[4467] とことん小心者のはぐれの時間感覚

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《慌てふためくのは準備不足》

■はぐれDEATH[46]
 とことん小心者のはぐれの時間感覚
 藤原ヨウコウ



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■はぐれDEATH[46]
とことん小心者のはぐれの時間感覚

藤原ヨウコウ
https://bn.dgcr.com/archives/20171201110100.html

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●「時間のせい」じゃない

ボクはそもそも思考やらなんやらが完全に狂っているので、当たり前の話だが、世間様の時間感覚がまったく分からない。

さすがに三年間の会社員生活をしたおかげで、ある程度は予想できるが、ボクが会社員をしていたのはもう25年前である。当時と今を比較する気はさらさらないし、そんなアホな比較をしたところで何かが解決するわけでもないので、さっさと放棄する(笑)


できない理由を 忙しさのせいにしたとき、心が亡くなる。

できない理由を 歳のせいにしたとき、歳が老いる。

できない理由を 誰かのせいにしたとき、自分がわからなくなる。

何かのせいにした言い訳が 全部自分に返ってくる。

できない理由を 自分のせいにしたとき、できる自分が返ってくる。

─DJあおいさん─より
http://www.xn--hoq928acpilvnv8ky6pbuf.jpn.com/article/447619688.html



なかなか良い言葉だが、これを実践するとなると大半が「時間のせい」にされそうな気がする。

ちなみに、言い訳はお得意だが(というかほとんど虚言とか妄言に等しい)、時間と悩みをネタにしたことはほとんどない気がする。どっちも言い訳としては、最低の部類に属すると思っているからだ。

時間そのものは絶対的にしろ相対的にしろ、限られたスケールに過ぎないし、悩みは結論を出せないでいるというだけの話である。まぁ、ここまでばっさり切るのも正直どうかと思うが、突き詰めればボクの場合はこうなる。

アホの悩みは横に置く。というか、ほとんど悩みなんてないんですがね。原因ははっきりしているし、どうしなきゃいけないかも分かっているので、粛々と行動するだけである。

●下準備を万全に整えている

時間に関しては、「時間がない!」とみなさんよく叫んでおられるのですが、どうして時間がなくなったのかを理解しようとしない。だから同じコトを繰り返す。理解していてもそうなってしまう人もおられるようですが、これはもうその人次第なので、ボクが口を挟むことではない。

前にも書いた気がするのだが、ボクは同時並行で複数の案件をこなす能力が皆無である。一つづつ、が基本だ。だから、優先順位の高い方からさっさと片付ける。

これは時間的な優先順位も含まれていて、いわゆる一般的な「切羽詰まった締切」とやらも、ボクの手に掛かれば大抵軽く片付けられる。これは手が早いというコトもあるのだが、下準備を万全に整えているから出来るのだ。

というか、未知の領域に突入しようとした時、時間がどれくらい掛かるかなんてのは当然予想できない。だから、新しいコトをする時は、時間とスキルの相関関係も同時に把握する。

少なくともこれが出来なきゃ、ボクのような外道エカキはやっとれん。ましてや、新しいコトをいきなりお仕事で実践など愚の骨頂である。必ず前もって確認をしておく。

その上で、来るお仕事のスケジュールは決める。大抵、最悪のペースをベースにするので、場合によっては三週間前倒しで納品などということを平気でする。単なるリスク管理の話なのですが。

ちなみに今朝送ったラフ(今日は金曜日だ)は、担当さんには「週明け」と昨日言っていたのだ。いきなり二日すっ飛ばしてるし。

まぁ、この担当さんとは付き合いが長いので、ビックリもされないのですがね。

●がっつり前倒し

ボクが一番恐れているのは、「間に合わない」という事態である。大学生の時はめちゃめちゃルーズだったのですが(これは単なる甘えだ)、卒業制作から大学院の論文・制作はがっつり前倒しで余裕をぶっかました。

卒業制作の修羅場は一回生の時から目にしており、「これはシャレにならん」と本気で思っていたので、まだ周囲が制作案の煮詰め作業でのんびりしていた12月頭には、既に試作を開始していた。

幸い担当教官も割と緩い人だったので助かった。それでも暮れと正月も一人、実習室で黙々と試作を繰り返していた。

これは楽がしたかったからなのだ。最初から下級生をこき使う気でいたので、作業ルーチンを完全に把握しておきたかったというだけの話で、結果的にはまだ手があいていた下級生を大動員して、あっという間に片付いてしまったというだけの話だ。

そして、終わって手のあいた後輩に同級生のお手伝いをしてもらった。もうほとんど女衒か手配師のような話だが、もちろん量的にも時間的にもヤバそうな人には人数を割くし、後輩の性格や得意分野も勘案して割り振っていた。

もっとも、卒業制作が佳境に入った時は、ボク自身もお手伝いしていたのだが、イラスト系の手伝いは完全に失敗だった。ボクが描いたところだけ、あからさまに絵の空気が違うのである。謝って他の人のお手伝いにいった(笑)

大学院の時は、論文そのものに一年目の夏から手をつけていた。とにかく、調べた端からじゃんじゃん作文にしていたのだが、これは珍しく起承転結が明確だから出来ただけの話で、制作も同様である。

●クライアントの無茶は通さない

ボクはとことん小心者なので、パニックになると完全に思考停止をしてしまう。この思考停止時間が長引くと、ロクなコトにならないのは言うまでもあるまい。

とにかく、冷静に考える余裕が必要なのだ。もっと分かりやすくいえば、何をするにも人よりも時間が掛かるのだ。この点に関しては、とことん不器用に出来ているので、しゃあなしである。不器用なら不器用なりに、前もって準備しておかないと仕方ないではないか。

入社した会社が印刷会社だったのも、この歪な強迫概念に拍車をかけたような気がする。とにかく締切はそのままで、次から次に修正が来るのである。

まともに応対していてはラチがあかないので、修正の理由を問い質したり、修正そのものを撤回させたり、今考えると結構無茶なことをしていた。

予算も据え置きだったりするので、余計に頭に来るのは言うまでもなかろう。とにかく「え? 今頃???」というようなことを平気でしてくるのだ。

もちろん、こういうクライアントには、その後きっちり防御策をたてさせてもらった。毎回、無茶が通ると思われてはこっちもたまらないし、お仕事をお願いしているデザイナーさん達にも迷惑は及ぶのだ。

これは経費の問題ももちろんだが、それまで制作に費やした時間を根こそぎひっくり返されるようなものなので、黙って目をつむるわけにはいかないのだ。現場に迷惑を掛けて平気な顔をされてはこちらの立場がないではないか。

ボクが会社にいたのは、何度も書いたがたった三年である。1990年の4月1日から1993年の3月31日までであり、ボクは24歳から27歳。若僧にも程があるのだが、何をするにしろものには限度がある。

限度を超えれば歳は関係ないと思っていたので(若いってすごいなぁ……)年長者(いや年長の方しかいなかったんですが)にだって平気で噛みついていた。ボク的な「スジ」が通っていなければ、社内の規律も上下関係もクソもないので、もうほとんど狂犬状態である(笑)

ってか、いい大人なんやからちゃんとスジぐらい通してくれ。

これらのアホな事態には、すべて同じ理由がある。準備がまともに出来ていないのに、お仕事は容赦なく降ってくるからだ。この場合の準備はボク個人ではなく、制作をお願いするデザイナーさん達や、担当営業さんとのコミュニケーションが未熟なせいであったことは、正直に白状しておく。

だが、さすがに二年目ともなると、コミュニケーションが出来ていないなどと言うアホなコトはなくなっていた。それでも、思ってもみなかった方からタマは飛んでくるのだ。北朝鮮のミサイル実験の方がよほど気楽なぐらいだ。

ちなみに、ボクは二年目の春に異動になっている。社内的にもかなり危険人物になっていたのだろう。主に営業からのクレームと思われる。かなり容赦なく叩いたからなぁ。

●きっちりスジを通してくれるクライアントもある

幸いなことに、異動した部署は主なクライアントさんが銀行関係だったこともあり(銀行はめちゃめちゃシビアなのだ)営業さんも無茶なことには絶対に首を縦に振らないし、そもそもクライアントさん自体が無茶を言わないのだ。

業界の体質もあるのだろうが、ちゃんと前もって準備期間をおいてくれて、準備万端整ってからこちらに来るので、この部署でボクが揉め事を起こしたことは一度もない。

何しろきっちりスジを通してくれるので、こっちが騒ぐようなことは皆無だったのだ。営業さんとの関係も極めて和やかで、当時の営業部長さんにもずいぶん可愛がってもらった。

「フジワラに任せておけば、バカなコトは絶対にしないし、大間違いもない」というのが理由だそうだが、バカなコトをしようにもバカなコトが起きないのでしようがないではないか。

ボクだって、好きでヒステリックにあちらこちらに罵声を浴びせていたわけではないのだ。営業さんがちゃんとスジを通してくれるから、安心して業務に集中出来ただけの話である。

ちなみに、大間違いをしそうになったことは正直ある。だが、ちゃんと上司や担当営業さん、デザイナーさんがすぐに突っ込みを入れてくれるので、大事故にならなかっただけの話である。ボクの能力ではない。

●自然に手が動く

フリーになった時には、この体験が完全に身に染みついてしまっていた。慌てふためくのは準備不足、ただそれだけの話である。

だから、暇な時は(暇な時ばっかりだけど)出来るだけ手を動かした。試行錯誤もこの時にやれるだけやる。お仕事が来た時は、既に身体に叩き込んであることだけで対処する。

もっとも、ボクの試行錯誤は基本的なことだけなので、応用はいくらでもきく。と言うか、そんなにいくつもスキルを増やす必要などないと思っている。

もちろん「スキルは多いに限る」とメクラ滅法に無茶をした時期もあるが、結果から言うと、基礎にそれほど差はないのだ。だから、ある時期から基礎を徹底的に叩き込むようになった。

素描である。結局エカキはここに辿り着くのだ。

とにかく「自然に手が動く」状態にしてしまう。これで大抵の時間問題は片がつく。なぜなら、手を動かす時には、既に完成型が頭の中に出来ているからである。

手を動かしながら考えるという、器用なことは未だに出来ない。だから、手を動かす前に徹底的に考える。案件が複数重なれば、考える順番を決めてしまう。ボクの場合、これが一番効率的である。

考えるといっても、原稿があるので読めばいいだけの話である。それほど大層なことではない。必要な情報はすべて原稿の中にあるのだ。その情報をきちんと咀嚼できるかどうかであり、当然のことながら周辺情報も前もって頭に叩き込んでおく。

これは大抵、普段の雑食読書でどうにかなっているので、あまり問題にならない。まぁ、寸前になって調べることは、せいぜいディテールを確認する程度のコトだけで、それほど時間を取られることはまずない。役に立たない知識は腐るほどあるから、呵々♪

この稼業を始めて22年になるのだが、その間に読んだ原稿だって、今のボクの知識の元になっている。アホなネタからシビアなネタまで、ジャンルを問わずとにかく知識として残ってしまうので仕方がない。そのくせ、自分がどんな仕事をしたのか憶えていないのは実に不思議である。

●時間は限界がある

これまで述べたように、時間は相対的であれ絶対的であれ、限界があるのだ。この大前提を無視したり、軽視したりするとエラい目に遭う。ボクはお仕事でエラい目に遭うのが大嫌いなので、この大前提から目を逸らさない。

もっと話を広げれば、人生のリミットがいつ来るかなんてのは、ボクのような人間には予想もつかない。もちろん、健康診断などロクにしていないので(せいぜい入院させられた時ぐらいか)自分の身体がどう言う状態なのか、さっぱり分からないし、知ろうとも思わない。

なにしろ、正確な身長と体重すらボクは知らないのである。血糖値がどうの、血圧がどうの、コレステロールが、ガンマGTPが(なんのことやらさっぱり分からん)、体脂肪が、etc、etc……すべて知らん。

死ぬ時は死ぬのだ。いらんこと(!)に時間を割くぐらいなら、エカキとしての自分を磨く方がボクには重要である。これまた時間の使い方の優先順位の話に過ぎない。

再三白状しているが、ボクは作文が大の苦手なので、手があいた時とか、ネタが浮かんだ時にさっさと作ってしまって、編集長にお預けである。編集長は時々「あと作文の在庫○本」と知らせてくれるので助かっている。作文だけはいくら書いても、質も量も掛かる時間もさっぱり分からん。

おまけに書いたハシからこれまた忘れているので、時々過去に掲載されたネタを確認しているぐらいである。それでもかなり重複している。送ったつもりで送っていなかった、というのもザラにある。

ネタが豊富なのではない。その時々に思いついたことをそのままだらだら作文にして五月雨式に送っているだけで、最近ではほとんど備忘録のようになってきた節すらある。

とにかく作文に関しては、どれだけ経験を積んでも間違いなくパニックになるのは明白なので、つらつら書きためている。ちなみにこの作戦は、作家の北野勇作さんからパクッた。

実際、ここの作文に関しては計画性のカケラもないので無責任そのものだが、さすがにある程度は、余裕を持って書いているのも事実である。だから思いついた時には必ず書く。

いかに思いつきでしかやっていないかということを自白するようなもんだが、別に作文で口に糊しているわけではないので、全然気にしていない。絵はさすがにこうはいかない。もっとも、最近は絵で口を糊しているとは言い難い状態ではあるのだが。

●だが時間ごときリスクは当然回避できる

ボクの大抵のお仕事は、最終的に印刷・製本・加工という工程が後にあるので、もと印刷屋としては当然の事ながら、ボクで作業を滞らせることだけは避けたい。もっとも、作家さんによっては厳しい日程になる方もおられるが、こういうケースではボクの所で、可能な限り時短できるようにしている。

要は全体のスケジュールの中で、ボクが担当する工程がどこまでショック・アブソバー的な役割が出来るのかということで、ここに関してはそれなりに機能しているようだ。

しわ寄せはボクの所でどうにかしたいのである。何しろ短い会社員時代に、アナログ・オフセットの世界を堪能していたのだ。機械が止まる、ということがどれほど多くの人や、工場機能そのものにダメージを与えるのかは痛いぐらい知っている。

今と比較すること自体が間違いなのだが、とにかくボクにとっては締切が守れない=「工場のラインが止まる」なのだ。製造業でラインが止まるというのは、莫大な損失と負債を意味する。本当にシャレにならないのだ。それこそバタフライ効果並みに被害の連鎖が続く。ラインの末端など、地獄そのものである。

ちなみに、配属されて最初にやったのは、版下の修正作業だ。どエラい量の修正が校了直前に入って、とてもではないがデザイン事務所さんだけでさばけるような状態ではなかったのだ。

って、入社早々、版下修正してしまうボクもボクなのだが、幸いなことに学生時代に痛い目に遭っているので、同期と違ってさくさく出来る。このおかげで「やばくなった版下修正はフジワラ」というアホな法則が出来てしまったのには参ったが。営業さんはこの手の作業が出来ないので、一括して文字校である。

当時はもちろん、今のようにPCでちょろちょろっと出来るもんではない。手作業で1mm以下の作業をするのだ。それなりに慣れていないと、できる作業ではない。とにかくコピー機とスプレー糊、カッター、方眼定規は必須で、あとは限られたスペースにいかにしてスペックを突っ込むかである。

「こんなスペースにどうやって入れろ言うねん!」などというのは当たり前で、レイアウトに至っては、もうジグソー・パズルの如き状態になってるのだ。ってか、こんなアホな修正引き受けんといてくれ、と罵声を浴びせたくなるようなことばかりだ。実際、罵声をあげてたけど(笑)

校了直前でレイアウトそのものに手を入れるというのは、本来なら絶対にやってはいけないことだ。そのために、何度も校正を出しているのだから。

「ボクが担当している案件を、手伝ってくださったデザイナーさん達には、絶対にやらせたくない」と思ったのも無理ないだろう。それでも、無理を頼まなければいけないケースだってあったのだ。本当に勘弁していただきたい。

迷惑を周りに掛けまくって生きているボクが言うのだから、どれほどの惨状かは想像できるだろう。

何をするにしてもリスクは当然ついて回るし、時間などは正にその典型である。ある程度の経験値があれば、時間ごときリスクは当然回避できるはずだし、引き受けた以上は、いかなる状態でも納品する責任と義務があるのは当たり前の話だ。

無理なら引き受けずに断ればいいだけの話だ。こんな簡単なことが、ナゼできない?

こればっかりは本当に理解できないのだが、21世紀になってもまったく改善されないどころか、更に悪化しているような気すらする。世の中どうかしているのではないかと、ボクが不思議に思っても仕方なかろう。学習出来ない人間はどの時代にも少なからずいるもんだ、と諦めないとしゃあなしである。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com/

http://blog.livedoor.jp/yowkow_yoshimi/


最近、本業で口に糊できないエカキ。これでエカキと言ってイイのか正直不安になってきている気の弱いぼーず。お仕事させてください…m(_ _)m


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編集後記(12/01)

●昨日、デスクが後記でドイツのことを知りたいと書いていたので、最近読んだ川口マーン惠美「ドイツで、日本と東アジアはどう報じられているか?」を紹介したい。ちょっと古いかもしれないが(2013/祥伝社)。筆者はシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。シュトゥットガルト在住。作家。

日本人はなぜかドイツが好きだが、ドイツのメディアは日本に無知で悪意に満ちあふれている。一方で中国に対する報道はきわめて好意的だ。ことアジアについては不公正で質が低い。中国と韓国の見解を事実として取り上げ、日本の主張については、まったく無視している。ドイツと中国はいまや蜜月時代で、中国のプロパガンダが行き渡り、日本に関する報道は歪曲されまくっている。

東日本大震災の原発事故についての、ドイツの反応はひどいものだった。「いつもは何に対しても懐疑的なくせに、何かの拍子でマイナスの方向に振れると、集団パニックや過激なデモなど、一丸でとんでもなくヒステリックになっていくのがドイツ人だが、今回も例外ではなかったようだ。そういえば、チェルノブイリ原発の事故にときも、一番ひどい風評が巻き起こったのがドイツだった」

ドイツ人は自分たちの脱原発の決定に大いなる誇りを持つ。実際は2023年には止めようと言っているだけで、脱原発計画は大いに難航している。なぜかドイツ人はそれを完璧に無視する。強情で頑固な国民の、盲目的なまでに強靱な意志である。日本に関するニュースは、数年間、ほぼ90%が原発がらみで、中国人のノーベル文学賞の記事は多いのに、山中伸弥は殆どニュースにならない。

ドイツのメディアは、日本国民は脱原発を欲しているが、民主主義の精神が未だ分かっていないので、唯々諾々と権力者に従っている、「フクシマから何も学ばない日本人」だと非難する。とにかく「日本人は何も知らない」という認識は大抵のドイツ人が持つイメージだ。ドイツ人にとって、日本国民は反原発でなければならないのだ。原発は悪で、反原発が善、それ以外の論理はない。

脱原発という正義を行う知性と勇気のあるのは、やはりドイツ人だけであった、とドイツ人は思っている。すべてを犠牲にしても反原発をすべきだと単純に信じているドイツ人には、やむを得ず原発を選択するという思考は理解しがたいものなのだ。しかし、ドイツの原発ゼロの見通しは非常に暗いのが現実だ。

自然エネルギーをバックアップするため火力発電を増加、強化しなければならない。CO2の排出量が増えるが黙っている。目玉の洋上風力発電も高価すぎて建設が進まない。再生可能エネルギーの買取制度も暗礁に乗り上げ、一般消費者の電気代がアップ。最大の問題は、送電線建設が住民の反対で……(笑)。

筆者は言う。2023年のドイツの脱原発は失敗する可能性がかなり高い。日本はドイツが成功してから真似をしても遅くはないのではないか。まことに同感だ。福島の原発が爆発した映像は何度も何度も放映されたが、迫力不足と思ったのか、不気味な爆発音を付け加えたという。そこまでやるか、ドイツ人。ドイツの周辺国はみな原発推進の悪い国だが、なぜかメディアはその不安を言わない。

ドイツメディアの尖閣や竹島、日中・日韓の歴史問題に関する記事は、中韓の言い分の鵜呑み、日本の主張の完全無視、著しい事実誤認から出来ている。「ほとんどのドイツ人にとって、記事の過誤を判断するだけの基礎知識もなければ関心もない。読めば必ず書かれていることをそのまま信じることになる」

ドイツにとって日本は、世界中でほとんど唯一のライバルだ。日本の好調は嫌悪しかない。だから常に攻撃の矛先は日本に向く。ドイツ好きの日本人は少なくない(わたしもかつてはそうだった)が、ドイツは日本が嫌いで、ウマがあうのが中国だ。中独が相手ではそうとう手強いが、負けるもんか。 (柴田)

川口マーン惠美「ドイツで、日本と東アジアはどう報じられているか?」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4396113412/dgcrcom-22/


川口マーン惠美:シュトゥットガルト通信
http://gendai.ismedia.jp/list/serial/schduagert



●ドイツ……。いや、そういう日本に対してどうこうじゃなくて、ドイツの経済や産業のやり方は、日本が見習うと国が潤うんじゃないかなぁと思ったのであった。大国の真似をしても難しいんじゃないかと思って。にしても、中国の戦略には叶いませんな……。日本(のメディア)がドイツに無関心すぎるのかもしれない。

/時間と悩みだらけだ〜!/ヨウコウさんに親近感を持っていたが、「がっつり前倒し」な人だったとは……。後輩を使える人だったとは。「クライアントの無茶は通さない」とは。まぶしすぎます! 今回のを何度も読もう、うん。

そうなの。仕事が重なったり、無茶言われて思考停止になったり。「原稿はいついつに入ります、仕事はいつからです」って言われて待っていたのに、「今日は用意できません」とか言われて、スケジュールの組み立て直し。続く。 (hammer.mule)