[4346] はぐれがとまどう〈作品〉という価値観

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《だって分からないんだもん》

■晴耕雨読[34]
 再び共謀罪ことテロ防止法のなにが問題なのか
 福間晴耕

■はぐれDEATH[29]
 はぐれがとまどう〈作品〉という価値観
 藤原ヨウコウ




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■晴耕雨読[34]
再び共謀罪ことテロ防止法のなにが問題なのか

福間晴耕
http://bn.dgcr.com/archives/20170519110200.html
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森友学園問題や復興相の失言などもあって、共謀罪ことテロ防止法の可決が遅れているので、以前も書いたが改めて共謀罪ことテロ防止法のなにが問題なのか書いてみたい。

前回はこの条文の中に著作権侵害など、一見テロ防止とは関係なさそうな膨大な罪状が検挙の対象になっていて、その中には運用次第では著作権法などで二次創作からカラオケやコンサートでの音楽使用などの一般生活にまで、大きな制限になりかねないという話を中心に書いた。

http://bn.dgcr.com/archives/20170317140200.html

その後、与野党の多くの議員の尽力もあって、何とかこうした二次創作や日常的な創作物の使用が共謀罪の対象にならないように調整が進められているものの、11日の与党と維新との法案修正では、この部分については後退しているのが実情だ。

さらに、きちんと内容が報道されてないせいなのか、共謀罪に関してはいくつか誤った言説も広まっているようなので、それらについて指摘したい。

まずよく言われている話では、テロ防止法は国連で求められている国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(TOC条約)に、日本が加入する為に必要な国内法整備だという話がある。

国連加盟国の中でこの条約にまだ加入していないのは日本を含めて11カ国しかなく、これに加入しないと組織犯罪の捜査に必要な証拠が外国にある場合にいちいち外交ルートで交渉しなくてはならず、犯罪者の引き渡しも捜査の協力も得られない(から共謀罪が必要)と言うものだ。

だがこれについては、与党の中でさえTOC条約に参加するために共謀罪を通す必要はないという指摘もある上に、仮に共謀罪を設定するにせよ277もの罪状を対象に入れる必要があるのかという問題がある。

結論から言えば、277の罪状を対象にする必要はまったくない。平成17年10月21日法務委員会質疑の中で、平岡秀夫元議員質疑への小野寺五典答弁で条約が要請する犯罪の範囲は、国内法の原則に反する場合の留保というのも当然に認められている事が指摘されている上に、肝心のアメリカ自身が連邦法が効果的に対応しているので、TOC条約に参加するために国内法を調整する必要はないと言っているのだ。

参照:http://anond.hatelabo.jp/20170502181320

また仮に、日本の国内法では条約が求める条件に達していないと言うのであれば、このTOC条約で名指しされている汚職に関する法律である政治資金規正法、公職選挙法違反が、今回の共謀罪に含まれていないというのはおかしな話だ。

話が出たついでに言えば、あれほど多くの罪状を対象にしている共謀罪では不思議なことに政治家が対象の公職選挙法、政治資金規正法、政党助成法違反はすべて除外されているほか、警察などによる特別公務員職権濫用罪・暴行陵虐罪は重い犯罪だがこれも除外されているのだ。

こうして見ていけば、今回のテロ防止法がテロ防止と言う名目ながら、テロ防止が目的ではないのは明らかだろう。テロ防止のために法整備や各国との協力が必要なのは理屈としてよく分かるものの、今回の共謀罪はあきらかにテロ防止は単なる口実に過ぎないのである。


【福間晴耕/デザイナー】

フリーランスのCG及びテクニカルライター/フォトグラファー/Webデザイナー
http://fukuma.way-nifty.com/

HOBBY:Computerによるアニメーションと絵描き、写真(主にモノクローム)を撮ることと見ること(あと暗室作業も好きです)。おいしい酒(主に日本酒)を飲みおいしい食事をすること。もう仕事ではなくなったので、インテリアを見たりするのも好きかもしれない。


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■はぐれDEATH[29]
はぐれがとまどう〈作品〉という価値観

藤原ヨウコウ
http://bn.dgcr.com/archives/20170519110100.html
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エカキだから絵を描いてなんぼなワケだが、ここんところ、どうも自分の絵の価値が分からなくなっている。

ボクは基本、挿絵がメインなので、与えられた小説を解釈して、その中からテーマなりモチーフなりをピックアップして絵にしているに過ぎない。作品とか創作とかとは縁遠い場所にいることは、前にも書いたので端折る。

だから、挿絵というレギュラーなお仕事で描く絵には、なんの疑問も持っていない。むしろ描いている時は確信犯である。

目的が明解だから、ボクの解釈と編集さん・作家さんとの摺り合わせが成立していれば、その確信は堅固なものになる。あくまでも挿絵として機能すればいいのだ。

もちろん、後から見て(本当に稀だが)「こういう手もあったかなぁ」と思うことはあるが、描いている時にやれることはやっている自負だけはあるので「しゃぁなし」で片付けられるのだ。

だが、このようにして描かれた絵が「作品」として評価されると、正直戸惑いを隠せない。ボクの中では「成果物」に過ぎないのに、それ以上の価値を見いだされると、自分でどう処理していいのか分からなくなるのだ。

「作品」についてのボクの価値観は、前に書いたような気がするのでさっさと飛ばす。とにかく、ボクとは縁もゆかりもない価値であることだけは断言しておく。

見る人がボクの絵に作品性を感じるのは、その人の勝手なのでボクがとやかくいうコトは何もない。ただ「ありがとうございます」としか言えないのだ。

もちろん逆もあって、「作品としてどうか」という風に感じる人もいるだろう。それはそれでいいのだ。しょせんは絵である。どのように評価するかは見る人に委ねる。

それでずっとやってきたのだが、ここ最近ボクを「作家」と言い出す人が増え始めて狼狽えているのだ。

考えようによっては良い傾向なのかもしれないが、ボクは自分をそのように評価していない。人の言うことの尻馬に乗るつもりも毛頭ない。

だが、この矛盾そのものは顕在化する一方であり、ボクはと言うと、この矛盾を解決しようなどとは露ほども考えていない。解決する暇があれば、絵を描いていたいだけの話だ。

こうした矛盾が露骨に表れたのは、ボクが描いた猫の絵が出回り始めてからだ。

猫がテーマの作品に沿って描いただけである。ボク自身はそこで完結している。新たに作品として新しく猫を描く、となると話は別なのだろうが(ちなみにその気は毛頭ない)絵の目的そのものが、他のベクトルに乗って再利用されるとなると、ボクの中で葛藤が始まる。

「目的そのものは挿絵だったものに別の目的を与える」という価値観にどうもついていけないのだ。

例を挙げよう。挿絵という明確な目的に基づいて描いたのが昨年の三月であり、書籍は同年六月に刊行された。ボクはここでこの絵に区切りをつける。まぁいつものパターンである。

ところが、この絵を見た人が「作品」としての位置づけをすることにより、ボクは四苦八苦しなければならない。なぜなら、同じ絵でも目的が変われば見た目の変化がなくても、ボク自身は間違いなく手を入れるからだ。

だって「作品」として描いた絵じゃないもん。

ところが、「作品」という価値観がボクには理解できない。当然のことながら手探りになる。それなりに手を入れるが、本当に「作品」として成立しているのかどうかボクには皆目見当もつかない。

そうしたオーダーを受けて納品(?)したものが、先方にとって満足したという事実だけが残ってしまい、ボクの中では疑問符が増える一方なのだ。その上、同じネタを使い回すとなると、これはもう苦痛以外のなにものでもない。

正直、何がどう良くて、何を評価されているのか、さっぱり分からない。

ところが、悲しいかな頼まれるとイヤと言えないアホなボクがいる。褒められているのか、おだてられているのか、単に便利屋として利用されているのかすら分からん。

百歩譲って、便利屋としていいように使われているのなら、まだ対応のしようもある。報酬を求めればいいだけの話だ。だがその線すら怪しげで、ボクのもやもやは増加の一途を辿ることになる。

ここに更なる二次利用、三次利用が加わると、もう手の施しようがない。相手に悪気がないだけに始末に負えない。もちろん、それなりの報酬をこれまた求めれば済む話だが、どうもボクはお人好しらしい。

ただ、こうした事態は憂慮すべきことだと認識はしている。こんなことがまかり通るようなら、他の同業の皆様に迷惑が掛かることになる。

遊びでやっているわけではない。どう評価されようがプロであることは間違いないし、プロである以上報酬を受け取るのが当然であり、これを怠ることは決して許されるべき問題ではない。

実際、この手の問題は同業者の間でも悩みの種になっている。「Aさんはお金を要求しないのにBさんはお金を要求する。だからBさんは金に汚い」というアホな状況が蔓延している。要求してもしなくても、損をするのはエカキなのに。

つい先日納品したモノに至っては、本当にボクの絵なのかどうかすら分かっていない。目的に応じて「こうあるのが良かろう」と作ったモノが、「作品としてはこうしないとダメ」と言われてしまうと、もう言いなりになるしかボクには術がない。

だって分からないんだもん。こうなるとただのオペレーターである。馬鹿馬鹿しいにも程がある。贅沢だという人もいるかもしれないが、ボクにとっては堕落以外のなにものでもない。

万が一、この絵がまたまた別の評価をされても、ボクとしては対応のしようがない。かてて加えて、さらなるバリエーションを示唆されているので、正直げんなりしている。

そりゃ応用の仕方ぐらいはいくらでも考えられるし、それなりのロードマップを自分の中では既に作っているのだが「またこれか」と思うと、モチベーションは加速度的に落ちる。落ちるというか撃墜に等しいな。

本音を言えば、さっさと片付けてしまって本業に戻りたいのだが、「評価」というヤツを待たなければいけないので、そうも出来ない。

別件で、新規に依頼されている猫の絵があるのだが(ちゃんと元ネタはあります)、これにすら着手できない。

並行していくつもの作業が出来ない、というアホな性癖が表れているだけの話なのだが、こっちはこっちで結構ハードルが高いのだ。ちゃんと身辺を整理して臨まないと、ロクなコトにならないどころか、完成すらおぼつかない。

「仕事は並行して同時にするもんや」という人もいるが(大多数の人が同意するのは理解している)、出来ないものは出来ないのだ。

極端な話、一般の人に「100mを9秒台で走りなさい」と要求するようなもんで、ボクにしてみれば逆立ちしたって無理な話である。

百歩譲って、それが出来ればそもそもエカキにすらなっていないし。出来ないから特殊なエカキになったのだ。ここまでくると、アイデンティティーの危機である。

同時期に複数の〆切が重なることはあるが、ボクは絶対に並行して作業を進めない。一つづつ片付ける。それでもちゃんと〆切には間に合わせる。

こういうことが出来る速度をボクが持っているだけで、この速度がないとボクはお仕事が出来ないであろうことは、この稼業を始める前から覚悟していたし、それなりの訓練をしたというだけの話である。

エカキだから絵を描く。それはそれで構わないし、実際エカキなんぞその程度のものだとボクは思っている。「作品を作って」と言われれば、ボクにだってそれなりの体裁を整えることも出来る。創作じゃないけど。

あくまでもテキストベースの絵しか、ボクは描かないし描けない。だから、依頼した人にとっては、その絵が「作品」だったとしても、ボクの中では「特殊な挿絵」の範疇を超えることはあり得ないのだ。

「自らの可能性を否定しているのではないか」という疑問をお持ちの方もいるかもしれないが、文章の解釈というのはそれだけで奥が深いし、それに応じた表現となると、もう千差万別であり、歳を重ねれば重ねるほどその豊潤さに気がつかされ、追いつこうと必死になるだけで十分人生は全うできる。

むしろ、このような状態に特化すること自体に、ボクは無限の可能性を感じているし、だからこそこの場に留まっているのだ。退屈ならとっとと別の場所に移動してます。

ボクの描く絵はこんなもんである。他の人は知らん。興味もないし。人は人、自分は自分である。

妙な付加価値を押しつけられて「要求に応じられなかったら作家としてダメ」と言われても、こっちは困るのだ。そもそも作家じゃないんだから。

とことん自分中心に言えば「作家として使いたいならそれなりの対応をしてもらわないと」にしかならないではないか。

「それなりの対応」とやらがなんなのか、さっぱり分からない、というのは内緒だ。その点、挿絵は明解なので気楽である。

ちなみに、純粋に遊びや趣味で絵を描くことはあり得ない。落書きだろうがなんだろうが、エカキの描く絵はそれなりの目的がある。

持っている技術を更に洗練させたり、新たな技術を得るためだったり、更なる表現の模索だったり、実験だったり、それらはすべてボクの場合、挿絵に反映されることを目的としている。

ここまで目的が明解なのは、ボクが単に「エカキである」という立場を崩そうとしないからだ。極めて単純なこととしかボクには思えないのだが。

逆に言えば、これらの試みそのものが、即座に換金されることはあり得ない。あくまでもボクの問題であり課題だからであり、ちゃんとお仕事が出来る状態を保つために必要不可欠な日常なのである。ここで手抜きをすることは、自らを欺くことに他ならない。

ただ、こうしたボクの姿勢とエカキとしての評価は別モノである。評価はとことん他人任せにするしか仕方がない。お金が動く以上は当然の帰結である。

ボクは以前に描いた絵を使い回して、それで口に糊することを潔しと出来ない厄介な性格の持ち主である。自分でも厄介だと思っている。素直に有り難く思って、言われた通りに提供すればいいだけの話なのだが、こんな簡単なコトが出来ない。

実際、今使い回している猫の絵だって、当初からすればほとんど別モノである。使う度にアップデートを加えているし、データ上では完全に元の状態から遠く離れたモノになっている。

見た目の印象を変えずにここまでアップデートした、という事実がボク以外の人に理解できなくても構わないのだが、ボクにとってはかなりの苦痛と困難を伴う作業だったことが、ボクの中で棘のように刺さっている。

何か新しい試みが自分の中であれば、まだ救いがあったのかもしれないが、そんなものは皆無である。もし何か新しいコトがあったとしても、ボクがそれに気がつかなければ無意味であり、実際ボク自身はなぁんにも気がついていない。

そもそも落としどころが分からない作業など、ボクに言わせれば愚の骨頂であり、徹底的に排除するべき方法論である。あくまでもボクの場合です。

他の人がどうしようが知ったこっちゃない。ボクが忌諱しているだけの話で、他の人に押しつける気は毛頭ない。

落としどころなんかは自分の中で整理をつけるか、担当さんと打ち合わせをして決めてしまえばいいだけの話なのだ。落とす場所さえ間違えなければ、何をしても構わないとすら思っている。

実際「こうきましたか」と言われることはよくある。だが、ちゃんと打ち合わせた落とし場所に落としているのだ。こんなことばっかりしているから、お仕事が来ないのかもしれないけど(笑)

とにかく評価は「第三者次第」という現実は変わらないし、ボクがどうこうできる問題でもない。実際、解決策なんざ何も思いつかないし。エカキである以上、この状況を受け入れるしかないのだ。

今はとにかく早く次のお仕事に取りかかりたい、という素朴な願望しかない。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com/
http://blog.livedoor.jp/yowkow_yoshimi/

装画・挿絵で口に糊するエカキ。お仕事常時募集中。というか、くれっ!


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編集後記(05/19)

●自他ともに「懲りない男」と称されるわたしである。よけいなことをやったり、言ったり、書いたりして、痛い目にあってきた。忘れたふりをしているが、唐突によみがえる過去の失敗や屈辱の記憶に、ときどき落ち込むことがあり、僕はメンタル弱いのかな〜と思い(笑)、百田尚樹「鋼のメンタル」を読んだ。

メンタルは鍛えられるものだ。全メディアから叩かれてもめげない一民間人、ネットで炎上しても平気な百田はそう断言する。百田は小さいときから口が悪く、そのせいで散々痛い目にあってきた。考えが浅く、やることなすこと失敗ばかり、その度落ち込んだ。それが図太さを作りだしていたらしい。

同じような経過を辿ってきたわたし、もしかしたら図太いのか。いやいや、すぐに傷つく繊細な(以下略)。「最初はへこんだけど、よく考えたらどうってことないや、そう思えたとき精神の耐久力がアップしている。人体の使わない器官はどんどん弱くなる。精神力も使わないとどんどん弱くなる」なるほど。

口論テクニックを披露しながら、そんなものは別に身についていなくてもいいと書く。口論で相手を言い負かせば、必ず恨みを買う。無駄で馬鹿馬鹿しいからやめなさいと。わたしがなぜ口論テクに関心があるのか。妻相手の口論に連戦連敗だからだ。グヤシ〜。内容が生き方の本質に関わるものではない、ささいなことだが。

「永遠の0」の誕生秘話が素敵だ。仕事を減らして執筆活動に励んでいると、妻が来て聞く。その原稿いつ終わるの、いま家計が大変なの、と深刻。原稿は半分くらい書き進み、乗ってきたところで一気に書きあげたい。「とりあえず、書いたところまで読んでくれへんか」とプリントアウトの束を渡す。

3時間後、妻は再びやってきてこう言う。「家計のことは私が何とかやりくりするから、これを仕上げて下さい」。10年前のこのときの言葉を思い出すと今も感謝の気持ちでいっぱいになるという。500万部越えの大ベストセラーになったが、その時は出版のあても、まして売れるかどうかも分からなかった。

数か月後、原稿を完成、幸運にも出版できた。小説家として第二の人生に漕ぎ出すことができた。原稿を読んだ妻は、いま夫がやるべきはテレビの仕事を復活させることでなく、この原稿を書き上げることだと思ったのだ。臆面もなくこんなエピソードを出して、と思う人もいるだろうが、わたしは感動した。

百田が自分の悪口を検索して、それを読んで大笑いしているので家族はあきれ果て、あの神経は理解できない、あれは鋼のメンタルやで、と言ったという話をしていたら編集者が食いつき、どうしたら百田のようなメンタルを持てるのか、それを書いてくれということで出来た本。新書判一冊だからすぐに読了。

残念ながら、これ読んでも「鋼のメンタル」は持てない。メンタル強化メソッドが書かれた本ではない軽量級。よし、明日から言いたいことをもっと言ってみよう、と思えた人は素直ないい読者だ。あとがきで、「空気を読むな」という。それだったら、わたしは達人だ。いいことはあまりないが……。 (柴田)

百田尚樹「鋼のメンタル」新潮新書・2016
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106106795/dgcrcom-22/


●ウォーキングで劇場の近くを通った。6時半頃だったと思う。楽屋口と搬入口に高齢の女性が15人ほど。

今日何かあったっけ? 見ると「芸能生活55周年記念 舟木一夫特別公演」とあった。5月の2/3もの間続けて行われる公演である。その日一日きりの公演ではないのである。

その夜に、家人に話すと、6時頃に何回か通ったが、窓口にも当日券を求めるご婦人方が列をなしているのだと言う。

その後、昼前や夕方にも何度か通ったが、毎回ご婦人方が待っていらっしゃる。恐るべし、舟木一夫。

/たまに出演者が出てくるところに出くわす。印象的だったのが宇梶剛士さん。駐輪場の端に立ち、列になった人たち一人ひとりと握手に会話。丁寧かつきさくに対応されていた。/人気のある元タカラジェンヌが出演する公演は、出待ち人数が多い。遭遇したことないけど。(hammer.mule)

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http://www.shinkabukiza.co.jp/info/20170503info06.html