わが逃走[202]YMOを語るの巻 その3/齋藤 浩

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前回までのあらすじ:昭和50年代半ば、S玉県O宮市に住むひとりの小学生男子がYMOの音楽に度肝を抜かれたわけだが、いかにして度肝を抜かれたか、記憶が鮮明なうちに書き留めておこうと思い筆をとった次第です。

『イエローマジックオーケストラ(US盤)』B面に針を落とす。

大袈裟でなく、“新世紀への夜明け”を感じた。

東風、中国女、ブリッジ・オーバー・トラブルド・ミュージック、マッドピエロとノンストップで続く。

わ、全曲つながってる!というのも小学生には新鮮だった。

後年知ったことだが、B面の曲名はいずれもゴダールの映画に由来する。このあたりにも小難しい=カッコいいという、少年の誤解を助長させるに充分なパワーを備えているといえよう。




●東風

美しい曲である。

カッコいい、新しい、正しいというのはいずれも西洋的なもの、という認識が当時の小学生にはあったのだが、その固定観念を根底から覆した曲。大陸を感じる。とてつもなく広い。

ブラックでもホワイトでもなくオレはイエローだ! と拳を掲げて主張したくなったのである。小学生が。

生まれてから10年間、極東の島国で欧米文化こそ正解という、ちょっと違和感のある常識の中で育った子供が解放されたような?

いわば運命の曲だ。

このとき、ミュージシャンを目指してもこの人たちは超えられないだろうから、ならばYMOのレコードジャケットをデザインする人になろう。と、わりと本気で思った。

これが私のデザイナー人生、tong-poo graphicsのはじまりでもあった。

●中国女

ポーンというシンドラの音からピンクレディーの『サウスポー』を想起させ、10歳の少年はなつかしいな〜と思った。

小学生のくせに「なつかしい」とは生意気な、とお思いでしょうが、考えてもみてください。10歳における2年前とは50歳における10年前と同じなのです。

しかも、50歳の時間があっという間に過ぎ去ってゆくのに対して、小学生は“永遠に続くと錯覚するような2学期”を毎年経験しているのですよ。なので、「なつかしい」は正解なのです。

で、この中国女、最初はライディーンのバージョン違いかと誤解したっけなあと懐かしむ。インスト曲かと思えば最後にボーカルが入る。

歌詞の「Junk sails on a yellow sea」を「あんたらはイヤラシーって言ってるー」と当時の小学生は喜んでいたものだなあ、とさらに懐かしむ。

ここからじわじわとグラデーションのように曲間をブリッジするサウンドが。これぞ名曲『ブリッジ・オーバー・トラブルド・ミュージック』。

●ブリッジ・オーバー・トラブルド・ミュージック

マッドピエロの前奏なのか、はたまたA面からの流れの総括なのか。

今まで直列ですっ飛ばしてきた物語が横一列に並び、映画の回想シーンがスクリーンから溢れ出すような、デジタルな無機的なはずのサウンドが微生物のように増殖、増殖、増殖。

これも曲なのか? 小学生は思った。

こういった驚きとか、初めて触れる衝撃、といったものを誘発する要素は、YMOの全ての楽曲に含まれている。

●マッドピエロ

ブリッジ・オーバー・トラブルド・ミュージックからの流れ、そしてこの小気味よい始まり方がスゲーカッコいい〜! って涙したものよ。

『MASS』に似ているとも思ったけど、陰鬱なそれに対し圧倒的に元気。『中国女』でも感じたことだが、作曲家が好きな“音の並び”ってあるんだな。

そのとき、大陸からヨーロッパに抜ける地図が浮かび、さらに広大な風景が脳裏に広がった。

この瞬間、YMOは“シラケ世代”の悲観的小学生に、夢と希望を与えてくれたのだ。

私は「誰にも迷惑をかけずにひっそりと死にたい」と考える子供らしくない子供だったので、今思えば、生きる希望といったものを音楽が与えてくれたということなのだろう。

うん、YMOのいいところは暗さの中に光が見えるところだな。

つづく


【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
http://tongpoographics.jp/

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。