はぐれDEATH[43]はぐれが勝手に語る観光都市・京都
── 藤原ヨウコウ ──

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いまさら言うまでもないが、京都は観光産業とワコール、京セラだけで保っているところがある。あ、八つ橋とかもあるか……私感バリバリなので、怒る人もいるかもしれないが、ボクから見ればそうだ。

大学等の教育機関の充実ぶりも、京都という狭い地域の中ではかなりのもんだと思う。京都市立芸大も現在の位置(最果ての更に西向こう)から、京都駅南に移動するというから、大学の密集度では相当高いほうだろう。

「歴史と文化の街」というのが一般的な捉え方だろうと思うが、観光で訪れる人には見えない堕落ぶりも、さすがに30年以上住んでいると痛感する。特に京都市中心部は酷い。

最近になってやっと行政が腰を上げて、町家の保存に乗り出したようだが、ボクに言わせれば遅すぎる。京都の中心部こそ、本来なら環境保全に神経を使うべきだったのだ。

そもそも太平洋戦争中に空爆を受けなかった(厳密には違いますが)という好条件にも関わらず、景観はなし崩し的に崩壊しつつある。

景観の崩壊速度が加速度的に上がったのはバブル期である。





一つは固定資産税の問題。これはバブル期に地価が急上昇して維持が難しくなったのと、相続の際に相続税を払えずにいる家主に、大手建設会社が群がったのが主な理由である。

建設会社が景観保全なんてのに注意を払うはずもなく、これで高層マンション(といってもさすがに京都の高さ制限は厳しい)をバンバン建てたり、駐車場にしたりしたもんだから、古都もクソもなく、すっかりただの地方都市のような景観になってしまった。

祇園祭のお手伝いをしているのでよく分かるのだが、本来町家の高さを基準に鉾や山は作られているので、高いビルやマンションが軒並み増えると、正直げんなりする。

新町通はまだマシな方だが、ここ10年ばかりでかなり酷いことになっている。何しろ、御池通の加茂川西岸にばかでかいホテルの建設を認可したのだが最悪だった。それまでは比叡山から東山が一望できたのだが、このホテルのせいで台無しである。

古くからある京阪電車や阪急電車の方がこの辺はまだマシで、中心部では地下に路線を通すということをしている。もちろん市内の道の狭さもあるのだが、結果的にはすっきりした景観になった。

もっとも、まだ京阪電車が加茂川沿いに走っていた風景も、個人的には捨てがたいのだが。あれはあれでなかなか風情があったのですよ。

景観保全という面では、むしろ他の都市にイイ例が沢山ある。すぐには出てこないけど。

地の京都の人は「現実の生活もあるのだから」と言うが、それなら郊外に住宅地域を作ればいいだけの話で(もちろんこれまた景観保全には気を使ってである)、実際代替わりで中心部から郊外に移動する人は多い。

となると、北は御池通、東は河原町通り、南は五条、西は烏丸通りという狭い空間を、今のように商業地域の中心とする必然などないに等しく、むしろ京都駅周辺や他の場所に作ればいいだけの話である。

実際、80年代には北山通りのリニューアルに伴うオシャレな(?)町作りが試みられた。一度は頓挫したものの、最近になって少しまともになってきた。

頓挫した最大の理由は、当時流行った実験的な現代建築だ。居住性など顧みることなく、見た目だけの建物がやたらと出来たので、当初はそれなりに話題になったが、年月と共にあっさりと消え去った。

北山通りがそれなりの復興をとげたのは、植物園の存在が大きいと思う。広くてまったりした空間が、北山にはあっている。今は植物園を中心に、あのまったり感に沿って色々なお店が出来る一方で、現代的な建築物が違和感なく風景としておさまっている。バランスが大事なのだ。

そういう意味では、京都などは都市設計・環境設計のしがいがありそうなものだが、なかなか上手くいかないのが現状である。

ボクがこんなところで文句を言ったところで何が変わるわけでもなく、悲しいかな一庶民としては呆然と見守るしか手がない。

それはともかく、上賀茂にしろ伏見にしろ、ボクが住んでいる場所はナゼかことごとく観光スポットだったりする。

上賀茂は上賀茂神社や葵祭で有名だし、伏見は酒蔵やら十石船・坂本龍馬・幕末動乱期縁の地と見どころ満載だったりする。春秋の観光シーズンには、それこそドッと観光客の皆様が訪れる。

一応、戸籍上は京都市民だし、京都にはお世話になっている。気が向けば道案内もするし(フランス語を話す外国の人に市バスのルートを教えるのは難儀した)ガイドブックに載っていない穴場だって教えたりする。

本来は人見知りが激しく、知らない人と話すのは苦手なのだが、ナゼかこういう時は話せるらしい。理由ははよく分からん。外国人(分かりやすく肌の色が違うひとは特に)相手の方が圧倒的に気楽かな? シカゴでもバンコクでも良くしてもらった経験も一役買ってるかもしれない。

何しろ祇園祭の山鉾巡行で、鉾の上から観覧の皆様に手を振ることすら恥ずかしいのだ。ここ三年程で多少マシにはなってきたけど、ナゼか気恥ずかしい。舞妓さんは別です。滅茶滅茶アピールしまくりだし(笑)

悲惨なのはやはり伝統産業系だと思う。ワコールなんかは、繊維産業の時系列で見れば比較的理解しやすい。京セラはなんだろう? 磁器・陶器関係?

こうした生き残り例は本当に少なくて、ゴリゴリの伝統産業となると、後継者どころか材料の入手すら困難になっているのが実情だ。西陣織や京友禅、その後を現代に対応しようとした繊維産業系は、見事に地方都市や東アジア諸国にマーケットを奪われたのは言うまでもなかろう。

紅染めなんてのはその典型で、染料になる紅の花そのものが高騰しているので、産業としての紅染めは既に死んでいる。代替材で誤魔化した時期もあったようだが、需要そのものもなくなってしまったのが実情である。

紅染めを例にあげたのは、奧さんのお父さまから話を伺っていたからだ。生々しいにも程があるのだが、実際そうだったらしい。この手のロストテクノロジー話は、前に書いたような気がするので端折る。

ただ、景観問題も根をたどれば、同じような結果にしかならないのではないだろうか。

町屋に住んだことがあるが、とにかく夏は暑い、冬はとことん寒い。伝統的な町屋に耐えられる現代人は皆無に等しいのではないか、と思うぐらいの厳しさである。もちろんボクはダメです。冬に凍死する。夏は我慢出来ますが、PCが間違いなく死ぬ。

その点、土蔵は本当にご機嫌で、夏は涼しく冬は暖かい。もちろん京都市内なら、エアコンなどという野暮なものも必要なさそうな気すらする。一時期は本気で土蔵に住むことを夢見たもんですが、職人さんもいなければ、お金もないので諦めた。

一口に町家といっても、そう単純ではない。商家の造りと職人さんの家の造りは、似ているようで違う。細かく説明し出すと長々しくなるので端折るが、これは京都に限った話ではない。言葉遣いも同様。

「京言葉」の一言では片付けられないのだ。分かりやすいのは、やはり商家と職人さんの違いだろう。ちなみに舞妓さんの喋る言葉もまた違う。今は大半の京都人が所謂「京言葉」は話せそうな気がしない。大阪の言葉がかなり混じっているのだ。

娘はまだマシな方だが、ボクの怪しい標準語と広島弁と関西弁と北九州弁が混ざっているので、本人曰く「かなり怪しい」そうだ。ボクよりは余程マシだと思うが、ネイティブ京都人なのでそうなのだろう。奧さんはこれまたネイティブなので、かなりコアな部類に入るが職人さん系の言葉である。

商家さんと職人さんの言葉の違いだけは、鉾立でよく耳にしているので聴き分けられる。さすがにリアル公家言葉はない(と思う)。

ご存じの方も少なくないと思うが、いわゆる「平安京」はもっと昔に火事で焼失している。今ある御所は、元は土御門東洞院殿で、南北朝時代の北朝方の内裏として、その後南北朝の統一後、正式の皇居となっている。

平安京の元の位置はもっと南西。この位置関係をきちんと把握していないと、東寺がなぜ今の御所より西にあるのか、とかいうような初歩的なところでこんがらがる。

京都の通りや町の名前も、元の平安京をベースに名づけられているので、注意が必要だ。晴明神社の位置も、元の平安京の位置で把握しないとワケが分からなくなる。

ざっとメジャーなところをあげてみたが、14世紀から既に狂っていることは狂っているのだ。

ちなみに応仁の乱、安土桃山時代、江戸時代にもマイナーチェンジを繰り返してる。明治維新の時は大騒ぎになったらしいが(皇居が東京に移っちゃったしね)それでも近代日本の変化に遅れるどころか、色々先手を打っていたりする。日本最初の小学校とかは有名。

色々いちゃもんをつけているが、スケール感だけは平安時代からさして変わっていない。主要道路はともかく、新町通りに代表される細い道がでふぉなのだが、基本歩くことをベースに都市設計が行われているので、大抵の場所には歩いていけるし、根性がない人はチャリに乗ればどうにでもなる。

このスケール感が、京都と伏見を明確に分けている。明治維新直後は伏見市だったことからも分かるように、伏見は京都とは別の場所なのだ。この辺は『洛中洛外図』を見ればソッコーで分かると思う。

さすがに京都市内のように、歩いてちょろちょろ出来るような場所ではないので、中心部の景観破壊とは異なる変化の仕方をしているようだ。

初めて伏見に来た時に驚いたのは、古い家屋の多さだった。初めて京都に来た時のような既視感があり、懐かしさすら感じた。京阪電車も地上走ってるし。

ボクが住んでいるのは寺田屋の近所なので、伏見港を中心とした水運都市の痕跡を目にすることが多い。ちなみに伏見稲荷にはまだ行っていない。機会があれば是非訪れたいのだが、観光客の群れに混じるのはちょっと……。

前に書いた気がするので詳細は省くが、関東単身赴任暮らしを終えてこちらに戻って来て、伏見に仮寓を構えることになったのだが、とにかく荒みきっていた心が落ち着いた。

比叡山・東山の代わりに、桃山・醍醐山を東に望む風景と水路、その周りの自然や神社・仏閣、狭い道……とにかくボクにはちょうど良い。

ただこの辺も去年から様変わりしてきた。原因はやはり、相続税問題とその後の開発である。

「伏見」というところを差っ引けば、どちらかというと活気のある地域だし、大手筋商店街の賑わいもなかなかのもんである。

だが、ボクが伏見に来た時にあった町家・古い家が10数軒、潰されて更地になっている。来た時から工事が始まっているところはマンションなのが丸分かりで、結構げんなりさせてくれる。

まぁ桃山城築城当時の武家屋敷がキレイになくなってるので、今更感は否めないが、可能な限り残して欲しい景観である。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
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最近、本業で口に糊できないエカキ。これでエカキと言ってイイのか正直不安になってきている気の弱いぼーず。お仕事させてください…m(_ _)m