ロレックスと並び、日本国内での人気が高い腕時計ブランドが「ブライトリング」です。腕時計に詳しくない人にも「カッコイイ」「着けてみたい」と思わせてしまう、不思議な魅力を秘めたブライトリングの腕時計。
その秘密を解く鍵は、航空時計メーカーとして成長してきたブライトリングの歴史にあります。
●ブランドの興り
創設者、レオン・ブライトリングが、スイスのジュラ山脈にあるサン・ティミエに小さな時計工房を構えたのは1884年。
グライダーによる世界初の飛行(1891年)が行われる7年前、ライト兄弟の初飛行(1903年)より20年以上前の話です。
しかし、空を飛ぶことに対して強い憧れを持っていたレオン・ブライトリングは、いずれ訪れる「飛行機の時代」を見据え、航空機の計器と成り得るクロノグラフの開発に情熱を傾けました。
●腕時計型クロノグラフ
工房の後継者であり、レオンの息子でもあるガストン・ブライトリングは、世界初となる腕時計型クロノグラフの製造に着手しました。
ガストンは非常に優秀な時計師でした。腕時計型クロノグラフの開発過程で、腕時計型クロノグラフの原型とされる「30分タイマー」を完成させ、その後ストップウォッチ「ヴィテス」を発売しました。
スピードを意味する名を持つ「ヴィテス」が、スピード違反の取締りに採用されたことで、ブライトリングの時計に対する評価と信用が高まりました。
●軍の公式時計
ガストンによる技術革新は時計業界に大きな影響を与え、ブライトリングは「クロノグラフのブライトリング」として知られるようになりました。
ガストンの死後、1932年まで社長不在となりますが、レオンの孫にあたるウィリー・ブライトリングが社長に就任後は、さらに40種類にも及ぶクロノグラフを発表。
また、イギリス空軍から公式採用されたことを機に、航空時計と腕時計型クロノグラフのメーカーとして、世界的な地位を確立しました。
●経営危機
1969年、ブライトリングはホイヤー社と、「自動巻クロノグラフ」の開発に成功します。しかし、大抵の時計メーカーがそうであるように、1970年代に時計業界をおそった「クオーツ・ショック」はブライトリングにも大きな影響を与えました。
当時、高齢で病気がちだったウィリーは、この苦境を乗り越えられる人物としてアーネスト・シュナイダーに経営を託します。アーネストはクオーツ化の波に逆らうかのように、「機械式の高級時計をつくる」という決断をします。
その結果、新生ブライトリングを象徴する「クロノマット」を完成させました。クロノマットはイタリア空軍アクロバット飛行チームの公式時計に採用され、長く機械式時計を待ち望んだ時計ファンから熱烈な支持をうけました。
●航空時計メーカー
このように、ブライトリングは航空時計メーカーとして発展してきたブランドです。ブライトリングはクロノグラフの祖として、創設当初には懐中時計型の、その後は腕時計型のクロノグラフ製作に力を注いできました。
ブライトリングは航空時計を開発する中で、「視認性」「操作性」「耐久性」
の三つのテーマを重視しています。
これらに対するこだわりは必然的にデザインにも表れており、ブライトリングの腕時計をみた男性の本能の部分、機械や工業製品に対する憧れを刺激され、文句なしに「カッコイイ」と思うようです。
●プロフェッショナルのための計器
1999年以降、腕時計の全モデルに公認クロノメーター・ムーブメントを搭載するという厳しい目標を掲げ、実際にそれを達成しています。
ブライトリングの製品はもはや時計ではなく「プロフェッショナルのための計器」であり、その専門的機能と徹底した品質管理で、高い信頼性を維持しています。
プロ仕様へのこだわりが、存在感あふれる機能美を実現させ、クロノグラフ腕時計において他の追随を許さないブランドへと発展を遂げた、それがブライトリングです。
【吉田貴之】info@nowebnolife.com
イディア:情報デザインと情報アーキテクチャ
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兵庫県神戸市在住。Webサイトの企画や制作、運営を生業としながら、情報の整理や表現について研究しています。