[4424] 特殊体形のはぐれのカバン事情

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《とにかく真実よりも冗談》

■はぐれDEATH[41]
 特殊体形のはぐれのカバン事情
 藤原ヨウコウ

■デジクリトーク
 20年前の「インフォーツの謎」プロジェクト
 柴田忠男



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■はぐれDEATH[41]
特殊体形のはぐれのカバン事情

藤原ヨウコウ
https://bn.dgcr.com/archives/20170928110200.html

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色んな人によく「なんでそんなにカバン重たいん?」言われるのですが、別に中に色々入ってるわけではないです。むしろ結構スカスカ(笑)

要はカバン本体が重いのですが、お布団の稿でも書いたようにボクには「重い」状態にアホな安心感というか、信頼感を抱いている。

カバンの場合は「堅牢そう」というのが一番の理由ですね。容積もそこそこ欲しいので、中くらいの大きさになるのかな?

ちなみに、普段使っているやつを写真でお見せします。

https://bn.dgcr.com/archives/2017/09/28/images/001

ご覧の通り、リュックタイプか斜め掛け出来るタイプだ。ちなみに手提げカバンは、機能があっても絶対に使わない。手が長いので底を擦ってしまい、すぐにダメにするからだ。擦らないようにしようと思うと、どうしても肘を曲げないといけなくなる。

中高時代に学校の予備カバン(?)で使わされていたのは、本当に最悪だった。中身は副読本の大きいヤツが大半なので、とてもではないが肘を曲げて持つなどという重労働をする気になれなかった。

ちなみに、当時に近いモノをググってみたが、まった出てこなかった(笑)とにかく紺色の分厚い生地に、手提げ部分が二本オフホワイトでぐるっとカバン全体に付いてるヤツ。

ボクと近い年代の人なら(1960〜70年生まれぐらいか?)ピンと来るかもしれないけど、さすがに若い人達は分かりづらいだろうと思う。

学生カバンは大丈夫だったのですが(昔懐かしい黒革のヤツだ)それでも教科書と弁当でパンパンになって、まともな形してなかったなぁ(笑)

ちなみにマジソンバッグ(!)が流行っていたのは、ボクが小学校高学年から中学にかけてだろうと記憶するのだが(その後、アディダスのカバンが流行っていたような気が)、「流行モノはキライ」というクセと手の長さからボクは一考だにしなかった。

それでもナゼか、マジソンバッグがあった。多分、親父かお袋が調達したのだろうと思うのだが、当時はやっていたスタイルではなかったので愛用していた気がする。

これはググったらさすがに出てきた(笑)

当時流行っていたのは左の紺色のタイプで、ボクが愛用していたのは右の白いタイプ。手提げ部分に注目して頂きたい。

ボクが使っていたのは手提げ部分が長いのだが、カバンのサイズそのものが普通のより二回りほど小さいので、これを肩にかけたり無理からリュックのように担いでて使っていた。

https://bn.dgcr.com/archives/2017/09/28/images/002
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ボクは見事なまでになで肩なので、すぐにずり落ちる。それでも使っていたのは、自転車通学だったからだ。移動中はチャリのカゴに放り込んでおけばおっけー。これで底が減るリスクはある程度回避できた。

なで肩ついでにいうと、本来リュックタイプも苦手なのだ。両肩共にずるっと落ちてくる。入学したての小学生さながらの情けなさだが、重い荷物はやはりリュックの方が楽なので使っているわけだ。

だからリュックを低く下げて使うというのもアウトで、いわゆるリュックの模範的なポジションで使っている。

基本、両手があいていないとナゼか不安になる人なので、選択肢の中から手提げタイプは自動的に消去される。ウエストで固定するタイプのカバン(というかポーチか?)は一度試してすぐやめた。腰の細さが丸分かりになるので恥ずかしいのだ(笑)

前にも書いたような気がするのだが、ボクは骨盤の上でベルトを締める。これが一番しっくり来るからなのだが、これをやるとウエストの細さもさることながら、骨盤のでかさまで強調されるというアホな事態が生じる。

基本、ベルトを覆い隠すように、少し大きめか長めの服で誤魔化すのがボクの服装の基本スタイルである。夏場は隠しようがないので諦めているけど。

ちなみに、カバンは選ぶのは大好きである。それでも、これといったカバンにはなかなかお目にかかれない。見た目良くても使ってみたら機能性がイマイチでアウト、と言うのはもう数え切れないぐらいだ。

だから必然的に斜め掛けタイプのカバンを探すことになるのだが、今のところ絶望的なぐらいダメである。今メインで使ってるヤツが一番イイ。

これはiPad2(!)がちょうど入るサイズで、出向の時は大抵これなのだが、最近はちと事情が変わってきたので、リュックがメインになっている。

写真にあるように大きめの縦長タイプがあるのだが、難点をいえば肩に掛かるベルトが華奢で、肩パッドらしきもののクッション性がイマイチ。これはいつか改造しよう、改造しようと思いながら、かれこれ10年近くほったらかしになっている。

致命的なのは、ボクがちびっ子なのでこれを斜め掛けにして歩くと、カバンがお尻の所でやたらとバウンドするのだ(笑)。お尻に当たらないところまであげると、今度は斜め掛けが出来ない。今のポジションが限界である。

一歩歩く毎にバウンドするので、歩いてる間はバウンドしっぱなしである。しかも縦長なので、慣性モーメントも横長タイプよりも大きい。ボクが我慢できても、人混みでは迷惑この上ないのでそれなりに気を使う。

ただ収納量はボクが持っているカバンの中では最大だし、何よりポケットの使い勝手がいい。場面に応じて使い分けをしている。

ちなみにこれも一時期出張する時は愛用していた。

https://bn.dgcr.com/archives/2017/09/28/images/004

写真のヤツよりもモデルが古い気がするのだが、まぁこんな感じである。ちなみにボクのヤツの色はガンメタル。

まだ上賀茂にあるが、PowaerBook 15inchが丸っと入る上にこの堅牢さである。今はほとんどiPadで誤魔化しが効くので出番がないが、近々PowerBook共々、上賀茂から移動させざるを得なくなった。とにかく、外出先でPhotoshopを走らせないといけなくなったのである。

上賀茂には他にも「大工さん専用リュック」「ライブ・セッション専用ショルダーバッグ」等々色々あったりする。

をを、カバンではないがこれを忘れていた。めっちゃ愛用。アルトサックスのケースです。

https://bn.dgcr.com/archives/2017/09/28/images/005

イマイチ落ちなかったか?
ちなみにタブローのその後についてはまた稿を改めて。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com/

http://blog.livedoor.jp/yowkow_yoshimi/


最近、本業で口に糊できないエカキ。これでエカキと言ってイイのか正直不安になってきている気の弱いぼーず。お仕事させてください…m(_ _)m


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■デジクリトーク
20年前の「インフォーツの謎」プロジェクト

柴田忠男
https://bn.dgcr.com/archives/20170928110100.html

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いまからちょうど20年前、フリーになってぶらぶらしていたわたしを見かねて、「スーパー・デザイニング」誌のクリエイティブ・ディレクターだった(わたしが勝手に任命した)京都の笠井享さんが、経営する会社「インフォーツ」の会社案内を制作する仕事を発注してくれた。

約三か月かけて作り上げたのが、岩波新書のデザインをパロった「インフォーツの謎」である。メンバーおよび周囲の人々に取材したり、原稿をかいてもらったりして、のんきに楽しく仕事を進めていたら、月刊オンラインマガジン創刊のプロジェクトが大阪で発生、たちまち怒濤の夏となった。

「インフォーツの謎を送って下さい」とあちこちに依頼しまくって、ほぼ全員から回答があったが、わたしが欲しかったホントかウソかわからないような怪しい情報が極めて少ない。みなさん、むちゃくちゃマジメだった。

そんな中でとくに怪しい情報を寄せてくれた、二人の人物を北山のしゃれた和食屋に呼んだ。思う存分しゃべってもらおうと思ったら、面と向かうとほとんどしゃべらない人と、しゃべるエネルギーが持続しない人だった。20年後のいま、どうしているか調べたら、一人(後者)は京都精華大学の教授だった。

わが家にはこの本が二冊残っていた。書棚にぎっしりの新書や文庫を処分しようとしたら、この本が出てきた。思わず読みふけってしまった。20年前のわたしの仕事は、いまと変わらない感覚であった。インフォーツは三周年記念にクライアントや関係各所に配布して、非常に好評だったと聞いている。

◎表1

岩波新書とよく似た体裁。infoArtsという白抜き文字が目立つ

https://bn.dgcr.com/archives/2017/09/28/images/006

◎袖のテキスト

インフォーツの謎

インフォーツ株式会社は、マルチメディア時代の情報のデザインをメインビジネスにかかげる、新しいタイプのプランニングとマーケティングならびにデザインをおこなう会社である。しかし、総員五名の会社には謎がいっぱいだ。三年の月日を費やしてその実態を暴く衝撃のレポートがこれだ。ここに書かれた情報は極秘事項につき、読まれた後は厳重に保管をお願いしたい。(ホントは会社案内です)

◎扉のデザイン 岩波新書そっくり。ちょっと違う。

https://bn.dgcr.com/archives/2017/09/28/images/007

◎はじめに──この小冊子は何なのかという謎

ここを読むとこの新書判の冊子(96ページ)の正体が明かされる。って、わたしが書いたんだけど。インフォーツ株式会社の笠井享さんのオーダーであった。創立三周年記念のユニークな会社案内を、常識的な会社案内ではないものを、というのが基本的合意だった。わたしが冗談半分で提案した、岩波新書のそっくりデザインと、とにかく真実よりも冗談、面白い内容で作ることになった。

◎本文

以下、5人のメンバーとインフォーツについて、やや大袈裟に冗談まじりに書かれているが、ここでは笠井享さんについての記述を拾い出す。

・カラオケのモニタキャリブレーション

「笠井さんがカラオケでモニタのキャリブレーションを始めたというのは印象的。一種の職業病でしょうか」と本気で言う人がいる。

昨年、笠井が京都中のカラオケのモニタをキャリブレーションして回っているという噂が、日本全国を駆けめぐった。

いつも10時にインフォーツを出るが、そのときはモニタフードにキャリブレーション用のツールを持っており、自分で調査作成した「京都カラオケマップ」にある店のモニタを一軒ずつ調整して歩いているというのだ。笠井ならさもありなんという話題で、ニフティの会議室でも大いに盛り上がった。

本当のことをいうと、もちろんこれは冗談。仲雷太さんがライブピクチャーのセミナーで、大阪で講演した晩に、笠井らと飲んでいるうちに出てきたヨタ話であった。

それを、海津宜則さんが自著のコラムで冗談に脚色して書いたものが一般に流布して、笠井=京都=カラオケ=キャリブレーションという図式が信じられるようになった。重ねて言うが、「笠井ならさもありなん」なのである。

・しんちゃん

笠井家の新吉くん(通称しんちゃん)は、笠井の執筆する本によくモデルとして登場するが、どうやらグレーカラーチャート代わりに使われているようだ。いわば標準反射猫である。

美しいグレーの毛並みはハイライト、シャドー、グラデーションを見るときにいい。また、非常に細かい毛はハイライト、シャドー、グラデーションを見るときにいい。これほど理想的な被写体はない。

普段から、しんちゃんの毛並みは手入れ手順が明確に定義されている。「ここで新吉を洗うシャンプーは資生堂93年もののチャン・リン・シャンを用いる。水は六甲のおいしい水を〜」なんて。

・計測魔

なんでも計測するのが趣味というか使命の笠井。腕時計はもちろん高度計、温度計、気圧計はデフォルト装備である。いま腕時計に付ける色温度計を開発しようとしている。

また、伝説になった「カラオケのモニタのキャリブレーションのための計測器」も必需であろう。ただし、完璧に行うためには別途アタッシュケース(たぶん小型トラック一台分)に色評価色見台、基準となる色構成刷り、写真用ライトボックス、モニタフードなどをセットし、組み合わせて使用する必要がある。

また、ダジャレ面白度測定器も絶対必要であろう。笠井は酒が入らなくてもダジャレ1000連発は可能なので、その面白度を計測し、本当にウケるネタだけを披露してもらいたいものである。ただし、その設定では笠井本人の評価ポイントは考慮しない方がいい。

・猫ミニケーション

ある日、瀕死の子猫を発見してしまった笠井夫妻。こういう事態を放置できない性格のふたりは、連れ帰って動物病院に入院させた。ちびちゃんと名前までつけた。普通、ここまでやるか。

次に、ちびちゃんの里親探しで、あらゆる知り合いに「かわいい子猫の里親になってください」とメールやファックスでお願いした。その間も、子猫の寝床を作ってインフォーツ一階に仮の住まいを設けた。普通、ここまでやるか。

殺人的に忙しい合間を縫って、子猫一匹のためにこんなことやるか。

ちびちゃんは一週間も入院してやっと帰ってきたが、翌朝また危ない状態に陥り再入院。

そうこうしているうちに、東京でグラフィックデザイナーの向井裕一さん夫妻が里親を引き受けてくれることになり、関係者一同(いつのまにかサポーターが結成されていた)大喜びで、名前も正式に「たんぽぽちゃん」とつけた。

が、彼らの祈りもむなしく帰らぬ仔猫となってしまった。こんなに忙しいのに、あたたかな人たちである。

その後日談。代わって別の子猫(カメラマンの藤原夫妻が拾ってきた)が向井さん宅の里子になった。京都から来た子猫のぴーちゃんは、ものすごく人見り猫で、向井夫妻以外にまったくなつかず、人が傍らに寄ると体をカチカチに固まって、口をあけて威嚇する。

誰に対してもそうであるらしい。とくに気に入らない人が来ると、ぴーちゃんはナナメ歩きとしっぽ倍増おったての大不興である。(※柴田もやられた)

京都から藤原夫妻がわざわざ見に来たことがあるという。嫁入りした娘が心配でたまらなかったのだろうか。猫ミニケーションの世界はディープだ。しかし、まるで他人のごとくあしらわれて、拾い主の落胆ぶりが気の毒だったそうだ。

だが、今の親に義理立てして、元の親に冷たくしたのではないか、向井夫妻の見ていないときにスリスリしたのではないかと想像できる(が、それほどリコウそうな三毛雑種にはみえない)。

ぴーちゃんは笠井さん夫妻の仲人で、向井さん宅に来ることになったとき、海津宜則さんがバスケットに入れて新幹線で運んだという。その証拠写真がパウチされて笠井から向井さんに郵送されてきた。笑っちゃう愛猫家の世界である。

・笠井に関する未確認情報

1.笠井が銭湯の電気風呂にLEDライトをくわえて入湯すると、点灯する。
2.土門拳の写真のひとコマに笠井青年が写っている。
3.「青春の門」の作者・五木寛之は、かつて笠井青年とあっている。

◎表4

https://bn.dgcr.com/archives/2017/09/28/images/008

バーコードをぐにゃっとさせた。マークは全然違う。

というわけで、ひさしぶりに読んでみたが、20年前と現在の感覚はほとんど同じであることがわかった。それがいいことか、悪いことか、どうでもいいが、加齢で頭脳がたいへんに劣化したというわけではないようだ。


【柴田忠男】

ただいま19年目を進行中のデジクリ偏執長。趣味は読書(図書館の本か、所有する未読の本:けっこう多数・費用はO円)、古い映画DVD鑑賞(ほとんど図書館のライブラリーかレンタルショップの旧作棚)。したがってほとんどお金のかからない、ほとんど老人の生活をほぼ豊かに送っているようなかんじ。いい天気の時は、20インチのドッペルギャンガーで荒川土手をポタリングする。


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編集後記(09/28)

●「日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず」を読んだ(加瀬英明:序 藤井厳喜・稲村公望・茂木弘道:著 勉誠出版/2016)。渡辺惣樹による翻訳版が出る以前の本だから、筆者らは大変なボリュームの英文の原書「裏切られた自由」を精読しているわけだ。

「裏切られた自由」の日本に関するエッセンスは、(1)日米戦争は、時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが、日本に向けて仕掛けたものであり、日本の侵略が原因ではない。(2)1941〈昭和16〉年の日米交渉では、ルーズベルトは日本側の妥協を受け入れる意図は初めから全くなかった。日本側の誠実な平和への努力は実らなかった。(3)アメリカは1945〈昭和20〉年に、原爆を投下せずに日本を降伏させることができた。原爆投下の罪は、重くアメリカ国民の上にのしかかっている。……である。東京裁判史観を全面否定だ。

フーバーは3年8か月にわたる不毛の日米戦争は、「ルーズベルトというたった一人の狂人が引き起こした」と糾弾し、その理由を詳しく説明している。ルーズベルトは容共主義者であり、政権の中枢が共産主義者に浸透されていた。アメリカは日本に第一発目を撃たせて、第二次世界大戦に参戦した。結果、スターリンのソ連が東欧を支配下に取り込み、東西両陣営の冷戦がもたらされた。

アメリカの一番大事な価値である自由が、共産主義に同調するルーズベルトによって裏切られた。というのが原著のタイトルの所以だ。そして、最後の章でルーズベルトとそれ以降の大統領の犯した過ち、アメリカが国策を誤った19のポイントが示される。日本に関しては、経済制裁、1945年5月〜7月日本の和平提案の拒絶、無条件降伏の要求、原爆投下、など7点があげられている。

最後の二つは、18・毛沢東に中国を与えたこと、19・戦後世界に共産主義の種を蒔いてしまったこと。やはり結論はキリスト教の原則に戻って、共産主義が広まるのをアメリカが許してきたのは間違っている、とフーバーは書く。そして、米中の対立と第三次世界大戦の可能性についてまでも言及する。

フーバーの回顧録は従来のアメリカの歴史観を根底から覆す内容のため、世の反発を恐れた遺族が発表をためらい47年間を経過し、ようやくスタンフォード大学のフーバー研究所から出版された。戦後のアメリカも日本も、歴史の真実が隠匿され続けてきたが、ようやく虚構の修正が求められている。

アメリカの“正統派”歴史観は、今でも言論、学問の世界を支配している。ルーズベルト批判などはただちに「修正主義者」という罵倒を浴びる。日本だって似たようなもの。間違いを修正するのがなぜ悪い? それが普通人の感覚だ。

実は「修正主義」とはマルクス主義の罵倒語なのだ。この歴史修正主義者が〜と絶叫する、正統派を僭称する人たちの正体はそういう人なのだ。日本の歴史学会・歴史教育者団体の多くはそういう人たちらしい。そういう人は「裏切られた自由」を読んで、反論していただきたい。本代の約2万円が惜しいか? (柴田)

「日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/458523036X/dgcrcom-22/



●ボブルビーだ! 私も持ってます!/藤原さんの絵、素晴らしいと思います。/「インフォーツの謎」は編集長から以前もらった。岩波新書からこういう本が出てたのかと思ったぐらいそっくり。/私も逸話が欲しい〜。

/昨日の続き。美容師さんは大丈夫だろう。ネイリストさんはプリンターが出来たけど、ケアとデザインと石をデコったりする方向で残るんだろう。でも日本人じゃなくてもいいんだよね。これらの仕事は、トーク(日本語)で差別化をはかる必要が出てきたり?

マッサージはやっぱり人の手で、筋肉の深部の凝ったところを探り当ててほぐしてもらうのがいいよね。機械の触覚や頭脳が発達したら、人の手より良くなるのだろうか。

身近なところだと、花形だった写植オペレーターさんのお仕事はなくなった。知識や経験を活かしてDTPに移行された方、逆に畳まれた方を知っている。

私の仕事はどうなるんだろう。あと10〜20年は大丈夫だと思っているんだけれど、まだ先だと思っていた将棋で人間が負けてしまったし、移民政策もあるし、結構早いかもしれない。どこを向いて、何にアンテナ立てて、何を勉強していけばいいんだ? (hammer.mule)