ショート・ストーリーのKUNI[225]全然似合わない
── ヤマシタクニコ ──

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ある日シモヤマさんは決心した。

トースター買おう!

シモヤマさんちにあるオーブントースターは、一人暮らしを始めたとき先輩がプレゼントしてくれたものだ。かれこれ三十年前の製品で、当時の流行だったのか真っ赤なボディ、若干丸みを帯びたかたちはかわいいといえなくもない。

好みの時間にあわせてつまみをまわすだけの、ごくごくシンプルなものだが、少し前からさすがに調子が悪くなっていた。つまみを回すとウイーンと動き出すものの、ヒーターが赤くならない。いつまで経っても冷たいまま。

ところが何かの拍子でうまくいく。五回に二回くらいうまくいく。よく見るとコードの根元が曲がっている。それが関係するのか、コードを抜き差ししているうちにうまくいったりいかなかったりするのだ。

コツがわかってきて、注意深くやれば五回に四回くらいうまくいくようになる。ところが、それでも段々悪くなってきて、五回に一回くらいしかヒーターが赤くならなくなってきた。せっかく身につけたコツも無力。

人生、コツだけでわたっていけるような甘いものではないと知る。やっぱり寿命か。

新しいのを買おう!





ネットで調べると、ものすごい数のオーブントースターがひっかかってくる。

何せ三十年。その間、トースターの世界をのぞいてみようともしなかったが、いまや聞いたこともないメーカーが参入しているし、上は何万もするやつから下はケーキ五個分くらいまで価格帯も広いし、機能も微妙に違っててよくわからない。

まさにオーブントースターの海にいきなり飛び込まされて、上から下からきつね色に焼かれてしまいそうな気分。こりゃ大変だ。

腹をくくってかれこれ一週間、仕事の合間にトースターのスペックを比較検討し、レビューを読みふける日々。

これはコンパクトだが焦げやすいらしい。これは安いが、もうワンランク上のやつがフライのあたためにはいいらしい。これはめちゃ高いがレビューには「トーストのイメージが変わります!」「ワンダフォー!」となってるし、こっちは小さくてたよりなさそうだが「一人暮らしには何の問題もなし!」とあったり、奥行きが狭いが横幅が広いのがあると思えば背の高いのがあるし……

シモヤマさんは疲れ果て、なんでオーブントースターごときにこんなに時間と労力を費やすのかと自己嫌悪に陥り、自暴自棄になり「別にトースターがなくてもデニッシュとかドーナツ食べてりゃいいんじゃね!」という結論に走りかける。

しかし、それを乗り越え……ついに「これだ!」というのに決めた。やった。ゆゆゆ優柔不断の自分にも決断できた! うおおおおおおおおーーーー!

そのとき。

試しにトースターのつまみをまわすと何の問題もなかったようにヒーターが順調に赤くなる……。

それから約二年。

またしてもトースターの調子が悪くなる。いや二年もったのが奇跡というか、しつこいというか。でもやっぱり、使えるのが五回のうち三回、二回、さらに一回となり、とうとうあらゆる角度から試してみても、たたいてもなでてもさすってもうんともすんともいわなくなった。

シモヤマさんは今度こそ決心した。

トースター買おう! 絶対買おう!

しかし二年経ってるので、前回の復習から始めないといけない。連日トースターのスペックを比較検討、レビューを片っ端から読んで……いるうちさすがに前回もこれ読んだなと思い出し……はするが悩むのは同じこと。

そしてやっと決定! これにしよう! 今度こそ買うんだ!

ついに、ついに……

ぽちっ!


「で、今度は試しにトースターのつまみを回したりしなかったの?」

三十年来の友人が言う。

シモヤマさんは彼女とふたりで、パンケーキを食べながらお茶しているのだ。

「しないことにしたのよ」

「それが正解よね」

友人はふいっと口角をあげたと思うと、小さくためいきをつく。

「何事も未練が一番よくないのよ。こいつはだめだと思ったら、さっさと手を打つこと。もしかしたら、まだ可能性があるんじゃないか、やりようによってはいけるんじゃないか、なんて思わないこと。まして悪かったのはトースターより自分だったかもなんて思うのは論外中の論外」

「なんか深そうなんだけど」

「別に。でも世の中にトースターなんていーっぱいあるんだから。たったひとつのトースターしか知らずに人生終わってどうするのって話」

「やっぱり深いじゃん。ていうか、あえて深いところに持っていってるような」

「そんなことないわ。でもね。だめトースターってやつほどいざ見限られそうになると、そこでやっと本気出すのね。ちょっとだけ。そしてそれにつられてしまうのがだめ持ち主。結局、まただめになるのは時間の問題なのに。読まれてるのに気づかない、あわれなだめ持ち主。だめ同士のもたれあい」

「いや、もはやトースターの話じゃないのに、無理矢理トースターの話にしてるでしょ」

「そんなことないよ」

「トースターに読まれてるって何それ」

「ちがうってば。あたしはあんたとちがうの」

「え、どういう意味」

「あんた、下手な小説書いてるでしょ」

「む……まあ」

「その中で、よく何でも擬人化するじゃない」

「そ、そうかな」

「私はそんなことしないから。トースターはトースターなの! へたに擬人化して何にでも情を持ち込もうとするのがあんたの悪いとこ」

「うーん……ま、そういえば実生活でも、つい名前つけてしまったりするんだよね、私」

「あーやっぱり」

「実は、いまのトースターも『ゆうくん』と呼んでて」

「ゆうくん?!」

「うん。ころんとしておだやかでまったりした感じで……名前を『ゆうま』にしたの。あ、ひらがなでね。で、ふだんはゆうくん。『おー、ゆうくん、今日はご機嫌ねー。パンがうまく焼けましたねー』『ゆうくん、今日はどうしたの? 焼きたくないの? んー、じゃあ仕方ないね』てな感じでいつも話しかけてる」

「やってられないね。なにがゆうくんだよ。そのゆうくんをお払い箱にしようとしてるくせに」

「そうなの。そこがねー。だから、あえてもうスイッチいれないし、目をあわせたりしないようにしてるの。つらくなるからね。もう、今日明日にでも次のトースターがママゾンから来るし。ゆうくんのほうは、粗大ゴミ受け付けセンターに申し込んじゃったし」

「うわー、薄情」

「だってー……」


そしてついに、新しいオーブントースターがママゾンからシモヤマさんちに到着した。輝くばかりの真っ白な筐体。コンパクトながら機能は十分。パンをのせるアミも調理トレイもパンくずトレイもぴかぴか、つまみはスムースにまわるし、タイマーが完了すると鳴る音も控えめでかわいい。

「これに比べたらゆうくんはチン!! と思い切りでっかい音出してたよな。でもそういう素朴なところがいいんだけどね」

ゆうくんが元いた場所に新しいトースターを置き、ゆうくんは粗大ゴミ収集の日まで部屋の隅に置いておくことにした。

その晩、寝苦しいのでふと目を覚ますと、部屋の隅にだれかいるような気配がする。気のせいか……眠いなあ……いや? 気のせいじゃない、たしかに誰かいる。

長ーくぶら下がっている照明のひもを引く。まぶしい光の中にいたのは、でっぷり太ったおっさんだった。見知らぬおっさんがすぐそばでうずくまってる!
 
ぎゃーーーーーーーーっ。

震える手でiPhoneを取り上げ110番しようとすると

「ちょ、ちょっと待ってえな」

でぶのおっさん、いや年齢的にはじいさんぽいやつが言う。

夏でもないのにランニングとでかいトランクス、髪はぼさぼさで顔や腕にでかいほくろがいくつもある。

「だだだだだれなのよ、あんた!」

「だれって。みずくさいなあ」

声まででぶでぶしてる。

「あんたがいつも呼んでる『ゆうくん』やがな」

「えーっ!……うそ! ないない、絶対ない! ゆうくんはあんたみたいなお
っさんじゃない!」

「おっさんで悪かったな! わしかて三十年前、ここに来たときはかわいいぴちぴちの男の子やった。しやけど、三十年やで。トースター年齢というのがあってな。人間より早いこと年取るねん。犬や猫も、十五年も生きたらよぼよぼの年寄りやろ? トースターも三十年生きたら、もう、あっちこっち痛うて……ん? なんやその顔。信用してないな」

「あたりまえでしょ!」

「うそちゃうがな。見てみい。わしの腕にも顔にいっぱいついてる、これ。ほくろでもでんぼでもない。レーズンパンを焼くときに落ちたレーズンや。あんたがほったらかしにするから、もう炭化したレーズンだらけやっちゅうねん」

「あ、確かに……」

「わしは何でも知ってるで。あんたが若かったころのこと。仕事で失敗してめそめそしてたときのことも、新しい服買うてきてうきうきしてたときのことも。そうそう、モスグリーンにストライプ柄のあのワンピース、あんたにぴったりやったなあ」

「えー……そう?」

「納得してくれたか、わしがゆうくんやということ。そやで。わしら三十年いっしょにいたんや。長かったなあ」

「そうね……」

「しやのに、何やねん。粗大ゴミに出すて、どういうこっちゃねん!」

「いや、それは」

「ゆうとくけど、わしはまだその気になったらりっぱにトーストできるんやで。しやけど、体もえらいし、昔みたいにきびきび反応でけへんだけのことや。人間でいうたらもうリタイアしてのんびりしたい。週三日、いや二日くらいの非常勤にしてくれたらええなと思うてたんや」

いや、週二日も働く気なかったくせに、とシモヤマさんが言おうとしたが、さらに、ゆうくんは

「それやのに勝手にママゾンで新しいトースター注文してしもて。わしがどんだけショックやったかわかるか!」

ゆうくんは炭化したレーズンだらけの顔でおいおい泣き始めた。

「ああ、そそ、そうだね……ごめん」

「人間なんか信じられへん! 信じたわしがあほやった。しやけど……しやけど、まあええわ。許したるわ、ほかでもないあんたのことやから。そのかわり粗大ゴミに出すのはやめてくれ。勤続三十年のわしを捨てるようなあほなことはすんな。わしもちゃんと働いてみせる。経験を無駄にはせん。そや。なんやったら、新人教育係になってもええな」

「新人教育?!」

「そうや。あんたがどんなトーストが好みか、いちばんよう知ってるのはわしや。付属のマニュアルなんかには載ってないこと、わしだけがわかってることがいっぱいある。ママゾンから届いたあの若造をじっくり仕込んだろやないか! これはわしの使命や、まかせとけ!」

「いや、あの、それは、別にいいから……」

「いらんと言うてもあかん! わしは粗大ゴミになんかなれへん! 絶対ここを動かん! てこでも動けへんで!」

そんなこと言わないで……ゆうくん、ごめん……ゆうくん……全然似合ってないけど……ゆうくん……どこがゆうくんなんだと思うけど……謝るから……謝るから……

いつしかふたたび眠りにおちたシモヤマさんであった。

次に目覚めたときには室内はすっかり明るくなっていた。あのでっぷり太ったじいさんはいない。やはり夢だったのだ。

と思っているとピンポンピンポンとチャイムの音。

「シモヤマさん、シモヤマさん!」

「○○市のものですが、今日の粗大ゴミの収集、申し込んでおられますよね。えーと、トースター? ですか。それが指定場所にまだ出てませんが?!」

ひえー、収集は今日だったのか! 朝の9時までに出しておかないとだめなのだった。

「すいません、今すぐ、はい、ちょっと待って下さい」

ドア越しに返事をして、あわてて部屋の隅に行き、トースターを持ち上げる。いや、持ち上げようとした。しかし……動かない。びくともしない。鉛の塊のように、途方もなく重い。これは……。

「シモヤマさん、早くしてくださいよー!」


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OSのアップデートとかが苦手で、ついつい後回しになる。iPhoneもiOS8のままほったらかしにしてたら「このままではポケモンgoができなくなりますよ」という意味の警告が。

仕方ないので「8」からいきなり「11」にしたら、かなり変わっててアップデートのしがいがあった。「メモ」をけっこう使うんだけど、手書きもできるし、テーブルも簡単に作れるようになっているし「スキャン」なんてメニューもある。びっくりだ。ヘルスケアも見やすくなったし……ってもちろん、皆さんとっくにご存じですよね、はい。次はMacだ(まだyosemiteです)。