はぐれDEATH[40]リアルに何度も死にかけたはぐれの死生観 の・ようなもの/藤原ヨウコウ

投稿:  著者:  読了時間:16分(本文:約7,600文字)



ぼーず頭だからといって、仏教観を語るわけではない。

以前にも書いたが、ボクはゴリゴリの無神論者である。輪廻やら涅槃やらがどうとかといった話は、一切出てこないので悪しからず。

ただ誤解のないように断っておくが、宗教を馬鹿にしているわけではない。宗教で救われる人は多くいる。アニミズムから始まって、最近の新興宗教まで、救済という点で大きな影響を与えている事実を、無視するほどアホではない。

まぁ、いかがわしいものも少なからずあるし、宗教戦争などという愚劣なこともあるが、基本、一般的な信者はカルトには寄らない気がする。

宗論の一部を特化して、先鋭化すれば当然過激になる。世間様を騒がすのはこうした連中だが、広い目で見ればやはりほんの一部だと思う。

生まれてすぐの頃から、ボク自身、何度も死に直面してきた。そもそも最初の新生児検査で、小児結核が見つかり余命三カ月を宣告されたのだ。もちろん、ボクは生まれたばかりなので、そんなことは憶えていない。

何かの検査の時、肺のレントゲンを撮ったことがあったのだが、お医者さんから「ここに結核の治癒痕が思いっきり残っとるなぁ」と言われたことがあるので、少なくとも結核にやられたことは間違いなかろう。

小中学校に入ると素潜りを覚えて、これで何度も溺死しかけた。瀬戸内海というのは、うわべは穏やかなのだが潮流が激しく、おまけにかなりややこしい。底に引き込むような潮にはまると、大人でもどうしようもないぐらいの勢いで一気に持って行かれる。





初めて引きずり込まれたときは抵抗したのだが、さすがにこれはあかんと、死ぬ覚悟をしてあがくのを止め、全身の力を抜いた。しばらくは潮に持って行かれたのだが、潮の境目で急に身体が浮き始めた。別の潮にのったのだ。

これでどうにかこうにか生き延びた。その後も同じ目に遭ったが、引き込まれたら即座に力を抜いて後は、運に任せるようにした。じたばたしても無駄、というの覚悟はこの時会得した(笑)

会社を辞めてエカキで身を立てることを決めて、初めての出版社持ち込みを計画していた一週間ほど前に、腰のあたりに激痛が走った。

最初はぎっくり腰だと思ったのだが、何しろ早朝のことだ。とにかくお医者さんが始まるまで我慢しようと思ったのだが、激痛は酷くなるばかり。この時、生まれて初めて痛みで気絶した。

気がついてからも結構我慢したのだが、痛みには逆らえず、結局自力で救急車を呼ぶことにした。救急車が来たところまでは覚えているのだが、その後また気を失ってしまい、何が起きたのかは全然知らない。

気がついたら病院のベッドの上だった。それでもその日は一日中、激痛で気を失っては気がつきを繰り返した。点滴を打たれていて、鎮痛剤も入っていたらしいのだが、全然効かなかった。翌日になると痛みは完全に消えていた。

こうなると、心配なのは持ち込みである。何しろ初めての出版社持ち込みで、アポもしっかりとっていたのだ。こんな所でグズグズしているわけにはいかないではないか。

早速、退院を主張し、受け入れられなかったら脱走してでも東京へ行こうと覚悟したぐらいだ。とにかく必死だったので、お医者さんも呆れながら退院の手続きをしてくれた。

それでも二泊させられたのはかなり苦痛だった。ちなみに、この時の痛みの原因は、不明のまま今日に至っている。

三十代半ばには自律神経がおかしくなり、血圧を維持することが出来なくなって死にかけた。

この時は質の悪い風邪だとずっと思い込んでいたのだが、何しろ一日のうち動けるのは一〜二時間足らず。間の悪いことに装画と挿絵の仕事を抱えていたので、この動ける時間にやれるだけやって、あとは寝こんでいた。

しかし、さすがに二週間近くこの状態が続くと不安になる。

何が不安かというと、引き受けたお仕事を納品することが出来るのか、ということだった。やりかけのお仕事を残して死ぬのは御免である。さすがにこの時は、「明日、目覚められるのか?」と本気で恐怖した。

これまた病院に行くことになったのだが、先述したように自律神経が狂って超低血圧になっていたことが判明した。元々低血圧だったのだが、お医者さんからは「この血圧、高血圧の人なら仮死状態やで」と言われたときは苦笑してしまった。

ところが、計測された血圧を聞いて慄然とした。上が68しかなかったのだ。当時は95前後だったのだが、さすがにこの数値は異常すぎる。ただの風邪だと思っていたのに。二週間近く寝たきりだったので、食事もロクに摂っていなかった。お医者さん曰く「本格的にヤバいの一歩手前」だったらしい。

そして辻堂での吐血。この時も激痛で気を失ったのだが、気がついたときにまた自力で救急車を呼んで、その後また気絶。原因は胃潰瘍が動脈を破ったことによる失血だったのだが、あのまま気絶していたら失血死していただろう。

もちろん入院だが、ゴールデン・ウイーク突入前で、いつ原稿が入るか分からない状態だったので、これまたワガママを言って無理矢理退院した。

その他、小さいのも含めると結構ヤバい目に遭っているのだが、共通しているのは、お仕事が絡むと必ず、無理をしてでも納品はするというアホな使命感である。

「明日の健康より、今日の納品」というワケだ。これは根性論ではない。純粋に、お仕事を続けていく上で必然であり覚悟である。

病気で「無理です」と言えば、当然のことながらクライアントに迷惑がかかるし、信頼関係にも影響する。しかも、迷惑というのは印刷現場にまで及ぶのだ。ボク一人の病気で多くの人が迷惑を蒙る。これだけは耐えられない。

とにかく、仕上がった絵を編集担当に渡してしまえば、あとはどうにかなるのだ。だから、無理をしてでも仕事を進行させるし、さっさと病院からも逃げ出す。もっとも病院が大嫌いという理由もあるのだが。

だから、多少痛くても基本は我慢である。だいたい常にどこかおかしいので、痛みを我慢するのは "でふぉ" だったりする。

極端な話、目先の納品が終わればいつ死んでも構わないのだ。もっとも、今は連載をもっているので(このアホな作文は対象外だ)うかつに死ぬわけにはいかない。

とにかく「今日できることは今日やる」で、明日のことなどなぁ〜んにも考えていない。予定はそれなりにあるが、予定はあくまでも予定である。実際にクリアしないと意味がないのだ。

だからといって、近い未来のことで汲々とするほど、ボクは頭がいいわけではない。とにかく今のことで手一杯なのだ。

ところが、伏見に来て若干の進路変更を余儀なくされた。引っ越しの時に判明した、基礎体力の激落ちである。この状態で今日を目一杯というのは、あまりに都合が良すぎる。今は今日のための体力作りもせざるを得ない。

かといって、内臓関係をどうこうしようとはまったく考えていない。そもそもボクは自分の内臓の健康など、ぜんぜん信用していないのだ。

前述した過去の病歴を見れば、ご納得いただけると思う。とにかく身体が動けばそれでイイのだ。

そんなわけで、昨年から軽い筋トレとかストレッチを始めたのだが、一度、ついに疲労が蓄積して左大腿部をおかしくした。

最初は例によって我慢していたのだが、治らない。左太腿をかばって右膝がおかしくなり、右膝もかばって左足首もおかしくなり、左足首もかばって右足首もおかしくなり、あげくのはてに両臀部までおかしくなりはじめた。

都合のいいコトに妹がアロマセラピーをしているので、電話で症状を説明したら「ボヤボヤしてんと、とっとと病院にいかんかいっ!」と怒られて、渋々病院へ。妹からリハビリ施設をきちんと整備している整形外科へ行けと厳命されていたので、その通りの病院に行った。診断結果は座骨神経痛である。

どうやら、座骨神経痛が原因で左太腿に症状が出たらしい。もちろん、筋トレ、過度なストレッチは禁止な上に、リハビリに通わないといけない羽目になった。

白状するが、吐血したときよりもこっちの方がショックは大きかった。とにかく骨と筋肉と関節には、根拠のない自信があったのだ。それこそ気絶しそうになった……。

さらに追い打ちをかけるようなリハビリ施設。とにかく周りは、お爺ちゃんお婆ちゃんしかいないのである。仲間入りしたみたいで(いや、仲間入りしてるんだってばっ!)めちゃめちゃ落ち込んでいる。

リハビリは骨盤牽引、低周波、温熱治療である。お気に入りは骨盤牽引。気持ちよくて眠りそうになる。などと呑気なことを言ってる場合ではないのだが。

並行してお散歩(ウォーキングなどという大層なものではありません)と、本当に軽い骨盤嬌声のストレッチを始めた。

ここまで慎重かつ神経質になるのは、やはり身体がいうことをきく状態にしておきたいからだ。内臓がどうなろうと、身体さえ動けばお仕事はどうにかなる。

寝たきりだけは絶対にイヤなのだ。とにかく生涯現役でいるためには必要な措置なのである。

一通りのリハビリを終えてから始めた、体幹トレーニングもその一環であり、それ以上でも以下でもない。

健康志向なのか不健康志向なのか理解できないだろうが、とにかく機嫌よく死にたいのである。自分の死に方を他人にとやかく言われる筋合いなど当然なく、死に関してはとことん自己チューで構わないとボクは思っている。

死は万人に平等に与えられた必然である。死を逃れようとする輩は古代から沢山いるようだし(徐福伝説なんかは典型ですね)、不老不死ネタのSFやらなんやらは腐るほどある。

ボクは延命措置ですら拒否したいのだ。救急車で運ばれるのは単に「痛いのがイヤ」という実に分かりやすい理由だけで、気絶してるうちに死んでも別に何の感慨もないだろう。だって気絶しちゃってるんだもん。どう総括せい、言うねん……。

もちろん、突発的な事故による死だってあるだろう。これはこれで仕方ないではないか。人間いつどこでどう死ぬかなんてのは分からないのだ。それでもその時は必ず来る。

無神論者な上に唯物論者でもあるので、死そのものは即物的にしか考えられない。というか、どう足掻いても死から逃れることは出来ないのだ。だったら、いつ死んでもイイように日々を過ごさなければ仕方ないではないか。

だから「五十頃には死ぬだろう」という思い込みは、とんだ傲慢であったとしか言いようがない。実際まだ生きているし。

ただ、病院のベッドで闘病生活をしながら死ぬのだけは、絶対にイヤだ。延命措置がいらない、というのは死ぬ寸前(もっと正確に言えば意識がある間)までちょろちょろしていたいのである。落ち着きのなさはここでも発揮される。

動けない状態がどれほど苦痛なのかは、短すぎるアホな入院生活と締切を言い訳にした脱出劇(!)で、もうお分かりであろう。病院のベッドというのは、本当に退屈なのだ。「こんなことなら死んだ方がマシ」と何度考えたことか。

だから輸血しなければいけないぐらい大出血をしても、中三日で無理矢理病院を出て、貧血でくらっとしても、ボク的にはめちゃめちゃマシなのである。むしろ、ここでよろけて車に轢かれて死んでも、ボクは病院で死ぬよりも幸福だと思いそうな気すらする。

父方の祖父は、長い入院生活の末に病院で亡くなった。祖母は寝たまま、辻堂の自宅で亡くなった。母方の祖父は延命治療を拒否して、自宅で亡くなった。祖母は知らない。母が幼い頃に、病気で亡くなっていたのだ。

母方の祖父が自宅で亡くなる方を選んだ理由は、今ならなんとなく理解できる。無駄な足掻きをするくらいなら、さっさと機嫌よく死にたかったのだろう。

ボクはこの祖父と、亡くなる少し前に一度会っている。ちなみに葬儀には出ていない。両親が教えてくれなかったのだ。

ただ、母方の家ではオンリー男の子だったので、祖父は祖父なりに可愛がってくれていたようだ。ボクは何となく薄気味悪くて、近寄らなかったのだが。

ボクが大学に進学する際、周囲が「なんでデザインなんてワケの分からんところに行くねん」と大騒ぎしている中、この祖父だけが「サラリーマンはつまらん。好きに生きるのが一番」と言ってくれたのだ。

まるでボクがわざわざ入った会社を辞めて、今の稼業に付くかのような物言いだが(実際、当時はサラリーマンになる気満々だったのだ)、ド田舎のインテリとしては十分過ぎるぐらいの、懐の深さを見せてくれたと今でも思っている。

こうした祖父の心境を、微妙に読み取っていたのが父だろう。父は母方の祖父の言うことは基本マジメに耳を傾けてたし、ちゃんと敬愛をしていた節がある。

ただの義父ではないのだ。実はしっかり血が繋がっている。だから一般的な舅・婿の関係ではない。幼い頃から薫陶を受けていたようなことを、父は時々口にする。だからこの微妙な意思の疎通が出来たのだろう。

祖父にしろ父にしろ「恐らく真っ当な道を歩まないであろう」ボクを、彼らなりに目一杯応援してくれたのだと思う。大体、大学だって父が見つけてきたんだから(笑)

もしもボクが会社を辞めた時に、祖父が生きていたら万歳三唱していた気すらする。

ちなみに父は、この日が来るのを覚悟していたようで「そうか。自分で決めたんなら仕方ないな」としか言わなかった。もちろん、それなりにショックはあったようだが。

父には「会社に入ったら絶対に三年はいろ。それ以下で辞めたら、無駄な時間にしかならん」と言われていたのだ。

好きで辞めたわけではないが、結局辞める羽目になった時に脳裏をよぎったのは、父に言われた「三年の法則」であり、なんとかスレスレでクリアできたな、と言うことぐらいか。

祖父の膨大な蔵書も、本当は一括してボクが相続することになっていたらしいのだが(これは後で聞いてびっくりした)、残念ながら諸事情で散逸してしまった。

この蔵書の相続に関しては、母を含む三人の叔母と二人の叔父の中では完全に既成事実となっていたらしい。

どうも祖父が生前に言い残していたらしいのだが、理由は「あの子しかワシの本をまともに扱えんじゃろう」という分かりやすいにも程がある理由で、叔父や叔母も、あっさり同意したというのだから驚きである。

ボクが書庫に籠もって蔵書を読み漁っていたのを、祖父はもちろん知っていただろうし、はぐれの血統を見事に体現したボクは、祖父にとって愉快この上ないことだったように思う。

ただ最後に会った時、「わしゃもうだめじゃ」とつぶやいた祖父の言葉と目を、未だに忘れられずにいる。というか、簡単にその時の風景を脳内で再生できる。

なにがどう気になったのかは、未だに分からない。ただ「こういう死に方を先生(祖父のことはみんなこう読んでいた)は選んだんやな」とぼんやり思っただけで、他の事に関しては正直文字にできない。

この一言と、すっかり弱った眼光に込められた多すぎるにも程がある、祖父のボクに対する心情を汲み取った気はするが、どうも言葉には出来ないのだ。以心伝心とでも言った方がいいのだろうか?

父はボクが中学に入った年に、消化器系の病で入院して一年を棒に振っている。そこからのリハビリは、これまた落ち着きのない父の側面ではなく、辛抱強く我慢する父の側面だった。後で気がついたのだが、やっぱりじっとしているのがイヤだったかららしい。

こんな祖父や父が、ボクの人生、もっと言えば死生観に影響を与えないはずがないではないか。

ボクがリハビリに精を出しているのは、恐らくこの時の父の姿が潜在的にあるような気がする。と言うのは、この作文を綴りながら気がついたからだ。

我ながらしつこく体幹トレーニングが続いているが、これまた遺伝なのだろうか? 性格は真逆なんだけど。

そもそも、はぐれに計画性はからっきしない。だから、死も素直に受け入れるしかない。ある意味、死ですらボクにとっては成り行きなのである。

上述したように信仰心のカケラもないので、あの世とやらもまったく信じていない。もしあったら、その時はその時にまた考えればいい。起きてもいないことを考えるほどボクの頭はよくないし、容量だってどうでもイイアホな知識でぱんぱんなのだ。こんなことにスペースを割く気はさらさらない。

では、宗教に関して丸っきりのド素人かというと実はそうでもない。ともかく、世界のメジャーな宗教は、かなり細かい宗派まで一通り知識を叩き込んだし、アミニズムにまで手を出し、国内に至っては山岳信仰にまで手を出している。

もちろん、仏教は一通りクリアだ。昨日今日の俄信者はもとより、お粗末な神学論をふっかけてくるような馬鹿相手なら瞬殺出来る。

その結果、ボクは唯物論に辿り着いて無神論者になったのだ。

同じアプローチなのに、逆になったのは神そのものへのアプローチである。大抵の宗教は神を頼りにする。あたり前の話で、神に頼まないと宗教そのものが成立しないのだ。ボクの場合は、神を言い訳にしたくないという、とことんへそ曲がりな性格が、神を否定することになったのも一因である。

そもそも神の発露は、大自然に対する畏敬と恐怖である。それを精緻に理論化し、様々な教義や戒律、儀式に昇華したのが宗教だと言ってもいい。この発展の過程は見過ごすことが出来ないほど切実で、切迫感に満ちたものだったとボクは思っている。

数え切れないほどの先人達が、この理論化をしてきたワケで、軽々しく神を否定するのは本来間違っている。というか、その重みをきちんと受け止めるためには、それ相応の覚悟がないと出来ないはずなのだ。

軽々しく神を扱ってはいけない。ボクはこの重圧に耐えられなかった、それだけである。

「死んだらお終い」という即物的にもほどがある概念の方が、ボクにとってはずっと気が楽なのだ。もちろん、唯物論だってそれなりに調べましたよ。だから、神の発露であろう大自然そのものに、素直に感動し恐怖しているのだ。

これらの理由から、ボクは宗教そのものを否定する気には到底なれない。偉大な大自然(宇宙と言ってもいい)をそのまま受け入れるか、神という概念に置き換えるかの違いしかないからだ。

死だってボクの場合は単なる自然の摂理であり、死後の世界というのはまったく眼中にないだけの話だ。

唯物論者というと気楽に思われるかもしれないが、とんでもない話である。あらゆる宗教に気を使わないといけないのは、これまでの記述で明白であろう。

今回もイマイチ、オチなかったなぁ……ちょっと風呂敷を広げすぎたし、これはこれでしゃあなしだ。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com/
http://blog.livedoor.jp/yowkow_yoshimi/

最近、本業で口に糊できないエカキ。これでエカキと言ってイイのか正直不安になってきている気の弱いぼーず。お仕事させてください…m(_ _)m