ショート・ストーリーのKUNI[214]葬式なんかしなくていいんだってば
── ヤマシタクニコ ──

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「わしの一人息子である陽一へ。

わしはしばらく家を空けるが、ひょっとしたら二度と戻って来ないかもしれぬ。そのためにこれを用意した。いいんだ。いつかそういう日が来ると思っていた。

もしものときに際しておまえがどうすればいいか、わしはこのボイスレコーダーにすべて吹き込んでおいた。カラオケが趣味のわしにはこれが一番慣れ親しんだツールなのだ。どうだ。なかなかいい声だろ」

おれはひさしぶりに帰った実家で、ボイスレコーダーを聞いている。実家といっても古い団地の2DK。親父は母と離婚後、ひとりで暮らしている。いわゆる独居老人だ。

たまたま用があって昨日訪ねてきたものの留守のようだった。まあそんなこともあるだろう。そう思いながら帰ったものの、なんとなく気になった。

で、改めて今日来てみたが、チャイムを鳴らしてもやはり応答なし。急に胸騒ぎに襲われたおれは一旦引き返し、ずっと前にもらったまま放置していた合い鍵を探し出し、それを持ってやってきた。

最悪の展開も予想して。しかし、ドアを開け、灯りをつけてみると部屋は無人で、どことなくわびしい臭いがするばかりだ。そしておれは発見した。テーブルの上に「陽一へ」と書かれた封筒。その中のボイスレコーダー。

親父、どこへ行ったんだ……。まさか……。





「葬式は簡単でいい。わしは葬式にほとんど意味を見いだしていない。あんなもの、むなしいだけだ。生き残ったものの自己満足でしかない」

確かに……。

「葬式は全然しなくても、わしはかまわん。だが、別にしてもかまわん」

え、どっちなんだ。

「あまり大勢の人を呼ばなくていい。というより、そうだ。カラオケサークルの手柄山権造は呼ぶな。あいつはいつも、おれが歌おうと思っていた新曲をひと足早くマスターしてくるのだ。いやなやつだ。来なくていい。来たら化けてやる。ただし香典は受け取ってもいい。

高校の同級生の星田千吉も呼ばなくていい。試験の山を張るのが抜群にうまかったが、わしには絶対教えなかった。ケチの見本だ。でも香典はもらっとけ。ケチだからくれないか。

前の会社の同期で一番頭が良くてハンサムでモテモテで専務にまで出世した向山義隆も、腹が立つから呼ばなくていい。部内の三人娘といわれた佐々木三恵子、内田結衣、山本恵のうち内田結衣は呼ばないでほしい。性格悪いから」

けっこう難しいぞ、これ。

「親戚関係は岡山の兄に連絡すれば、あとの連絡は勝手にしてくれるだろう。親戚ネットワークのハブとなっているのが兄なのだ。いや、葬式はしなくていいが、するとしたらだ、あくまでも。誤解するな。葬式には興味はないと言ってるだろ。そうだ。遺影は用意してあるのだ。そこの棚の一番下の段にアルバムがあるだろ」

いや、そこって。ああ、ここか。わかるのがくやしい。

「そのアルバムの表紙をめくったところにはさんである写真を使え。かれこれ30年前に撮ったものだが、それを使ってほしい。今とそう変わらん」

いや、変わってるし。写真では髪がふさふさしてるが、今は全然ないし。顔も全然違うぞ。

「ただし、その写真では別れた女房と仲良く腕を組んでいる。悪いが、Photoshopで女房は削除してほしい。ついでにちょっと加工していい感じに仕上げてほしい。ほんのちょっと手を加えるだけで斎藤工そっくりになるはずだ。元が似ているからな。Photoshopなら簡単だろ。知ってるんだぞ。おまえがデザイナー……だったがクビになり、フリーに転じたものの仕事がさっぱり来ず、ひまを持てあましてることは」

ほっといてくれっ。

「わしもそれとなく気にはしているのだ。だから老人会の集まりでも時々『実は息子がデザイナーでして。PhotoshopもIllustratorもばりばりなんです』と言うのだが、『フォトチップがパリパリでどうしたんですか』というような連中だから、わしも『いやあやっぱり、じゃがりこはたらこバターが一番ですな』と言うしかない始末なのだ。『サラダ』もいいけどな」

何を言ってるんだ。

「くりかえすが葬式はしなくていい。だが、万一、することになったら、会場で流す音楽は、わしが去年のカラオケ発表会で歌った『北海ソーラン恋しや大盆踊り』にしてくれ。優秀賞でコシヒカリ5kgをもらったときの歌だ。音源はあそこの棚、つまりさっきの『そこの棚』の向かい側の棚にある」

葬式をしてほしいなら素直に言え。

「そして、遺ったものの始末だ。おまえも知っているように、わしは『もの』にはたいして執着がない。損な性分だな、まったく。で、押し入れの黄色い箱には昔はいていたベルボトムジーンズやVANのジャケットがしまってある。あと、各地のペナントとか、ドーナツ盤のレコードいろいろとか数学の『解法のテクニック』シリーズ、『チャート式化学』とか」

執着しまくりじゃないか。

「おまえが使ってもいいが、ヤフオクに出せば売れるんじゃないだろうか。知らんけど」

知らないなら言うな。

「その黄色い箱の後ろ、『資料』と書いた箱の中には、えっと、あの、とても楽しいビデオがたくさん入っている。おほん。お前も男だから、その、ほしいのではないかと思う。惜しみなく、全部くれてやる。ジャンルごとに分類して目録も同梱した。楽しんでくれ。ただしベータだけど」

いらないよっ!

「あと、女房が作った日本人形とか妙に手の込んだ縮緬細工とかが、黄色い箱の隣の茶色い箱にいっぱい入っている。なぜか残していったのだ。なんとなく恐ろしくて手が出せないのでおまえ、処分を頼む」

なんだそりゃ。

「思えば、わしは昭和○○年に岡山県○○郡○○町で生を受け、6人兄弟の三男として苦労続きの人生であった。○○町はこれという産業もなく父親には早くに死なれ、わしはものごころついたころからから歌がうまいと町中で評判であったが」

突然、ファミリーヒストリーか。めんどくさいので早送りする。

適当なところで止めて、また再生する。

「……早送りしたところに重要な情報が含まれていたりするんだよなあ」

よ、読まれている。

「そもそもおまえがここにやってきた理由はわかっている。金がないのだろう」

ううっ。

「そこでいよいよ本日のハイライトだ。わしにも若干の蓄えがある。銀行預金だ。さあどうする」

どうするって。なんだよこれ。親に遊ばれてるのかおれは。

「銀行のカードの暗証番号だが、まずわしの誕生日を4つの数字で表すだろ。それとおまえの誕生日を同じく4つの数字で表して、二つを合計する。それに3.14をかけて小数点以下を切り捨て、それを逆さまにした数字」

はあ?

「だと思うか。それとも、わしのひいひいおじいさんの誕生日だと思うか。戸籍謄本を取り寄せればわかるぞ。ひゃひゃひゃ」

だんだん腹が立ってきた。

「……そんなばかなことするわけないだろ」

親父の声が急にまじめになる。

「本当はな。おまえの誕生日なんだよ」

まじか……。

「たいした額じゃないけどな。頭の悪いおまえでも覚えやすいような番号に、最初からしてたんだよ。いや、本当はおれがおまえの誕生日を忘れないようにな。毎回、銀行で金をおろすたび、おまえの顔を思い出してたんだ」

よせよ、親父。なんだか……じいんとくるじゃないか……そんな……おれの誕生日を暗証番号に……ううっ……ずずー……。すすりあげたところでなんだか物音がして、玄関のドアが開いた。

「あれっ、なんだ、おまえ! 何してるんだ!」

親父だ。

「親父こそなんだよ、どこ行ってたんだ」

「どこって。カラオケサークルの一泊旅行で有馬温泉に行ってきたんだよ。一応、ひとりもんだから旅行に行くときは旅先で何があるかわからないし、いろいろ吹き込んで置いとくんだ。温泉がバクハツするかもしれないし電車が脱線するかもしれないじゃないか。で、たまたま帰りに打ち上げでまた盛り上がったせいで遅くなったが、よりによって、その間におまえが本当に来ると思わないじゃないか! いやなやつだな!」

「有馬くらいでいちいち遺言つくるなよ!」

「勝手だろ! ええっ?! おまえ、それ、全部聞いたのか?!」

「聞いたよ……だって陽一へ、と書いてあるし」

「えっ。じゃ、じゃあ銀行のカードの暗証番号も、聞いたのか?!」

「ああ。正直うれしかったよ、おれの誕生日を暗証番号にしてるなんて」

「ふ。どどどどうってことないさ」

「そういえば……明日だな」

「何が」

「おれの誕生日だよ。5月19日……え、暗証番号、0519じゃないの?」

「おまえの誕生日、5月19日だっけ?!」

「そうだよ」

「いつから?」

「いつからって。なんだ、自分の息子の誕生日、間違って覚えてたのかよ!」

「そのようだな。それにしても、かすってもいない。一体あれは何の番号なんだろう? いや、まあいいけど。というより、あーよかった……いや、なんでもないなんでもない」

「なんだよ!」

「まあいいじゃないか。それより、炭酸煎餅買ってきた。食うか」

「……食うよ!」


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近所のスーパーでいつもかかっているのはポップスのインスト。ちょっと昔に大ヒットしたような曲が多い。この間はアラン・ドロンの「甘いささやき」がかかっていたが、そしたら私の前で商品をカゴから袋に移していた年輩のご夫婦。だんなさんのほうが「パローレパロレパローレ〜♪」と曲にあわせて歌っていた。何か楽しそうだった。奥さんは無表情だったけど。