まにまにころころ[119]ざっくり日本の歴史(後編その34)本当にざっくり日本史ふりかえり/川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito

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コロこと川合です。前回、高知だ土佐だと書いていたら、また龍馬絡みの話がニュースになっていましたね。

・坂本龍馬最長の手紙、実物発見 兄に寺田屋事件つづる
「西郷隆盛が助けに来ようとしてくれた」
http://www.sankei.com/life/news/170616/lif1706160005-n1.html

写しが残っていた手紙の原本が発見されただけなので、新発見はありませんが、今なお直筆の書簡がこうして出てくるのは嬉しい話で。没後150年経っても、まだ坂本龍馬を身近に感じられるような、不思議な感じです。

何千年前もの記録が出てくるくらいだから、150年なんて実際、歴史的にはつい先日くらいの話なのかもしれませんけどね。今これを読んでる方の曾祖父か、そのもうひとつ先代くらいの話ですもんね、150年なんて。

「ざっくり日本の歴史」も、ここら辺でひと区切りつけようかと思っています。明治からこっちは、なんていうかまだ、「歴史」って感じがしなくって。

生々しい感じがするし、色んな意味で面倒な時代になってくるし。(笑)

歴史関係の話は続ける気でいるんですが、国を変えるか、切り口を変えるか、次回からは別の話にしようと思います。

ということで、今回、最終回。

本当は「ざっくり日本の歴史」は、全1〜2回で終わらせるつもりだったんです。それがついつい長くなってしまったので、初心に返って本当にざっくり日本史を振り返ってみたいと思います。




◎──縄文時代(約1万5000年前〜紀元前4世紀頃)

縄文より前の話も、縄文時代も、この辺は基本的に遺跡から発掘されたものがその時代を知る手がかりです。石器とか土器とか貝塚に捨てられたものとか。

石器で見ると、縄文以前は、旧石器時代。縄文時代は新石器時代となります。縄文時代に入ってからは、竪穴式住居というおうちも作るようになりました。青森の三内丸山遺跡に行ったら、住居なども再現されていましたので、是非一度行ってみてください。

土器に縄目の文様がついていたことから、縄文土器と言われ、それが使われた時代を縄文時代といいます。

以前は縄文時代の生活は狩猟や採集が中心で、稲作が始まったのは次の弥生時代ってことで区切られていたんですが、どうも縄文時代だとしていた区切りの後ろの方ではもう稲作が始まっていたとかなんとか、新発見のせいで話がぶれてきています。今の学校ではなんて教えてるんでしょ。

◎──弥生時代(〜3世紀中頃)・古墳時代(〜7世紀末頃)

弥生時代は、稲作が生活の中心になっていった時代。米を作るようになって、食料の貯蔵がしやすくなったため、「持つ者」と「持たざる者」が発生。また、定住が基本となりました。

そうすると集落ができ、縄張り争いが分かりやすい形で発生することに。日本列島の中にいくつものクニが出来ました。

クニは互いに争ったり、後ろ盾を求めてお隣の大国・中国に貢ぎ物を送ったり。この辺の時代のことは、中国の歴史書などからうかがい知ることが出来ます。

『漢書』地理志には、当時の日本は百余国に分かれていて、その中の何国かは漢の楽浪郡に貢ぎ物を送っていたことが記されています。また57年には奴国王が後漢から金印を授かったと『後漢書』東夷伝に記載されています。

そこから少し時代が下って、国内の乱れを卑弥呼が治めたとか、魏に貢ぎ物を送ったとかという話が、『魏志』倭人伝に記されています。

日本の歴史書はもう少し先、残っているものでは日本書紀の登場まで待ちます。

なんだかんだの後、古墳を作るような豪族が畿内に多く現れた時代が古墳時代。ちょうど266年から413年の間、中国の歴史書に日本の話が出てこなくて、その間のことがちょっとあやふやになっています。

卑弥呼が亡くなった少し後から、倭の五王がどうのこうのって辺りまで。邪馬台国はどこにあった、大和王権はどこから現れたと、ずっと論争になっているのはそのせいです。

日本書紀にある程度書かれているのですが、日本書紀が完成したのは720年で、しかも神話的な話から始まっているし、他に記録がないから裏が取れない。

『晋書』や『宋書』に倭の五王のことが出てきて、日本書紀などの記述とすりあわせて情報が得られるようになりますが、分からないことが多い時代です。

どうも畿内に大和王権(大和朝廷)ができたっぽい。

◎──飛鳥時代(592年〜710年)

奈良の飛鳥に都が置かれていた時代。聖徳太子が活躍した時代ですね。この辺からは日本でも色んな記録が残されていて、あれこれ分かるようになります。

天皇を中心とした政権が成立していますが、蘇我氏や物部氏などの豪族もまた強い力を持っていた時代です。蘇我氏が力を伸ばしますが、645年に乙巳の変で中大兄皇子と中臣鎌足に潰されます。

ここから始まる改革が大化の改新です。天皇がはっきりと力を持って政治を行う時代が作られます。

中大兄皇子は後に天智天皇に、中臣鎌足は後に藤原鎌足に。この先に活躍する藤原氏の始まりです。天智天皇が亡くなると、跡目を争って弟の大海人皇子と息子の大友皇子が対立する壬申の乱が起こり、大海人皇子が勝って天武天皇となります。

日本の古代史で一番盛り上がるのは、この天武天皇あたりですよね。里中満智子『天上の虹』『長屋王残照記』『女帝の手記 孝謙・称徳天皇物語』を是非読んでみてください。きっと、天武天皇の時代から奈良時代にかけてが好きになります。

◎──奈良時代(710年〜794年)

元明天皇が平城京に都を移してから、桓武天皇が平安京に移すまでの時代。短い期間ですが、藤原氏が政治力を振るい国家を整え、また鎮護国家を謳って仏教文化が花開いた時代です。詳しくは里中満智子のコミックでどうぞ。(笑)

奈良時代の特徴として押さえておきたいのは土地関係の政策。大化の改新から、土地は国家のもので、それを貸してやるから税を納めろという班田収授の法と呼ばれる仕組みが提唱されて、なんとなくそれがちゃんと運用され始めたのが戸籍の作られた奈良時代。

でも、よーし頑張って耕すぞ、頑張って納税するぞ、とはならなくて。723年には三世一身法を出して、新しく開墾したら、三世代は土地を所有して良いよとルール改定。

それでも上手く行かず、743年にはもう、開墾したらお前のものだという墾田永年私財法が。そうすると貴族は人海戦術で土地を広げて、私有地を増やしていきました。

◎──平安時代(794年〜1185年・1192年)

桓武天皇が平安京に都を移してから、鎌倉幕府が成立するまでの時代です。まあ平和というかなんというか、色々あったものの、今に残る日本の文化の多くが生まれた、日本を代表する時代です。

政治的には藤原氏が摂関政治と呼ばれる形で牛耳っていた時代。牛耳っていたというと悪く聞こえますが、それなりにちゃんと運営していました。途中までは。長いので、そりゃ色々起きますよね。

色々起きたのは、先述の墾田永年私財法のせいだと思います。土地争いが勃発。土地を守るために武力を持つようになっていき、力こそ正義の時代へと。武士の台頭です。まず平氏が力を持ち、そしてそれを討った源氏が国政を担う時代に移ります。

◎──鎌倉時代(1185年・1192年〜1333年)

1185年は平氏を滅ぼして実権を掴んだ年、1192年は征夷大将軍に任命されて、武家の棟梁としてお墨付きを得た年。面白いのは、平氏にしても源氏にしても、権威としての天皇や朝廷はそれなりに立てているところ。取って代わろうとはしないんですよね。

天皇を中心とする朝廷の存在は、単なる政治機構ではなく、国の根本を成すものとして考えられていたということだと思います。以降も、天皇になろうとしたものはいても、潰して成り代わろうとするものは現れず、今に至ります。

さて、征夷大将軍として国政の大部分を担った源氏ですが、たった三代で姿を消すことになり、初代の嫁の家系、北条氏にその座を譲ります。その北条氏も、天変地異だの元寇だのに力をそがれて、1333年、足利氏に追い落とされます。

◎──建武の新政(1333年〜1336年)

足利氏たちを従えて鎌倉幕府を討った後醍醐天皇は、武家から政権を取り戻し天皇親政を行おうとします。が、当然というか、足利氏は反発。失敗します。詳しくは『太平記』でもご覧ください。(笑)

『太平記』に丸投げしましたが、この鎌倉末期から室町初期もまた、日本史の重大な局面です。楠木正成が後醍醐天皇の無茶振りに苦しみながらも、その忠義を貫いたことは、後々になってボディブローのようにあれこれ影響してきます。でもまあ、長くなるのでその話は省きます。

◎──室町時代(1336年〜1573年)

南北朝の時代から織田信長の時代までが室町時代。足利尊氏が擁立した北朝と後醍醐天皇の南朝との対立が収まり、南北朝が統一されたのは三代の義満の時。

そこからしばらく安定しますが、1467年の応仁の乱などを経て、世は群雄割拠の時代に突入。日本史の華、戦国時代を迎えます。1573年、信長が将軍である足利義昭を追放して、室町幕府は幕を閉じます。

◎──安土桃山時代(1573年〜1603年)

台頭した織田信長は1582年に、本能寺の変で明智光秀の謀反によって討たれ、その光秀は羽柴秀吉に即座に討たれます。織田家中での勢力争いをものにした秀吉が国内を手中に収めますが、死後、徳川家康に取って代わられます。もう、この辺はあまりに有名なので全部省きますが、一番好きな時代です。

◎──江戸時代(1603年〜1868年)

日本を手中に収めた徳川家康は、江戸を中心として政治の仕組みを整えます。1603年に征夷大将軍となった家康ですが、完全に国内全体を手にしたのは、1615年に大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼしてから。家康が亡くなるのは1616年と、その直後のことですので、実際には着々とあれこれ準備していたんでしょう。

準備というか、徳川の時代は織田の時代からほぼ地続きで、織田・豊臣・徳川とトップの家は変遷したものの、三代がかりで築き上げた集大成が江戸時代と言えるんじゃないかと思います。

なんにせよ、先の二人の政治を振り返ってか、統治機構を上手く整えた徳川は、250年ほど続く一時代を築きました。もっとも、例に漏れず、緩やかに崩壊していくわけですけども。

崩壊の速度を一気に速めたのが、1853年の黒船来航。外圧をきっかけにして、幕府をなんとか建て直してことにあたろうとする者と、幕府をいったん潰してことにあたろうとする者に大きく二分されます。

幕府を潰した面々がその後の中心になっていくので、幕府潰しに奔走した者は維新の志士として称えられます。有名どころは、西郷隆盛たち薩摩・長州の者。間を取り持った土佐の坂本龍馬も維新志士。

反対側、幕府方で有名なのは会津と、その庇護下にあった新選組たち。勝った薩長を中心にして、新しい日本が作られていきます。

◎──明治時代(1868年〜1912年)

都を東京に移し、版籍奉還、廃藩置県を経て政治機構が整えられていきます。その過程では欧米諸国を参考にして、一気に近代国家へと変貌していきました。政党ができ、国会ができ、憲法が作られ、国の形が整ってくると、外へと向く目が強くなり、いくつかの出来事を経て、日清戦争へと向かっていきます。

◎──ざっくり、ここまで

日清戦争以降を期待していた方、すみません。だって、そこまで行ったらもう、現代までノンストップじゃないですか。面倒くさい話になるのが目に見えてるじゃないですか……ということで、ここで逃げます。

要望がいっぱいあれば、考え直すかもしれませんが。(笑)

次回からどうしようかまだ悩んでいるのですが、ずっと前にちょこっと触れた、『武教七書』とか『四書五経』とか、あるいは儒教関係の書物とか、日本史に影響を与えた中国の古典や思想を取り上げてみようかなと思っています。でも、全然違う話にするかもしれません。直前まで悩むことにします。


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
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ええ、チキンですとも! 骨なしチキンですとも!