はぐれDEATH[42]はぐれは色が苦手だ(色彩のほうの色です)/藤原ヨウコウ

投稿:  著者:  読了時間:20分(本文:約9,900文字)



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自慢ではないが、色彩感覚に関してはカラっきし自信がない。というか、絵そのものだって、本気で自信があるかと問われれば「町内でTOP10に入れるかどうか」としか答えられないので、かなり怪しいと思っていただいて結構である。

前にも書いたが、他人と自分を比較すること自体に興味がないので、自信もクソもないのだ。

「○○の時の絵はスゴく良かった」と言ってくださることも、ないことはないので、その時は素直に喜ぶのだが、後から「あれはホンマにエエんやろうか?」と疑心暗鬼になり「きっとあの人にとっては良かったのだろう」というところで止まってしまう。

これほど、褒め甲斐のない人も珍しいと思う(笑)




描く方だってかなり怪しいのだが、不安になっても仕方がないのでetudeに明け暮れるわけだ。もっとも、それで不安が解消されることは一向にないのだが。

色は本当に苦手で、これは絵を描き出した頃からずっと筆記具が鉛筆だった、というだけの話だ。色鉛筆やクレヨン、水彩絵具にはそれほど興味が向かなかったし、とにかく相手が先生だろうがなんだろうが、指図されるのが大嫌いなのだ。

さすがに稼業にしてからは耳を貸すようになりましたが、聞き過ぎてボク自身ワケが分からなくなってるというのも事実だったりする。

決定的だったのは小学校2年生の時の図画工作の授業での事件である。

好きな色の色画用紙を選んで(色の種類はそれなりにあった気がする)何かを作りましょう、といったような趣旨の課題だったのだが「他の人が選ぶものは選ばない」法則は、この時期すでに確立されていた。

残った色の中から「誰も選んでないのにキレイなんが残ってる」と喜んで手にしたのが、紫色の色画用紙だった。すると担任の先生が血相を変えて「紫を選ぶのは気が狂ってる」と言いだしたのだ。

正直「はぁ?」と思った。「分かってるなら持ってくんな!」とも思った。

色の変更を求められたのだが、こうなったらボクは頑として受け付けない。不興を買いながら、そのまま作業に取り掛かったのは言うまでもあるまい。

そして、なぜか後日お袋が学校に呼ばれたらしい。いつも通り「あの子はああだし、別に他の子と同じでなくてもいいのでほっといて下さい」とあしらったようだ。

ちなみに、お袋が学校に呼び出されるのは、たいていボクがクラスに馴染んでいなかったり、クラスメイトと明らかに違う行動をしていた時で、大体上記したセリフで片付けていたようだ(笑)

ネットで「色彩心理学上の紫」をググってみたのだが、正直どれもこれもピンとこない。不安定とか神経質とか、そういう判定は結構出た。

「赤と青の混色」というのがその理由らしいが、それを言い出したら、三原色以外の色は全部不安定になるではないか。

実は一年生の時の図画工作でも痛い目にあっている。前にも書いたかもしれないが、「運動会の思い出を絵にしましょう」だった。この時ボクは運動場をピンク色で塗ったのだ。

運動会が華やかで楽しかったから、というだけの理由なんですが。これまた担任の先生から「運動場は茶色でしょ!」と怒られて塗り直しをさせられた。

もちろん、それでなくてもコミュ障のボクが、ピンクを選んだ理由を説明できるはずもなく(ホンマにノリだけで塗ってたしなぁ)不承不承やり直した。しかも、何度もだ。

「ピンクが完全に塗りつぶされていない」というのがその理由だが、いま考えると結構無茶な話だ。

というのも、ボクは元々「塗る」という行為そのものが苦手なのだ。基本、鉛筆なので、線を描くことはあっても塗ることはほとんどない。鉛筆でも塗ろうと思えば塗れるんですが、なぜかそっち方面には興味が向かなかった。とにかく「描く」のである。

この二回の事件で「色」と「塗る」はボクが勝手に放棄した。とくにあれこれ言われて従うのは本当にイヤだったので、小・中・高の図画工作・美術の成績は惨憺たるものだった。


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色が突如目の前に表れたのは大学受験の時である。第一志望のボーダーラインに届かず、親父が見つけてきてくれた大学(母校だ)を受験するのに実技があって、いわゆる「素描」と「色彩構成」があったのだ。

もう何度も書いているが、共通一次が終わって受験校を急遽変えたので、もちろん実技の準備なんかしてない。頼れるツテなど当然なかったので、美術の先生に見ていただくことにした。

ボクの美術の成績を熟知しているので意外だったようだが、家業を継ぐために美術系大学に進学しなければいけない同級生がいて、一緒に(ついでに)みてもらった。

素描は一枚で、「これなら大丈夫」とあっさり太鼓判を押してもらったのだが(これは先生もボクも驚いた)、問題は色彩構成である。とにかく過去問をお手本に色彩構成はかなりやった。といっても、使える範囲は「寒色系」と「暖色系」の対比という、基礎中の基礎までがせいぜいだった。

先生もかなり「危ない」と思ったのだろう。倉敷かどっかでやってた、美術系の模試を奨められて一度だけ受けた。

ところが、ここの模試は本格的に美術系なので、我が母校(となる学校)など眼中にないのだ。仕方がないので京都市立芸大デザイン科志望ということで模試に臨んだ。結果は総合15段階評価総合でCーである。ちなみに素描はC+、色彩構成はDー。合わせ技でなんとかCー。一浪確実というワケですな(笑)

ボクはこの時初めて(そして恐らく生涯最後)美大受験の最前線を見ることになったのだが、とにかくみんな上手くてびっくりした。何しろこっちは共通一次が終わってからだから、準備が二週間強しかなかったのだ。

いつから準備をしているのか分からない同じ年の受験生に、歯が立つワケがないとは思っていたが、予想以上にすごかった。

彩色デッサンなんて、初めて見てびっくりした。恐らく日本画コースの生徒さんだと思うのだが「こりゃまた立派な」と、自分のことを棚に上げて感心していた。

これでボクはもう100%浪人を覚悟したのだが、盛り上がったのは美術の先生である。準備期間の短さにもかかわらず、市美のデザイン科でCーを取ってしまったのだ。

ボクは元々美大になど行く気はなかったので「結果はこうでした。ご指導ありがとうございました」で終わりだったのだが、先生の方は「これはもしかしたらいけるんちゃうか?」と本気で思いだしたらしい。

同級生も同じ模試を受けていて、こちらはもう確実に一浪決定らしく、先生はなぜかボクにテコを入れ始めた。

ボクも貴重な時間を割いて教えていただいている以上は「これは受験当日までマジメに付き合わないとしゃあないなぁ」と思ったので、けっこう真剣に指導を受けた。ダメ出しもちゃんと一回でクリアしてたし、なにしろ先生がノリノリなのだ。

「浪人して史学科」と決め込んでいたので、在学中は完全に開き直って指導を楽しむことに決めた。何しろこっちは受かる気ゼロなのだ。春までのちょっとした遊びのつもりだったのだが……。

受かってしまった。京都工芸繊維大学工芸学部意匠工芸学科。

ボクはめちゃめちゃ驚いたのだが、先生は「やったか! もしかしたらやるかと思ってたけど、本当に受かるとはなぁ。近年稀な例だぞ」と言って大いに喜んで下さった。こっちの方がボクには嬉しかったかな。

とにかくボクが通っていた高校は、備西・備後間でも名だたる進学校だったのだ。芸大方面に行く生徒などもちろん皆無に等しく、ほとんどの生徒が旧帝大だの有名私立大学、医大に進学するような環境だったのだ。普通の(?)国公立は滑り止め扱い、という凄まじい環境だった。今は知らん。

それでなくても美術の成績は悪い上に、元々の志望は理系で、三年の夏休みに突如史学科に乗り換えた挙げ句、共通一次が終わってから実技込みとなると、ボクの高校では完全に超少数派(というか開学以来ボクだけかもしれん)の物珍しいにも程がある例なのだ。


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そして、さっさと初志を曲げて入学してるし。デタラメにも程がある、とボクも思ったのだが、また一年受験勉強をするか素直に入学するかの二択なら、迷わず後者を取るのがボクという人間である。

入学したのはよかったのだが、とにかく模試の時の光景はまだ生々しく頭に残っていた。「あんな連中に付いていけるんか?」と不安になっていたところへ入学ガイダンスである。

当時ボクが進学したコースは、一学年30人という徹底した少人数クラス構成の上に、れっきとした工学部である。二次試験では数学もあったのだ。ちなみにこっちはほぼ全滅だ。

高校三年間を数I習得だけに費やしたような理系音痴である。共通一次はそれでも数学はどうにかなったが(理数系科目は数Iに特化してたからなぁ)化学と物理は最悪を通り越して「開学以来の大馬鹿もの」と、担任の先生から怒られたぐらい悲惨だった。

大学の同級生や先輩からは、「鉛筆転がした方がまだいい点になったんちゃうか?」と言われて、「その手があったか」と納得したのだが、時既に遅しである(笑)

共通一次のボーダーを超したのは傾斜配点(英語が200点満点で他の教科は100点満点で計算される)のおかげだ。英語はちゃんと点取れたし。これで合格しているのだ。反則としかいいようがない(笑)

さて、ガイダンスだ。一クラスがちょうど小・中・高のクラス範囲だし、それぞれの学年に実習室が与えられていて、365日24時間オープンだったので、いやでも同級生の話が耳に入る。

「あそこの美術研究所やったん?」とか「もう三年間デッサン漬け」とか、聞くだけで恐ろしい情報がどんどん入ってくる。完全にびびってしまって、またボッチになったのだが、肝心要のことが頭から完全に抜けていた。

当時はかなり珍しい工学部付きのデザイン科である。本来は理系大で、もっとはっきり言えば実技などどうでもいいのだ。理論である。

これでボクは見事に落ちこぼれた。何しろ「デザイン」という言葉とまともに顔を突きあわせたのが、大学に入ってからである。こんなヤツはクラスにボクぐらいしかいない。みんな絵は下手でも頭はいいのだ。

そもそも「デザイン」という概念をまったく理解できなかった。最初の最初で躓いたのである。いわゆるモダン・デザイン論から、実技を交えプレゼンテーションまでを徹底的に叩き込まれるのだ。

理論と実技の違いが分からないボクに理解できるはずもなく、四年間、呆然と怠慢に費やしたようなものだ。

余談だが、日比野克彦が一世を風靡しはじめた頃の話で「アート」「デザイン」「イラストレーション」があらゆる所から噴出していたような時代で、ここにボクの落ち込みが加わると、もう疑惑しかわかなくなったのも無理ないだろう。

せめてデザインの概念だけでもマスターできれば良かったのだが、それすらままならなかった。

ちなみにボクの母校では、正確無比で微塵の揺るぎもない均一な太さの直線・曲線と平塗りのスキルが必須である。一回生の時にみんながスイスイこなしていくのを見ながら「なんで?」と焦りまくっていた。

焦っているうちに二回生になり、一回生でマスターすべきことをマスター出来ていないところにまた新しいスキル獲得が加わる。実技だけでもこの体たらくだ。理論と実技の両立など、逆立ちしても無理なのだが、同級生は易々とこなしていく。

「情けなさもここに極まれり」というところまで追い込まれて、脱出する術すら見つからない。お得意の素描など、なんの役にも立たないのだ。

おまけに、イラストレーションの世界は「ヘタウマ」が流行りだしていて、その前の「スーパーリアル」路線からころっと変わってしまっていたのだ。これを「アート」の一言で片付けられるほど、ボクは度量が広いわけでもなければ、頭がいいわけでもない。

「こっちもあかんわ」と、もうどん底まで落ちた(と当時は思っていたのだが、今考えると、まだどん底からは程遠い浅瀬だった)


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それでも四年はあっという間に過ぎる。出来損ないは出来損ないなりに、何とか単位をかき集め、先生方の温情にすがって、卒業資格は取れたのだが問題は就職である。

とにかく凹みきっていた上に、就職のことなど考える余裕はなかった。たまたま親父に「これからの時代は大学院ぐらい出ておけ」と厳命されたので、大学院を受験することになったのだが、これまた先生方の温情だけで合格したようなもんである。

一番お世話になった当時助教授だった先生は、「フジワラ社会復帰更正プログラム」を大学院で展開して下さった。

印刷も浮世絵も近世・近代日本史も挿絵も何もかも、この先生から教えなおしてもらったようなもんだ。もちろん、これらのカリキュラムは一・二回生でマスターしてるはずなのだが、ボクはこのレベルですら理解できていなかった。

近代日本の技術革新を、印刷という場に限定して下さったのも、この先生である。これでそれまでまったく理解できていなかったことが、一気に氷解した。

それまで理解できなかったデザインという概念も、工学部という立場から見直せばすんなり分かる。どうやら、一度に色々教えられて頭がパンクしていたようだが、この辺を先生はちゃんと見抜いて下さっていた。

ボクがやたらと挿絵に興味があること、素描だけは言われたら言われただけやること、この二つから印刷に導いて下さり、更にはデザイン理論と実践の概要をある程度俯瞰できるようにして下さったのも、全部この先生のおかげである。

ここまでが、大学院入学から夏休みまでの話で、本当にものすごくお世話になった。もちろん、学部の卒業制作の頃からそれとなく布石は打っていてくれたので、短期間で印刷関連だけだが(ここがキモ)どうにかこうにかなるようになれた。

学部在学中から「漫画家にならへんか?」と言われていたのだが、これはこっちから願い下げだった。ストーリーが作れないのだ。絵が上手ければ漫画家になれる、といったものではない。

大学院の修士修了制作(これは別にやらなくてもよかったのだが、節目としてちゃんとしたかったのでやった)は挿絵本を作った。

この時、またまた一色だけで片をつけた。学部在学中の経験から「あれもこれも」はロクなことにならんと、さっさと見切りをつけたのだ。こういう切り捨て方というのが、実はデザインという概念の中にあるのだが、六年かけてやっと応用できるようになった次第である。


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就職してからは色との格闘だった。特に一年目はすごかった。

印刷という生産工程は、一人で片がつけられるほど甘いものではない。特にボクが就職したような大手印刷会社では、役割分担が明確なので、ボクはそれぞれの部署の現場を覗いて回るという実にアホな行動に出た。

結果的にはこれが良かったのだが、別の意味で、変な影響を受けたのも事実である。

もちろん、眺めるだけではなく質問をしまくったのは言うまでもあるまい。分からないこと、気になることがあれば、とにかくその時に聞いてまわった。迷惑な社員だと思うが、ボクはそうやってでしか、印刷という巨大なシステムを肌で感じ理解することができなかったのだ。

大学院時代に印刷は初歩から全部おさらいをしたし、学部時代に実習で一通りのことはやっているのだが、工場規模となると話は別である。理屈は一緒でも、それぞれの工程はさらに細分化され精緻になっていく。

特に製版部門はすごかった。商業印刷の世界で最後の煌めきを見せた、写真製版オフセットの製版現場に足繁く通っていたので、その凄まじさには度肝を抜かれたし、「こっち方面はこの人達がいるから任せて大丈夫」と勝手に役割を押しつけたのも事実だ。

とにかく、クライアントの得体のしれない朱書きを、製版の皆さんは解読して成果を出すのである。もちろん、ボクもさすがにある程度は解読していたが、色校が上がってきて「そうそう、これこれ」と何度喜んだことか。

ボクが上手に口で説明できないのに、ちゃんとクライアントの意向を読み取って具体化するのだ。本当にスゴいと思ったのは言うまでもなかろう。

写真製版オフセット時代を熟知している人なら、経験値としてご理解いただけると思うが、CMYK+特色で出せる色域など高がしれているのだ。特殊な例(化粧品会社のポスターとか、呉服店のカタログとか、プレミア・カレンダー)を除けば、大半がCMYKだけでどうにかしないといけない。

重要なのは「原稿通りに再現する」ことではなく、「原稿の印象を再現する」ことで、ここでキモになるのが墨版である。

ちなみに、当時は10%刻みでしか色指定が出来なかったのだ。それでも「印象」だけは見事に再現する。他の版をそのままにしておいて(いやさすがに多少は触ります)墨版だけを集中的に触るのだ。

そして、出来上がった墨版にあわせて、他の版の調整をちょろっとする。色味を崩さずに印象を再現しようとすれば、これが一番合理的で効率的なのは言うまでもあるまい。

だから製版部門それぞれの部署に、「主」と言われる神業を持った職人さんが必ずいる。この人達にかかれば、印象はころっと変わるし、明らかに原稿の印象に近づくし、再現も出来る。

校正刷りの部門には、ちょっとここでは書けないような恐ろしい技をもった職人さんもいるのだが、これは内緒にしておく。裏技どころか、ほとんど反則技、ケースによっては……これ以上は書けません。

こうした印刷現場の色再現の世界を目の当たりにしながら、ボク自身の色彩感覚はまったくと言っていいほど進歩しなかった。なぜなら、適切な指示をすればちゃんとその色彩を出してくれるのだから。

製版現場もそうだが、デザイナーの皆さんにも随分助けていただいた。ここまで組織的に動くと、ボクが無理をするよりエキスパートに任せた方がいいに決まっているからだ。

特にデザイナーの皆さんには、結果的にずいぶん教えてもらうことになったのだが(ボクが勝手に盗んでいたとも言う)、とにかく変な口出しは滅多にしなかった。コンセプトに沿っていればそれでイイのだ。

ボクはそこだけを確認して、複数案あればボクの責任で選択をし、クライアントにプレゼンテーションする。上手くいけばデザイナーさんのおかげ、失敗したらボクのせいでいいと思っていたし、そういう立場だと思っていたから、ボクの立場内でけっこう無茶なこともした。

役割の範囲内で、クライアントの意向(コンセプトと言ってもいい)が反映されていれば何をしてもいい、とすら思っていたから周りはかなりヒヤヒヤしていたようだ。

色に戻る。写真製版オフセット最後の時代は、デジタルの黎明期でもあった。ボクはここで、アナログとデジタルの両方をまたぐことになる。

本来ならしなくてもいい作業を、実験と称してボクがやらなければいけない羽目になったのだが、ここでデザイナーさん達から盗んだ色彩構成を徹底的に利用した。

何しろ相手はMacである。平塗りが苦手でも、正確で微塵の隙もない線を描くスキルがなくても、全部Macがやってくれる。

勘違いしてもらいたくないのだが、ボクはIllustratorなりPhotoshopなりを実際に使っていたが、気分はアートディレクターのままだったということだ。

デザイナーさんに指示を出すように、Macに指示を出す。ボクはそういう使い方しかしなかったし、今でもそれは一緒である。指示以上の効果は求めないし、期待もしない。

特に相手がMacだと、言った通りのことしかしないので余計に厄介である。Macはピンときたり、思いついたりはしてくれないのだ。

今のAIならやりかねない気もするが、当時はとにかく言われたことすらままな
らない状態だったのだ。ベテランのデザイナーさん達よりもずっと質が悪かっ
たなぁ。

とはいえ、相手は疲れを知らない計算機である。演算処理速度は遅いけど、とにかくマジメに計算はしてくれる(たまに落ちるけど)。だがそこまでである。当然だが、デザイナーさんと作業をするようにはいかない。

こうなったら根競べだ。いや、機械相手に根競べもクソもないのだが(相手が勝つに決まってる)とにかく機械を慌てさせないように、ゆっくり順序よく指示を出しながら(いや、マウスとキーボードを触ってるだけ)、なかなか変わらない画面と睨めっこである。

Macが必死こいて計算している間に、ボクは次の工程を考える。とにかく待ち時間が長かったのだ。Photoshopなんかは、ぼかしフィルターをかけただけで(大した量じゃないけど)コーヒーが飲めて、雑談まで出来るぐらい時間が掛かった。その間に、頭の中であらゆる可能性をシミュレーションをする。

どっちがPCか分からんような状態ですな(笑)

特に色に関しては、ボク自身がシミュレートしてはMacに結果だけを出させて、試行錯誤を散々繰り返したので、多少はマシになった。

埋もれさせていたショボい色彩感覚を無理から引っ張り出してきて、デザイナーさん達の仕事を思いだしながら、とにかく繰り返す。もちろん印刷会社なので、印刷可能な色域でだけである。この辺はボクよりも編集長の方が詳しいと思うので省く。

先にも書いたが、色の指定は基本10%刻みである。これは遵守した。Macだけで商業印刷が出来るほど、世の中甘くはないのですよ。とにかく製版の時の工程に気を使った。

それでも結構な色の組み合わせは出来るし、印刷インク特有の再現性もある程度は理解していたので、無茶な色の指示はMacにもしなかった。

こう書いてしまうと「ひどく窮屈な……」と思われるかもしれないが、もともと色彩感覚が悪いのだ。当時の印刷インクで再現できる範囲は、ボクにとっては十二分に広かった。

娘が産まれてから、ボクの色彩感覚はカンブリア爆発を起こしたような勢いを出し始めた。あくまでもカンブリア紀なので、それ程大したことではありません。とにかく、娘の色彩感覚の豊かさに度肝を抜かれたのだ。

奧さんの色彩感覚も、これまた並外れてすごい。すご過ぎて真似のしようがないのだが、娘となると話は別である。詳細は省くが、とにかく娘には色の楽しさを教えてもらったし、ちゃっかり盗んでもいる(どんな父親やねん)。

とある編集さんが命名した「フジワラ・ブルー」とやらが生まれたのは、ほとんど娘の功績と言っていい。ただの青じゃないんですが、まぁなんか得体のしれない紫がかった変な青ですわ。独特らしいのですが、ボクには分からない。

小学生の時に紫で痛い目に遭ってるはずなのに、わざわざそこに戻るというのは自分でもどうかと思うのだが、やはりキレイだと思ってしまうのである。

もちろん変な紫もありますが、ボクの守備範囲は狭いし、変な色からは自然と目が逸れるように出来ている。それでも紫が気になるのは不思議である。まぁ、性にあってるんでしょう。


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そしてタブローの再開である。

色はウルトラマリン・ブルー、ニッケル・アゾ・イエロー、パーマネント・ローズ、パーマネント・サップ・グリーンだけ。この四色だけでも手にあまる。ホワイトの代わりにジェッソを使っているが、色は全部透明色なのでホワイトの使い方もちょっと変な具合になる。

ああ、あとからロー・アンバーとバーント・シェンナは加えました。これまたなぜか透明色。全部の絵の具を混色すると、何とも言えない不思議で落ち着いた濃色が出来る。

ボクが色を使う時、ホワイトとブラックを極端にイヤがるのは、こいつらの周囲の色への影響力が半端なく強いからだ。こんな影響力の強いモノを使いこなすほど、ボクの色彩感覚は良くない。だから極力避ける。

その代わりと言ってはなんだが、なぜか墨にはご執心である。ここに金・銀・雲母・水晶末・胡粉が加わって、ボクの今の絵はもう光りもんの世界である。

物質色ってやっぱりスゴイと思うし、とにかくPCでは絶対にできないから描き甲斐もある。ちなみに金・銀・雲母・水晶末・胡粉は、色名ではなく素材名である。色じゃないからボクにとっては使いやすいのだ。この辺の感覚がやっぱり完全に狂ってるのだと自分でも思う。

……と長々書いた結果が、「やっぱり色は苦手でした」で終わってしまうところが、ボクのアホさ加減を物語っていると言ってもいいだろう。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com/
http://blog.livedoor.jp/yowkow_yoshimi/

最近、本業で口に糊できないエカキ。これでエカキと言ってイイのか正直不安になってきている気の弱いぼーず。お仕事させてください…m(_ _)m