[4393] バイリンガルのコスト

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《取っ手も大好き》

■ゆずみそ単語帳[13]
 バイリンガルのコスト
 TOMOZO

■グラフィック薄氷大魔王[530]
 「Cintiq27の正しい置き方発見」他、小ネタ集
 吉井 宏




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■ゆずみそ単語帳[13]
バイリンガルのコスト

TOMOZO
http://bn.dgcr.com/archives/20170726110200.html
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日本では子どもの英語教育に熱心な親御さんが多い。

日本では義務教育で6年間英語を学ぶのに、ほかの国に比べて英語力が低い、なんとかしなければ、という議論をよく耳にする。小学校でももうすぐ英語とプログラミングが必修になるとか。

私は英語教育についてはまったくの門外漢でしかないが、大人になってから英語をなんとかかんとか身につけ、英語圏で生活して、英語と日本語の環境で子育てをした立場で、つまり日本の英語教育については完全に外から眺める立場で、思うことをちょっと書いてみる。

英語教育の現場に立っていらっしゃる方から見るとピントが外れていたり、何をいまさらと思われるかもしれないが、部外者の勝手な感想だと思ってスルーしていただければ幸甚である。

日本の、特に子どもの英語教育で違和感を感じるのは、それが「芸」としてのみ捉えられているようにみえるところだ。

日本の人は芸事が好きで、特に試験とレベル分けが好きだ。

お茶でもお花でもスポーツでも書道でも将棋でも、級や段が細かく分かれていて、少しずつレベルアップしていくシステムが浸透している。これが英語にも適用されていて、TOEICや英検などが英語力の目安になっている。

もちろん、レベル分けそのものが馬鹿げているなんていうつもりはない。自分のスキルを一般的な基準に照らしてチェックするのは必要なことだと思うし、やる気にもつながる。

でも、子どもの言語力にこういう考え方を当てはめるのは意味がないと思う。

もちろん言語はスキルには違いないのだけど、同時に言語は文化であり、思考プロセスそのものの一部であり、その人の内面の大きな部分を構成する要素でもある。

そのことが、英語教育の議論では殆ど無視されているように見えてならない。

●バイリンガルとはなんなのか

ネットを見ていると、「子どもをバイリンガルに育てたい」と希望している人が多いことに驚く。

海外で苦労しながらバイリンガル環境で子育てをしている人から、日本にいながらにして子どもに英語を身につけてもらいたいと熱望して、英会話スクールやインターに通わせている人まで、本当にたくさんいるらしい。

でも、彼らが子どもたちに望んでいる「バイリンガル」像ってなんだろう? というのが、よくわからない。

「バイリンガル」といっても、ものすごーく色々である。

私はハワイでもシアトルでも、じつにありとあらゆるバイリンガルの人に出会った。

二か国語で会議ができる人、読み書きはどちらか一方でしかできない人、聞くだけならわかる人、長年ハワイにいすぎて母語の日本語の方が怪しくなってきている人。

ハワイは特に観光業が主要産業で、日英両方が流暢に喋れる人はホテルのフロントからツアードライバーまで、もう本当にたくさんいた。

有象無象のバイリンガルの中で、最高峰の言語能力を持つのは通訳者の皆さんであるのは異論がないと思う。私は同時通訳ができるレベルでは全然ないが、通訳の勉強も少しだけしたことがあり、同時・逐次通訳者さんたちの超人的な技能を間近で何度も拝見した。

会議通訳の業界では、通訳者が仕事で使える言語(working language)をA言語、B言語、C言語と分けている。
https://aiic.net/page/4004/

A言語は「母語」。生まれ育った国(または地域、民族)の言語。

B言語は「完全に流暢に喋れる」が、母語ではない言語。通訳者はこの言語への通訳もするが、多くの場合は逐次通訳のみ、同時通訳のみなど形式を絞ることが多い。

C言語は、聞けば「完璧にわかる」が流暢には話せない言語。通訳者は自分のC言語からB言語やA言語への通訳はするが、C言語への通訳はしない。

A、B、C言語を持つ通訳者はどの組み合わせでもレベルの高い「バイリンガル」だが、通訳者の間でもA言語、つまり母語をふたつ持つバイリンガルというのは非常にまれだという。

なかにはA言語を持たず、B言語のみふたつ持つという人もいると聞く。

たとえば、両親の仕事の都合などで、外国を転々として育った人の場合など、完璧な読み書きや会話の能力をふたつ以上の言語で持っていても、そのどちらにも母語といえる背景を持たないこともあるとか。

では、A言語とB言語の決定的な違いはなにか、というと、私が通訳の授業を受けたハワイ大学のスー先生は「子ども時代の歌や童話などに通じているかどうか」「ジョークがわかるかどうか」を例として挙げていた。

つまり、言語の背景にある文化の厚みが身についているかどうか、ということ。

文化はとてつもなく入り組んだ、とてつもなく膨大な情報だ。言語の機微はその文化の一部。

ある文化の中に生きる人が共有する価値観、なにがタブーなのか、なにがイケてるのか、といった皮膚感覚のような非言語情報まで把握していないと、冗談はわからないことが多い。

バイリンガル環境で子どもにふたつの言語を完全に習得させようとするのは、ふたつの文化をまるごと理解させようとすることだ。

それがどれほど莫大な情報量なのかがあまりわかっていない親御さんも、特に日本でバイリンガル子育てをしようと試みている方の中には、もしかしたらけっこういるのではないかと思う。

●バイリンガル教育の投資効果

私は、言語というのはコンピュータのオペレーションシステムのようなものだと思っている。

コンピュータのハードウェアにもスペックや個性があるが、OSをのせて初めてその他のアプリが動かせる。

日本語と英語のように構造の違う言語を同時に動かすということは、MacOSとWindowsを同時に走らせるようなもので、かなり脳のリソースを食うもの。

しかもそのOSがふたつとも構築の途中であれば、構造全体がグラグラすることだってある。

子どもをバイリンガルに育てたいと思う親御さんは、それだけのことを子どもの脳に要求しているのだときちんと認識しておくべきだと思う。

これはうちの息子の教育方針について、元夫と意見が割れてケンカになった時からずっと考えていることで、当時は理路整然と説明できず、単なるケンカに終わってしまった。

元夫はアメリカ人で完全なモノリンガルだったが、子どもはバイリンガルにしたい、どうしてもっと日本語を教えないのか、といい、私は別にそんなしゃかりきに二言語で育てなくてもいい、頭の基礎が固まるまでは英語を重視したいという意見だったので、子どもが幼稚園に入る前に大変なケンカになったのだった。

思うにモノリンガルの人ほど、子どもをバイリンガルにしたいという過剰な期待を持ちがちなのではないかという気がする。

あんまり誰も言わないようだけど、一時的にせよ恒久的にせよバイリンガルになるかどうか、どれだけ早く第二言語を獲得して使いこなせるかは、教え方や環境よりも、むしろその子どもの生来の能力によるところが大きいのではと思う。特に小さいうちは。コンピュータの比喩でいうと、ハードウェアのほう。

音感やリズム感、運動能力と同じで、言語の獲得や記憶にも得意・不得意があるのは当然なのだ。

ごく一般的には女の子のほうが言語能力は高いようだし、同じような環境で育った兄弟にも、言葉が早い子と遅い子がいる。

私は自分の息子が1歳くらいの時に、こいつは特別に言葉のカンがいい感じじゃないから、とくに二言語を強要するという無理はさせないでおこうと直感で決めた。

それも親の勝手であって、見ようによってはただ単に親の怠惰を正当化しているだけかもしれないし、貧乏で日本語補習校などには通わせられなかったという事情もある(その後、結局離婚してしまったのでバイリンガル環境どころではなかった)。

でもその後も、この子は大学までアメリカで教育を受けるのだから、とにかく英語できちんと読み書きと算数ができるようになるのが優先、その次がスポーツと音楽、日本語は興味が持てそうなものを目の前に出しておくくらいにして手を抜こうと意識した。

結果、それで良かったのかどうかはわからないが、まあ全面的に間違いではなかったと思う。

小学校からサッカーをやっていたのが自分の居場所になったようだし、特別優秀な子どもにはならなかったけど、そこそこ普通の学力をつけて自分のしたいことを見つけられた。

日本にも深い興味を持っている。日本語は小学生レベルで、もちろん仕事が出来るような日本語能力ではないが、本当に日本語を使う必要がでてくれば自力でなんとかするだろう。

お金と時間と労力は限られているから、何をやるかは何をやらないかの選択でもある。

バイリンガル教育に乗り気でなかった理由には、コストパフォーマンスの問題もある。早期の言語教育というのは、投資効果があまり高いとはいえないと思うのだ。

高い言語能力を二か国語で維持するのは子どもにとっても大変だし、親にとっても高いコミットメントが必要。時間もかかるし、お財布にも脳にも相当な負担がかかる。

仮にそうして完璧なバイリンガルに育ったとしても、それで生涯の収入が約束されているわけではないし、逆にそのことでキャリアパスへの意識が言語のほうに偏ってしまう可能性もあるのではないかと思う。

ふたつの言語ができるというのは確かに素晴らしいスキルではあるけれど、職業的な成功の上で最も大切なスキルではない。

それに、早い段階での言語能力は、大人になってからのスキルや能力と直結しているわけではないと思う。

(ちなみに、第二言語の獲得に臨界期があるというのは、不思議な都市伝説だと思う。通訳者も含め、第二言語をアカデミックなレベルで使いこなしている人には、中学や高校以降にその言語を学んだ人が多い。

直接の知り合いで、日本語の複雑な資料を読みこなせる英語のネイティブが5人いるが、その全員が高校以降に日本語を学んだ人だった。

そのうちひとりは中国語もほぼ完璧で、現在は米国資本の銀行の上海支店長かなにかをしているらしい。日本人で米国の会計士や弁護士の職についている知人も、中学以降に英語を始めた人ばかり。逆に、小さい時からバイリンガルの人には意外と向学心がなかったりする場合もある)

子どもは覚えるのも抜群に速いけれど、忘れるのも速い。

就学前に異国で学んだ第二言語を、故国に帰ったらすっかり忘れてしまったという例もたくさんある。

中学生くらいまでは、子どもの脳はフル回転で情報を整理して世界を構築している時期だと思うのだ。不要な情報はさっさと忘れてしまう。

だから、その時期に子どもの獲得した言語能力について一喜一憂するのは、あんまり意味がないことだと思う。

子どもにとってもっと大切なことは、他にある。

身体にそなわった感覚をフルに使って経験値を高めること、思考力を鍛えること、安定した自信を築くこと、他の人への共感を深めること、コミュニケーション力をつけること、知りたいと思う意欲を伸ばすことなどだ。

もしも、第二言語を身につける努力のために、そういった能力を伸ばす機会が大きく損なわれるなら、それはとんでもない損失になる。というのが、私がうちの息子に第二言語である日本語をプッシュしなかった言い訳だ。

とはいえ、バイリンガル教育がいけないとかムダとか、いうつもりはまったくない。優れた教育の場で複数の言語に触れながら育つのは素晴らしいことだと思うし、二言語をバランス良く獲得することが心や身体の真の基礎力をさらに伸ばすことにつながる幸せなケースもたくさんあるはずだ。

ただ、本格的なバイリンガル教育には、教育者や保護者の慎重なサポートと相当のコミットメントが必要なのは間違いないし、子どもに合う合わないもあると思う。同じように教育しても、同じレベルのバイリンガルが出来上がるわけでは決してないのだと思う。

●英語ができると何がトクか

早期の英語教育はムダだといいたいわけでもない。

英語(だけでなく他言語)に触れる機会は、早くからあった方がいいと思う。他言語で考える練習や、異質な文化体系に触れる体験は多いに越したことはないし、早いに越したことはない。その体験は、音楽や体育と同じように、経験値を上げて脳の基礎力を上げることに役立つと思う。

でも、子どもに英語を学ばせる目的を、大人のほうがもう一度整理した方がいいんじゃないかと思うのだ。

目的は「英語ができるとカッコいい」ではないはずだし、漠然とバイリンガルにしたいというのなら、子どもにとっては迷惑な話だ。

小学校に英語が導入されても、「芸」の進み具合を測るテストが増えるだけでは本末転倒だと思う。

「将来、世界に向かってきちんと意見が表明でき、情報が読みこなせるレベルの英語力をつける」というのが目的なら、まず、英語を話す世界に入っていくことのメリットを、子どもたちに説得できなければだめだと思う。

「芸」としての英語ではなくて、生きている文化として、リアルな社会のツールとして、考えるツールとしての英語とその先にある情報の世界が、自分にぜひとも必要で入手可能なものとしてリアルに感じられないとモチベーションにはならないし、本当の知的刺激にもなり得ないと思う。

小学校で英語を導入するとしたら、その英語を使って手に入れられる多様で魅力的な世界を、リアルに体験させてあげること以上に、大切なことはないんじゃないかと思うのだ。


【TOMOZO】yuzuwords11@gmail.com

米国シアトル在住の英日翻訳者。在米そろそろ20年。
マーケティングや広告、雑誌記事などの翻訳を主にやってます。

http://livinginnw.blogspot.jp/
http://www.yuzuwords.com/


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■グラフィック薄氷大魔王[530]
「Cintiq27の正しい置き方発見」他、小ネタ集

吉井 宏
http://bn.dgcr.com/archives/20170726110100.html
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●Cintiq27の正しい置き方発見

ようやくCintiq27の「正しい置き方」を見つけたかもしれない。

覚悟決めてCintiq27インチを使うぞ! ってことで、先日から置き方を探ってた。ディスプレイを立てて使うときに一番上まで上げてカチッとロックがかかる状態にせず、手前に倒して画面を机に降ろした状態がベストではないかなと。

普通に画面を立てると高さ53cm、机面まで降ろせば44cm。目の前の9cmの差って大きいよ! そびえ立つCintiq27の圧迫感がかなり和らぐ。

「正しい」置き方
http://www.yoshii.com/dgcr/Cintiq27_IMG_1485.jpg

完全に立てた状態
http://www.yoshii.com/dgcr/Cintiq27_IMG_1486.jpg

液タブモード
http://www.yoshii.com/dgcr/Cintiq27_IMG_1487.jpg

もちろんこの状態にできるのは知ってたけど、画面が近すぎる気がしてちゃんと試してなかった。確かに近いけど、文字が大きく見えるので遠いよりも見やすい。

立てるとちょっと見上げる感じだったのが、目より下になったのもいい。あと、以前は板タブの向こうにキーボードを置いてたから、机の幅が足りなくてムリだったのだ。今はキーボードを横に置いてるので大丈夫。

利点もある。スタンド中央奥のロック解除ボタンを押す必要がないので、液タブモードに移行がスムーズ。また、画面が近いので液タブモードにしなくてもペンで操作可能。腕を遠くに伸ばさなくていい。

これで、最初の目的「普段はディスプレイとして使い、描画時だけ液タブとして使う」がスムーズにできそう。もちろん、液タブ状態オンリーで使えればそれにこしたことないけど、描画作業以外は板タブのほうがやりやすいから。

あと、平たく倒した液タブと、立てたディスプレイでは形の見え方がちがう。液タブで仕上げて普通のディスプレイで見ると、「あちゃー!」ってなることがたびたびある。なので、時たま画面を立てて眺めてみるのは有効。

●究極のミニマリストの住処

「ミニマリストは清貧っていうより、『清富』ぐらいな感じかもしれません。」www

「佐々木俊尚さん『ミニマリスト的生活が成り立つのは発達した流通と情報テクノロジがあるから成立する』に同意の声」
https://togetter.com/li/1128793

ミニマリストにあこがれはあるけど、実際には無理。せめて昔、湯村輝彦氏が言ってた「一個主義」に近づきたいなあとは思ってる。機能がダブってるものは持たない。で、自分で管理するものはなるべく少なくする。

よく紹介されてる、自称ミニマリストのがらんどうの部屋を見るとゲッソリする。以前書いたけど、ポトラッチよろしくモノを持たない競争になってそう。それはそれで楽しいんだろうけどw

その意味で究極のミニマリストに最も近づけるのは、「ホテル暮らし」だと思う。今だったらノートパソコンやスマホだけあれば、ほぼ大丈夫でしょう。どうしても手放せない重要なモノは貸金庫やトランクルームを利用。服なんかも必要に応じて買うけど、用が済んだらそのまま捨てる的な。

自前でモノを持たない。レンタルなんて面倒なことせず、使い捨て。そりゃ金かかる。モノを持たないためにインフラやサービスや金を使うのはアリだと思う。エコロジーや清貧の真逆だけどw

そこそこリッチじゃなきゃ無理。

で、今それを誰がやってるかというと、ホリエモン。そういえばホテル暮らしってものを知ったのは、淀川長治とデーブ・スペクターでした。

●BOSEの取っ手付きBluetoothスピーカー

SoundLink Revolve+
https://www.bose.co.jp/ja_jp/products/speakers/wireless_speakers/soundlink_revolve_plus.html

円筒形のスピーカー。発売直前のWeb記事で見てBOSEのショップへ飛んでいき、即予約購入という、僕にしては珍しい買い方をした。

何がツボだったかというと「取っ手」w 人が使う道具として取っ手があることは重要。長く使ってた取っ手付きiPadケースは本当に使いやすかった。初代iBookの取っ手も大好きだったしw
http://www.yoshii.com/dgcr/BOSE_IMG_20170622_095934.jpg

いくつか持ってたスピーカーはどれも一長一短で、部屋を音で満たす無指向性スピーカーに興味があった。心配だったのは、これがモノラルスピーカーだということ。ショップで試聴したときは気にならなかったが、部屋ではどうかな。

使ってみた。持っていた一体型Bluetoothスピーカーは、小型なのでステレオ感に乏しかったのだが、BOSEのこれは音自体が豊かなためか、ステレオじゃないことがほとんど気にならない。

あと、以前書いた「重低音は仕事のBGMには向かない」件も気になっていた。使い始めてしばらくは、BOSE特有のドォーンドォーンって重低音がジャマでしょうがなかった。

重低音って一瞬遅れて聞こえるのも気になってしょうがない。iTunesやHear(Macの音質調整ソフト)のイコライザで低音を下げてた。

二週間くらいしたら、重低音に慣れてきた。遅れて聞こえる感じもなくなった。今まで使ってきた小さいスピーカーでは聞こえなかった音が聞こえる感じ。

っていうか、他のスピーカーでは1パート少ない演奏みたいに思えてきてる。これがみなさん重低音にこだわる理由なのね。

あと、モノラルだから物足りないとかあまり感じないのが不思議。ディスプレイで映画見るときに使ってみてもぜんぜん変じゃない。やはり豊かな音が補っちゃうのかもしれない。

もう一本買えばステレオにもできるんだけど、手軽さは半分以下になっちゃうので今のところ興味なし。

モノラルにこだわったフィル・スペクターの「Back to Mono」を聴くと最高w

カメラの三脚に固定するネジ穴がついてる。床置きより高い位置にあるほうが空間的にお勧めらしいので、三脚で立ててたけど、ぶっ倒すこと数回w 危険なので今はやめてる。
http://www.yoshii.com/dgcr/BOSE-IMG_1551.jpg


【吉井 宏/イラストレーター】
HP  http://www.yoshii.com
Blog http://yoshii-blog.blogspot.com/

期せずして知ってるスペクターが二人とも登場w

先週の「なりたい!」の件。あらためて考えてみたら、勘違いでクリエイターになりたいと思ってる人はなる前に自分でわかるし、どうしてもそっちに行きたい人はクリエイティブ周辺の適性に合った管理とかの仕事見つけるだろうから、それで万事オーケーなんじゃない? って思った。

テレビ見てたら藤井四段に「夏休みに将棋以外にやりたいことはありますか?」って聞いた記者がいて、バッカじゃないの?と。「勉強と休みの日、仕事と休みの日」という考え方しかしてこなかったんだろうな。

猫のゴロゴロを聞けるWebアプリ。バッカじゃないの?(いい意味で)w 猫の姿が見えないのと手触りがないことを除けば完璧w パラメータすごい。機嫌の具合や、ときたま「ニャ」とか入る頻度とかも調整できる。BOSEのスピーカーで聴くとでっかい虎のゴロゴロみたいw
https://purrli.com/

・スワロフスキーのLovlotsシリーズ「Hoot the Owl」
http://bit.ly/2ruVM9x

・ショップジャパンのキャラクター「WOWくん」
https://shopjapan.com/wow_kun/

・パリの老舗百貨店Printemps 150周年記念マスコット「ROSEちゃん」
http://departmentstoreparis.printemps.com/news/w/150ans-41500

・rinkakインタビュー記事
『キャラクターは、ギリギリの要素で見せたい』吉井宏さん
https://www.rinkak.com/creatorsvoice/hiroshiyoshii


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編集後記(07/26)

●渡部昇一「日本がつくる新たな世界秩序」を読んだ(2015/徳間書店)。2014年3月に政府は「毎年20万人ずつの(3K)移民受け入れ」の検討を本格的に始めると宣言した。亡国の策である。狂気の沙汰である。こればかりはさすがに支持できない。筆者は「移民問題の根幹は先住民族絶滅にある」と断じる。

移民問題で一番誤りやすいのは、いま栄えている移民国家があることにより、移民の恐ろしさという真の問題が隠蔽されるからだ。たとえばアメリカ、オーストラリアなどがそうだが、いま繁栄しているのは移民した人たちであって、先住民は滅ぼされている。移民問題の根幹は「原住民がどうなるか」にある。

この指摘をしたのは渡部昇一だけである。歴史上、日本列島に大量の移民が流入したことは一度もない。毎年20万人とは単純労働者の導入である。文化摩擦や治安の悪化など、多くの懸念がある。とりわけ心配なのは、中国からの大量流入である。中国人に向けて門戸を開放するなど、日本史上最大のトンデモ。

先住民である我々と、我々の子孫はどうなるのか。中国人に蚕食されるのは目にみえている。入ってくるのは最下層に近い人であろう。一人がうまくいきそうになると、どっと家族や親戚を呼び寄せるだろう。日本中にチャイナ・タウンができてしまう。しかもバックには、核保有の独裁強権国家がついている。

中国からの移民はやりたい放題になるだろう。いまの日本にはそれを抑える力はない。2008年4月26日の長野聖火リレーで何が起こったか、あれの比ではない大事件が必ず起きる。安倍首相を支持する渡部昇一でさえ、「毎年20万人ずつの移民受け入れ」政策だけは断固反対だ。こんな亡国政策は絶対潰そう!

ドイツに移民してきた最初の世代のトルコ人はおとなしかった。自分の母国から見ればヨーロッパの先進国は天国のようなものだから、文句はない。しかし、二世・三世の世代は違う。被差別感や抑圧感、疎外感に襲われ非行に走ったり、犯罪に手を染めるようになる。なにしろ、最下層の3K仕事しか得られないのだ。

総人口の2割が外国人のドイツでは、ドイツ人と外国人移民との格差が限りなく広がり、文化的・感情的摩擦が激化し、外国人だけの街区が形成され、外国人移民による犯罪が増えた。フランスも同様だ。ヨーロッパに吹き荒れる深刻な移民問題をみているのに、なぜ安倍首相は移民政策を進めようとするのか。

筆者はさらに「観光立国」構想に懸念を示す。治安維持の不安、不法残留者の増加、スパイ天国の危険、国体の変化の危惧。「観光立国」に体質を変えたイタリアは三流国に落ちた。外国人観光客の増加が、長い間にどんな害悪をもたらすかも不明である。渡部昇一さん、安倍首相にいろいろ厳しく説教して欲しかったが、今年4月、惜しくも亡くなった。未読の本が何冊もある。 (柴田)

渡部昇一「日本がつくる新たな世界秩序」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198639183/dgcrcom-22/


●TOMOZOさんの話に頷く。昔の記憶。ホストファミリーはフランス人とスコットランド人のご夫婦で、お兄ちゃんはバイリンガル、妹はクイーンイングリッシュ。お兄ちゃんの英語はもにょしょわふわした発音になってしまい、妹にはバイリンガル教育をやめたって。

/ポケモンGO。フリーザー7/31(8/1)まで、そこからファイヤー8/7(8/8)まで、そしてサンダーが8/14(8/15)まで。ル、ルギアは? いや、フリーザーも持っていないんですけどね……。

いま小学生以下の子供連れトレーナーは結構いて、たまたまその場にいるのだと思っていたら、子供が烈火の如く泣き出して、参加していることを知った。

親がなだめても、顔を真っ赤にし、地団駄踏みながら「るぎあぁぁぁ るぎあぁぁぁ」。私も泣きたい……取れなかったの。

親が抱きかかえて場所を離れようとしても言うことをきかない。あげたくても交換機能はないし、そもそも持ってない(涙)。こっちが悲しくなってくるよ。

……という子供もいれば、マイペースで戦っている子供もいて、つき合わされている親は、いやこのメンツ(弱いポケモン持ちが多かった)と人数では勝てないって……と思いながら(たぶん)、何度も参加されていたわ。この子は伝説と戦うだけで楽しかったみたい。

/Flashのサポート終了のニュース。ひとつの時代が終わるんだな。
                            (hammer.mule)

An Update regarding Pokemon GO Fest in Chicago
https://www.nianticlabs.com/blog/

Adobe、2020年末でFlashのサポートを終了と発表
http://jp.techcrunch.com/2017/07/26/20170725get-ready-to-say-goodbye-to-flash-in-2020/
「Flashは教育とゲームの分野でまだ利用者が残っており」