容を話し合いで決める場になったり、単なる飲み会の場になったりしました。

定例会には、とくに私が出入りし始めた当時は、美術家、音楽家、写真家、映像作家、ライター、詩人、パフォーマー、ダンサー、社会運動家といった、ありとあらゆる活動をしている人たちが出入りして、さながら、高円寺の文化の中心(のひとつ)になっていました。

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前述の通り私は、1995年11月に初めて岡画郎定例会に顔を出しました。

当時、ひどい失恋をしていました。今思うと、振られて当然、という成り行きではあったのですが、あまりに無防備だったため心に大きな傷を負ってしまい、見兼ねた友人が岡画郎の定例会に連れて来てくれたのでした。

ただ、その頃、あちこちで岡ガロウや小川てつオの名前を目にすることもあり、そのことがなくても岡さん達と知り合うのは時間の問題だったかも知れません。

ともかく、岡画郎定例会で多くの人達と交流することで、少しずつ失恋から立ち直ったのです。

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今回は、岡画郎があった第5下田ビルの全景を撮った写真を紹介しようと思ったのですが、見つかりませんでした。思うに、通りの向かいからだと極端にアオる必要があるため、撮影をしなかったのでしょう。

ただ、第5下田ビルの取り壊しが始まる直前に、少し離れた場所から撮影したことがあるのですが、岡画郎の後を継いだカフェ凹凹が2007年末に立ち退いて後、しばらくビルが取り壊されずに置かれた記憶もあり、いつ撮影したか思い出せないため、ネガを見つけられませんでした。

代わりに1998年の暮れに撮影した岡画郎の展示『夜光る』の写真を紹介します。

https://c1.staticflickr.com/5/4163/33710410043_918f7c884e_c

この展示は、夜間、岡画郎内を発光させることを意図して、部屋内に照明や鏡などを展示したのですが、個人が持ち込める照明に限界があったのと、電気容量の関係で、外から見ても発光している様には見えませんでした。

そこで、記録だけでも光っているようにと、長時間露光で撮影した、いわばやらせ写真です。

前述の通り、部屋と部屋の間が階段になっているため、隣の部屋と岡画郎が段違いになっていることが分かります。


【せきね・まさゆき】sekinema@hotmail.com
http://www.geocities.jp/sekinemajp/photos


1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔。


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編集後記(05/16)

●ホラードラマ「マギー」を見た。製作・主演はアーノルド・シュワルツェネッガー。そのウイルスに感染すると腐歩病(←字幕に出た)になって死に至るという、絶望的な近未来。たんにゾンビがわらわら出てきてむしゃぶりつくのではなく、ゾンビに至る経過とか隔離施設とかリアルな設定が鬱陶しい。

しかも、いままでとまったく違って、アクション要素がないシュワルツェネッガーで、その娘がゾンビ化して、といった情報を聞くとつまらなそうな予感がする。果たして、つまらなかったんだけど。主演の彼を含め、出演者の演技はみな上手だったが、ストーリーが面白くない。予想外の展開にならない。

家出して街に行った娘(マギー)がウイルスに感染した。父親は娘を隔離施設に送るのを拒否して、自宅で経過を見守ることにする。ウイルス感染者は一時的に食欲がなくなり、また戻る、それが隔離施設収容のタイミングだという。約二週間余、絶対に治ることはないとわかっている絶望の日々を送る一家。

この家族の幼い子供二人は親戚に預けられ、彼と妻と娘が一緒に暮らす。妻は再婚であり、娘とっては継母だという設定もあざとい。継母は必ず娘を見放すという展開は容易に読める。それでもこの母は決して非人情ではない。絶対に治らない、怪物化は止められないという設定なのだから、家を出るのは常識的な行動である。

途方にくれる父親である。なにも打つ手はない。隔離施設に入れるために娘を迎えに来た警官を殴り倒したりして、絶対に渡さないと抵抗するものの、選択肢は三つしかない。娘を死なせるために施設に送るか(拒否)、ゾンビ化を遅らすためだけの極度の苦痛を伴う薬を投与するか、ひと思いに殺すか。

「わたしの苦しみを終わらせると約束して。わたしにはもう無理だから。お願い、終わらせて、お願い」と娘に懇願されるも、父親は動けない。娘役(アビゲイル・ブレスリン)はじつにうまい。眉間にしわを寄せて寡黙なだけの、演技の巧拙が不明な(笑)シュワルツェネッガーをリードしているかに見える。

それにしても難儀なシナリオである。愛する家族のために父親は何をすべきか、こんな設定で問うべき問題ではないと思う。ターミネーターだってスーパーマンだってアンパンマンだって解決できない、絶対にゾンビ化をとめられないという設定なんだから。父親が戦う相手も、戦う意味もない設定なんだから。

シュワルツェネッガーはこのシナリオに惚れ込んで、アクション以外で俳優としての評価を得るために製作・主演したらしいが、選択を間違えたんじゃないのか。ゾンビ映画としても全然楽しめなかった。マギーといえばモデル、らしいが、妻はマギー司郎と言い、わたしはマギー・ミネンコと言う。 (柴田)

「マギー」2015・アメリカ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B01FH8GMNS/dgcrcom-22/



●武田さん、200回おめでとうございます! そしてありがとうございます!/iPhone故障話、興味深かったです。/PiTaPaが使えたらな〜。自分の環境ではSuicaより還元率が高いのだ。/道の向かいから双眼鏡で作品をみるなんて面白いなぁ。

/シンプルスマホ3というかAndroidスマホの続き。microSDカードは、2,000円も出せばそれなりのメーカー品が買えるはず。必要になった時には、もっと安くなっているかもしれない。勧められたカードは動作確認済みとのことだったが、この価格帯のものでも問題はないはずだ。

店員さんには、普段はGoogleアカウントやクラウドでバックアップを取るのでと断ったが、Googleのことを知らなかったら、高くても買う人はいるんだろうなぁ。

改めて友人に会った時には、カードが装着されていた。私に高くないよ〜バックアップは大切よ〜と言われ、携帯ショップに行って買ったらしい。やはり1万ぐらいだったらしい。

友人よ、すまない。1万を高くないと言ったつもりはなかった。フィーチャーフォン(ガラケー)は、そう簡単には壊れないもんなぁ。バックアップなんて意識しなくても良かったもんなぁ。それなのに予算外の1万って見送りたくなるよなぁ。 (hammer.mule)