[4386] はぐれはハザードマップと古地図を照合して歴史を遡る

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《ドールやアクションフィギュアがお勧め》

■晴耕雨読[36]
 女性ファッションやお化粧を知る必要性
 福間晴耕

■はぐれDEATH[35]
 はぐれはハザードマップと古地図を照合して歴史を遡る
 藤原ヨウコウ




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■晴耕雨読[36]
女性ファッションやお化粧を知る必要性

福間晴耕
https://bn.dgcr.com/archives/20170714110200.html

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・いわゆる男の娘が社会的に女の子として生活し始めて思ったこと
https://anond.hatelabo.jp/20120716035540


冒頭のLinkは、女装に目覚めた人がそのノウハウを獲得していく話だが、実は女装趣味とは縁がなくても、この手の知識を身につけたほうが良いジャンルが結構ある。

それは別に弓月光の「甘い生活」みたいな、ランジェリーメーカーのような話ではなく、イラストレーター・漫画家・カメラマンとして、女の子を描いたり撮ったりする場合だ。

いろんなところで言われているように、男性作家はここらへんが結構弱い。それでも、ちゃんと女の子を描けるならいいじゃないかと言われそうだが、やっぱりお化粧やファッションを知っていた方が、引き出しは広がるし女性読者の受けもいい。

そして、結構今ではネットもあって、多くの人がチェックしているせいか、変なファッションをしていたり、そもそも着付けがおかしいと直ぐに誰かが指摘するし、詳しくなくてもやっぱり何か変に感じるものなのだ。

そして長年のノウハウが蓄積されているだけあって、化粧法というのは顔を描いたり撮ったりするときにも、とても参考になるのである。

そして、実際にこれまで仕事などで接したことのある、一流のイラストレーターやカメラマンの方は、男性であっても実にこうした知識が豊富だった。

だいぶ前の話だが、ある企業広告で予算が足りないという理由で、社内で可愛い娘を使って撮ろうという話になった時、カメラマンの方がその娘よりもはるかにファッションやお化粧に詳しくて、結局その方のコーディネートで、服や小物を選んだ事もあった。

さすがにメイクや買い物指南は、カメラマンの奥様がやっていたが、確かに選んだチョイスは完璧だった。

そういえば、名前を出していいかわからないので一応名は伏せるが、誰もが知っている有名マンガ家の家には、資料用にマネキンと様々な洋服や下着があると聞いたこともある。

そうはいうものの、さすがにマネキンや本物の下着や洋服は、抵抗があるという人も多いだろう。そういう人には、ドールやアクションフィギュアをお勧めしたい。

最近の造形技術の進歩は凄いものがあって、1/6の大きなサイズのドールはもちろんのこと、1/12の一般的なアクションフィギュアやドールでさえ、ボディから衣服まで素晴らしく再現されていて参考になるのだ。

とはいえ、ここまで書いておきながら、実は自分もこの部分はかなり弱い。いまだに洋服の名称を間違えて友人の娘に笑われたり、基本的なブランド名すら判らないのが実情だ。

せめてファッション誌くらいはチェックすべきなのだろうが、結局めんどくささと気恥ずかしさで先送りになっている。


【福間晴耕/デザイナー】

フリーランスのCG及びテクニカルライター/フォトグラファー/Webデザイナー
http://fukuma.way-nifty.com/


HOBBY:Computerによるアニメーションと絵描き、写真(主にモノクローム)を撮ることと見ること(あと暗室作業も好きです)。おいしい酒(主に日本酒)を飲みおいしい食事をすること。もう仕事ではなくなったので、インテリアを見たりするのも好きかもしれない。


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■はぐれDEATH[35]
はぐれはハザードマップと古地図を照合して歴史を遡る

藤原ヨウコウ
https://bn.dgcr.com/archives/20170714110100.html

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正直言ってボクは、近畿地方の地理にそれほど詳しいわけではない。むしろ、知らなすぎるくらいだ。さすがに京都市内はある程度把握しているが、伏見近辺となるとここ一年の知識しかない。

こんなボクが、唐突に近畿地方の古地図に興味を抱いたのは「津波ハザードマップ」を見てからだ。パッと見た瞬間「?」となった。

大阪市内で妙な場所が、オレンジ表記(安全な場所)になっているのだ。後で知ったのだが、これは上町台地である。これがキッカケでそれまで「なんか変やな?」と思っていた疑問が、雪崩のあとように表面化した。

今回はちょっとした古代史を古地図から推測してみる。

http://www.imart.co.jp/10.30-osaka_all-hyoukou-m

ボクが上町台地の存在を知識として知ったのは、石山本願寺跡である。今の大阪城がほぼ同じ位置にある。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2c/UemachiDaichiss

戦国時代の一向一揆の総本山として、難攻不落を誇った石山本願寺は上町台地の北端に位置し、北は淀川水系、東西は低湿地帯、陸続きの備えは南に集中すればいいだけの地の利を生かしている。

信長は石山本願寺を攻略するのに足掛け10年近くかかっている(元亀元年9月12日(1570年10月11日)〜天正8年8月2日(1580年9月10日)にかけて)。しかも最終的には和睦という、信長にとっては屈辱的な、勝利とも言えないような勝利である。

和睦が成立し、顕如の長男である教如が退去した直後に、堂舎・寺内町が炎上して灰燼に帰し、二日一夜炎上し続けたと伝わっている。石山本願寺は、織田軍の長期の攻撃にも関わらず、武力で開城される事はなかった。ともかくも、信長のプライドはズタズタにされただろう。

合理主義の塊のような信長にとって、宗教や論理性に乏しい常識や慣行は憎むべき対象でしかないような気がする。

そもそも、ルイス・フロイスとの対話は当時の仏教界なり既存の日本の宗教に対するアンチテーゼであり、それと共にヨーロッパの合理主義的な考え方に好奇心を抱いたのが動機であるように思う。

想像の域を出ないが、信長がフロイスとの友好関係を重視したのは、種子島伝来の鉄砲を通して垣間見た、ヨーロッパへの憧憬もあったのではないか?

そうして考えると、一向一揆が持つ熱狂的な信仰心は、信長には憎悪の対象としてしか映らなかったのではないだろうか? 残忍なまでの一向宗門徒に対する徹底的な殲滅戦は、その一端に過ぎなかったのではないだろうか。

また、伊賀攻めの際は(そもそも攻撃を仕掛けてきたのは伊賀の郷士衆だったようだが)、夜討ち、攪乱戦を主体とする奇襲を得意とする、伊賀忍者への警戒心が元だったとも言われるし、叡山焼き討ちに至っては「浅井・朝倉討伐を前に補給をせず浅井・朝倉勢に味方しないように」という書簡を前もって送っているに関わらず、浅井・朝倉勢に味方した報復だったとも言われている。

いずれにしても、巷間で言われているような非合理極まりないこれらの信長の所業も、信長にとっては明確な意思もあれば、合理的な判断力もあったと考えるべきだろう。ただ、常軌を逸していると言われても仕方がないとは思うが。

話は少し戻るが、イエズス会も本来は宗教組織だし、熱狂さにかけては一向宗に劣らないとも思うのだが、どうもこの辺は割り引いて考えていたような気がする。

そもそも当時の日本にとっては、既存の宗教とは一線を画すし、ヨーロッパ発という当時最先端のあらゆるものを内包していたのがキリスト教だったとすれば、信長が警戒心を緩めたのも無理はないだろう。

信長の死後、この地に城を築いたのが豊臣秀吉である。石山本願寺の要衝を踏まえつつ堅固な城を築き、城下町も造成した。町普請に関する戦国武将の能力は、ほとんど我々の想像を絶するスケールと設計力である。

秀吉はもちろん、豊臣恩顧の武将達はことごとく町普請の名人と言ってもよかろう。この系譜はもちろん、織田信長にまで遡るのは言うまでもなかろう。

そもそも石山本願寺跡地に目をつけたのは、信長ではないかと思っている。勘ですが。秀吉は信長の構想を引き継ぎ、秀吉なりの工夫を施したのが大阪城だと思っている。

この地形は大坂冬の陣、夏の陣の時も同様で、有名な真田丸は大阪城の南東に作られ徳川方に大損害を与えたことは今更言うまでもなかろう。

そもそも、真田丸を攻撃すること自体が大間違いなのだ。ボクは家康の命令で真田丸攻略にかかったのではなく、秀忠の命だと勘ぐっている。信長の石山本願寺攻略の困難さを知っているはずの家康が、そうそう簡単に手を出すはずがないのだ。

実際、冬の陣では持久戦に持ち込んで和睦に持ち込み、その後すぐに大阪城の防御施設を徹底的に破却して、夏の陣で短期決戦に持ち込み見事攻略した。「東海一の弓取り」と称された家康の本領が発揮されたと見るべきだろう。

少し話は逸れるが、家康自身は豊臣家の滅亡を望んでいなかった節があると思っている。詳細は省くが、家康の名前の陰で秀忠が相当陰湿なことをしていたような気がして仕方がない。あくまでも私見というか勘です。真に受けないように(笑)

話を戻す。上町台地を拠点に時代を遡っていくと、ボクの古墳時代の知識は素直に落ちるべきところに落ちる。

実はハザードマップの存在で「?」となったのが初めてではないのだ。

20〜30年前に、何かの機会に四天王寺の前を車で通過したのだが「なんでこんな海から離れた場所に?」と思ったのだ。

四天王寺は聖徳太子創建の日本最古の仏教寺院であり、日本書紀によると「是歳、始めて四天王寺を難波の荒陵に造る」とあり、ここでいう「難波」の解釈をボクは「波打際(海辺)」としていたからだ(実はこの解釈が正しかったのを確認できたのはつい最近だ)。

西にどっさり平地が広がる今の風景を見て、「?」となったのはそう不思議ではなかろう。

この疑問はそのままほったらかしにされていたのだが、今回のハザードマップの存在で急浮上してきた。

ここに至るまで、それほど注意をはらっていなかったのは、素直に大阪の地形について興味がなかっただけの話である。ボクにとって重要な古地図は瀬戸内海沿岸であり、他の地域はそれほど重要ではなかったのだ。理由は簡単で、ボクが生まれ育ったのが福山市だからだ。

ところが、好奇心を刺激されると、アホほど簡単に引っかかるのがボクの性である。古墳時代の近畿地方の原風景を知りたくて仕方なくなる。

『古事記』や『日本書紀』ほど鵜呑みに出来ない文献も珍しいので(!)ハザードマップと古地図を照らし合わせることにした。もちろん、専門家による多くの研究成果を踏まえた上でだ。

今回は下記の地図を参考にしていただきたい。色々興味深い地名が載っている。

http://blog-imgs-70.fc2.com/a/t/a/atamatote/kofungun

瀬戸内海沿岸もそうなのだが、干拓による造成で沿岸線は古の時代とは縁遠いものになっている。特に瀬戸内海沿岸、しかも本州側は平地が極端に少ないのだ。分かりやすいのは尾道の地形だろう。

崖→国道2号線→海(かなり盛ってるけど)で、海側に関しては平地は国道2号線だけと言っても過言ではない。本当は違うんだけど、ボクの印象だけだと上記の如き状態になる。

瀬戸内海はそれでも別に構わないのだ。何しろ大昔から大陸や半島と近畿を結ぶ水運の大動脈であり、この地理的な条件だけでそれなりに成り立ってしまうのだ。

瀬戸内海の水軍などはその顕著な例で、もうほとんど利権商売と言ってもいいくらい勝手なことをしている。今のスエズ運河やマラッカ海峡みたいなもんだと思っていただいて構わないと思う。もちろんもれなく海賊もついてる。今も昔も、こうした行動原理そのものは大して進歩していない。

瀬戸内海の水運についての詳細は別の項に譲る。というか、去年の秋から書いている未完の作文のための調査で、厄介なぐらいごろごろネタが出てきてまだまとまりきってないのだ。

大陸や半島からのルートは幾つかあるが、比較的安全で素直なルートが瀬戸内海経由であろう。大阪湾から淀川を遡れば伏見まで行けてしまうし、江戸時代に入ると高瀬川まで通過するので、京都市内まで直結である。

ついでだが、古墳時代まで遡ると巨椋池の存在がクローズアップされてくる。しかも池の南側である。今でいう京田辺の辺り。これ以上は止めておく。話がマニアック過ぎるし(笑)

もちろん、日本海側のルートも重要である。山陰から東北に至る海岸線は半島から見れば直結であり、極めてシンプルなルートだろう。

瀬戸内海ルートの強みは、古墳時代の奈良への安全確実な航路としての役割である。いきなり奈良が出てきて驚く方もいるかとは思うが、古墳時代の奈良地方は記録だけでも大盛りである。

というか、記録をつけて残す技術が、奈良では普通であったと考えるべきかもしれない。奈良文化圏と仮に呼称することにする。

とにかく、渡来人のコミュニティだらけなのだ。むしろ現地人(!)はどこへ行ったと言いたくなるぐらい渡来人が多い。一族郎党で集団移住してきた例もあるようだ。

別の言い方をすれば、渡来人だから記録を残せたとも言える。当時は先端技術だったと見るのが自然だろう。もちろん、記録に残るのは権力者や有力者に関わるものばかりで、市井の民に関する詳しい記録は皆無に等しいし、記録そのものも都合良く書き換えられているケースは枚挙にいとまがない。

この辺は専門家に任せよう。ボクの俄知識でどうこうなるレベルの話ではない。

高校レベルの日本史と地理の基礎知識が必要だが『敗者の古代史』(森浩一著、中経の文庫:KADOKAWA)が比較的分かりやすいだろう。

ともかく、彼らにとって半島や大陸との交流はかなり重要だったと考えるのが自然だろう。実際、日本にいる渡来人が、新たに技術者等を半島から派遣してもらっている例は枚挙に尽きない。

これは奈良文化圏に限らず、九州、瀬戸内海沿岸部に残る各地の風土記に多く残っているらしい。らしい、と書いたのはボクが原典を読んで確認していないからだ。さすがにそこまで調べるほど酔狂ではない。今の時点ではですが。

さらには、大陸や半島にもこの手の記録は多く残っているらしい。『魏志倭人伝』なんかは代表例だが、倭人に関する記録はかなりあるそうだ。

とにかく、古墳時代に関しては高校の日本史レベルでストップしているので、正直怪しい。上述した「難波」のボクの解釈もほとんど勘である。

古文、漢文の知識から解釈しただけで、確認をしたわけではない。日本史に関しては、江戸末期から明治時代がボクの専門領域であり、他の時代はそれほど詳しいワケではない。中世はちょっと調べましたが。

最近「日本サイコー」的なモノが流行っているらしいが、古墳時代まで遡ると日本文化そのものですら怪しげに見えてくる。しばらくは古墳時代から目が離せそうにない。

弥生時代から続く、何波にもおよぶ渡来人の大量移住だけを注視すると、渡来人の文化しか浮かび上がってこない。原住民の文化はどこへいったのかと、首を傾げざるを得なくなる。さすがに完全否定はしませんが。

渡来文化がこの島国で独特の発展の仕方をしたのは明らかだし、地政学的な影響だって大きい。ただこういう見方もあるというだけの話。

古地図に戻る。奈良文化圏を語る上で極めて重要なのが、生駒山地と大和川である。当時、河内湖(呼称多数あり)と呼ばれていた大半の場所は、上町台地と生駒山地に東西を挟まれ、南北は大和川、淀川に挟まれている。河内湖から大和川を遡れば奈良盆地に出る。これまた実に分かりやすく、素直なルートである。

要は不自然な所は大抵人間の手で何かしらされていて、その痕跡はハザードマップに見事に反映されてしまっている。「天網恢恢疎にして漏らさず」とは正にこのことなのかもしれない(笑)


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com/

http://blog.livedoor.jp/yowkow_yoshimi/


最近、本業で口に糊できないエカキ。これでエカキと言ってイイのか正直不安になってきている気の弱いぼーず。お仕事させてください…m(_ _)m


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編集後記(07/14)

●最近読んだ本の中で、読後感が最悪だったのが石川結貴の優れたレポート「スマホ廃人」(2017/文春新書)であった。筆者が書いているスマホがヒトに及ぼす影響のあれこれがもう最悪で、このまま行ったら何年後かには日本人が、社会が、確実に崩壊しているのではないかという危惧、いや悲観しかない。

スマホはまさしく本物の「悪魔の発明」ではないか。「電話:悪魔の発明である。不愉快な人物を遠ざけておく便利さを、いささか阻害するもの」とビアス「悪魔の辞典」にあるが、もはやそんな諧謔を楽しんでいる場合ではない。ヒトは便利さとひきかえに、邪悪なスマホの奴隷になることを選択してしまった。

スティーブ・ジョブスは自分の子供にはiPhoneやiPadを使わせなかった、というのは有名な話だ。親としてはアナログを貫き、子供達の利用を厳しく制限すべきだと語っていた。そんな彼にしても、今日のような惨状までを見通してはいなかったのではないか。いま、かけがえのない子供の時間は失われつつある。

「スマホの急速な普及によって世代や生活環境を問わず多様な現象が起きている。乳幼児にはスマホが『子守り』のように関わり、成長記録やしつけ、遊びまでさまざまなアプリが使われている。高齢者は詐欺的な被害に巻き込まれ、主婦はお小遣い稼ぎにハマって家庭生活を疎かにしてしまう。サラリーマンは位置情報や行動を管理され、勤務時間外でも容易にスマホを手放せない」

「もっとも懸念するのがスマホと子供との関係だ。特に中学生や高校生のスマホ利用は大人の想像を超え、あらたな問題を生み出している。たとえば『いじめ』である。ネットいじめ、SNSいじめ、そんな言葉は伝えられてもその実態はなかなか表面化しない。それらの多くは学校での人間関係の延長線上で起きている。同じクラス、部活動、先輩後輩、そんな関係性の中で生じたトラブルがSNSなどを通じて増幅するのだ。時間、場所、方法を問わずいじめがつづく」

わたしはスマホを持たない准高齢者である。還暦を過ぎてケータイを捨ててから、固定電話だけ。ネットがあるのだからそれで十分。妻もわたしもスマホの必要性を感じない。だから、この本でレポートされたスマホの害毒については、初めて知ったことが多かった。娘経由で知っていたこともあったけれど。

スマホで監視されるサラリーマンはお気の毒。わたしの頃は「直帰」なる使い勝手に優れた用語もあったし、じっさい無能な不良社員もいたが、もうそんなお気楽はできっこない。最も深刻なのが学校関係のいじめだ。その章を読むだけでズーンと気分が落ち込んだ。学校関係者はこの本を読むのを義務とせよ。学校関係者ほど実情を知らないからだ。

子供が「見知らぬおとな」とつながっていることが、「身近なおとな」にはわからない、というのも怖い。筆者はあとがきの最後をこう結ぶ。「悲観したくないと思いつつ、私は少なからず危惧を抱いている。今ならまだ間に合う、そんな意識の一方で、あらたな現象が次々に生じる今に、あがないきれないような不安もまた覚えてしまう」。杞憂ではない。本当の破滅が来る…。(柴田)

石川結貴「スマホ廃人」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4166611267/dgcrcom-22/



●山田詠美さんの『ぼくは勉強ができない』を思い出した。「人々に無垢だと思われているものは、たいてい、無垢であるための加工をほどこされているのだ」。男の娘さんの「(ナチュラルメイクに見えるものは実は厚化粧だったりするのだ!)」のところ。

/オレンジのところに住んでる。坂道しんどいです(笑)。ちょい昔は、難波あたりも海だったとか。

/どんな道具も使い方次第ですよね。DTPなんてとか、ネット通販なんてとか言われていたのを思い出しましたわ。

/子供がいたらネットの怖さをたたき込み、ダウンロードやアクセス先制限、時間制限やらの規制もやります。それらをかいくぐるぐらいの知恵がつく頃には、ネットの酸いも甘いも身につけていることでしょう。今後普通に持つことになるなら、避けるより早めに学ばせた方がいいかなと。

/走るなら心拍数わかった方がいいよねと買ってしまったApple Watch(AW)、単体でできること続き。

昨日の訂正。AW用のLINEアプリには通話機能はなかったわ。Skypeは着信通話はできるけど、iPhoneからの通知機能を利用するだけだった。続く。 (hammer.mule)

ぼくは勉強ができない
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101036160/dgcrcom-22/


僕は勉強ができない 7賢者の皮むき
http://www7a.biglobe.ne.jp/~eigatodokusyo/syuminoheya/dokusyo/chouhen/ippan/benkyougadekinai.htm


iPhoneの通信事業者のサポートと各機能
https://support.apple.com/ja-jp/HT203982


LINEがApple Watchに対応!今日からLINEを身につけよう。(2015年4月24日)
http://official-blog.line.me/ja/archives/28098067.html


Skype for iPhoneはApple Watchに対応していますか?
https://support.skype.com/ja/faq/FA34564/skype-for-iphonehaapple-watchnidui-ying-shiteimasuka